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9番ピッチャー鳴沢さん  作者: タケヒロ
第1章 高校野球への思い
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1 夏帆の意志

1 夏帆の意思


 コロコロコロコロコロ…………

 チッチッチッチッ…………

 虫たちの心地よい声が、どこからともなくやって来る。風になびくレースのカーテンに夕日の黄金色を添えて。


 トントントントン…………

 グツグツグツグツ…………

 それぞれにバラバラな音が、調和をとってやって来る。食卓を包む香りを乗せて。


「ごはんよーー」

 リビングと同じ空間にあるダイニングキッチン。そこから届くホンワカとした母の声が合図となり、父と妹は美味しそうな料理が並ぶダイニングテーブルに着く。

 鳴沢家、夕食のとき。


「風、冷めたくなってきたな」

 箸を手にしたかと思うとそのまま箸置きにもどし、おもむろに席を立つ父。気付くと、さっきまで優しく差し込んでいた黄金色はなく、リビングからの照明が風に揺らぐレースカーテンの白さを浮かばせ、こぼれた灯りは小さな庭の草花を幻想的に躍らせていた。

「さすがに、日が落ちると寒いな」

 独り言のようにつぶやきながら、父はリビングと庭をつなぐ掃き出しの大きな窓を閉めた。すると、暖色系のカーテンで外の世界を遮断したリビングには、虫の音に変わって静かに流れるテレビの声が届いてきた。


「今日も、気持ちのいいお天気に恵まれましたね」

「そうですね。その分、朝晩に寒さを感じるようになってきました。もうすぐ周囲の山々は、赤や黄色にと色付いてくるんでしょうね」

「もうそんな季節なんですね。この街の地域自慢の一つでもあります四季折々に見せる様々な彩り、これからの紅葉が楽しみですね」


 これといった話題もない田舎町を、笑顔いっぱいに盛り立てるアナウンサー。その声につられて見るテレビ画面には、見馴れた山々の景色がまだまだ深緑を映し出していた。

 その映像を、ボクは理解しながら見ているのか、それともただ視線を置いているだけなのか。リビングの角に置かれたテレビの前で、フローリングに敷かれた座布団に座り、ただポケーっとうつろな表情のまま時を過ごしているボク、鳴沢光輝。学校を辞めていなければ、高校一年生だ。

 心身ともに病を抱えてしまったボクは、みんなの食事が終わると母の助けをもらいながら食事をする。その時を待っているようないないような、自分でもよくわからず、ただ時間に流されているだけのボク。


 これが、鳴沢家の日常だ。


「お父さん!」

 父が椅子に座るのを待って、硬い表情のまま話を切り出す、一つ歳下の妹。

「どうした、夏帆?」

「わたし、高校でも野球やりたい!」

 箸を持つ父の手は止まり、中学三年生の進路について難問を投げかけられたその表情は、心なしかゆがんだ。しかし、静かに口を開くその言葉はおだやかで、いつか言われることを予測していたかのように話し始めた。

「夏帆、高校野球に選手として出場できるのは男子だけという決まりがあることは知ってるね?」

「もちろん知ってる。でも、お兄ちゃんが、もう野球ができないんだったら……わたしが、お兄ちゃんを甲子園に連れて行く!」

 父の口調とは対照的に必死さを訴える夏帆は、並々ならぬ思いで志望校を選ぼうとしていた。


 それは、ボクのためだ!


「先生にも相談したのか?」

「うん……」

「それで、先生は何て言ってた?」

 おおかた予想は付いているけれど、父はあえて訪ねたのだ。辛いけれど、現実を考える時であることを妹に理解させるために。

「マネージャーとして、甲子園に行く道もあるって……」

 目線を落とし、表情を強張らせ、か細い声で現実を答える夏帆。

 美味しいはずのご飯の味も、田舎の平和をアピールするテレビの音も、団らんを刻む時計の動きも、今の夏帆には感じられなくなっている。


「光輝ってね……」

 夏帆のギシギシする思いをやわらげるように、いつものホンワカした口調でボクの話題を切り出す母。

「テレビをずっと見ているのって、もしかしたら高校野球の放送が流れるのを待っているんじゃないのかなって思うの」

 優しく届く言葉にうながされて、三人の視線は、無気力にあぐらをかいてテレビ画面を見つめるボクに向けられた。

「わたしも、お母さんの言う通りな気がするんだ。お兄ちゃんは、今も高校野球とか、甲子園大会とかに強い思いがあるんだと思う!」

「高校野球かぁ……」

 父の表情が少しおだやかになってきた。思い出話に花が咲くときは、いつもこの表情になる。

「光輝が錦盾高校に入学したのが、もう半年も前のことになるのか……」

「そうねぇ。でも、いくら光輝が野球推薦だからって、まさか入学してすぐに背番号1番をもらってくるなんて、私、ビックリしちゃった」

「お兄ちゃんなら当然だよ!」

「夏帆は、光輝が一番だからな」

「そうね、夏帆は小さいときから『お兄ちゃん、お兄ちゃん』って、光輝のあとばかり追いかけていたものね」

「うん。わたしにとって野球の師匠はお父さん、憧れの野球選手はお兄ちゃんだから!」

 夏帆は、ボクの野球の話題になるといつも言葉をはずませる。小さいころから変わらない。


 夏帆、お兄ちゃんのことをかいかぶりすぎだよ。


 元々、ボクは小学校も中学校も軟式野球をやっていた。それがなぜ、甲子園出場を目指す県内の強豪校、錦盾高校で入学早々エースを任せられたのか。

「思い出すわね。光輝が中学三年生のときのこと……」

「そうだな。光輝は軟式野球部のピッチャーとして、中総体県大会も地方大会も優勝、そして全国大会では準優勝という金字塔を打ち立てたんだ。今思い出しても大したもんだと思うよ」

「そうだったわね。この街史上初だって、市役所にまで呼ばれて表彰を受けたのよね。選手にまぎれて、私たち保護者まで新聞に載ったりしてね」

 順風満帆という言葉の通り、自分たちの野球が周囲からも高評価を得ていた中学生軟式野球時代。


「しかし、あんときはいろいろ言われたな……」

「えっ? お父さん、何か言われたの?」

 あまり触れたくない話題なのか、父は缶ビールをコップに注ぎながら表情を変え、顔をしかめて話し始めた。

「確かに、中学校入学を期に、上手な選手はクラブチームの硬式野球に進む傾向がある。だからだと思うけど『中学校部活動の軟式野球なんてレベルの低い選手しかいない。小学校野球の延長の大会で勝っても意味はない』って、いろんな人たちから言われたよ」

「そうなのよ、とってもヒガミっぽく言われたのよ」

「そんなことがあったんだ。わたし、それムカつく!」

「しかもそれってね、小学生のときに同じチームで野球をやってた保護者たちから言われたのよ」

「えっ? それ、お兄ちゃんがバカにされてるみたいで悔しい!」

「そうでしょう? 一緒に頑張ってきた人に対して言うセリフじゃないわよね」

「野球を学ぶ環境はとても大切だ。でも、軟式野球だからとか硬式野球だからとか、そんなもので比べることではないんだ!」

「お父さんがいつも言ってるセリフだね」

「そう。指導者と練習環境でいくらでも選手は伸びる。幸輝はそれを実証してくれたんだ!」


 県内、とりわけこの辺りの中学校の軟式野球部を引退し、高校では硬式野球をやろうとする生徒は、硬式ボールに少しでも慣れてから高校野球に進めるようにと作られた、中学生硬式野球養成クラブ、通称、養成クラブに通う流れがある。

 なのでボクもその例に乗って養成クラブに所属したのだった。


「光輝が本格的に硬式ボールを握ったのは、この養成クラブからだ」

「そうだったわね。それ以来、光輝はずっとボールを握ってたのよね、ベッドに入っても」

「覚えてる覚えてる。お兄ちゃん『早く硬式ボールに慣れるためだ』って言ってた」


 そして、ボクが硬式野球を始めて約二ヶ月が過ぎたころ、養成クラブの恒例行事である秋の定期戦が行われた。まだ暑さが残る、とても澄みきった青空だったのを覚えている。それが、今からちょうど一年前のことになる。


「光輝たちの定期戦、家族みんなで見に行ったよな」

「そうだったわね。もう夏帆ったら、試合に釘づけになっちゃって、話しかけても全然耳に入らなかったのよね」

「だってお兄ちゃん凄かったもん。相手のバッターなんて、お兄ちゃんの投げた球の下を振ってたんだよ。あの荻野原クラブの人たちがだよ!」


 対戦相手は同じ市内にある中学生硬式野球クラブチーム、荻野原クラブ。小学校を卒業するころから硬式野球を専門に行い、公式戦の戦績としては県内敵なし。地方大会でも上位にくい込む力を誇り、この辺りでは全てに整った野球ができているとして名を上げているチームだ。

 しかし、父の評価は「荻野原クラブは選手を多く抱えている、頭数が多ければ整った選手も必然的に多くなる。しかし、その影で泣いている選手がその何倍もいるのも事実だ。つまり、一部の人にしか指導がなされていないということになる」というもの。

 また、大人数のため質の良い選手にしか指導しないという噂も耳にする。それを嫌った父は、僕の進む先を養成クラブに選んだのだった。

 

「元々、養成クラブの枝分かれから始まったのが荻野原クラブなんだ。そのときのなごりが年一回の交流戦として残っているんだけど……今となっては力の差が大きすぎる」

「だって、お兄ちゃんみたいに硬式ボールを握って一、二ヶ月の人と、中学校入学んときから硬式野球をやってきた人たちとじゃ、いくらなんでも折り合いが悪すぎるよ」

「ああ、普通はな。でも光輝は、あの連中の前に大きく立ちはだかったんだ!」


 養成クラブの選手たちは、硬式ボールを握り始めたばかりということもあって厳しい制約があった。特に、投手については試合で投げられる球数は三イニングか五十球の早い方まで、という決まりを守らなければならなかった。

 その中で先発したボクの成績は、三イニング打者九人に対してノーヒット、七奪三振だった。


「あのまま投げられたら、もっと凄い数字が残せたのかしら、光輝は?」

「いや、硬式ボールを投げるための体作りの時期だから、結局それ以上はなかったさ」

「養成クラブの決まりがあるからね。でも、この数字だけても凄いよ、お兄ちゃんは!」


 定期戦や練習試合、また毎日の練習でも投げることが許される球数が設定されているのはもちろん、ウォーミングアップからクールダウンまでのやり方も決められていた。それは目の前のケガというよりも、将来的にケガのないプレーヤーになるためだそうだ。

 父もそのやり方に納得していたからこそ養成クラブを選択し、ボクもその範囲内での練習を心がけた。


「光輝は、野球を始めたころから伝説のピッチャーが好きでな、そのピッチャーが付けていた背番号14をもらったんだ」

「なつかしいわね、14番のユニフォームを着てよく鏡を見てたわ。あのときは本当にいい顔をしていた」

「わたしも今、憧れのお兄ちゃんを引き継いで14番を付けてるんだ」


 ボクは痩せてはいるけれど上背があり、長身を活かしてオーバースローから振り下ろす伸びのある快速球を得意とした。加えて高い位置からブレーキがかかり一気に落ちるカーブ、バッターに近づいてから急に折れ曲がるスライダー、腕の振りの割には球速が遅くてフワッと落ちるチェンジアップを武器に、次から次へと相手バッターを切って取ったものだ!


「でもあのときの試合、私には相手チームのみんなの目が血走ってるように見えたのが印象に残ってるの……」

「そりゃそうさ、光輝は軟式野球で名を上げていたもんだから、連中もやっ気になってたたみ込もうとしていたのはハッキリと伝わっていたよ」

「しかもね夏帆、その選手の保護者たちの中にね、さっき話したいやみを言ってた親が何人かいたのよ」

「へーー、そうだっんだ。でも、結局はお兄ちゃんに抑えられたわけでしょ……その親たちは何か言ってきたの?」

「あいさつのひとつもなかったわ。それどころか、私たちを見てコソコソとどこかに行ってしまったのよ」

「何それ、どこまでも性格ワル!」


 軟式野球に対して格の違いを見せつけようとした荻野原クラブだったけれど、ボクの投球に「こんな球、来るとわかっていても打てる気がしない」と言わしめるほどだった。


「見ている人たちも、光輝のピッチングに釘づけだったわね」

「そうだったな。あの三イニングは、敵味方関係なく、強打者たちをリズミカルに打ち取る光輝の独り舞台だった」

「わたしも見とれてたもん。しかもさ、何もないこの小さな街からとんでもないスーパースターが出たって、お兄ちゃん、一躍有名人だったよね!」

「そりゃそうさ。軟式野球出身のピッチャーが、あの荻野原クラブの強力打線を手玉に取ったんだから!」


 その出来事を切っかけに、ボクは高校野球界注目のピッチャーという評価をもらったのだった。


「そういえば、当時の中学校の先生からも『光輝君に、県外の高校も含めて多くの高校から推薦依頼がきてます』って、何度もお電話をいただいたわ」

「高校野球は、ピッチャーの存在が勝敗を左右すると言っても過言ではない。どこの高校も光輝を欲しがったと思うぞ」


 多数声をかけてくれた高校の中から、ボクが選んだのは地元の錦盾高校だった。それは、荻野原クラブとの定期戦の次の日には野球部の監督先生と部長先生、それに校長先生まで家に来てくれて「光輝君と甲子園で大暴れさせてください!」と言ってくれた。そこまでしてくれた心づかいに感銘を受けたボクは、迷うことなく錦盾高校に決めたのだった。


 そして、今から約半年前。つまり今年の春に錦盾高校に入学したボクは「硬式野球に少しでも早く慣れるように、鳴沢にはたくさんの経験を積ませる」という監督の考えのもと、練習試合をたくさんスケジューリングして、その全試合をボク一人に投げさせてチームの勝利につなげていた。


「あのときは、お父さん怒ってたよね『毎日毎日あんなに投げさせていたら幸輝の体は壊れる。せめてあと半年間は、硬式ボールに慣れさることを意識した練習をしないといけない』って」

「そうさ、錦盾高校の監督は勝つことがおもしろくなって、光輝の体など眼中にないようにしか見えなかった!」

「そうだったわね『学校の先生としても指導者としても資質が問われる!』って、お父さんは何回も言ってたわよね」

「あれはひどすぎる出来事だった。今思い出しても怒りが込み上げてくるよ!」


 そして異変が起きたのは、思いのままに勝ち進んだ夏の甲子園大会出場を賭けた県大会の準々決勝。今から三ヶ月ほど前のことだ。実は、大会前から体に異変を感じていたのだけれど、ボクはそのことを隠してマウンド立った。しかし、案の定この試合は序盤からデッドボールにフォアボールと乱れ、うだる暑さも加わってノーヒットで得点を与えてしまうという、今までの野球人生において一番ふがいないピッチングをしてしまった。

 ボクはそのことに責任を感じて……というよりも、自分の体が思うように動かないことへの苛立ちと、焦りと、恐怖を感じて四回途中、自ら申し出てマウンドを降りたのだった。


「わたし、今までにあんなお兄ちゃん見たことなかったから、瞬間、何が起きたのかわかんなかった……」

「つまり、お父さんの言った通りになってしまったということなのよね、光輝の体が……」

「ああ、そういうことだ」


 父が言っていた「体は消耗品。一試合で投げられる球数、試合と試合の間隔に対して身体の休め方、そして試合に向けた調整、それらを考えてやるのが指導者の役割りというものだ」それを無視した錦盾野球。無理にマウンドに立ち続けたボクの体はボロボロになり、野球のみならず私生活にまで制限がかけられるほどの重症になってしまったのだ。

 そしてそれからのボクは、野球ができないのなら行く意味がないと高校を辞め、治る見込みがないのならと治療にも行かなくなり、引きこもり、疑心暗鬼、自暴自棄、そして自覚が薄れ、学校を辞めて一ヶ月後にはノイローゼ状態になってしまった。それが、今から一ヶ月前のことである。


「こんな光輝になっちゃって、かわいそでかわいそで……」

「お兄ちゃんは全然悪くないのに……」

「甲子園出場を狙う錦盾高校野球部の監督が、まさか古い時代の指導しかできない人だったとは思いもしなかった。知っていたら、光輝をあんな高校には行かせなかったのに……本当に悔やまれる。それと、光輝に申し訳ないことをした」


 そして、今はテレビの前で画面から流れる映像を見ているのかどうかもわからず、ただチョコンと座っているだけのボクになってしまったのだ。

 ちなみに、母や夏帆が言うように、テレビから野球放送が流れるのを待っているのかはボク自身もわからない。ただ何となく反応している、といった感じだと思う。


「おかわりは?」

 ホンワカした母の言葉に、思い出から現実に引きもどされた食卓。


 光り輝く人生に、という願いを込めて付けられたボクの名前。しかし、光をなくし、輝きを忘れ、背中を丸めてあぐらをかくことしかできない今のボク。

 こんなボクに、自分が野球をする姿を見せれば何かが変わる、野球がボクの病気回復の特効薬になるかもしれない。夏帆はそう信じ、無謀とも言える荒波に飛び込もうとしている。野球という家族共通のワードで、鳴沢家の日常を変えようとしているのだ。


 一途の夢に望みをかけて進路を決めた夏帆。

 お兄ちゃんのためにそこまでしてくれるなんて、ホントにありがとね、夏帆。


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