2 希望と現実
「ヒバリのさえずる春うららかなこの季節。桜の花も彩りを見せ、残雪輝く雄大な山々を望む滝岡高校へようこそ!」
紅白の幕に飾られた体育館、背丈ほどもある豪華な生花がめでたさを引き立たせる壇上。そして緊張を隠せない面持ちで見つめる新入学生たちに、ひとことひとことを丁寧に話す校長先生。
「我が滝岡高校は、君たちの夢を実現するため力になることを約束します。相撲に例えるならば、学校が土俵を準備し、君たちが相撲を取る。そう、夢というまわしを着けて!」
今日のために準備されたパイプ椅子に腰をかけ、硬い表情で壇上に目を向ける真新しい制服たち。そしてそこには、みんなと同じように姿勢を正して整列する夏帆の姿もあった。
「我が滝岡高校は、君たち一人一人の夢や希望の後押しを惜しみません。どうぞ、大きな夢と希望に彩りを加えて、思う存分、自分の相撲を取って下さい!」
なぜ相撲に例えたのかはわからないけれど、この学校の校風と可能性に希望を込めて入学した夏帆にとっては、校長先生のその言葉はとても強く脳裏にとどまった。
「新一年生諸君、春の良き日に、我が滝岡高校入学、おめでとう!」
夏帆が入学した滝岡高校は、ボクたち家族の住む街から二つ隣の滝岡町にあり、山と農地が面積のほとんどを占める小さな町だ。
それでも、自然が多いためか学校の敷地はとても広く、入学式が行われている大きな体育館の他にも複数のサブ体育館や武道館、広いグラウンドはもちろんのこと野球専用、サッカー専用のグラウンド、さらに多目的室内グラウンドやトレーニングルームに宿泊施設も有するなど、校長先生の言葉通り勉強や部活動の環境が整うことで有名な高校なのだ。
ちなみに校長先生は相撲に例えて入学式の挨拶をしていたけれど、残念ながら滝岡高校に相撲部はない。
入学式を終えた新入学生とその保護者たちは、緊張から解放されて笑顔を見せながら正門や駐車場を目指していた。
「ねーねーお父さんお母さん、帰る前に、ちょっとでいいから野球部の練習見ていきたい!」
午後から行われた入学式。午前中の授業を終えた二、三年生はそれぞれの部活動に精を出していた。
そして、入学式後は部活動見学が自由ということもあり、夏帆のように興味のある部を見学する新入学生も多数見受けられた。
「ああ、もちろんいいぞ!」
「ヤッタ! じゃ、早くグラウンド行こう」
ヒバリの早口なさえずりに導かれるように、三人の足は野球専用グラウンドへと向かう。そして、ワクワクを隠せない夏帆の足取りが早くなり始めたころ、ヒバリの声に混じってウズウズ感を高める音が耳に届いてくる。
オラー、打ってこーい!
キーーン!
パーン!
イイぞぉー、ナイスプレー!
もうイッチョウ!
心踊る夏帆の歩調はどんどん早くなる。そして、緑色の高い防球ネットで囲われた野球専用グラウンドが、いよいよ夏帆の、そして父と母の目に飛び込んできた。まるで客席のない野球場とでもいうべきか、本格的に設備の整ったグラウンドだ。
サー、こーい!
ホラホラ、どーしたぁ!
打ってこーい!
五十人はいるだろう、土色が染み込んだ練習用ユニフォーム姿の選手たち。防球ネット越しにその光景を目の当たりにした夏帆は、さらに前のめりに興味を示している。そして、その夏帆の姿を見つめる父と母は、この状況に不安を隠せない様子だ。
「ねぇ、お父さん。野球をよく知らない私でも想像が付くけど、女子生徒が高校野球だなんて、あり得るの?」
「母さんの想像通り、そんな話はないさ。でも、今の夏帆を抑えつけることなんかできないよ」
「やっぱりそうよね。それを思うと私、夏帆がふびんでしかたがないわ」
「そうだな、わかってはいても現実を突き付けられたときのショックは、とても大きいと思うよ」
そんな親心を知ってか知らずか、不安混じりの夢を描きながら、夏帆の高校生活は始まった。
「行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい。先生の話、しっかり聞きなさいよ」
「わかってるって!」
昨日の入学式後の野球部見学は、夏帆にとってとても満足したものだった。そして今日も、まだまだ見慣れない真新しい制服をまとい、夢と希望を胸に登校した。
「おはよう」
「「おはようございます」」
クラス分けされた教室。まわりに座るクラスメイトたちは、まだ顔も名前も知らない面々。そのため、むだ話も少なく緊張に包まれた面持ちで、担任の先生の言葉に耳を傾ける生徒たちだ。
「えーー、一年普通科二組を担任する笹崎だ。まずは一年間、よろしくだ」
「「はい」」
「当然のことだけど、みんな入学したばかりで右も左もわからないだろう。今週はオリエンテーションやら何やらでいろんな説明があるけど、結局は右の耳から入って左の耳へと抜けていくと思う。でも、わからないことはそのままにしないで、先生方や周りの人たちに訊いて、早く高校生活に慣れるように。いいな!」
「「はい」」
案の定、生徒たちは日々いろいろな情報を一気に説明され、何がなんだかよく理解できず先生の言われるがままに時間だけが過ぎていた。
そして、教科書に折り目をつけながら授業が行われるようになるころには、強い日差しとレベルの高い授業内容に振り回され、それでも早く学校生活に慣れようと必死に過ごす生徒たち。
「はぁ~、今日も終わったね翔子」
「だねぇ。先生はさ『中学校の応用だから簡単だろ?』なんて言ってるけどさ、私にはチンプンカンプンで、どこが中学校の応用よ! って言いたくなるよ」
「まあまあ、落ち着いて、落ち着いて」
そして、授業に神経を使ったあとの放課後は、三年間自分の身を置く部活動見学へと足を運ぶのが、この時期の一年生の日課となっている。
というのも、滝岡高校は必ず部活動に所属しなければならないという決まりがあるからだ。そのため、どこの部の二、三年生も、新入部員獲得のためにいつも以上にフレッシュさとエネルギッシュさをアピールし、ハッスル感みなぎる活動を見せていた。
「ねぇ翔子、今日も野球部見学?」
「うん。いつもゴメンね」
「いいよいいよ。私は美術部に決めてるからね、どこまででも付き合ってあげるよ」
「ありがと~〜」
「アンタの野球命は、小学生んときから知ってるからね」
「サンキュー。やっぱ、持つべきものは友達だね!」
そして、ハッスルプレーは野球専用グラウンドでも同じで、いつもよりも大きい声を出し、いつもよりもキビキビとしたパフォーマンスでアピールしている部員たち。
しかし、中には見学者のことが気になってしまい、練習に身が入らない部員もいる。
「今日も女子の見学者がいっぱいだぞ!」
「一人に一人、専属マネージャーっていうのもありなんじゃねー!」
「だよな!」
グラウンドでは、純な男世界の楽しい妄想が繰り広げられていた。過度に何かを期待し、余計な話に花を咲かせる部員が少なからず、いや、たくさんいた。
「今日は見たことがない見学者もいるぞぉ」
「いいから練習に集中しろよ!」
「ちょっとだけだよ。だって、みんな見てるし!」
しかし、厳しい部活動中のささやかな楽しみである見学者チェックだったにもかかわらず、部員たちの意気込みはむなしく日に日に減ってゆく見学者たち。
特に、目当ての女子生徒は激減してしまい、今日は三人しか見当たらない。そして、男子生徒も十人いるかどうかだ。
「こんなにいなくなるって……そんなことってある?」
「おおかた高校野球ブランドに憧れて見学に来たのはいいけど、現実は根性だの気合だの言って泥まみれになって球を追っかけ回す、地味でつまんない活動に見えたのかもよ」
「その現実、厳しいな……」
でも、ここまで少なくなると見学者一人一人のチェックができるという利点があるのも事実。グラウンドからは、相変わらず練習をしているふりをしながら見学者をチラ見している姿が見受けられた。
そして、それは特待生として推薦入学し、すでに部活動に参加している一年生も同じだ。
「おい大和、あの子、カワイイぞ! 目の大きなショートカットの子」
先輩方に負けず劣らず、しかも先輩方の目を気にしながらヒソヒソ声で呼びかける青野猛。
「うるせーよ、オメーの好みなんかどーでもいいんだよ!」
猛の言葉を突き返すほど、先輩方の目が気になってしかたがない西原大和。
「だって、マネージャーになるかもしんねーんだぜ、しっかりチェックしとかねーと!」
「何のチェックだよ?」
「心の準備が必よ……う…………んっ?」
インパクトを捉える練習をしていた手が止まる。それほど気になる見学者を見つけたのは、目の大きな女子生徒が気になっているはずの青野猛。中学生硬式野球クラブチーム、荻野原クラブから特待生として入部していた一年生だ。
「大和、大和!」
猛が声をかけたのは、同じく荻野原クラブから特待生として入部していた一年生、西原大和。
「何だよ、さっきからうっせーなぁ!」
「あの見学者、見覚えねーか?」
「目の大きなショートカットの子なんか知らねーよ!」
「じゃなくてよ!」
「だったら同級生とかじゃねーのか!」
よく見もしないで……というよりは先輩方の目が気になる大和は、小さいながらも強めの口調で、とにかく猛の言葉を突き返していた。
「違うって! 目の大きなショートカットの子の後ろの女子だよ!」
めげずに訴える猛の必死さに、大和はバットスイングの確認をしたふりをしながら、あくまでもさりげなく見学者の方へ視線を移した。
「んーっ……?」
猛の言うように見たことのある顔がそこにある。
「でしょ?」
レフト側防球ネットの外で見学している男子生徒たち。そのすぐ後ろにまとまっている女子生徒三人。その一番後でひっそりと立つ、スラッとしたというよりは、女子としては背が高くて痩せ型、ショートカットで日に焼けた女子生徒の姿があった。
ボクの妹、夏帆だ。
「大和、まさかだけど、アイツも野球部に……選手で?」
「んなわけないでしょ。いいかい猛くん、あの人はね、あー見えて女子なんだよ、一応」
「そ、そうだよね、大和くん」
「ということは、マネージャーでしょ……たぶん」
「そっ、そうだよなっ。一応、女子だもんな……」
夏帆の姿に気をうばわれ、荻野原クラブ時代を思い出す大和と猛の頭の中は、現実と幻想が相まみえて、いろいろな可能性を巡らせていた。
「でも大和、あり得ねーけどさ、もしアイツが、選手として野球部に来たら……」
「あぁ、あり得ねーけど、甲子園だって夢じゃねーぞ、猛!」
「だってアイツは、とんでもねぇピッ……」
「コラーッ! そこの二人ィー!」
夢物語が悪夢に変わった。気にすることを忘れていた先輩方の目が、強い直射日光のごとく大和と猛に注いでいたのだ。
「「スイマセンシタ!」」
次の日から一週間、昼休みを返上しての部室掃除をやらされたことは、ちょっとした話題になった大和と猛だった。
そして、今日もまた部活動見学に精を出す一年生の生徒たち。
「ねーねー、今日も野球部の見学に付き合って」
「しょうがないなぁ。でも翔子、ちょっとくらいは別の部活動に興味とかないわけ?」
「ありませんね。あたしには野球部しか見えないもん!」
「でしょうね。それじゃ今日も明日も明後日も、野球部見学に付き合ってあげるよ」
「サンキュー。やっぱ、持つべきものは友達だね!」
こうして、約二週間の部活動見学に足を運んだ一年生たち。学校の正門を飾る草木も緑色を濃く輝かせるころには、野球部にも男子二十人、女子二人の新たなメンバーが加わった。そして真新しい二十二人のジャージ姿は、初めての部活動としてバックネット裏に集合していた。
ちなみに夏帆は選手希望で入部届を提出していたけれど、その思いは届くことはなくマネージャーとして受理されていた。
夏帆、現実ってヤツは、むごいよな……
「鳴沢さんって、普通科ニ組ですよね」
「えっ、あっ、はい」
小さい声ながら親しげに夏帆に声をかけてきた、クリッと大きい目が印象的で肩まで伸びたストレートボブがとてもよく似合う、キャピキャピ系女子が笑顔を見せた。夏帆とは正反対のキャラだ。
「あたしも同じ二組なの。柴橋翔子って言います。同じクラスで同じ野球部マネージャーって、すっごい偶然だよね。よろしくね!」
「そ、そうですね。見学のときもいましたよね。こちらこそよろしくね……」
満面の笑顔を振りまく翔子のフレンドリーさに圧倒され、選手希望であることを明かすこともできずに受け答えをする夏帆だった。
一年生新入部員たちが集合しているバックネット裏は、大きな屋根がかかっていることもあって直射日光はさえぎられていた。そして、バックネットのコンクリート土台にピタリと寄せてグラウンドに向けて置いてある二組の机と椅子。黒ずみや傷にゆがみなど、滝岡高校野球部の歴史が刻まれたとでもいおうか、何年も使い込んでいるのが見たままの机と椅子だ。
そこに一人、清潔感あふれる、白の半袖Tシャツと赤色の長ズボンジャージ姿の女子生徒がやってきた。
「お疲れさま」
「「お、お疲れさまです」」
部活動見学のときにも目に入っていた先輩マネージャー。ほがらかな笑顔から覗く八重歯がとてもチャーミングな二年生、清野遥香マネージャーだ。
「私はマネージャーだから、緊張しなくていいよ」
さわやかな声、背中まで伸びたサラサラでまっすぐな栗毛色の髪、女優のようなモデルのような、まるで雑誌から飛び出してきたような容姿。その、目の前にいるきれいな姿に、紺色長袖長ズボンジャージ姿の男子新入部員たちは、ただただ見とれるばかりだ。
「たくさん入部してきたね。練習は厳しいけど、頑張ってね」
「「ハ、ハイ」」
「甲子園に向けて先輩方も……んっ、あれ?」
遥香の目が一人の男子新入部員に止まった。
「……?」
「林崎君って、もしかして、菅里君の後輩の林崎君?」
真新しいジャージの胸元に刺繍してある名前を見つけて出た言葉だったけれど、その驚いた表情も口から流れ出る声も全てにかわいらしい遥香の動作に、より以上にビックリドッキリの林崎。
「ハ、ハイ、は、林崎です! 菅里さんの後輩の、林崎仁です!」
遥香と菅里は同じ中学校のクラスメイトだった。しかし、遥香は中学校部活動の軟式野球部マネージャー、それに対して菅里は中学硬式野球クラブチームに所属していたこともあり、同じ教室にはいても特に話をしたことはなかった。
それが、たまたま二人とも滝岡高校に入学して野球部に入部。帰りは最寄りの駅まで電車で十五分間揺られ、同じ駅で降りて同じ方向に自転車をこぎ出すためにいつの間にか話をするようになったのだった。
そして菅里は「俺は背番号1を付ける。そして必ずお前を甲子園に連れて行く!」ということを言っているという。
「突然ごめんね。ビックリしたでしょ?」
「い、いえ、大丈夫です」
「それで菅里君がね『俺が中学硬式クラブんときに面倒見ていた林崎という後輩が、俺を慕ってウチの高校に来る。俺共々よろしく頼むわ!』って毎日のように言っててね、それで今、目の前にその名前があったもんだから、つい……」
「そ、そうだったんですか、家が近いこともあって志郎君……あっ、いや、菅里さんとは小さいときから一緒で……」
「うん、聞いてる聞いてる。菅里君がね、何回も何回も一言一句完コピしたみたいに同じ話をしてくれるから……」
「そうなんですね……何だか、すみません」
一学年上の女子マネージャー。半袖Tシャツの白さと重なる透き通るような白く細い腕。膝までまくり上げた赤色ジャージから伸びるツヤツヤと輝く白い脚。目鼻立ちの整った美形。
中学時代はマネージャーなどはなく、世話役はもっぱらお母さん方という世界で野球をやってきた男子新入部員たちにとってはとても眩しいオーラに包まれた清野遥香マネージャーであり、天使がそよ風に乗ってやって来たように見えていたのかもしれない。
「練習止めぇ!」
先輩マネージャーの容姿に見とれている新入部員たちだったけれど、グラウンドから届くキャプテンの大きな声によってそれは打ち切られた。
同時に、グラウンドに散らばる選手たちは練習を止め、バックネット三塁側脇にあるグラウンド出入口の方向に体を向けた。
そこには少し大きめの練習着がメタボ体型を隠す、三津田野球部監督が姿を見せていた。選手たちはその場で脱帽して直立に、そしてバックネット裏でも同様に直立に硬まっている。
「お願いします!」
「「お願いします!」」
キャプテンのかけ声に合わせて部員全員の挨拶を終えると同時に、選手たちは一斉に一塁側ベンチ前に集合した。それを確認すると、改めてバックネット側に向けて声をかけるキャプテン。
「マネージャー以外の一年生も集合だ!」
「「ハ、ハイ」」
春とはいえ日差しは強い。直射日光を浴びながら坊主頭に流れる汗をぬぐうこともせずに、直立不動のユニフォーム姿と紺色ジャージ姿が一塁側ベンチ前にそろった。それを見届けたように、三津田監督も一塁側ベンチ前へ立った。
バックネット裏では、男子新入部員がいなくなった分、若干の風を心地よく感じながら、清野遥香マネージャーを前に柴橋翔子マネージャーと選手希望マネージャーの夏帆が並んだ。
「ウチのマネージャーは、監督さんやキャプテンから言われない限りグラウンドに入ることはないんだ。変わってるでしょ」
「は、はい」
「そう、なんですね」
「フフフッ。二人ともリラックス、リラックス」
グラウンドにもたまに吹く清々しい風が、にじみ出た汗を少しだけ冷やして爽快さを感じさせる一塁側ベンチ前。しかし、三津田監督を前に緊張が走る部員たち、中でも新入部員たちは極度の緊張に身体が硬まっているのがうかがえた。
「今日から、一年生も全員が正式入部となった。同じ一年生でも、野球のために入学してきた者と、入学してから入部する者とがいるわけだが……いいか、特待生だろうが一般入部だろうが、そんなものは関係ない!」
「「…………」」
「それは入学や入部の方法にしか過ぎない。俺は力ある者をどんどん使っていく」
「「ハイ」」
「いかよく聞け、チャンスは皆にある!」
「「ハイ!」」
三津田監督の、それほど大きくはないけれども通る声に部員全員が目を輝かせ、坊主頭に刺さる直射日光以上に熱い鼓動を感じている。
そして、その言葉はバックネット裏で聞き耳を立てている夏帆の耳にもしっかりと届いていた。夏帆は選手希望である。気持ちの高ぶりは、暑い中グラウンドに立つ選手たちよりも強い物があった!
三津田監督の言葉が終わり、キャプテンの指示のもと暑いグラウンドに散って練習を再開した選手たち。
そして、今日から参加の一年生新入部員たちは小グループに分かれての基礎練習なのだが……キャプテンからその指揮を任されたのが二年生の菅里志郎。新入部員を前に何を勘違いしたのか、表情を強張らせながらグダグダと話始めた。
「いいか一年、よーく聞け!」
「「……」」
「返事がねーぞぉー!」
「「ハイッ!」」
「先輩が話してんだ、しっかり返事しろ!」
「「ハイッ!」」
「よーし、それでいい。いいか、目標は甲子園だ、そのために勝つ!」
「「ハイッ!」」
「勝つ、それは試合だ!」
「「ハイッ!」」
「なーんて言うと思っただろう? そんなこと言ってっから勝てねーんだ!」
「「ハ、イ……」」
自分自身の言葉に酔っている菅里。新入部員たちは真剣な顔をしながらも内心はあきれ始めている。もう、菅里の次の言葉は悟られているのだ。
「勝つ! それはただ一つ! それは……」
突然話を止めたかと思うと、ニヤけながら新入部員たちの顔を見渡した菅里志郎。
「自分自身だぁ!」
言い切った菅里は渾身のドヤ顔!
「わかったか一年! わかったら練習だ! 自分に勝つんだ! 意味のある練習をしろ!」
無抵抗だからこその権力にも見える菅里志郎の態度。バックネット裏に向かって歩いていた三津田監督も、大きなため息とあきれ顔を見せていた。
しかし、それもいつものことと菅里ワールドを遮断し、気持ちと表情を切り替えながら日陰のバックネット裏へとやって来た。
夏帆と翔子に緊張が走る。特に夏帆の表情が険しい。
「ご苦労さん」
「お疲れ様です」
「「お、お疲れ様です……」」
遥香に続いて挨拶をする夏帆と翔子、間近に見る高校野球の監督という威圧感なのか、それともメタボ体形の圧迫感なのか、いずれにしてもかなり緊張をしている二人。しかし、メタボな練習着姿の見慣れない笑顔は、何となく近所の優しいおじさん感がただよって見えた。
「先輩マネージャーがいなかったから今まではずっと遥香一人でやってきたけど、今度は一年生二人が加わって、だいぶ楽になるな」
「はい」
笑顔いっぱいに遥香をねぎらい、目線を夏帆と翔子へと移した三津田監督。
「自分のペースでかまわない、まずはこの野球部に慣れるように。わからないことは遥香先輩に聞いて、しっかりと覚えるように」
「はい」
要点を伝えると、メタボな体型を反転させて指導にもどろうとする三津田監督。
「スミマセン!」
背中を向ける三津田監督に焦りを覚えた夏帆は、必死で心の声をぶつけた。
「わたしも、野球をやらせてもらえませんか!」
あり得ない夏帆の発言に、遥香と翔子は鳩が豆鉄砲を食らったかのような驚きようだ。しかし、三津田監督は落ち着いたまま夏帆へと体の向きを変え、優しく丁寧に話し出した。
「鳴沢夏帆さん……だったね」
「はい!」
「入部届けを受け取ったときに、野球部部長先生でもある担任の笹崎先生から伝えてもらったはずだが、高校野球は男子生徒のみと決まっているんだ」
「はい、わかってます。それでもわたし……」
「中学では軟式野球部だったね。確かに、選手として試合に出たこともあるようだ」
「はい」
「硬式野球になるんだよ」
「はい、わたし中学のとき……」
「決まりは決まり、それは変わらないよ」
三津田監督の言葉が、必死に喰らい付こうとする夏帆の言葉を打ち消していく。
「そこを何とか……考えてはいただけませんか!」
神様お願いと心の中で祈りながら話す夏帆の声は、か細く、まるでたまに吹くそよ風のようだ。
「この件については、もう少し話し合いが必要のようだな」
通る声で会話を打ち切ると、そのままメタボ体型は背を向けて行ってしまった。
「お兄ちゃん…………」
ボクを思いながら必死でアピールをする夏帆。
辛い思いをさせてごめんな。
「鳴沢さん……野球部に選手として入りたかったの?」
遥香の問いに、そうそうとばかりに翔子も大きな瞳を向けて注目している。
「はい、わたし野球がやりたくて滝岡高校に……」
そう言うと、一塁側ベンチに向かう三津田監督の後ろ姿を見つめる夏帆。乾いたグラウンドを歩く三津田監督の足音が妙に耳にささる。いや、心にささっているのかもしれない。
悲しそうな夏帆のその姿に、続きの言葉を失う遥香だった。
「鳴沢さん!」
間髪あけずに飛んでくる翔子のキンキラ声が、三津田監督の足音をかき消して夏帆の耳に届いた。
「えっ、はい?」
「野球、やって!」
「えっ?」
「あたしも、中学までは選手として野球やってたんだ。まぁ、試合には出れなかったけどね」
「な、何言ってるの柴橋さんまで?」
まさか夏帆の思いを後押しするとは予想もしなかった遥香。それでも、翔子は話を続けた。
「あたし、鳴沢さんが監督さんにアピールする姿を見て凄いって思った!」
「えっ?」
「だって、本気なんだよね?」
「うん……」
「だから、野球やって! あたしの分まで。鳴沢さんなら、いや、夏帆ならやれる!」
「だから……柴橋さんまで何を言ってるの!」
少女マンガのようにキラキラと輝く瞳で話す祥子の天真爛漫さが、心苦しくギュとしていた夏帆の心をやわらげ、そして力強く包んでいた。
それからというもの、夏帆と祥子は常に一緒にいた。グラウンドでは話せない選手希望の話や甲子園出場の夢物語も、普通科二組の教室だと誰に気兼ねすることなく話すことができた。そして共感する二人は友情を深め、翔子の性格が無謀な夢を追う夏帆の心の支えとなっていった。
しかし、部活動での夏帆はバックネット裏。そして夏帆の気持ちをあおるように、紺色のジャージ姿だった男子新入部員たちも眩いくらいの白い練習用ユニフォームに変わり、日々の練習に土色を染み込ませていた。
「夏帆……大丈夫?」
「しかたないよ。これが現実なんだもの……」
「でも、悔しいよね……」
「わたしのことなのに、悔しがってくれてありがとう、翔子ちゃん」
二人の深まる友情をよそに、グラウンドでは一年生の練習メニューが淡々と進んでいく。小グループに別れてのグラブさばきやバットスイングなど、基本練習をメインに繰り返し行われていた。
お互いにポイントやコツなどを交換するという知識力、観察力、また環境への感謝の気持ちを高める狙いもある練習だ。
すると、一つのメニューが終わり、スパイクの歯で荒れた土をレーキやトンボーでならす一年生部員のどこからか、さりげなくつぶやく声が聞こえてきた。
「なぁー、二年の菅里さん……俺、ちょっと苦手なんだよなー」
何の気なしに耳に入ってきた言葉。聞いていいのか知らんぷりをするべきかという戸惑いを覚えながらも、誰彼となく菅里の話題に染まっていった。
「俺もだよ。いやみだし自慢げだし、何でもかんでも押し付けでしょう? そういうのって人としてどうかと思うんだよね……」
「しかもさ、知ったかぶりする割りには突っ込まれるとすぐに逆ギレするからさ、話をしたくなくなるんだよな」
「そうそう。同じ同じ」
これまでは借りてきた猫状態だった一年生部員たち。菅里の話題が出た瞬間、導火線に火を付けた花火のように吐き出し始め、話がどんどん広がりをみせたかと思うと、いつしか他の先輩のことにまで飛び火していた。
もちろん先輩たちには聞こえないような小声のはずなのに、だんだんとエキサイトし、話に話を被せてペチャクチャと、それはまるで線香花火のようにだ。
「一年! 手が止まってるぞ!」
案の定、キャプテンの怒号が飛び、その大声に一年生部員たちの声もピタッと止んだ。まるで、線香花火の火の玉が、ボトッと落ちた後の静寂に包まれたかのようにだ。
でも、これがきっかけで一年生部員たちの絆が深まることになる。土ぼこりの舞うグラウンドでの出来事だった。
ただし、夏帆はその中にはいないという現実も見せつけられた瞬間でもあった。




