25、噂なんてどうでもいいですわ
パーティ当日の夜。
王宮にて馬車を降りたミアの姿に、周囲の視線が一斉に集まった。
この日のために、ミアはひときわ華やかに整えられている。
髪型も化粧もドレスに合わせて、カルベスが侍女たちと相談しながら、もっとも映える姿を選び抜いたのだ。
「君の美しい姿にみんな惚れ惚れしているよ」
「まあ、ありがとうございます」
ディルクが褒め称え、ミアが笑顔で礼を言う。
その様子を見つめるカルベスは苛立ちを抱きながらぼやく。
「パーティ会場まで一緒とは……配慮がないのか」
「心配するな。会場に入ったら夫婦ふたりきりにしてあげるから」
ディルクがそう言うと、ミアも言葉を重ねた。
「大丈夫ですよ。妻としての務めですから、きちんと旦那様のとなりにいます」
カルベスは複雑な表情で苦笑し、ディルクは声に出して笑った。
大広間はすでに出席者たちで賑わっていた。
まばゆいシャンデリアの下、着飾った人々が飲み物を手に談笑している。
ディルクは発言通り、会場内でミアとカルベスをふたり残し、別の貴族たちとの談笑に加わった。
カルベスは緊張した面持ちで、ミアに声をかける。
「飲み物でも取ってこようか?」
「それなら私が行きますわ」
「いや、今日は俺に甘えてほしい」
ミアはきょとんと目を瞬かせる。
カルベスはウェイターのトレイからグラスを二つ手に取ると、ミアに一つ差し出した。
「はい」
「ありがとうございます」
ふたりはグラスを合わせて、ひと口飲む。
緩やかな音楽が流れ、周囲の会話の声がひときわ響く中、カルベスとミアは口数が少ない。
ミアはカルベスが次にどう行動するのかうかがうように見つめている。
カルベスはミアにじっと見られて、じわりと頬を赤らめた。
「今日は、その……すごく綺麗だ」
「え?」
「いや、いつも綺麗だが、今日はいつも以上に綺麗だ」
「それはありがとうございます。旦那様のおかげですわ」
ミアがにっこり笑うと、カルベスもつられて笑う。
そんな穏やかな雰囲気の中、令嬢たちのミアに関する声が耳に届いた。
「まあ、ご覧になって。あれはユーベルト伯爵の姪じゃない?」
「性格に難ありと噂の子ね。ご結婚されたらしいわ」
「どうやら相当な我儘で夫を立てることも知らないそうよ」
「まあ、旦那様は大変でしょうね」
「でも、夫にも別に愛人がいるそうよ」
「あらぁ、変人同士でお似合いですわねえ」
カルベスは眉をひそめて険しい表情になる。
自身のことなら事実だから、何を言われても反論はしない。
だが、ミアの噂は違う。
カルベスは令嬢たちにすっと近づいて、落ち着いた声で告げる。
「失礼ですが、妻に関して憶測を広めるのはやめていただきたい。妻は明るく穏やかで知性もある。いつも俺を支えてくれる誇るべき女性だ」
その言葉に、令嬢たちは目を丸くして固まった。
しんと一瞬だけ場の空気が凍る。
周囲のざわめきがやけに遠くに感じられる。
カルベスは小さく咳払いをし、わずかに赤面しながら視線をそらした。
「とにかく、事実に反することを広めるのだけはやめてほしい。では」
そう言い切ると、令嬢たちに背を向けた。
カルベスがミアのもとへ戻る途中、令嬢たちの声が追いかけるように聞こえてきた。
「侯爵様は完全に騙されているのね」
「まあ、愛人を持っているくらいですもの」
「残念なお人ねえ。お似合い夫婦って感じだわ」
カルベスがぴたりと足を止め、怪訝な顔で振り返ろうとした。
その瞬間、ミアがそっと彼の腕を掴んだ。
「旦那様、もうよろしいですわ」
「ミア……しかし、他人が君のことを知らずに好き勝手なことを言っているんだぞ」
「噂なんてどうでもいいですわ。私はまったく気にしませんから」
あまりにあっさりとした返答に、カルベスは言葉を失う。
ところがミアは少し間を置いたあと、決意したように言った。
「けれど、私の噂のせいで旦那様が恥をかくことになってはいけません。これから挽回いたしましょう」
「え?」
ミアはカルベスの腕を掴むと、ぴたりと寄り添いながら他の貴族たちのところへ向かった。
「何をするんだ? ミア」
「挨拶まわりをするのです」
「挨拶ならさっき済ませただろう」
「ええ。アランドール家と懇意にしている貴族たちにですね。けれど、そうでない方々にも知っていただきましょう。今日の敵は明日の味方ですわ」
ミアは本当に貴族全員に挨拶をする勢いで会場内を動きまわった。
中にはアランドール家と確執を持つ家門やカルベス個人を避ける者もいた。
しかし、ミアの屈託のない笑顔とトーク力が相手の心を掴んでいく。
経済、交易、領地経営、最近の流行など、それぞれの興味を惹きつける豊富な話題を繰り出し、見事に次々と交友関係を築いていったのだ。
「いやあ、侯爵夫人がこれほど聡明で面白いお方とは思いもしませんでしたよ」
「特に南方地域との交易についての考察は実に興味深い」
「侯爵は有能な奥様をお持ちだ。ぜひ、新規事業を起こされるときは声をかけていただきたい。支援しますよ」
カルベスは最初こそ戸惑っていたが、ミアの会話がきっかけでこれまで関係が薄かった家門の貴族たちとも自然に言葉を交わすようになった。
そのおかげでアランドール家の信頼も広まり、カルベスとミアの周囲に貴族たちが集まって談笑は長く続いた。
ひと通り挨拶を終えたあと、カルベスはミアに礼を言った。
「ありがとう。君のおかげで交友関係が広がった。俺は今まで距離を取る家門とはあまり関わらないようにしていたんだ。しかし、相手も人間だ。やはり実際に話してみないとその人となりはわからないものだな」
「はい、そんなものです。噂に翻弄される人々は本当に多いですわ。けれど、そのことを悲観しても意味がありませんもの。流れを変えたいのなら、自分で行動を起こすしかありません」
けろっとした顔で、まるで冗談でも口にするように軽く言うミアに、カルベスは驚きと感心のため息をついた。
「君は本当に強いな。思っていてもなかなか行動できるものではないよ」
「これはアランドール家の名誉のためですわ。そうでなければ、こんなに疲れることはいたしません。いつもなら、さっさと美味しいお料理を食べて帰っていますもの」
「君はとても楽しそうに話していたけど、やっぱり疲れるのか?」
「当たり前ですわ。ひとりで夜の庭園をぶらぶらするほうが好きですもの」
ミアはそう言ってグラスの飲み物をぐいっと飲んだ。
カルベスはグラスを見つめながらひと口だけ飲む。
「君は、俺にはもったいないくらい出来た妻だよ」
「あら、私は旦那様が素晴らしいお方だから協力をしているのですわ」
「俺はそんなに会話力もないし、優柔不断な性格だ。ミアを見習いたいくらいだよ」
「んー、そうでしょうか。旦那様はいつも相手の立場になって物事を考えるお方です。とてもお優しいお方だと思います。私にはそういう気遣いの仕方がいまいちわかりませんから」
「それは褒めすぎだ。だいたい俺がもし気遣いができるなら最初から……」
最初から恋人のいる状態で結婚などしないだろう。
などと、後半部分は口には出せず、胸中で呟いた。
ミアはほんのり、わずかに頬を赤らめて、カルベスを見上げる。
「実はですね。先ほど令嬢の方々へ向けた旦那様の言葉が、とても胸に響いたのです」
「え? たいしたことは言っていないと思うけど……」
「旦那様は私のことを褒めてくださいました。それがとっても嬉しかったのです」
ミアがまばゆいほどの笑顔でそう言うので、カルベスは瞬く間に赤面した。
しかも、その胸中は感動と喜びでいっぱいになっている。
ミアがにっこり笑って言う。
「幼い頃に伯母様に試験の結果を褒められたときくらい嬉しいです」
するとカルベスはふっと吹きだした。
「それは嬉しいだろうな。あの伯爵が褒めるなんて想像もできない」
「はい。伯母様は滅多に人を褒めたりしませんから」
ミアはまるで子供のように少々ふくれっ面になりながら腰に手を当てて言った。
「君といると嫌なことを忘れて、悩みごとなんか吹っ飛んでしまうよ」
「それはよかったです。少なくとも私は旦那様の心の安定に貢献できているのですね」
「ああ、十分すぎるほどに」
とはいえ、ミアへの想いに関してはいろいろと搔き乱されてばかりなのだが、それはカルベス自身の都合でしかないので肯定するしかない。
ふと、会場内の雰囲気が変わった。
落ち着いた優雅な音楽が軽やかな旋律に変わったのだ。
人々はお互いに手を取り合って踊り出す。
カルベスはミアをまっすぐ見つめて、緊張ぎみに口を開いた。
「ミア、よかったら俺と……」
そのときだった――
「カルベス!」
甲高く響くその声にカルベスが振り返ると、そこにはマデリーンが立っていた。




