1 白い手紙
甲子園大会出場が決まってからというもの、野球部グラウンドのみならず、教室や廊下に、にわか野球部ファンが現れた。
なかでも、女子生徒が野球をやるというギャップもあり、夏帆は人気の的だ。握手を求められたり写真撮影会が始まったり、さらにはサインをせがまれたりと、まぁ、そこまではわかるけれど、特に親しくもなかったクラスメートたちまで、まるで親友のようにまとわり付いてくる有り様。夏帆にとっては今までの生活とは一変、気忙しい日々が流れていた。
それはさておき、甲子園大会出場決定により、より一層気合を入れて練習が行われている滝岡高校野球部グラウンド。防球ネットの外側に陣取るにわかファンの目をよそに、選手たちは浮足立ちながらも練習には真剣に取り組んでいた。
そして、一塁側防球ネットの外側にあるブルペンでも、一層熱を入れて投球練習をする投手陣。
「 夏帆さんのアドバイスは、鳴沢コーチのようでわかりやすいっス」
「当たり前だろう。夏帆ちゃんを育てたのが鳴沢コーチなんだから」
「あっ、そうでした」
「ってことは、わたしのアドバイスって、クドい?」
「そ、そんなことはないです、全然、はい」
近ごろの部活動の光景として、投手陣にアドバイスをする夏帆の姿が見られた。
「夏帆さん、自分の球って、どうしてもばらつくんですよ。どうしたらコントロールが良くなるかを教えてください!」
「俺にも夏帆ちゃんの変化球、もっと教えて!」
「わかった、わかった。ちゃんと教えるから、しっかりマスターしてね」
「ハイ!」
夏帆の指導は評判がよく、いつの間にか頼れるコーチ的存在になっていた。
そんなこんなでお祭り騒ぎの毎日を送っていたある日、いつものように授業が終わり、いつも以上に気迫のこもった部活動が行われているときのことである。滝岡高校へ二人の訪問者がやって来たのだ。
「甲子園大会実行委員会の役員を務める者です」
そう名乗る二人。
「鳴沢夏帆選手の甲子園大会出場について、全国から問い合わせと意見が殺到していまして……規則だからと説明しても抑えることができない状態になっているのです」
「はい、この件につきましては私どもといたしましても騒ぎの原因を作っておきながら、何とも言いようがございません……」
校長室では、夏の暑さのせいなのか、それとも甲子園大会の役員という肩書きのせいなのかはわからないけれど、校長先生はじめ教頭先生、三津田監督、そして野球部部長も務める夏帆の担任の笹崎先生の額からは、拭っても拭っても止まらない汗が吹き出していた。
「そこで、鳴沢夏帆なる人物を我々の目でじかに見て聞いて、それで大会出場について判断をする必要がある。ということで偵察にまいりました」
まるで裁判でも始まるかのような異様な空気の中、代表して三津田監督がこれまでの県大会、更に地方大会の出場に至るまでの経緯と活躍ぶりについて説明しをた。
「なるほど、先ほど県高校野球協会にも行ってきましたが、やはり同じようなことを言っていましたね」
「はい……」
また、学校での生活態度や学業成績などについても問われ、それら質問事項については笹崎先生がたどたどしくも事細かに答えた。
「なるほど、高校生としては問題なしと言っていいでしょう。あとは技術的な部分については動画等で確認しています。最後に部活動をしている姿を直接見させて頂きましょう」
甲子園大会の役員と名乗る二人はあくまでも内緒にという条件で来校していたため、野球部員たちに気づかれないように校舎の脇からコッソリと、たまたま大勢いる野次馬ギャラリーにまぎれて夏帆の姿を観察していた。
三十分くらいは見ていただろう……。
「それでは私たちはこれにておいとまいたします。結果は後日連絡しますが、あくまでも私たちの存在は内緒に」
そう言い残し、さっさと帰っていった二人。
水面下でそのようなことが起きていることなど想像もしない滝岡高校。甲子園大会出場に向けて夏休みを待ち遠しく過ごしている普通科二組の教室では、翔子を中心に甲子園談義に花を咲かせていた。
「マネージャーも甲子園のベンチに入れんの?」
「記録員として入れるんだよーー!」
両手でハートマークを突き出し、自慢げにみんなにアピールする翔子。
「いいなぁ~、あたしもマネージャーやればよかった。一年んとき、部活見学には行ったんだけどね」
「そうだ! ウチらも今から入部してさ、マネージャーになってベンチに入ろうよ!」
「ムリムリ。記録員は一人って決まってるし、すでにあたしがいるからね、残念でした」
「いいなぁ、翔子……」
「ヘッヘッヘッ。いいだろー」
優越感にひたってドヤ顔を決める翔子。今までの人生の中で一番誇らしげに輝いている瞬間だ。
「でもさぁ、自分の学校が甲子園に出れるなんてさ、夢みたいで今でも信じられないって感じだよね」
「ホントホント。ホントに行けるんだよね、甲子園!」
「今からドキドキワクワクだよね」
「そうそう」
女子生徒たちも憧れる甲子園。学校創立以来初の甲子園出場ということもあり、話しは尽きることなく連日話題になっていた。
「ところでさぁ、夏帆も試合に出れるんだよね?」
沸きに沸く会話の中でフッと出た誰かの言葉。考えてもみなかった言葉にクラス中の会話が止まった。
「ねぇ? 出れるよね、もちろん!」
「…………」
辺りを見渡すと、いいのか悪いのかはわからないけれど、たまたま夏帆の姿は見当たらなかった。
「翔子は知ってんでしょ?」
「えっ……?」
改めて考えてみるとそうなのだ。夏帆は県大会や地方大会への出場は認められてきたけれど、全国的な大会については認められてはいないのだ。増してや甲子園大会は。
「えっとぉー……そう言われてみれば……だよね……」
「何言ってんの、出れないわけないでしょ! 夏帆のおかげで甲子園に行けるようなもんだもの。ねぇ、翔子!」
「えっとおーー…………」
「一番活躍したのは夏帆でしょ。だもの、甲子園に出る権利がある。そうでしょ、翔子!」
「んーー…………」
「翔子?」
「い、いや、それは…………」
マウンドに立つ夏帆の姿があまりにも自然になっていたため、試合出場がどうのこうのということは眼中から消えていた。そして、誰かの言葉に教室内は不安と心配に包まれてしまったそのとき、どこからか夏帆がもどってきた。
「ねーねー夏帆、ちょうど今、あんたの話をしててさ……あんたも甲子園、出れるんだよね?」
「えっ? 何、突然!」
気を使うことなど知らない一人の女子生徒が発した言葉。教室に入るなりいきなりの質問にビックリした夏帆だったけれど、当然その話題になることは予測していたように答えた。
「成るようにしか成らないよ」
「成るようにって……?」
「甲子園に行けるんだもん、喜ばなきゃ!」
何かを悟ったかのような夏帆の言葉。甲子園予選県大会に臨むときから、心のどこかでその覚悟をしていたのかもしれない。
「夏帆、だからいつもブルペンで、他のピッチャーたちに指導してたの?」
「まぁ……」
キーンコーンカーンコーン……
授業開始のチャイムとともにこの話しはここまでとなった。一番苦しんでいるのは夏帆本人なのだというクラスメイトの暗黙の思いやりから、そののち、この話題を口にする者はいなかった。
実は、野球部員たちも同じ対応をしていた。夏帆の前では平静をよそおいながら練習に集中しているけれど、よそよそしくて不自然さを生み、逆に気を使わせてしまっているのも事実だった。
教室でも、グラウンドでも何となく気まずい空気がただよい、そのなかで一番気を使っているのは夏帆本人かもしれない。
そして、ジリジリとしさた暑さが身体に突き刺さる頃には、生徒たちお待ちかねの夏休みに入った。甲子園大会を待ち遠しくも緊張している野球部は、甲子園メニューと名付けて基礎練習と試合形式練習を繰返し行っている。それはそれは、とても気合の入った、真剣に取り組む選手たちだ。
「三津田先生!」
声のする方向へ目線を送ると、レフト側の防球ネットの先、校舎の手前に校長先生の姿が見える。三津田監督はキャプテンの青野猛に以後の練習を伝えると、イソイソと校長先生とともに校舎の中へと姿を消した。
暑かったグラウンドから一変、エアコンの効いた校長室に入り、応接用のテーブルを挟んで腰を掛けた校長先生と三津田監督。
「校舎内は涼しいですね」
「さすがにグラウンドとは違いますよね。お疲れ様です」
「ところでどうかしましたか、校長先生?」
「いや、実は……」
校長先生の手からテーブルの上に置かれた、まだ封の切られていない一通の白い手紙。差し出し人は甲子園大会関係役員会事務局とある。夏帆の甲子園大会出場についての検討結果とみて間違いない。
日当たりの良い校長室。窓から射し込む夏の眩しさも、蜃気楼がゆらめきそうな暑さも忘れて、二人は目の前の手紙を見つめて息を飲んだ。
「三津田先生、野球部代表者として、この手紙を見てください」
「わたしでよろしいのですか?」
「もちろんです。お願いします」
「はい。それでは、開けます……」
結果は…………
数分後、メタボ体型を揺らしながらグラウンドに戻ってきた三津田監督。涼しい所から暑いグラウンドへ出たためか、はたまた体系的な原因か、それとも別の意味を含んでのことなのか定かではないけれど、やたらと汗をかきながらバックネット裏までやって来ては屋根の日陰で足を止めた。
そこでは、翔子たちマネージャーがみんなそろって三津田監督の動向に気をうばわれている。
「ふぅ~、グラウンドは暑いな」
誰に話しかけるでもない言葉を並べる三津田監督は、吹き出す汗をぬぐいもしないで一塁側グラウンド脇のブルペンに目を向けた。そこには、投手陣にアドバイスをする夏帆の姿がある。
「監督さん、どうかしましたか?」
翔子の言葉に三津田監督は姿勢を変えることもなく、独り言のように大きくはない通る声を発した。
「改めて見てみると、夏帆はピッチャーたち一人一人にアドバイスをしている。最近、あまり顔を出せないお父さんに代わってなのか、それとも自分の立場からなのか……」
「あっ、はい……」
翔子たちマネージャーは、三津田監督の言葉が何を意味しているのかはわからずに顔を見合わせ、三津田監督の次の言葉を待った。
「女子生徒である自分は、甲子園大会には出れないかもしれない」
「えっ……あっ、はい……」
誰も口にすることができない一番気がかりな問題を、平然と述べる三津田監督に動揺を見せるマネージャーたち。
「だから、みんなに頑張って欲しいという思い。そのために自分が今できることを考え、自分の練習ではなく出場できる選手たちに惜しみなく知恵を授けている」
「はい。正直言って、いたたまれないです……」
「そうだな。フフッ!」
「えっ…………?」
熱風が日陰の涼しさを押しやるバックネット裏、三津田監督の不敵な笑い?
そして、三津田監督の言葉が一旦止まったと判断した翔子は、三津田監督の笑いの真相が気になり、思い切って訊ねてみた。
「夏帆が、何か?」
「ああ。あいつはウチの、滝岡高校の絶対エースだ!」
「えっ? あっ、は、はい……」
「あいつの努力はむくわれる!」
つぶやくようにボソボソと話す声。内容がわからないうえに理解に苦しむ言葉。
「えっ? 何……ですか?」
改めて三津田監督は、大きくはないが通る声を放った。
「夏帆を呼べ!」
「えっ? あっ、はい!」
その言葉に、すぐさま反応した一年生マネージャーに連れられて、バックネット裏の日陰まで来た夏帆。三津田監督の前で脱帽し、直立に立った。
「夏帆、自分の練習をしなさい!」
三津田監督はしっかりと夏帆に届く通る声で言いながら、一枚の白い手紙を渡した。
何事?
何が起きたのか気になるバックネット裏の雰囲気。封筒から便箋を取出して見入る夏帆。三津田監督の意図を探りたい翔子や一年生マネージャーも、キーポイントと思われる便箋を覗き込んだ。
一瞬の沈黙、そして誰よりも大きく通るキンキラ声が、見渡す限りの景色に響いた!
「キャー! ホントに!」
やたらとハッキリとどこまでも通る翔子のデカい声!
その声に、グラウンドで練習をしていた選手たちも違和感に気づき、選手たちみんながバックネット裏に注目した。
「甲子園だよ、夏帆!」
「えっ? ええっ?」
「甲子園で投げれるんだよ夏帆!」
「信じられない! 監督さん、本当に本当ですか?」
「ああ、本当だ!」
「やりましたね、夏帆先輩! 念願の甲子園ですよ!」
翔子のキンキラ声と一年生マネージャーのはしゃぐ声は、夏の熱風に乗って選手全員の耳にも届いた。そして、メタボな三津田監督は腕組をしながらドヤ顔で目を細め、翔子はピョンピョンと小刻みにジャンプしながら細身のユニフォームを叩いてる。夏帆は何やら白い便箋に顔を埋もれさせて…………泣いている?
今さらなにも説明する必要などない。バックネット裏で起きていることを察したグラウンドに散らばる選手たち、練習どころではなくなって一斉にバックネットめがけて猛ダッシュ。それは、今までのどんな試合よりも瞬発力に猛けていた。
「夏帆ちゃん、甲子園に出れるんですか!」
「そうですよね? 出れるんですよね!」
そして三津田監督は夏帆をバックネット前へ連れ出して、大きくはないが通る声で発表した。
「キミたち、もうわかっただろうが、夏帆の甲子園大会出場が正式に許可された!」
「ウウウォォーーーー!」
「ヤッタァーーーー!」
「これで滝岡野球部全員で試合ができるぜぇ!」
「「夏帆ちゃん!」」
「「夏帆ちゃん!」」
「「夏帆ちゃん!」」
改めて発表された言葉にグラウンド上、いや学校中に響き渡るほどの大歓声が飛びかい、同時に夏帆コールが巻き起こった。それはまるで、甲子園大会に勝利したかのような喜びようだ!
拝啓
真夏の猛暑の中、初の甲子園大会出場に向けて滝岡高校野球部の皆さんは心をはずませ、夢と希望を持ち、誰よりも熱い練習に明け暮れていることと思います。
さて、一つの街から出た小さな話題が、今や全国規模にまで広まった件につきまして、関係各所及び関係委員会にて精査し検討を重ねましたことを、ここにお知らせいたします。
どうやら、滝岡高校野球部のおこなってきた全国規模の練習試合が、鳴沢夏帆という夢の種をまき、制約にしばられながらも希望という芽を出し、いろいろな対戦経験を肥料に、今、つぼみを膨らませたようです。
全国の高校野球ファンを始めとする日本国中の人々が、このつぼみがどのような花を咲かせるのかを楽しみにしています。
どうぞ、夢の大舞台で大輪の花を咲かせて下さい。
甲子園球場でお待ちしています。
滝岡高校野球部 鳴沢夏帆殿
「ウォーーーー!」
「やったぜーー、夏帆ちゃん!」
「甲子園で暴れまくろうぜぇ!」
「ヨッシャーーーー!」
ただし、甲子園出場のための条件が付けられていた。
○出場できるポジションは投手のみとする。
○出場できる一試合でのイニング数は5イニングまでとする。
○バッターとしての機能を認めず、相手投手の投球三球で三振とする。
○その他、不都合があった場合は即退場とする。
夏帆の甲子園出場が叶ったことが何よりも喜ばしい野球部員たち、中には涙ぐむ選手もいるようだ。もちろん夏帆の目からも笑顔の涙がたくさんあふれている。もしかしたら三津田監督の目にも。
よかったな夏帆。正直、ここまでこれるとは思ってなかったけれど、これは間違いなく夏帆の努力の賜物。夢はまだまだ続くぞ、仲間を信じてどこまでも突き進め。お兄ちゃんはどこまでも夏帆を応援するからね。




