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9番ピッチャー鳴沢さん  作者: タケヒロ
第3章 ゆらぐ思い
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2 星空の下の思い

 何の進展もない毎日を繰り返しているうちに、寒さに加えて冷たい雨の日が続くようになっていた。そのたびに不安の色が濃くなるように、紅葉が落葉に変わったある日、普通科二組の教室でちょっとした異変が起きていた。

 それは、休み時間になるたびに翔子に近付いては通り過ぎ、通り過ぎては引き返して来てまた通り過ぎる夏帆の姿があったのだ。その夏帆の行動がどこかおかしく、そしてもどかしくも思える翔子は、遂にこれまでの沈黙を破った。

「なに? 夏帆!」

 へだたりを持ってしまった二人だったけれど、おとなしい夏帆のモジモジしている姿に、何かあるのだろうということは伝わっていた翔子。

「翔子ちゃん、実はね……」

 誰も人のいないところに翔子を連れ出し、ポーチに入れていた白い手紙を取り出した夏帆。

「これ、あんときのラヴレターじゃん! しかも増えてやがる!」

 嫌がらせのサイトやメールが原因で病んでいるものと思っていた翔子だったけれど、夏帆の手に握られた何通もの白い手紙。それを見せつけられた翔子の心中はおだやかではなくなり、フツフツと怒りの炎が燃え上がってきた。


 ってことはなに?

 こんなところまであたしを呼び出して、人の心配をよそに恋の相談?

 わたし、モテちゃってモテちゃってどーしよー。ってか!


 いつぞやの部活動帰りの複雑な心境にプラスして、一層のムカつきが全身を震わせるように湧いてきた翔子。

 しかし夏帆の表情は硬く、まるで何かにおびえるように一通の封筒から手紙を取り出し、震える手で翔子に差し出した。

「見て…………」


 この期に及んであたしにラブレターを見ろって?

 わかったよ、見てやるよ。そして思いっ切り言ってやる。監督さんや野球部員みんなが、どれだけアンタを心配しているかってことをね!


 モヤモヤした気持ちを抑えてはいても爆発直前の翔子。とりあえず受け取った手紙を開いてみた。


 ア ゼ ン !


「わたしの下足箱に、ときどき入ってる……」

 うつむきながら、今にもこぼれ落ちる涙をこらえて声をふりしぼる夏帆。

 あまりのショックに、見つからない言葉の中から、それでも何とか言葉を発した翔子。

「あ、あれからずっと、続いてたの?」

 コクリ……

「ウソでしょ…………」

 夏帆に届く白い手紙は、まだ見ぬ心の王子様からのラブレターなどではなかった。それどころか、目を疑うほどの非人道的で卑劣極まりない言葉が並べられたものだった。

「夏帆……そんな……なんで……」


 嫌がらせのメールは学校や高校野球協会宛てのものばかりだと思っていた翔子。しかし、現実はそれだけではなく、直接夏帆に対して嫌がらせをしていたという状況だったのだ。

「夏帆、これを……?」

 犯人に苛立ちを覚えるとともに、一人で苦しんでいる夏帆に気付いてやれなかった自分にも腹が立つ翔子。

「夏帆、何でもっと早く言ってくれなかったの?」

「だって、わたしが……」

「わたしがじゃないよ! まさかこんなことになってたなんて……っていうか、あたしも全然気付けなくてごめん! でもこれ、すぐになんとかしなきゃ!」

 同情してくれる翔子の心根を感じた夏帆。その目からは耐えることができなくなった大粒の涙がこぼれ落ちた。

 ボトボトと、たくさん、たくさん。


「とにかく先生に相談しよう。これは、あたしたちで解決できる問題じゃないよ!」

 そうするべきだと思って翔子に相談を持ちかけたはずの夏帆だったけれど……いや、そうして欲しいからこそ翔子に見せた手紙だったけれど、翔子の手からそっと手紙を取りもどしてポーチにしまい込んだ夏帆。

「元々、わたしのわがままから始まったことだし、おもしろく思わない人がいるのもわからなくもないし。何より、野球部のみんなに迷惑をかけるわけにもいかないから……」

「何言ってんの! 夏帆の試合出場は高校野球協会が認めていることだもの、夏帆はなにも悪くないよ!」

 これまで続いた思い込みによる変な時間を取りつくろうように、一生懸命に勇気付ける翔子だったけれど、視線を合わせようとしない夏帆の表情は変わらなかった。

「ごめんね翔子ちゃん、せっかくの休み時間に……」

「何言ってんの……」

「ううん…………」

「夏帆……」

 結局、気がまぎれたのはこのときだけで、みんなに迷惑をかけることに変りはないと思った夏帆は、一人でいることを選んだ。


 夏帆、自分を悪者にしないで、もっと翔子や大和、猛に話してみな。


「夏帆に直接?」

「はい。しかも監督さん、その手紙、三十通はありました!」

「そんなにか!」

「ハイ!」 

「それを翔子に見せてきたということは、助けて欲しいという夏帆からのメッセージかもしれないぞ」

「はい、あたしもそう思います!」

「嫌がらせのサイトやメールが学校相手にならば、時間が過ぎて夏帆の気持ちが落ち着けばと思っていたが、直接本人に手紙とはな……」

「はい、夏帆もかなり落ち込んでます。監督さん、早く何とかしてあげないと……」

「そうだな」

「早速、夏帆救出作戦を考えましょう!」

「んーー。だが卑劣なヤツのやることだからな、おいそれとはいかないだろう。少し時間はかかるが、間違いのない解決策を考えよう」

「は、はい」

「それと祥子、この事はまだ誰にも言わないでくれ。下足箱に入れてあったということを考えると、身近な人物が絡んでいるようだからな」

「はい、わかりました!」

 それ以降、室内練習場の監督室と呼ばれる、ホームベース後方に設けられた大きなガラスで仕切られた部屋にこもる翔子は、各選手のアベレージや特徴をまとめるマネージャー作業をしながら、じっくりと目の前で練習をしている選手たちを監視するようになっていた。


 もしかしたら、この中に夏帆を苦しめているヤツがいるのかもしれない。

 夏帆、あたしが犯人を捜してあげるからね。夏帆の野球を、絶対に邪魔させない!


 部活動としてはいつもと変わらず普通に行われてはいるけれど、夏帆のいない室内練習場が、特に翔子の怒りを助長させていた。

 また、ジャージ姿の三津田監督も嫌がらせサイトの真相を探るべく、いつものようにいろいろな選手に声をかけて調子をうかがいながらも、何かしらの手がかりになるかもしれない情報を探していた。

 そして父も、仕事が早上がりの夕方や週末になると、室内練習場に顔を出して選手たちにアドバイスをする姿は変わらずに続いている。三津田監督から嫌がらせサイトについて一連の話を聞いてはいたけれど、父はあくまでもコーチとしての役割を果たすことに専念していた。


 そして今日も、父は顔を出して指導に力を注いだ部活動終了時のこと。

「鳴沢コーチ!」

「おおどうした。大和、猛」

「夏帆さん……大丈夫ですか?」

「ああ、普通に生活はしているよ。ただ野球の会話はなくなったけどな」

「そうなんですね……」

「まっ、しょうがないだろう」

「コーチ!」

「どうした、改まって?」

「僕と猛を、夏帆さんに会わせてもらえませんか?」

 父を見つめる二人の眼差しは真剣そのものだ。

「んーー……」

 暗くなった部室前で無言の時間が三人を包み、それでも強い覚悟を持って父にお願いを申し出た大和と猛の表情に、この二人に夏帆を任せてみようという思いが父の心に湧いてきた。

「わかった。でも難しいかもよ。夏帆が部活動のことで最後に言った言葉は『これ以上みんなに迷惑はかけられない』だったからな」

「そんな寂しいことを言ったんですか、夏帆さん……」

「ああ」

「僕たち野球部員みんな、誰も迷惑だなんて思ってません!」

「そうだろうよ猛。でも、夏帆の今の心境は、誰にも測れないくらい重いようだ」

 夏帆にかなりの重圧がのしかかっていることを察した大和。表情を強張らせて父に言葉を続けた。

「それならなおさらです。とにかく夏帆さんと話がしたいんです。夏帆さんの力になりたいんです。仲間として!」

「わかった。夏帆に言ってみる」

 父に話しかけてきたのは大和と猛の二人だったけれど、これは野球部員全員の気持ちだということを察している父。

「ありがとうございます!」

「お願いします!」


 そして、さっそくその週末の土曜日。部活動を終えた大和と猛は、父の運転する車でボクの家の近くの公園までやって来た。

「夏帆、来てるかな。大和と猛が話したいからって言っても、特に返事はしなかったから、もしかしたら……」

「大丈夫ですよコーチ。僕たち、夏帆さんを信じます」

「すっぽかしたりするようなことはしないとは思…………」

「あれ、夏帆ちゃんじゃね、大和?」

「そうだよ。コーチ、夏帆さんいました!」

「えっ、どこに?」

 夏帆は浮かない顔をしたまま遊具のそばに設置してあるベンチに腰をかけていた。昼間ならば子どもたちでにぎわう遊具も、うす暗さのなか静まり返る景色が余計に夏帆をひとりぼっちに見せている。

「よく見つけたな」

「はい」

「それじゃ大和、猛、あとは頼んだぞ」

「はい!」

「行ってきます!」

 大和と猛に任せることにした父は、公園脇にある駐車場に車を停めてエンジンを切った。家に帰らないのは話を終えた後、二人をそれぞれの家まで送って行くつもりでいるためだ……という名目で、実は夏帆の気持ちがどう動くのか、コッソリと話を聞きたいのだ。


「久しぶり、夏帆ちゃん」

「ごめんね夏帆ちゃん。無理言って来てもらって」

 ありきたりの言葉に秋の夕暮れは早く、西の空には一番星が三人を見守るように姿を見せていた。

「…………」

 オシャレを表現することなどない上下白のスエットの上にベンチコートを羽織り、防寒対策はしっかりとした私服姿でベンチに座る夏帆は、二人の言葉にうつむいたまま軽く首を横に振るだけだった。

 そして、今までに味わったことのない時間と空気感が三人を包むなか、心を決めて考えていた言葉を並べ始める大和。

「猛とも話してたんだけどさ、夏帆ちゃん、悪口ばかり流されて、追い詰められたんだよね」

「……」

「光輝さんのためにも、どうしても野球をやりたいっていう思いと、俺たちに迷惑をかけられないっていう思いと、いろんなものが合わさって、責任とか悔しさとか……それで夏帆ちゃん、精神的にも辛くなったんだよね」

「……」

「自分を追い詰めて……」

「……」

「それで、まともなピッチングができなくなったんだよね? 心も体も自分じゃないって、そういうことなんだよね?」

「……」

「俺たち、上っつらしか見てなくて、夏帆ちゃんが、かげではこんなに辛い思いをしていたなんて何も知らなくて……」

「……」


 日が暮れてからの気温はどんどん下がり、更に冷たい風が公園を包む。けどもそんなことを感じることもなく、大和と猛は必死で話しを続けた。

「野球部のみんなで話し合ったんだ」

「…………」

 次の言葉を予測する夏帆は、視線を落としたまま上着のポケットに手を突っ込み、まるで世間から自分を遮断するように、うつむくまま目をつむった。

「あのさ、俺たち、何だかんだ言ってもさ、夏帆ちゃんがいたからここまでやってこれたし、夏帆ちゃんがいたから勝てるようにもなった。そしてチームとしても一つになれた。だから……」

 次の言葉を出しづらいのか、大和は少し間をとり、そして改めて言葉をふりしぼった。

「夏帆ちゃんの辛い気持ちに気付けなくてゴメン。夏帆ちゃん、野球やるの辛かったら、苦しかったら、野球……辞めてもいいんじゃないかって」

「…………」

「こんなに盛り上がれたのは夏帆ちゃんのおかげだから、俺たち滝岡高校野球部は、笑顔で夏帆ちゃんを送ろうって決めたんだ!」

「…………」

「そしてこのことは、監督さんも了解してくれている」

「…………」

「だからもう、苦しまないで……」

「そうだよ、これからは、夏帆ちゃんの思うようにしていいからさ……」

 てっきりグラウンドに連れもどすために来たのだと思っていた夏帆、ついでに父は、思いもしなかった二人の、いや野球部みんなの言葉に驚いた。

 そして、夏帆は少しだけ顔を上げ、すっかり暗くなった公園の街灯にうっすらと見える二人の顔に視線を向けた。

 同時に笑顔を見せる大和と猛は、伝えたいことを話し終え、スクッと立ち上がって明るい表情で言葉を放った。

「俺たちの夏が終わったらさ、三年生の引退式あるでしょ。そのときは夏帆ちゃんも誘うからな、出席してくれよ!」

「絶対だぞ!」

「やまとくん、たけるくん……」

 追い込むことを強いるのではなく、逃げてもいいんじゃないかと言ってくれるみんなの優しさを知り、複雑ながら胸の中が熱くなるのを感じずにいられない夏帆は、声にならない声で二人の名前を口にしていた。


 そして大和と猛はそれだけを伝えると、三人の会話が気になって気になって、いつの間にか車から出てベンチ近くの木のかげにひそんでいた父のもとへと近づいた。

「コーチ、お待たせしました!」

「おお、よく俺がここにいることに気づいたな?」

 闇夜にまぎれて隠れているつもりだった父。街灯の明かりと月灯りに、自分のシルエットが丸見えだったことなど気付く余裕もなく、三人の話に、そして夏帆の言葉に夢中になっていたのだ。

「このチャンスをいただき、ありがとうございました!」

「お前たち……」

 二人の言葉から見える部員たちの心根を知った父は、それ以上の言葉が出なかった。

「ボクたち帰ります!」

「何言ってんだ。送って行くから車に…………」

「駅まで近いんで大丈夫です!」

「それよりも、夏帆さんをお願いします!」

「「失礼します!」」

 そう言うと大和と猛は深々と頭を下げた。そして公園の出口へ向かうために歩き出した二人は、突然振り向きながら声を張った。


「じゃ、夏帆ちゃん、また!」

「野球やりたくなったらいつでも来いよ!」


 静かな住宅街に響く声を残し、ダッシュで公園を去って行く二人のキザ男。どんな表情で叫んでいたのか月灯りではわからなかったけれど、自分のことを気づかってくれる二人のシルエットが見えなくなっても、まだその姿を見送っている夏帆。


 夜空を見上げると、そこには気品高く輝く宵の明星が、キラキラとにじみながら光を放っていた。


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