出発の準備
「クラテーレ領を手薄にするのは少し心配だけど、魔獣の脅威はひとまず退けられたことだし。スクードにはトランの馬車もあるわ。こことクラテーレを繋ぐ架け橋としては適任なの」
真剣な顔で説明するエトナの声をどこか遠くに聞きながら、シルクはスクードの表情を盗み見る。これまで、ゆっくりと彼を観察する機会など無く、“コンフォーコに尽くす生真面目な副団長”という印象しかない。
目の前で姿勢良く佇む男からは、以前のような嫉みに近い感情は伝播してこない。とはいえ、曲がりなりにも命の危機に瀕した原因を作った人物。どんな顔をして会話するのが正しいか、迷っていた。
「ーーの知識もあるし……シルク、大丈夫?」
段々と不安そうな表情に変わっていくエトナが、耐えきれずにシルクを窺う。上目遣いで見詰められ、咄嗟に浮かべた苦笑い。
「あ、ーーうん、ダイジョブ」
どうしても、ぎこちない返答。目配せするエトナとイブリダが口を開くよりも、男の行動は早かった。
「昨日のことは、すまなかった」
シルクの正面で深々と腰を折ったスクードは、シルクが想像していたよりずっと素直に言葉を吐き出す。
「月の異変、未曾有の事態に君が関わっているのであれば、あの場で始末をつけるつもりであった事は事実だ」
この世界を、自分たちの住む場所を、大切に思えばこそ。それは当然の判断であり、どんなに理不尽で納得できない内容であったとしても、理解はできる。ここで『コイツとは仲良くできない』と言ってしまうことは容易いが、そんな風に振る舞えるほど子供にもなれなかった。
「だがーー」
憤り歯噛みするシルクに向けて続けられた言葉は、
「だが、この短期間で君が築いた縁は偽りではない」
まるく、強張った心を解いていく温もり。腕の中で丸くなり、顔を隠していたハリネズミの熱が、僅かに傾く。意を決して正面から見据えた男の瞳は、誠実さを灯して静かに燃えていた。
「故に、君への考えを改める。エーラ共和国の自警団であれば、助力も当然だ」
「……分かった。元々俺の方に君と争う理由はないし、借りられる手があるなら借りたい状況だからね」
現状、厩舎における戦力は、実質エトナのみ。そのエトナにしても、扱う風魔法はどちらかといえばサポート性能の高い部類。彼女の負担を分散する為にも、戦える人間の加入はありがたい。
仮に、スクードが再びシルクを疎む事態になったとしても、エトナに危険が及ぶことはない筈だ。ひとまずは、その事実で妥協せざるを得ない。
「2人とも、納得したってことで良いのよね?」
不安気な表情のエトナが、そろりと尋ねる。双方が首肯したのを確認し、ほっと息をこぼした。
「今は、とにかく各領地の問題を解決して、安全な生活を取り戻さなきゃいけないわ。アバルカ領の問題が逼迫してきたから、近い内に様子を見に行くつもりよ」
「鉱山で行方不明者が出ている件ですね。アバルカ自警団からも、3名ほどが消息不明です」
スクードが情報を補足する。自警団同士の会議へ参加している彼は、他領の情勢にも詳しいらしい。
「ええ。鉱石の採掘が滞っているのも、生活に支障が出る前に解決しなくちゃ。厩舎だって困ることだものね!」
拳を握り締めるエトナは、やる気に満ち溢れていた。
「……そういえば、名前を決めたいんだった」
スクードの居なくなった厩舎にて、掃除を始めようとしたシルクが思い出した様子で呟く。未だ眠るトナーレインを首に巻き付かせたまま、片腕にハリネズミを抱く姿は不便そうだ。
「新入りちゃんの名前?」
ラフィカを個室へ誘導してきたエトナが、人参色の塊を見詰めて首を傾げた。太陽のような明るいオレンジ色の瞳と、深い夜を汲み上げた藍色の瞳が交差する。
「エトナはレインに名前付けただろ」
唇を尖らせたシルクが、目の前の生き物を反対側へ隠した。エトナも不服そうに頰を膨らませる。
「良いじゃない。可愛い名前にしてあげたでしょう?」
「自分で決めたかった」
「むぅ……」
「ーーーー」
しばし、2人の間に無言の空気が流れ、
「キャロ」
「ピュ、ピュ」
割って入ったイブリダが橙色の小さな木の実を差し出した。パクリとおやつを頬張ってご機嫌なハリネズミは、嬉しそうに鼻を鳴らす。
「え、今、名前ーー」
「ほれ、仕事しろ。仕事」
「先生?」
「初めねェと終わらんぞ」
何食わぬ顔で厩舎の奥へ向かうイブリダを、2人は唖然としながら見送った。
◆☆☆☆☆☆☆☆◆
「シルク、起きてる?」
控えめなノックと、強張った声。満腹で寝転がる2匹にベッドの中央を占領され幸せそうに困っていたシルクは、少し濡れたままの髪をタオルで拭きながら扉を開けた。
「どうかした?」
俯き気味のエトナは、きゅっと唇を引き結んで固い表情。言葉を探して彷徨う視線は、いつもの力強さとは程遠い。
あからさまな下心は無い。とはいえ、年端もいかぬ少女。それも王族の血を引く身分の女の子を、男1人と獣2匹の部屋に招き入れるのはいかがなものか。悩みに悩んだ数秒。
「……」
「えっと……入る?」
「……ええ」
エトナから切り出す様子が微塵も感じられず、罪悪感に苛まれながら提案の形を及第点とした。ランプの灯りがあるとはいえ、かろうじて読み書きができる程度の光源。ベッドは相変わらず2匹に牛耳られているため、エトナは椅子へ案内し、自分がベッドの隅へ腰掛ける。
「ーーいろんな話をしたわ」
一呼吸おいて口を開いたエトナは、クラテーレ家でのことを話し始めた。領主を交えた会議では、ペザンテの占術結果を以ってシルクの処遇を預からせて欲しいことや、エーラ自警団設立に伴うスクードの半移籍について。この辺りは概ね満場一致であったと。
「それでね、二人きりの時に、コンフォーコが……」
言い淀む様子に、自身の能力を少しだけ恨めしく思う。エトナが何を打ち明けられたのか、察しがついてしまった。
「ーー『神子と、還月の制度を無くしたい』って」
何がコンフォーコを変えたのか、シルクにはわからない。けれど、彼女は彼女の意思で、この世界の理に立ち向かう選択をした。
「他の人には?」
「いいえ。シルクはこの事を知ってるって聞いたから、先にあなたと……」
「そっか」
エトナに打ち明けるということは、司祭や領主たちに知られてしまう可能性が高い。最悪の場合、逆賊として扱われる未来だってあり得る。いくらコンフォーコが重要な立場に居ようとも、次の還月まで自由は得られないだろう。それでも大事な秘密を託したのは、この少女の、ひいては歴代王族たちの、優しさと心遣いの賜物なのだろうと気付く。
「シルクは、どう思ってるの?」
「先に言っておくけど、俺の生まれた所には、誰かの命を生贄に捧げるような風習は無かったからね。俺の家、無宗教だったし。それを踏まえた上で正直に言うなら、『理不尽な決まりだな』とは思うよ」
「そう、なのね」
「でも、この世界に還月の儀がどうしても必要なら、“誇らしいこと”って暗示を掛けてでもやらなきゃいけないんだろ」
「ーーない、わ」
「ん?」
震える声。見て分かる程の動揺。
「還月の儀が本当に必要なのか、わからないの!」
「ええ?」
悲痛な訴えに、脳が処理を拒否している。
「だって、共和国が生まれてからずっと続けてきた儀式なのよ! 必要でなければ、今までの神子はなんだったの!」
「お、落ち着いて、エトナ……」
「でも、わからないの! 儀式をやめた時に国がどうなるかも、月の加護がどうなるのかも……わからない……」
ついには大粒の涙がこぼれ出し、シルクの混乱も最高潮に。どんなに気丈な振る舞いをしていても、まだ少女だ。一国の行く末を左右するような重圧に、平然と立ち向かえる方がおかしい。
「エトーー」
「キュウ〜」
真っ先に差し伸べられた手は、ちいさな白藤の毛玉。今まで寝ていた筈のトナーレインは、エトナの膝へと飛び乗った。血の気の引いた細い指先が、ふわふわの毛並みを辿る。
「トナ……」
「キュキュ」
猫のように腹を出して寝転がり、甘えた仕草で気を引くトナーレインに、エトナがふっと肩の力を抜いた。
「慰めてくれるの? ありがとう」
「キュ〜」
我に返ったシルクも、落ち着いた調子で声をかける。
「儀式に関してはペザンテさんにも調べてもらってるし、詳しい事が分かってから考えてもいいんじゃないかな。前回の儀式が成功だったのかも、わかってないだろ?」
「そうね……うん。コンフォーコのことは、誰にも言わず保留にしておくわ。今は、彼女の剣が必要だもの」
「俺もそうする。ほら、もう夜遅いし、レインを連れて行っていいから、ゆっくり寝な」
「わかったわ。私、少し家に帰る予定だから、明日の朝トナを返しにくるわね」
両親や姉に相談することもあるのだろう。アバルカへ向かう準備も兼ねて、一時的に帰省するらしい。
「おやすみ、シルク」
「おやすみ」
◆☆☆☆☆☆☆☆◆
食堂の隅で、紫色の上皿はかりにハリネズミ改め『キャロ』をそっと乗せる。
2日、3日と行動を共にするうち、1人と2匹が食堂に通う光景は城内で話題となり、チラチラとシルク達を気にする職員も増えてきた。育ち盛りのキャロは元気に食事を平らげているが、念の為に体重を測っておきたい。そこで、同じテーブルへ食事を運んできた動物好きの若い男性職員と仲良くなり、秤の存在と使い方を教えてもらったのだ。
「大型犬みたいな増え方してるなぁ」
日増しに重くなっていくキャロを、ブランケットに包んで抱き上げる。成長と共に背中の針が硬度と温度を増し、素手で触れるには少し危険だ。ペザンテやイブリダには相談してみたが、火鼠種として正常な範囲であるとの診断。
「レインはあんまり体重増えてないけど、平気なのか?」
「キュア〜」
己の肩に垂れ下がる細い首を撫でながら問えば、あくび混じりの返事。トナーレインに関しては残された文献も資料も少なすぎて、体調などは本人の感覚に概ね任せている。毎日触れて、会話して、細かな仕草まで目を光らせているつもりだが、病気への対処など課題は多い。不幸中の幸いというべきは、“共感”の特性が最初の頃より扱いやすくなってきたこと。特に、トナーレインとは意思疎通の精度が高い。
「さて、行くか」
裁縫の得意な職員に作ってもらったスリングキャリーでキャロを抱き、トナーレインには自分で肩周りに乗ってもらい、少々暑苦しい格好でシルクは厩舎へ向かった。
「おはようございます」
「おう、おはようさん」
イブリダも今し方到着した様子で、身支度を整えている最中だ。シルクは厩舎の扉を開き、キャロを床へ下ろす。竜を食べるとされた火鼠種だが、キャロには食堂で十分な食事をさせているし、厩舎の竜は殆どキャロよりも身体が大きい。本人にも竜達とは仲良くするように言い聞かせてあることも含め、初日ほどの懐疑心は無くなっていた。
「バウレット」
名前を呼ばれた向日葵色の竜は、鉄格子の窓から差し込む朝日を浴びて心地良さそうに閉じていた瞳を開く。岩が擦れるような独特の鳴き声で短い返事をして、のっそりと立ち上がった。
今日は、アバルカ領へ向かう予定になっている。向こうの自警団とは手紙で連絡を取っていたらしく、鉱山の調査に訪れる為の作戦を練っていた。現地でアバルカ自警団や鉱員と合流する手筈だが、シルクやエトナは鉱山に関して全くの素人。坑道の広さを考慮するとラフィカを連れて行くこともできず、代わりに選ばれたのがバウレットだった。
黄月の魔力を好むバウレットは、岩竜種という竜族。アバルカ領の鉱山地帯に広く生息し、土や岩を主食とする竜だ。個体によって好きな岩の成分が異なり、殊、魔力鉱石の食い付きには顕著な差が出る。そんな岩竜種の中で、バウレットはとんでもない雑食だ。これといった好き嫌いはなく、紫月の鉱石であってもペロリと平らげ、不要な魔力は吸収せずに排泄するのだとイブリダが説明していた。
とはいえ、日向でのんびりするのが好きな子だ。争いごとを好まない性格を理解していながら、人間の問題を解決する為に駆り出そうとすることは、シルクの本意ではない。
「手伝わせてごめんな」
「キュキュ〜」
こちらも眠そうな声のトナーレインが、ふわふわの小さな手を振ってバウレットに礼を告げる。2匹は、二言三言やりとりして、何かを確認した様子だった。
「シルク、獣車が着いたぞ」
「あ、はい」
イブリダに呼ばれ、バウレットを外へ連れ出す。
動きが遅く長距離の移動には適さないバウレットを、アバルカ領まで移動させる方法が一番の難関だった。鉱石の運搬などで使われる荷車に乗せて運ぶのが理想的だが、バウレットの体重を引いて歩ける騎獣となると種類が限られる。そこで、アバルカ領から送迎の獣車を借りる運びとなった。
新しい生き物との出会いに、内心ワクワクしているシルクを待っていたのは、
(水牛だーー)
額から左右に生えた三日月型の大きなツノ。筋肉質で引き締まった4本の脚。体高はシルクより少し高く、180センチ程。体色こそ砂を被ったような淡黄色だが、身体的な特徴は図鑑などで見た水牛と同じだ。キングサイズのベッドでも置けそうな広い荷車を、2頭が並んで引いている。
「アンタが噂のシルクって子?」
御者台から降りて来たのは、健康的に日焼けした肌が眩しいブロンドヘアの女性。幅広の革ベルトやテンガロンハットの組み合わせが、西部劇に出てきそうな雰囲気を作り上げている。
「初めまして、シルクです。変な噂じゃないと良いな」
「あははっ、良いも悪いも聞いてるけど、どっちにしても面白そうだなって思ってたんだ」
からりと笑う女性は無骨な革手袋を外し、片手を差し出した。今までの相手とは正反対な初対面の対応に面喰らいながら、シルクは柔らかく握手を交わす。
「アタシはアルトラ。領の自警団で副団長をやってるよ。コイツらを連れて来られるのがアタシだけだったんで、お遣いを頼まれてやったのさ」
水牛を示して事もなげに放たれた言葉。シルクにはその真価が理解できるような気がした。
厩舎では竜ばかりを見ているため、竜がこの世界の生き物の基準になってしまっているが、彼らの知能はシルクが想像しているよりもずっと高度だ。キャロから竜ほどの感情の振れ幅を感受しないのは、生体としての幼さ故だと思っていた。けれど、真実はそうではない。おそらくは成長しきっているであろう2頭の水牛を目の当たりにして、シルクは首を捻る。
(野生動物じゃないからか? 思考が、からっぽだな)
与えられた仕事を実直にこなし、報酬として飢えや外敵から守られる。ただそれだけの、雇用関係のような、脆く、細く、薄い縁。よく躾けられていると言えば聞こえはいいが、危険と隣り合わせの世界で自己判断を下せないのは致命的な場面もあるだろう。アルトラの言葉は、万が一この2頭が暴走して言うことを聞かなくなった時、『実力行使で制御し得るのが彼女だけ』ということなのだろう。
「シルク、どうだ」
ぼんやりと水牛を眺めるシルクに、イブリダが声を掛けた。
「厩舎で管理できるか」
今後の厩舎に竜以外の生き物が増えた時、質を落とすことなく世話ができるかどうかを問われている。数秒迷ったシルクだが、答えは明確だった。
「できます」
シルクにとって、竜たちと意思疎通できることの方が“異常”なのだ。世話をする生き物たちが何を考えているかなんて、わからないのが当たり前。水牛に手綱を締められる程度まで家畜化が進んでいるのであれば、やりようは幾らでもある。今までだって、回避できずに起きてしまったトラブルは、知識や技術や経験で解決してきた。そして、世界は違えどその根幹は変わらない。幸いなことに、知識ならペザンテが、経験ならイブリダが居て、治癒魔法という技術もある。悲観するほどの不足は、何も無かった。
矜持で以って言い切って見せたシルクに、イブリダも納得した様子で頷く。
「おはよう、みんな揃ってるのね」
そうこうしている間に、最後の1人が厩舎に到着した。
◆☆☆☆☆☆☆☆◆