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第二章 古代パート「倭王旨の回路」

〜時を超えて〜


百済の地での決断を胸に、船で宗像の里に戻った比瑪を待ち受けていたのは、長老たちの静かな称賛と、それに勝る畿内(大和)からの重い圧力であった。


比瑪は、広間の奥、父・比古と母・沙羅がかつて座した席に着く。彼女が名乗る「倭王旨わおうし」という称号は、単なる血筋や官職ではない。それは、霊威を失ったこの時代に、比古と沙羅が命を懸けて繋いだ盟約の「目的(旨)」を体現する者としての、彼女自身の宣誓であった。


「倭王」は、この国を統べる王を意味する。しかし、卑弥呼や台与が持った霊的権威、すなわち神の声を携える資格は、比瑪にはない。彼女が有するのは、父の剣と母の言葉によって鍛え抜かれた政治的な意志と、「海を読む目」という天性の資質のみ。


「旨」とは、すなわち『大和と筑紫が、互いの力を認め合い、海を介して外敵の脅威に立ち向かう』という盟約の骨格そのものを指す。

畿内勢力(大和)が求めるのは、血筋と武力による「大王」の誕生であり、比瑪の宗像の権威をその大王の下に組み込むことだった。


一方、筑紫の長老たちは、彼女に「女王」として宗像の権威を死守し、大和の支配を拒むことを期待していた。

比瑪の倭王旨という称号は、そのどちらでもない、盟約という名の第三の道を歩むという、孤独な抵抗の意志を示すものであった。


(私は光輪そのもの。光輪は、太陽(大王)を囲む輪ではない。光輪の中心は、空虚である。その空虚さ、すなわち中立こそが、盟約を保つ)


彼女の背後には、父と母の孤独な戦いの記憶が、波の音のように響いていた。彼らは、比瑪が霊威ではなく実力で、この脆弱な倭を護り抜く回路となることを望んだのだ。


この複雑な政治構造の核心にあったのが、畿内の有力豪族の息子との婚姻交渉であった。

婚姻を仕掛けたのは、畿内側、特に大和の長老たちだった。彼らにとって、この婚姻は以下の三つの点で、王権統合の最後の仕上げであった。


1. 血の正統性の吸収: 比瑪は、卑弥呼・台与・比古・沙羅と続く、霊的権威と盟約の創始者の血筋を引く最後の権威であった。この血を大和の次期統治者に取り込むことで、大和は軍事力に加え、旧邪馬台国の歴史的な正統性をも手中に収めることができる。


2. 宗像の海路の支配: 比瑪の故郷である宗像は、古来より朝鮮半島との交易路と航路を掌握する、倭国の生命線であった。彼女を大和に取り込むことは、宗像の海路の知恵と利権をすべて大和の支配下に置くことを意味した。


3. 七支刀受け入れの地固め: 百済から贈られる七支刀は、倭国全体の権威となる。その刀を比瑪が受け取り、そのまま大和に嫁げば、七支刀の権威は自動的に大和のものとなる。これは、筑紫勢力に決定的な反論の余地を与えないための政治的な罠でもあった。


婚姻の相手である若王(後の大王)は、決して比瑪に劣る人物ではなかったが、比瑪の視点からは、彼は大和の長老たちの意図を体現する、政治的な器として映っていた。

畿内から届いた正式な婚姻の条件は、比瑪がこの婚姻を屈従と見るに足る冷徹さを持っていた。


•畿内が独占する鉄資源の流通に対し、宗像が関与するすべての権限を手放すこと。

•宗像が代々守ってきた卑弥呼・台与の時代の外交記録(すなわち、大和側の王権にとっては不都合な真実)を大和に預けること。


比瑪は、この条件を見たとき、「盟約」が、もはや「和の約束」ではなく、「大和による征服の証」として利用され始めていることを痛感した。


宗像の長老たちは、比瑪にこの婚姻を拒否し、筑紫の盟主として大和と対決することを求めた。しかし、比瑪は拒否しなかった。


(父と母の盟約は、戦を終わらせるためにあった。今ここで拒否すれば、七支刀が到着する前に、必ず内戦の火種が噴き出す)


比瑪は、この婚姻を拒否ではなく、利用するという、極めて大胆な戦略を立てた。彼女が婚姻を受け入れる交渉に入った。


彼女が直接大和に入ることで、その政治構造の核心に触れ、畿内勢力の軍事動向や内部対立を「海を読む目」で正確に監視できる。これは、盟約を護るための情報収集と時間稼ぎであった。


畿内の次期王の妻となることで、彼女自身が「倭王旨」としての権威を、大和の心臓部から発信できる。大和の血筋に彼女の「盟約の目的」を注入し、大王をあくまで「盟約の枠組みの中の王」として位置づけることを目指した。


百済からの七支刀が倭国に到着した際、彼女がすでに大和にいることは、七支刀の権威を大和の独占物とさせず、比瑪自身の中立的な権威を強化する最大の外交カードとなる。

これは、自らの自由と立場を犠牲にし、敵の懐に飛び込む極めて孤独な賭けであった。


比瑪は、婚姻交渉を進めるため、宗像の最小限の供を連れて畿内へと向かった。大和の長老の屋敷は、宗像の開放的な海辺の建築とは対照的に、深い山を背にした閉鎖的な造りだった。


長老は、比瑪に対し、遠回しな言葉で、彼女の忠誠の対象を問うた。


「宗像の姫。そなたの持つ剣は、いまだ筑紫の潮に塗れておるのか。あるいは、我が大和の清らかな水で洗い清められたのか」


それは、彼女が筑紫の盟約に留まるのか、大和の王権に帰属するのかを問う、決定的な質問だった。

比瑪は、毅然として答えた。その声は、父の剣の音のように張りがあり、母の言葉の芯のように深く響いた。


「長老様。私の剣は、どちらの潮にも塗れておりません。それは、父・比古の教えの通り、盟約という光輪の中心を護るために、私の決意で鍛え抜いたものです」


「ふむ。その『盟約』とやらが、もし大和の王と筑紫の王が対立したとき、どちらを向くのか」


長老は、核心に迫った。彼の瞳には、比瑪を屈服させ、その権威を完全に手中に収めるという、王権樹立への強烈な熱意が宿っていた。


比瑪は、一瞬の迷いもなく、倭王旨としての真意を言葉に替えて示した。

「私の剣は、対立を向きません。それは、対立の拍を合わせるためにあります。盟約は、二つの舟を同じ流れに乗せるための知恵。どちらの王も、その知恵を失えば、私の剣は、盟約という名の光輪を護るために、両者から等しく距離を取るでしょう」


この言葉は、長老の予想を超えていた。比瑪は、自らが中立の王であり、大和の長でさえその盟約の枠組みの下にあることを宣言したのだ。


「そして、この婚姻は、宗像の権威を大和に献上するためではありません。それは、大和の未来の王に、盟約の『旨』を教え込むために組まれた、私の宣誓です」


長老は、比瑪の覚悟と、彼女が持つ宗像の海の深さを感じ取り、それ以上の追及を控えた。比瑪は、鉄の交易権や古文書の譲渡といった屈辱的な条件を受け入れつつも、盟約の中心を護るという最も重要な戦いには勝利したのだ。


婚姻交渉は、比瑪の強硬な姿勢により、一旦は彼女の主張が通る形で進行した。しかし、彼女が宗像に戻る船路の途中、盟約の崩壊を予感させる出来事が相次いだ。


畿内と筑紫の間の小競り合いは激化し、宗像の長老たちの中にも、比瑪の「中立」という立場を裏切り、大和の側に寝返る者が現れ始めた。


比瑪の「海を読む目」は、この潮の動きを正確に捉えていた。盟約は、偉大な個人の知恵で維持できる限界を超え、暴力的な構造変化の波に呑まれようとしていた。

倭王旨としての彼女の言葉だけでは、もはや人々を繋ぎ止められない。


そのとき、百済からの早馬が、宗像の岸辺に到着した。

「七支刀、まもなく筑紫の港へ到着!」


それは、比瑪が孤独な決意の末に百済で受け取った、異国からの物理的な象徴である。

この刀を、大和の勢力圏ではなく、あえて大和と筑紫の中間地に安置し、彼女自身の「光輪」を物理的な力で確定させること。


それが、比瑪が倭王旨として、盟約を途切れさせないために下した、最後の、そして最も重大な決断であった。

比瑪の旅は、ここから畿内へ向かい、七支刀という新たな刃を、盟約の脆い継ぎ目に打ち込むこととなる。

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