27、ご主人はもはや重症ですね
ミアとジミーは一足先にダンスを終えて、穏やかに談笑を始めた。
背後から注がれるカルベスの視線には気づきもせず。
「素晴らしいダンスでしたわ。婚約者様」
「どうぞジミーとお呼びください、侯爵夫人」
「あら、では私のこともミアとお呼びくださいませ」
「これからもどうぞよろしくお願いします」
周囲ではふたりの奇妙な組み合わせにひそひそ囁く者もいるが、当人たちは気にも留めない。
「マデリーンは友だちがいないので、あなたのような方に親しくしていただけると嬉しいです」
「ジミー様は本当にマデリーン様のことを想っていらっしゃるのですね。まるで自分のことのように嬉しいなんて」
「はい。だって僕はマデリーンの幼少期からずっとそばにいますから」
「まあ! ではマデリーン様のことを一番よく理解していらっしゃるのですね」
「はははっ、理解というよりどっぷり溺れていると言った感じですかねえ。とことん甘やかしたいと思ってしまうんです」
「ベタ惚れでございますねえ」
「そうですねえ」
ミアとジミーのあいだに柔らかい空気が広がる。
周囲は変わらず妙な顔をして視線を向けるが、ふたりはまったく見向きしない。
「ふふっ、微笑ましいですわ。私は異性を好いたことがないので、その感覚がよくわかりませんが」
「おや? カルベス殿のことは……」
「旦那様は旦那様ですから。侯爵家の主を支えるための妻としての役割をこなしているだけですもの」
さらりと言い切るミアの横顔は変わらず穏やかだが、ジミーは笑顔のままわずかに首を傾げる。
「しかし、カルベス殿はきっと違うように見えますけどね」
「え?」
ジミーがさりげなく目をやった先には、マデリーンとダンスをしているカルベスの姿があった。
しかし、彼の視線は頻繁にこちらへ向けられている。
ミアがそれに気づくと、にこやかに手を振った。
するとカルベスは足がもつれて大きくよろめき、踏みとどまったものの周囲に笑われてしまった。
「ふむ。ご主人はもはや重症ですね」
「何がですか?」
きょとんとした顔で首を傾げるミアに、ジミーは満面の笑みを向ける。
「僕は侯爵家の今後の繁栄を心から祈っていますよ」
「まあ、ありがとうございます。では私はジミー様とマデリーン様の幸せな未来を心から願っておりますわ」
「ありがとうございます」
ふたたび、ふたりのあいだに柔らかい空気が広がる。
そのとき、すらりとした見知らぬ男が歩み寄ってきた。
男は品のある仕草で一礼し、ミアへ手を差し出す。
「侯爵夫人、先ほどのダンスを拝見しておりました。ぜひ、私とも踊っていただけませんか?」
「はい、いいですよ」
迷いのない返事をすると、ミアは男の手を取った。
そしてジミーに会釈をすると、軽やかにダンスの輪の中へ入った。
ミアは音楽に乗せて楽しげにステップを踏む。
相手の男は満面の笑みでミアをじっと見つめている。
紳士的な表情の男と笑顔のミアの組み合わせは、周囲からお似合いだと囁かれた。
男が頬を赤らめながら、ミアの腰を抱えてぐっと引寄せる。
「夫人はとてもお上手ですね」
「ありがとうございます。伯母にみっちり仕込まれましたので」
「もしよければ、このあとふたりでお茶でもいかがですか?」
「申し訳ございません。既婚の身ですから」
ミアが躊躇なくさらりと断ると、男の顔がわずかに引きつった。
音楽が緩やかになると、男はミアを抱きかかえる形のまま制止した。
ミアは目を丸くして男を見つめる。
彼はさらに顔を近づけてきて、ミアの耳もとでぼそりと言った。
「あなたの夫には愛人がいる。それなら、あなたも自由にすればいいでしょう?」
「私は殿方に興味はございませんので、他のことで自由にします」
またもや迷いのない返答に、男の表情が引きつる。
そのとき、別の令息がダンスの誘いに声をかけてきて、ミアはそちらへ向いた。
「夫人、僕ともダンスをぜひ」
「はい、いいです……」
とミアが言いかけたとき、突如カルベスがあいだに割り込んできた。
「申し訳ないが、次に彼女と踊るのは俺だ」
カルベスがミアの腕を掴んで数人の令息たちを真顔で射貫くように見つめている。
いつの間にか、ミアにダンスを申し込もうと数人の男たちが群がっていたのだ。
「愛人がいるくせに偉そうに」
誰かがぼそりと毒づいた。
カルベスは目を細めたが、それ以上何も言わず威嚇するような目線を周囲に向けた。
彼らが立ち去ると、カルベスは安堵のため息をもらし、ミアに頭を下げた。
「君を放置して悪かった」
「謝罪は必要ありませんわ。それより旦那様、マデリーン様とのダンスは楽しかったですか?」
カルベスは複雑な表情で固まる。
近くにいた令嬢たち数人がくすくす笑った。
「今のは最大の嫌味だわ」
「あの奥様、結構言うわね」
「でもあれ、悪気なく言ってるらしいわよ」
「本当に変わっている子よね」
「血は争えないわね」
ひそひそと交わされる声に、カルベスの視線が鋭くなる。
令嬢たちはびくりとして、慌てて目をそらすと逃げるように離れていった。
ミアは特に気にしない素振りだが、カルベスは深いため息をつく。
「大丈夫ですか? 旦那様」
「少し疲れてしまったかもしれないな」
「まあ、それは大変ですわ。どこかでお休みになります?」
「いや……」
カルベスはミアの手を握ったまま、わずかにぐっと力を込めた。
そして真剣な表情で告げる。
「君とダンスがしたい」
ミアは一瞬目を丸くしたが、すぐに満面の笑みで答えた。
「はい、では参りましょう」
ふたりは手を取り合って華麗に音楽の中へ踊り出た。
カルベスの動きは先ほどとは打って変わってスムーズで軽やかだった。
ミアをリードするように動きがしなやかで繊細だ。
一方のミアもこれまで自分が相手を引っ張っていくような動きだったが、カルベス相手には少し寄りかかって自然と包み込まれるような体勢になっていた。
やがて、ふたりは自然な流れで距離を詰めると見つめ合う形になり、ミアはにっこり笑った。
するとカルベスも穏やかに微笑み、ふたりのあいだに柔らかい空気が広がる。
「カルベス様、先ほどとはぜんぜん違うわ」
「おふたりは息がぴったりね」
「あの夫婦が不仲なんて噂、嘘ではなくて?」
ふたりは周囲の注目の的となっていた。
そのとき、ターンをした際にミアの足下がぐらつき、わずかに床を滑った。
ミアが体勢を崩しかけると、カルベスの腕が素早く彼女の腰を引き寄せた。
「大丈夫?」
ミアは少し驚いた顔をしたが、すぐににこっと笑って言った。
「はい。旦那様が守ってくださったので転ばずに済みました」
カルベスは頬を赤く染める。
ミアは笑顔から急に眉をひそめ、困惑の表情になった。
「不覚ですわ。足下の軸を揺るがすなんて、こんな失敗をして伯母様に叱られてしまいます」
「はははっ、伯爵はここにはいないようだから大丈夫」
「それはよかったですわ」
「それに、君はもう俺の妻だから、他人にとやかく言われる筋合いはないよ」
ミアが笑顔のまま固まっていると、カルベスはふっと穏やかに笑った。
「ダンスの失敗くらいで俺は君を咎めたりしない」
「やっぱり旦那様は寛大なお方ですね」
「君のいいところをたくさん知っているからさ」
「まあ。私のいいところはどこですか?」
ふたりは手を取り合ってダンスを継続しながら、時折近づいて言葉を交わす。
「君はとてもまっすぐで、素直で可愛らしい」
「ありがとうございます」
「それに、とても綺麗だ」
カルベスは動きを止めて、ミアをじっと見つめた。
するとミアはしばし固まったまま目をぱちくりさせ、そのあとわずかに微笑んだ。
「旦那様も、今日はいつも以上にとっても素敵ですわ」
「ありがとう」
ふたりが微笑んで見つめ合っていると、突如甲高い声が飛んできた。
「ちょっと、カルベス! いつまで奥様とダンスをしているの? 私とふたりで抜け出して話をするって言ったじゃないの!」
カルベスとミアが視線を向けると、そこには腰に手を当ててご立腹のマデリーンが立っていた。
ミアがそっとカルベスに声をかける。
「旦那様、マデリーン様と約束をしていたのでしょう? 行ってきてくださいませ」
「ああ。でも……」
カルベスは一瞬沈思したあと、ミアに真剣な表情で言った。
「君にもちゃんと話したいことがある。だから、そのあと話そう」
「はい、わかりました。お待ちしておりますわ」
ふたりはそっと手を離す。
名残惜しそうにしながら離れていくカルベスに向かって、ミアは笑顔で手を振って見送った。




