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狂愛メランコリー  作者: 花乃衣 桃々
◆第2章 純愛メランコリー
6/8

第6話 Borrowed Time


 いっそう真面目な表情を浮かべた蒼くんは、掴まれた腕とわたしを見比べて惑っているようだった。


「なに……? どういうこと?」


「わたし、殺されるの。隣のクラスの向坂くんに」


「え?」


「実際にもう何度も殺されてて、そのたびに時間が巻き戻る。……“今日”は初めてじゃない。もう生きたの」


 蒼くんは気圧(けお)されたように黙り込み、ただじっとわたしを見つめていた。真剣さを測るみたいに。


「ちょっと、待って。本当に言ってる?」


「本当。こんな嘘つかないよ……!」


 訴えかけるように見返したけれど、彼は困ったように笑って首を傾げた。

 信じられない、と言わんばかりに。


 それが普通の反応なのだと思う。

 否定されないだけまだましだ。


 わたしだってクラスメートから突然こんな相談を受けたら、からかわれていると思うはず。


 でも、だからって彼の協力を諦めるわけにはいかない。

 きっと、いま頼れるのは蒼くんしかいないから。


 わたしは小テストの勉強をしている女の子の方を指し示した。


「見て。もうすぐあの子の消しゴムが落ちる」


 果たしてその言葉通り、袖が触れて机の上を滑った消しゴムが床に落ちた。


 それを目の当たりにした蒼くんは、驚いたようにわたしを見やる。


「すごい。何で分かったの?」


「言ったでしょ……? わたし、今日はもう何度も生きてるの」


 実際に教室の風景を目にしたのは、そしてその記憶があるのは、少なくとも“昨日”だけだったけれど。


「でも、消しゴムくらいなら偶然かも……」


「じゃあ、あれ見て。あの人が立ち上がったとき、ぶつかって水がこぼれるから」


 スマホを囲んでいた男の子の輪のひとりが立ち上がると、その拍子に後ろを通った別の男の子にぶつかった。


 わたしの言葉と寸分(たが)わず、衝撃でペットボトルの水がこぼれる。


 蒼くんは目の前の光景に圧倒されたみたいだった。


「本当なの……? 予言じゃん、これ」


 男の子の謝る声を聞きながら、ゆるりとこちらを向く。

 次の瞬間、取られた右手が包むように握られた。


「俺……信じるよ、菜乃ちゃんの話。もっと詳しく教えて」




 ひとけのない裏庭に場所を変え、蒼くんにループについてひと通り説明する。


 理人に殺されていたことまで話せば、彼はかなり衝撃を受けたようだった。


 人ひとり分空けて、わたしたちは花壇を囲むレンガに腰を下ろしていた。


 緩やかに風が吹き抜ける。


「理人くんが亡くなったことで、ループは一度終わったんだ?」


「……うん」


「でも今度はそれまで助けてくれてた仁くんに殺される、と」


「そう……」


 確かめるみたいに言う彼に、うつむきながら頷く。


「だったら、今回も同じだろうね」


 彼が悩ましげに顎に手を当てながら言う。

 その割にさっぱりとした口調だった。


「菜乃ちゃんか仁くんか、どっちかが死なない限りループは終わらない」


 鉛のような衝撃が落ちてくる。


 そのことを、一度も考えなかったわけじゃなかった。

 薄々気づいてはいたけれど、ずっと目を逸らし続けていただけだ。


 そんなの、選べるわけがない。


「とはいえ、答えはもう決まってるよね。殺人鬼の仁くんのために菜乃ちゃんが死ぬ義理なんてないし、それなら────」


「やめて……!」


 つい、叫ぶように遮った。


 蒼くんは驚いて目を見張り、反射的に口をつぐむ。

 その先に何を言おうとしたのかは想像に易い。


 わずかな沈黙を経て、彼がわたしに向き直った。

 瞳の奥を覗き込むように顔を傾ける。


「……もしかして」


 気づかれた、と悟った。

 どのみち向坂くんへの恋心はいつか話さなきゃならない。


 けれど、彼はそこで言葉を切ると、緩やかに視線を逸らした。


「いや……やっぱいい」


 聞かれれば正直に認めるつもりでいたけれど、そう引き下がられると自分からは言いづらくなる。


 いずれにしても、本筋はそこじゃない。


「……わたし、どうして覚えていられたのかな」


 “昨日”とその前のこと────階段から落ちて死んだこと、屋上から飛び降りて死んだこと。


 今度は何が、記憶を保つのに必要なアイテムなのだろう。


「“最初”は? 覚えてない?」


 思い返すように記憶をたどった。

 初めて向坂くんに殺されたときは、どんなだったんだろう。


(うーん……)


 思いを()せたとき、ふと脳裏(のうり)に不鮮明な映像がよぎる。


 断片的にちらついただけだけれど、屋上の景色が広がっていた。


『これからは何度でも、何度でも何度でも何度でも……』


 耳に残る彼の声に、感情がざらつく。


『俺がおまえを殺してやる』


 あまりに衝撃的で、色濃く焼きついていたみたいだ。


 それが、初めて殺されたときのことなのかは分からない。

 けれど、わたしは確かにそうして殺されたことがあるみたいだ。


「大丈夫? 菜乃ちゃん」


「え……」


 ふいに声をかけられ、ぱちん、と目の前で泡が弾けたような感覚がした。

 心配そうな眼差しを注がれている。


「苦しいの?」


 そう言われて初めて、自分の手が首元を押さえていたことに気がつく。


 無意識に、記憶の中の向坂くんに(あらが)っていたみたいだ。


「大丈夫……。ごめんね」


 曖昧に笑いながら言うものの、蒼くんの表情は晴れなかった。

 それどころか、むっとしたように曇る。


「もう俺に謝んないで」


 そっと伸びてきた右手が頬に添えられる。


「一度頼ったからには、全体重かけて寄りかかってくれていいんだよ」


 思わぬ言葉に、その穏やかな瞳を見返す。


 優しい風がそよぎ、記憶の中でスイートピーが淡く香る。


「何か……理人みたい」


 つい、そう呟いてしまった。

 全然ちがうはずなのに。


「あ、ごめん。その……」


 はたと失言に慌てるも、彼は緩やかに微笑む。


「いいよ。じゃあ、俺を理人くんだと思って」


「え」


「それなら甘えてくれるんでしょ。信じて頼ってくれるなら、その方がいい」


 頬に宿っていた温もりが消えたかと思うと、ぽん、と頭を撫でられる。


 思い知った。

 わたしがどれほど理人の存在に救われていたか、溺れていたか。


「嫌じゃ、ないの……?」


 わたしは結局、蒼くんを信じているのか、蒼くんを通して理人の幻影を求めているのか、分からない。


 彼の死を引きずっているのは確かで、その衝撃と悲しみから抜け出すには、あまりにも時間が足りなくて。


「嫌じゃないよ」


 蒼くんはそう即答した。


「だって菜乃ちゃんにとって大事な人でしょ? そんな人と重ねてもらえるって、俺は嬉しいけど」


 そんなふうに言ってくれるなんて思わなかった。


 どこまで優しいのだろう。

 身勝手なわがままで振り回してしまうかもしれないのに。


「……ありがとう」


「ん、どういたしまして」


 ふんわりと蒼くんは笑った。


 真っ暗な世界に閉じ込められていたところに、不思議と光が射し込んできたような気がする。


 まだまだ分からないことだらけだし、蒼くんのことも知らないことだらけだ。


 それでも、信じたい。

 彼の優しさは本物だと。


「……忘れたくないなぁ」


 気づけば口をついてこぼれていた。


 次に殺されたとき、記憶を失ってしまったら、わたしはまたひとりぼっちになってしまう。


 蒼くんの優しさも寄り添ってくれたあたたかさも忘れて、絶望の渦に飲まれてしまう。

 そんなの嫌だ。


「────簡単だよ」


 蒼くんは微笑をたたえたまま、平然と言ってのける。


「忘れたくないなら、自分で死ねばいい」


「自分、で……?」


「そう。たぶんだけど、殺されなければ記憶は残る」


 それができたら苦労なんてしない。

 ループから抜け出せるはずだから。


 そう思いかけて、はっと気がつく。

 殺されなければ、というのは、単に死に方の話だ。


 記憶を失わなかった“昨日”とその前、自分がどう命を落としたのかを改めて思い出す。


 確かに死んだ。

 でも、向坂くんに殺されたわけじゃなかった。


「これはきっと、仁くんが作り出したループなんだよ」


 蒼くんの言いたいことが、何となく分かってきたような気がする。


 向坂くんが作り出したループ。

 彼の残虐な欲望を満たすためだけに繰り返す世界。


「それなら、向坂くんの思い通りにならないようにすれば……」


 つまり────彼に殺されないようにすれば、記憶を失わない?


 向坂くんの望みと異なる行動が、彼の意図を上回って思わぬ展開を生むのかもしれない。


 わたしに記憶があることは、向坂くんにとっても想定外なはずだから。


 きっと、彼の思惑と逸れる行動が抜け道に繋がるんだ。


 ────1限終わりのチャイムが鳴った。

 いつの間にそれほど時間が経っていたのだろう。


 立ち上がった蒼くんは伸びをしつつ、わたしを振り返った。


「俺、授業サボったの初めて。何かわくわくするね」


 小さな背徳感を共有して、つられるように笑う。


「そろそろ戻る?」


 一瞬うつむいてから顔を上げる。


「……先に行ってて。わたし、お手洗い寄ってから戻るね」


「ん、分かった。またあとで」


「うん。色々ありがとう、蒼くん」


 手を振りつつ歩き去っていく彼を見送ると、そっと立ち上がった。


 だけど、力が抜けてすぐにその場に屈み込む。


 理性にしがみついて必死でこらえていたけれど、波立った感情がいまにもあふれそうだった。


 何度も何度も死の恐怖と苦痛を味わった。

 以前のループと合わせても、もう十分すぎるくらい。


 それでもまだ足りないっていうの?

 いったい、わたしが何をしたの?


『忘れたくないなら、自分で死ねばいい』


 死んでも明日は来ないのに、死ななきゃ前に進めない。

 いずれにしても、今日も死は避けられないんだ。


 もう一度立ち上がると、花壇を背にした。

 そっと目を閉じ、息を吸う。


(蒼くん……)


 “明日”、わたしは覚えていても彼はリセットされるだろう。

 つかの間の平穏はあっけなく壊れてしまう。


 悲しいけれど、またいちからでも“明日”の彼を信じるしかない。


 後ろに体重をかけて、背中から倒れていく。

 後頭部に硬いレンガが迫り、鮮血(せんけつ)(ひるがえ)った。




     ◇




「痛たた……」


 ベッドの上で身を起こし、頭を押さえながら顔を歪めた。


 もう起きるのにアラームなんて必要なくなっていた。

 痛みのせいで勝手に目が覚める。


(……蒼くんの言ってた通りだ)


 死ぬとしても、向坂くんに直接手を下されなければ記憶を保っていられる。


 忘れたくないなら、自ら死に続けるしかないんだ。

 その中で結論を見つけないと。


(でも、チャンスはあと何回残ってるんだろう……?)


 支度を整えて家を出る。

 ふと、不安感が心に影を落とした。


 そろそろ向坂くんに怪しまれたりしていないだろうか。


 本来の「5月7日」のわたしとは、随分かけ離れた行動をとっているはずだ。


 向坂くんが、わたしに記憶があるという可能性に行き着いてもおかしくない。


 疑われないためには、本来のわたしに近い行動をとるべきだ。


(そうは言っても……)


 理人のときみたいな駆け引きは意味がない。


 殺すこと自体が目的だから、わたしがどんな態度をとろうと関係なく手を下すだろう。


 それなら、やはり何がなんでも殺されないようにしないといけない。その方が大事だ。


 せっかくここまで色々と掴めたのに、殺されたらぜんぶ水の泡になってしまう。




 昇降口にさしかかったとき、わたしは硬直したように動けなくなった。


「うそ……」


「待ってたぞ、花宮」


 柱に背を預けていた向坂くんが、身を起こして歩み寄ってくる。


 獲物を見つけたみたいに爛々(らんらん)と光る双眸(そうぼう)が恐ろしくて足がすくんだ。


「どうして……」


「何が?」


 思わず言葉がこぼれ、慌てて口をつぐむ。


 向坂くんには記憶があるのだから、毎回行動がちがうのは当たり前だ。


 何度もわたしを殺せずに“今日”を終えている現状では、同じ結末を避けるためにこうして積極的になりもするだろう。


「な、何でもない。早いんだね、向坂くん」


 無意味だと分かっていながらも、繕うようにぎこちなく笑った。


 少しでも風向きが変わらないか、藁にも縋る思いだった。


「まあな。こうでもしないとおまえに会えねぇから」


 唇の端をきつく結んだ。


 惑わされちゃだめだ。彼の言葉に他意なんてない。

 わたしを殺すことだけが、彼の目的で原動力なのだから。


「何で上に来なくなったんだよ? ……記憶が理由じゃねぇなら、繰り返すほどその日も変化すんのか?」


 尋ねているというよりは、ほとんどひとりごとのように考えを口にした。


 わたしの記憶を疑っていないからこそ、大胆にも憶測を口にできるのだろう。


 もしくは、何を知ったって殺してしまえばいい、と考えているのかもしれない。


 わたしには何もできないと思っているの?


「なあ、どうしたんだよ」


 向坂くんが一歩距離を詰める。


 あとずさることさえできないまま、怯んだようにその目を見返した。


「何にそんな怯えてんだよ。ただ話してるだけだろ」


「向坂くん……」


「前みたいに笑えよ。いまやおまえの唯一の“友だち”だろ、俺」


 淡々と追い詰めてくるような彼の態度は、わたしの気を(くじ)くのに十分だった。


 話すほど彼という人物像が崩れていく。

 信じたいのに、その気持ちを嘲笑うかのような展開ばかり。


 夢だったらいいのに。

 晒されているこの現状が、すべて悪い夢だったら。


 じわ、と涙が滲んだ。


「……泣き虫だな、相変わらず」


 ふいに彼から表情が消え、興がるような色が褪せる。


 彼が何を思っているのか、何を考えているのか、わたしにはもうまったくもって分からない。


 唇を噛み締め、強く両手を握り締めた。


「向坂くんは……こんな人じゃない」


 思わずそう口走ってしまった。


 まるで過去の向坂くんを否定されたみたいで、我慢できなかった。


 わたしが好きになったのは、あのときの向坂くんだ。

 もうそんな彼はいないのに、想いを断ち切れない自分が情けなくて悔しい。


「あ?」


「わたしの知ってる向坂くんは、意味もなく人を傷つけたりしないから」


 彼の瞳が揺らいだ。

 次の瞬間、怒りと悲しみを(たぎ)らせたように目の色を変える。


「……っ!」


 勢いよく首を掴まれた。

 正面玄関の扉に背中を打ちつけて息をのむ。


「……分かったようなこと言ってんじゃねぇよ」


 ぎりぎりと強く締め上げられ、呻き喘ぐことしかできない。


 異常事態に気がついた周囲の人たちがざわついても、彼はまったく(はばか)ろうとしなかった。

 巻き戻ったら、どうせ忘れられるからだ。


(嫌だ。やだ、殺されたくない……!)


 そう思うのに、抵抗する余裕は既にない。

 頭の中と目の前が白く明滅(めいめつ)して、力が抜けそうになる。


「おまえはただ黙って殺されてろ」


 感情を押し込めたように言われると、徐々に意識が遠のいていく。


 こんなふうに死ねないのに。ぜんぶ忘れてしまうのに。

 向坂くんを悪者にしたくないのに────。


 そのとき、駆けてきた誰かが叫んだ。


「離れろ!」


 視界は霞んでいたけれど、それが蒼くんだということは分かった。


 彼は傘立ての中から適当に1本引っ掴み、向坂くん目がけて思いきり振り抜く。


 それに気づいた向坂くんはわたしを離し、身を逸らして易々と(かわ)した。


 立っていられなくなって、その場に崩れ落ちる。

 必死に息を吸い込むと、激しく咳き込んだ。


 顔が熱い。血液中に一気に酸素が回る。

 ばくばくと激しく脈打つ心臓の音が耳元で聞こえた。


「平気!?」


 傘を(ほう)った蒼くんがわたしのもとへ駆け寄ってきた。

 目眩と咳がおさまると、こくこくと頷いてみせる。


「……へぇ」


 向坂くんがつまらなそうに呟く。

 ポケットに両手を入れたまま、高圧的に見下ろしている。


「いつの間に味方なんて作ってたんだ?」


「……目の前で殺されかけてる人がいたら、助けるに決まってるじゃん」


 記憶を失っても、蒼くんはわたしを助けてくれた。

 それだけが唯一、このループでの救いだ。


「それともなに? もしかして初めてじゃないの? “こんなこと”するの」


 その言葉に反応したのは、向坂くんだけでなくわたしも同じだった。


 核心を突くような問いかけだ。

 彼には記憶がないはずなのに。


「……だったら?」


 向坂くんに嘘をついたり誤魔化したりする気はさらさらないらしく、あっけらかんと開き直った。


「何かうっとうしいし、おまえのことも殺してやろうか?」


 目的の邪魔をするなら、蒼くんに手をかけることも(いと)わないようだ。


 脅迫じみたそんな言葉を受けても、蒼くんは一切怯まなかった。


「思い通りにはさせないから」


 強気に返すと、わたしの手を取る。


「行こう、菜乃ちゃん」


 手を引かれながら駆け出し、正面玄関から飛び出した。




 現実感をどこかへ置き去りにしたまま、流されるように駆け抜けた。


 校外へ出ると、足を止めた蒼くんが後ろを振り返って確かめる。


 向坂くんが追ってきていないことが分かると、そこからは速度を緩めた。


「大丈夫? 首、痛くない? 苦しくない?」


 心配そうな彼に「大丈夫」と小さく頷く。


 赤く染まったわたしの首には、向坂くんの手と爪の痕がくっきり残っている。

 形として現れた彼の殺意そのものだ。


 本当に危なかった。

 あと少しで殺されるところだった。


 蒼くんが来てくれなかったら、すべてがまた振り出しに戻ってしまうところだった。


「助けてくれてありがとう、蒼くん……」


「当然だよ。きみが“助けて”って言ったんでしょ」


 一瞬、戸惑ってからはっと息をのむ。


「お、覚えてるの!?」


「覚えてる。菜乃ちゃんが仁くんに殺されてることも、ループのことも」


「どうやったの……?」


 そう尋ねると、彼は一転してなぜか苦い表情を浮かべた。

 言いづらそうに口ごもる。


「実は……“昨日”、自殺したんだ。俺も」


「え」


 言葉が詰まって、思考が止まる。

 一拍置いて大きな衝撃に貫かれた。


「なに考えてるの!? もしそれで本当に死んじゃったりしたら────」


「大丈夫だよ。生き返ってるし」


 何でもないことのように笑うけれど、どうしてそうも軽く受け流せるのか分からない。


 もし、何かのせいで急に時間が巻き戻らなくなったりしたらどうするのだろう。

 取り返しのつかないことになる。


「ここまで関わった以上、俺ももうループとは無関係じゃなくなった。だから、もしかしたら同じ法則が適用されるかも、って思って」


 果たしてその通りになった、というわけだ。


 結果的にはよかったのだけれど、わたしのせいで蒼くんが命を落とすのは、本意じゃないし耐えられない。


 助けを求めたせいで彼の行動に際限がなくなったら────そう思うと、怖い。


「……ごめんね、そんな顔させたかったわけじゃないんだけど」


「ううん、わたしこそごめん。中途半端な覚悟しかなくて。責めたいわけじゃないの。ただ心配で……」


 蒼くんの判断を非難すべきじゃない。

 記憶を失わないための自殺が、わたしのためならなおさら。


 彼の言う通り、もう無関係じゃないんだ。


 巻き込んだからには蒼くんを信じて、一緒に戦うしかない。


「ごめんね、蒼くん。本当にありがとう」


「だから“ごめん”は禁止。“ありがとう”ももう十分受け取ったよ」


 彼は穏やかに笑った。


 それを見ていると、不思議と心の中に広がっていた暗雲が晴れていく気がする。


「……もう、決めたの?」


 ややあって言葉が繋がれた。

 蒼くんの声はあくまで優しいけれど、どこか隙のなさがある。


 何を聞こうとしているのかは分かった。

 ループを終わらせるための、最終的な選択だ。


 つまり────向坂くんを殺すか、わたしが死ぬか。


 死にたくなんてない。

 でも、だから向坂くんを殺す、なんて決断には至らない。至れない。


 弱々しく首を左右に振る。


「できない……。向坂くんを殺すなんて」


 その選択は、彼を見限るも同然だ。


 正論や理屈だけじゃ割りきれない感情が、胸の内で複雑に絡みつく。


「じゃあ自分が死ぬの?」


「それは……」


「理人くんの死を無駄にして?」


 はっきりと言われ、心臓が冷たく鼓動した。


 理人は自分の命をなげうってループを終わらせた。

 ひとえにわたしの幸せを願って。


 それなのにわたしが死を受け入れたら、理人の思いを無意味なものにしてしまう。

 またしても裏切るようなものだ。


 そういう意味でも、わたしは死ねない。


 だけど────と、思考はずっと堂々巡りだった。


「……好きなの? 仁くんのこと」


 蒼くんが真剣な声色で尋ねてくる。

 どこか緊張しているようでもあった。


 どう答えるべきか迷って、結局言葉が見つからなくて、そっと小さく頷いた。


 好きなんだ。

 わたしはいまも、向坂くんのことが。


 何度残虐な本性の餌食(えじき)になっても、想いは消えなくて。


 以前の彼を知っているだけに、あんなふうに変わってしまっても、まだ信じようとしている。


 早く鐘が鳴って、夢が終わればいいのに。

 魔法は一向に解けない。


「……そうなんだ。やっぱりね」


 さして驚くこともなく、けれどどこか寂しげに蒼くんが言う。


「死にたくないなら好きな人を殺せなんて、残酷すぎるよ……」


 彼は苦い表情で言った。


 ふと、小さい頃に読んだ童話を思い出す。


 ────でも、わたしは好きな人の心臓にナイフを突き立てることはできない。


 だからって自分自身が()になって消えるなんて結末も受け入れられない。


 沈んでいこうとする気持ちを奮い立たせ、凜と顔を上げた。


「……わたし、諦めたくない」


 自分の命も向坂くんの命も選びたくないのなら、運命に立ち向かうしかない。


「だけど、どうするの?」


「ちゃんと向坂くんと話してみる」


 そう言うと、驚いたような彼はすぐに険しい面持ちになる。


無謀(むぼう)じゃない? さっきの感じだと、仁くんに理性があるのかどうかすら怪しい。話なんて通じないように見えたけど」


「でも、それしかないよ。言葉が通じないわけじゃないし、信じてどうにか頑張るしかない」


「会いにいっていきなり殺されたらどうするの?」


 眉をひそめた蒼くんの言葉に口をつぐんだ。


 昇降口でだって危うくそうなりかけた上、自分ひとりではどうにもできなかった。

 また同じことが起こる可能性は高い。


 ────だけど。


「……蒼くんがいるから」


 もう、ひとりぼっちだって悲観しない。

 もう、油断しない。


「菜乃ちゃん……」


 何度自殺することになっても食らいつくだけだ。


 腕時計に手を添えると、固く唇の端を結んだ。


(見守ってて、理人)


 理人が守ってくれたわたしの“いま”を、簡単に投げ出したりしない。




 今朝の向坂くんの様子から、話をしにいくとしても彼が冷静さを取り戻すまで待った方がいい、と判断した。


 ファストフード店に入って適当に時間を潰すことにして、奥まったテーブル席につく。


 わたしはストロベリー味のシェイクを飲みながら、目の前の彼をじっと見つめた。


 視線に気づくと「どうしたの?」と首を傾げる。


「……蒼くんって、何でわたしを助けてくれるの?」


「だからそれは菜乃ちゃんが俺に────」


「そうじゃなくて」


 確かにそうだったけれど、だからって普通、まるっきり信じて命まで懸けられるものだろうか。


「どうしてここまでしてくれるの……?」


 わたしはまだ怖い。

 彼と同じくらいの思いで接するのは。


 都合がいいと、最低だと分かっているけれど、信頼はしていても信用はしきれなくて。


 蒼くんの優しさやあたたかさを失いたくないと思うほど、そこに意味を求めてしまう。


 無償の愛を注いでもらえるような自信は、わたしにはないから。


 少しの間、口をつぐんでいた彼はやがてわたあめみたいに甘く笑う。


「好きだから。菜乃ちゃんのこと」


 聞き間違いかと思った。

 あまりに驚いて、息をするのも忘れていた。


 何も言えないでいると、彼は息をこぼすように笑う。


「……なんてね。冗談」


「え……っ」


「ごめん。反応がかわいいから、ついからかいたくなって」


 くすくすと笑う彼にほっとすると同時に、なんだ、と肩の力が抜ける。


「もう、びっくりした。真剣に聞いてるのに」


「はは、そうだよね。でも本当に壮大な理由みたいなものはないよ」


 蒼くんは眉を下げつつ告げる。


「ただ、本気で心配なんだよ。あんな顔されて、あんな現場見て、ほっとけるわけないでしょ」


 その言葉は冗談ではないみたいで、彼の顔から余裕が消えていた。


「……こう見えてすごいびびってる。菜乃ちゃんが本当に死んじゃったら、って思うと」


「蒼くん……」


「だから俺もできることをしたいだけ。答えになってるか分かんないけど、それだけだよ」


 やんわりと淡くしか捉えられなかった蒼くんという人物像、その輪郭がだんだんふちどられていく。


 冷たく暗いこの世界での、唯一の味方。

 理人の代わりなんかじゃない。


 やっと、本当の意味で彼と目が合った。


「もう、何て言っていいか……」


 申し訳ない気持ちと感謝の気持ちでいっぱいなのに、“ごめん”も“ありがとう”も拒まれてしまった。


「何も言わなくていいよ。遠慮なんかしないで、寄りかかってよ」


 あたたかい言葉に自然と頬が綻ぶ。


 彼の死を無駄にしないためにも、頑張らなきゃ。

 死線を越えて、以前の向坂くんを取り戻す。


 しがみつかなくても、日常を過ごしていけるように。

 寝て覚めたら、当たり前に“明日”を迎えられるように。




 学校へ戻ると、昼休みに入ってすぐの頃だった。

 蒼くんと別れたわたしはひとり教室へ入る。


 昇降口に置き去りにしていたはずの鞄は、誰かが運んでくれていたようだ。

 机の上に載せられていた。


(向坂くん、いつもの場所にいるよね……)


 これから会いにいくことを考えると、緊張で心臓が早鐘(はやがね)を打った。


 首に残った痕はまだ消えない。

 ひりひりと痛み、圧迫感が蘇った。


 ちゃんと話せるかな。

 いまだって足がすくんで、逃げ出してしまいたい。


(でも、もう決めた)


 望みは薄くても、死にたくも殺したくもないのなら、それ以外の選択肢を見つけなきゃ。


 ────教室を出ていこうとした寸前、誰かの机に置かれている裁ちばさみが目に入った。


 確かサッカー部のマネージャーをしている女の子の席だ。

 フェルトで何かを作っているみたいだった。


(……ごめん、借りるね)


 この場にいない彼女に断って、はさみを手に取った。


 汚してしまうことになるかもしれないけれど、“明日”になればその事実ごと消えてなくなるから。




 階段を上って最後の踊り場へ出ると、ゆらりと影が動いた。

 見上げれば、向坂くんがいた。


「……花宮」


 彼は少し意外そうに、わずかに目を見張る。


 今朝のことがあっても、わたしがここへ来るとは思っていなかったのだろう。


 億劫(おっくう)そうに立ち上がると、悠々と階段を下りてくる。


「そんなに死にてぇのか?」


 わたしを捉えたまま彼は嘲笑した。


「望み通り殺してやるよ」


 向坂くんの無慈悲な手が伸びてきた。


 瞬時に今朝の出来事が脳裏をよぎり、張りつく声を必死で押し出す。


「待って……! 待って、聞いて」


「あ?」


 声も呼吸も恐怖で震えた。

 ばくばく鼓動が跳ねて心臓が痛い。


「お願い。わたしの話、聞いて」


 以前の彼はちゃんと耳を傾けてくれた。

 記憶をなくしていても、突拍子もない話を信じて受け入れてくれた。


 いまの彼にその面影なんてない。


 すべてがこの日々のための布石(ふせき)だったとしたら、とんだ策士で役者だ。

 わたしには到底敵わない。


「話? ループのことなら知ってるぞ」


「ううん……。そうなんだけど、ちがくて」


 どう切り出せばいいだろう。

 どうすれば伝わるだろう。


 いざ死の淵に立たされると、冷静に考えることなんてできなくなっていた。


 どうにか恐怖を抑え込みながら言葉を探していると、向坂くんが先に口を開く。


「へぇ。真っ先に聞かねぇってことは分かってるんだな、自分の状況」


 推し量るような暗色の双眸(そうぼう)に捕まる。

 それを確かめるためにあえて“ループ”と口にしたんだ。


 逃れたくてつい視線を彷徨わせれば、ふっと彼は確信めいたように笑った。


(……だめだ)


 思っていた以上に向坂くんは鋭くて、淡々とわたしを追い詰めていく。


 失うものも守るものもないからか、彼は簡単に踏み込んでくる。

 些細な隙も見逃してはくれない。


「……そうだよ、分かってる」


 顔を上げ、凜と告げる。

 わたしもいまさら、しらを切り通すつもりなんてない。


 怯んだり嘘をついたりするだけ遠回りになる。


「向坂くんがわたしを殺すことも、今日を繰り返してることも、ぜんぶ分かってる」


 彼の瞳がほんのわずかに揺らいだ。

 思いがけないと言うように。


「……あっそ。ま、そんなの別にどっちだっていいけどな。俺のやることは変わんねぇし」


 おもむろにポケットに手を入れると、素早くペティナイフを取り出す向坂くん。

 ためらうことなくその先端をわたしに向ける。


「最初からそのつもりでわたしを助けてくれてたの……?」


 誰にも邪魔されることなくわたしを殺せる機会を、ずっと狙っていたのだろうか。


「“そのつもり”、ね……。動機の話なら、確かに(はな)から変わってねぇな」


 彼は平然と言ってのける。

 眉頭に力が込もった。


「わたしは……向坂くんのこと信じてたのに」


 一瞬うつむき、すぐにかぶりを振る。


「ううん、いまだって信じてる」


 届いて欲しい、と願いながらまっすぐに彼を見据えた。

 一拍置いて、向坂くんはせせら笑う。


「幸せ者だな」


 冷たい皮肉が突き刺さる。

 温度のない表情と声色は、わたしの心を打ち砕くのに十分だった。


「向坂くんは……わたしが憎いの?」


「いや」


 意外にも彼は即座に否定した。


「おまえのことは嫌いじゃねぇよ。だから殺すんだろ」


 興がるように口端を持ち上げ、寝かせたナイフの刃でわたしの顎をすくう。

 触れた切っ先がちくりと痛んだ。


(分かんない……)


 向坂くんが何を言っているのか。

 その意図も思考もまるで理解できない。


「話はそれでぜんぶか?」


「…………」


 悔しいけれど、口をつぐむほかになかった。


 ここまでのやり取りで、何ひとつとして彼の心に響いていないことが分かるから。


 これ以上、粘ったところで意味なんてない。

 平行線のままだ。────いまのところは。


「……そうだね。今日は終わり」


 向坂くんの記憶は消えない。リセットされない。

 何度も何度も、今日を繰り返すたびに話をすれば、その記憶も積み重なっていく。


 そのうちそれが、(ろう)に覆われたような彼の心にも届く。

 その可能性を信じたい。


「“今日は”?」


 向坂くんは訝しむように繰り返す。

 ナイフがわずかに遠ざかった隙に、その手を押し返した。


 一瞬触れた手は悲しいくらいにあたたかくて、泣きそうになってしまう。


 する、と袖の内側ではさみを滑らせた。

 取り出したそれを強く握り締める。


「おまえ、それ────」


 初めて向坂くんがうろたえた。

 打って変わってわたしはやわく笑って見せる。


「また“明日”ね、向坂くん」


 両手ではさみを構えると、自分の心臓目がけて振り下ろした。


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