20、旦那様と距離を置かなくちゃ!
最近カルベスと過ごす時間が多くなり、ミアは少々困っていた。
結婚当初は自由にさせてくれると言っていたのに、こうもカルベスがそばにいると気をつかってしまう。
ミアの中では公私を明確に分けておきたかった。
これまでもそうだ。
やるべきことを完璧にやれば、その対価として自由が与えられる。
だからこそ、何をするのも苦ではなかった。
庭仕事やパン作りなど完全に自由に過ごせる時間だったはずなのに、最近はカルベスがそばにいる。
それも緊張感のない笑顔を向けてくる。
けれど、ミアにとってカルベスとの関係は、あくまで契約の上に成り立つものだ。
(ああ、困ったわ。なぜ旦那様は私に構うのかしら? 最初に自由にさせてくれるとおっしゃったのに)
カルベスと一緒にいて嫌なことは一つもない。
むしろ一緒に何かをすることは意外と楽しかったりする。
だが、それとこれとは話が別だ。
(旦那様には恋人がいらっしゃるから、私のことは放っておいてくださると思ったのに)
そして、憂慮すべきはそれだけではない。
(マデリーン様にも申し訳ないもの。とはいえ、旦那様を無視するわけにもいかないし)
基本的に楽観的でどんなことも前向きに受け止めるミアにとって、これはひさしぶりに頭を悩ませる出来事だった。
そんなことで困惑していたある日。
ミアが執務室で手紙の仕分けをしていると、差出人にマデリーンの名がある封書を見つけた。
可愛らしい花柄の封筒に、情熱的な赤の封蝋がひときわ目を引く。
「旦那様、マデリーン様からですわ」
「えっ……あ、ああ。ありがとう」
手紙を受けとったカルベスはわずかに頬を赤らめた。
(旦那様、照れていらっしゃるのかしら。なんだか可愛らしいわ。おふたりはこんなに思い合っているのに、離れているなんて可哀想だわ)
カルベスは手紙をすぐに開封することなく、机の引き出しにしまい込む。
それを見たミアは静かに頷く。
(早く作業を終わらせて旦那様をひとりにして差し上げましょう)
ミアは猛烈な勢いで雑務を片づけると、そそくさと執務室を出ていった。
普段は他人のことなどあまり気にならないミアでも、カルベスとマデリーンのことにはやはり気をつかってしまう。
恋人のマデリーンはこうして遠くから手紙を出すことしかできないのに、カルベスに何ら愛情を持っていない自分がそばにいて一緒に過ごすことはいいことではない。
ミアは頭の中で解決法を模索する。
もっとも理想的なのはカルベスと自分が離婚して、マデリーンを新しい妻として迎え入れることだ。
しかし、マデリーンの父が絶対に許さないだろう。
当然ミアの伯母である伯爵も許すはずがない。
とはいえ、ミアはいざとなれば強行突破する覚悟はしているので、あとはマデリーンの気持ち次第だ。
そして、もちろんカルベスの気持ちも大切だ。
(まずは旦那様と距離を置かなくちゃ! そこからだわ)
ミアはふっと心が軽くなった気がして、軽やかな足どりで厨房へ向かった。
今日はリリーとチョコレート菓子を作る予定だ。
「あま~いチョコレートには苦~いお茶が最高に合うのよねえ」
その瞬間、ミアの頭の中からカルベスの存在はきれいさっぱり消え失せて、代わりにチョコレートのことでいっぱいになっていた。
◇
ここ数日、ミアが急によそよそしくなったことが、カルベスの心に引っかかっていた。
早起きして厨房へ行っても、ミアはすでに自分の朝食を持って部屋へ戻ったあとだ。
執務の場でも、必要最低限の受け答えしかしない。
カルベスが話題を振っても、会話はすぐに途切れてしまう。
ミアが何かに集中すると周囲の声が聞こえなくなることは、カルベスも承知している。
しかし最近は、集中というよりも意図的に距離を取られているように感じられる。
カルベスは窓の外に目をやった。
空が青く澄んでいる。
「今日はよく晴れて気持ちいい日だな。こんな日は外でお茶をするのも悪くない」
「そうですね」
ミアは手もとの書類に目を落としたまま、淡々と答えて黙る。
しんと沈黙が広がり、カルベスは気まずい思いをした。
(以前のミアなら、お菓子でも持って庭へ行きましょうと誘いに乗ってくれたのにな)
複雑な思いを抱きながら、そんな期待をした自分に恥ずかしくなる。
こほんと咳払いを一度だけして、どうにか別の話題を切り出した。
「こう暖かい午後だと眠くなってしまうな」
返答すらなく、カルベスのまわりだけ虚しい空気が広がる。
(以前のミアなら、冗談とはいえ、こんな日は昼寝しましょうと言ってくれたのに)
カルベスは諦めて自身も執務に集中しようと思った。
そのとき、ミアが立ち上がった。
「本日の作業は終わりました。では、私は失礼します」
「え?」
カルベスが立ち上がると、ミアは扉の前まで来て振り返った。
「何か?」
「い、いや……ありがとう。お疲れ」
「はい、お疲れ様でした」
ミアは表面的な笑顔だけ向けたあと、すぐに部屋を退室してしまった。
先ほどよりも深い静寂が広がる。
カルベスはすとんと椅子に腰を下ろすと、がしがしと頭をかいた。
(何を期待しているんだ、俺は……ミアに構ってほしいのか?)
呆れ顔で首を横に振り、ため息をつく。
ふと思い立って机の引き出しを開け、マデリーンからの手紙を手に取った。
封筒は開封してあり、中身を取り出す。
以前はマデリーンからの手紙に心を打たれたものだが、今はまったくない。
それどころか、今回の手紙には複雑な思いがした。
Δ Δ Δ
親愛なるカルベスへ
あたしたちが離ればなれになってから早ひと月
ついにお父様が縁談話を持ってきたわ
今までは頑なに拒絶してきたけど、今回はお相手の方と会ってみようと思うの
カルベスと距離を置いて、いくらか冷静になれたわ
あたしは、あたしを幸せにしてくれる人と一緒にいたいのよ
あたしが困っているときに何があっても一番に駆けつけてくれる人でなきゃだめ
ああ、カルベス
あたしは縁談を受けるつもりよ
たとえば邪魔が入ったとしても、あたしはこの運命を受け入れる覚悟でいるの
そう、たとえば本物の愛があたしを奪いに来たとしてもね
あたしはきっとそのときに最高の幸せを手に入れるのよ
わかるでしょ?
あたしを幸せにしてくれる人が、あたしを奪いに来てくれる
その最高の瞬間に、あたしは結婚するの
もう誰にもあたしたちの愛を邪魔させるつもりはないわ
Δ Δ Δ
カルベスは手紙を再読したあと、静かに畳んで封筒に入れる。
そして、そっと引き出しにしまい込んだ。
マデリーンに縁談話が舞い込んだ。
相手が誰なのかは書かれていない。
しかし、これでよかったのだろう。
いつまでも愛人という立場でいさせることは、カルベスにとっても複雑だった。
ミアを正妻に、マデリーンを愛人にする。
マデリーンの提案とはいえ、あのとき強く断るべきだったと、カルベスは後悔していた。
(結局マデリーンを傷つけることになった。俺の責任だ。ここは快くマデリーンの未来を応援しよう)
カルベスは綺麗な便せんを用意し、ペンを取る。
マデリーン宛ての手紙を書くつもりだ。
(お互いに冷静になれたのだから、距離を置いて正解だったのかもしれない)
そんなことを思いながら、カルベスはマデリーンの手紙に「おめでとう」と「幸せになってほしい」という旨を記したのだった。




