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第七章 古代パート「蛇鈕の封印」

◆登場人物

月代つきしろ

宗像の盟約を護る巫女。

卑弥呼の時代よりも前の、盟約の原型が残る時代の指導者。まだ三十路を越えたばかりだが、クニの未と理念の純粋さを護るという強い意志を持つ。


岩雄いわお

宗像の海人族の長老の一人。

月代を補佐し、宗像の海人族を束ねる武人。経験豊富で、海戦における潮の流れや岩礁の知識に長ける。


海破かいは

奴国王。

五十路(50代)を迎えながらも野心に満ちた王。漢の光武帝から授けられたとされる「漢委奴国王」の金印を、絶対的な権威の象徴として利用し、周辺のクニや宗像から交易の利権を奪おうとする。

~時を超えて~


西暦57年。

筑紫の海辺。この国がまだ「倭」と呼ばれる前の小さなクニが乱立する時代。

海は、単なる漁の場ではなく、大陸との繋がりを持つ神聖な道であり、クニの財源そのものだった。


宗像の地は、海の女神を祀るクニであり、当時の邪馬台国(男王が治める)にとっての重要な海の玄関口であった。邪馬台国との強固な協力関係のもと、宗像は交易によって得た知識と富を、周辺のクニと分かち合う「盟約」の原型を護っていた。この盟約は、後の卑弥呼の時代へと繋がる、「共同体の利益を最優先する」という理念の礎である。


盟約の巫女、月代つきしろは、夜明けの砂浜に立っていた。

彼女はまだ三十路を越えたばかり。だが、その瞳には、遠い海路を見通す力と、クニの未来を憂う深い影が宿っている。


「月代様、海破かいはが、またも高圧的な要求をしてきました!」


海人族の長老の一人、岩雄いわおが、岩陰から進み出て、荒い息を吐いた。


「…今度は何ですか。」


月代の声は静かだが、海鳴りのように芯があった。


「漢から授けられたという『印』の権威を盾に、交易品の五分の一を奴国に納めろと。拒否すれば、海の道を通させないと」

────────────────────

奴国王である海破かいはは、五十路(いそじ・50代)を迎えても、その野心は衰えを知らなかった。彼は、漢の皇帝から授けられたとされる『漢委奴国王』の金印を振りかざして、筑紫の海路を私物化しようとしていた。


海破の使者が、月代たちの村に乗り込んできた日のことを、月代は忘れない。


「巫女よ。この印をご覧あれ!これは、天子(漢の皇帝)から我が王に与えられた『王の証』。この蛇鈕だちゅうが、海路のすべての権限を握っている。お前たちの盟約など、砂に書いた文字と同じ」


金印は、純金で出来ており、その鈍い光は、当時の倭国の誰もが持ち得ない、絶対的な権力の象徴だった。印のつまみには、蛇がとぐろを巻く。その姿は、海を支配する霊的な力に見えたが、月代には、それは利権を貪り、内側から国を食い破ろうとする「私欲の象徴」に見えた。


「漢の権威を笠に着て、私腹を肥やす。海破が望むのは、倭国という共同体の平和ではない。己のクニ、己の財力だけだ」


月代は憤った。盟約は、海路の恵みをクニで分かち合い、争いを避けるためのもの。それを、この金印の王権は、一瞬にして打ち破ろうとしている。

────────────────────

海破の横暴により、海人族の生活は困窮し、小さなクニの間で不満が爆発寸前になっていた。このままでは、大乱の再来、すなわち私的な武力闘争による血の海が広がるのは目に見えていた。


月代は、宗像の海人族の長たちを集め、最も古い社の前で議論を行った。


長老の一人が言った。

「奴国を武力で打ち破ることは、それほど難しいことではない。しかし、それでは、我々もまた『私的な武力』を行使したことになり、盟約の理念が崩壊する」


「その通りだ。奴国は、漢の権威という『光』を借りて、倭国の内側に『影』を落とした。この『影』を打ち払うには、武力ではない、別の手段が必要だ」


月代は、深く呼吸をした後、決意の滲んだ声で告げた。


「金印を歴史の表舞台から消し去ります。海破が手にした『漢委奴国王』という王権は、後の世に『私欲の王権』の種として残ってはならない。霊威によって導く未来の王権に、その毒を残してはならないのです」


それは、単なる戦争の勝利ではなく、歴史との戦いだった。

────────────────────

月代は、宗像の海路を護る最も経験豊富な海人族を率い、海破の居城へと静かに向かった。

戦の夜。志賀島の裏手に位置する岩礁地帯に、奴国の船団が集結していた。海破は、宗像の船を拿捕し、略奪を行うつもりだった。

闇夜の中、宗像の船団は静かに岩礁の影に潜んでいた。


「月代様の指示通りだ。音を立てるな」岩雄は船首で声を潜めた。


奴国の船団が、宗像の船に近づいたその瞬間、月代の船から、一筋の火が夜空を割った。それは合図だった。


宗像の海人たちは、訓練された連携のもと、奴国の船を狭い岩礁に追い込み、船底に銛や矢を打ち込んだ。彼らの戦い方は、単なる力のぶつかり合いではない。海というフィールドを味方につけ、潮の流れと岩の配置を完璧に把握した、宗像の海人族にしかできない、知恵の戦いだった。


奴国の戦士は勇敢だったが、彼らの戦は陸上の力をそのまま海に持ち込んだ、鈍重なものだった。宗像の船は小さく、速く、水面を滑るように動いた。


「退け!海破の船を落とせ!」岩雄の怒号が響く。


海破の旗艦は、左右から挟み込まれ、船体が大きく軋んだ。海破は、屈辱に顔を歪ませた。

「馬鹿な……この我が、倭国王である我が、敗れるというのか!」


月代は、後方でその光景を静かに見ていた。彼女の目的は、海破の命ではない。金印という「私的な王権の象徴」を、永久に機能を停止させることだった。

────────────────────

戦いは、最小限の流血で終わった。奴国は、金印の権威に慢心し、宗像の海人族が持つ、海での真の力を見誤っていた。夜陰に乗じて居城に忍び込んだ月代の一団は、印を護る衛兵を無力化し、金印を奪取した。


夜明け前、奴国の船団は壊滅的な損害を負い、海破は命からがら逃げ帰った。

月代は、戦の勝鬨を上げることは許さなかった。

この戦いの後、海破は部下の裏切りに合い、命を落とした。

私欲の王権は崩壊したが、問題はその後だった。


「この印はどうしますか、 溶かしますか?」岩雄が言った。


月代は首を振った。「溶かしてはなりません。それは、この時代の記憶として、永遠にこの地に留まらねばなりません。私欲の王権の末路を後の世に伝えるのです」


彼女は、あらためて金印を深々と見つめた。蛇がとぐろを巻くそのつまみは、私的な権力への欲望そのものに見えた。

────────────────────

月代は、邪馬台国の王都(霧島)に伝令を走らせ、事の次第を伝えた。邪馬台国の男王は、その処分を一任した。

月代は、金印を厚い布に包み、宗像に古くから伝わる最も厳重な封印術を用い、特殊な木箱に収めた。そして静かに岩雄に命じた。


「この金印を、志賀島の最も霊威の弱い、人目のつかない土地に埋めよ。誰にも口外してはなりません」


彼女は、宗像に残る古文書に、この金印をめぐる争いの詳細を簡潔に記録させた。


「この金印は、私的な利権と武力の象徴。後世の王権の毒となりかねません。だから、この金印がこの世に存在した記録は、我々の古文書にのみ秘し、その出来事自体を、人々の記憶から消し去ります。これが、盟約を護るための、もう一つの戦いです」


それは、単なる埋蔵ではなく、倭国の歴史から「私的な王権の毒」を切り離すための、巫女による歴史の封印だった。


しかしこの時、月代は知る由もなかった。

私欲の王権の記憶が、後の世に「歴史の空白」を生み出し、そして、その空白こそが、盟約の理念を護る者たちが辿る、「霧の記憶」の始まりとなることを。


夜明けの海を背に、月代は静かに村へと戻っていった。海路は再び、共同体のために開かれたが、彼女の心には、王権の影を封じたことによる、深い孤独が残っていた。

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