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 厩舎に着いたのは日が沈む直前。中を覗き込んだら、帰宅の準備をしていたイブリダと目が合った。


「ただいま」

「おう。無事か」

「なんとか。エトナはコンフォーコと話をしてから帰ってくるみたいです」

「そうかい」


 元気そうなシルクの笑みに、イブリダの緊張感も和らぐ。砂埃まみれで、多少擦り傷や服の解れが見られるものの、概ね問題なさそうな顔だ。エトナの方も、コンフォーコと一緒なら、自警団かクラテーレの家でもてなされてくることだろう。想像を巡らせるイブリダの前に、シルクが丸い塊を差し出す。


「イブリダさん、相談なんですけど、この子を厩舎で世話できませんか?」

「ーー火鼠種(ウルコスタ)? また珍しい種類を……オレっちは構わねェがなあ」


 少し呆れた様子で、けれど柔らかい眼差しで。人参色の瞳とシルクを交互に見やり、厩舎の竜たちを一瞥。シルクも同じように竜を見て、気付いた。みんなの視線が普段よりも厳しい。


「あー……竜から嫌われる種族とか、居るんですか?」

「わかったか。そいつが“そう”だ」

「ピュ?」


 くりくりした丸い瞳は、捕食や獰猛さとは縁遠い愛らしさ。シルクの腕に抱かれ、大人しくしている姿からは想像し難いが。


「特に橙月と黄月の竜は、火鼠種(ウルコスタ)に近寄らん。相性が悪ィうえに自分の方が喰われちまうかも知れねェからな」

「マジかぁ……」


 言われて、砂漠での光景を思い出す。コンフォーコの火炎魔法を意に介さず、砂の中も穴を掘って自由に進んでいたハリネズミ一家。蟻地獄に落ちた先がたまたま彼らの通り道で、トナーレインが親ハリネズミをうまく説得して助力を請うたのが真相ではあるのだが。

 シルクにとっては違和感の無い、ミミズを食べるハリネズミの姿だったが、もしかしたらこの世界では一般的では無いのかも知れない。


「その小ささなら大丈夫だろうけどな。どのみち、部屋の準備もすぐにゃ無理だ。取り敢えず部屋へ連れてけ」

「それもそうですね。わかりました」


 気候も気温も違う場所に連れて帰ってきた自覚はある。他の子供達が母親の背中にしがみついていたのは、体温が下がらないようにする為だろう。特別幼い、腕の中のハリネズミを育てようと思ったら、クラテーレ領と同じような環境を用意するべきだ。幸い、トナーレインは子ハリネズミを避けることもない。なんとなく、兄貴風を吹かせている様子もあり、世話を手伝ってくれるようだ。


「エトナの魔法、すごかったですよ。離れてても傍に居るみたいに声が聞こえて」


 ボニフィカーレ領に家があるらしいイブリダを敷地の端まで送りがてら、トナーレインとエトナの武勇伝を語るシルクは楽しそうだった。

 イブリダは、こっそりと嘆息する。厩舎を出て行くときは心配したが、話を聞く限り、紫竜はよほど相棒を大事にしている様子。過去に滅びた筈のベルティランという種族性がそうさせるのか、命を救われた出会いの経緯がそうさせるのかは、定かではない。

 この紫竜がシルクの立場を盤石にも脆弱にもし得ることは本人も薄ら気付いているようだが、如何せん、シルク自身に自衛の意識が欠落している。今回の討伐も、命を落とす可能性はいくらだって在った。厩舎を紹介されたことで多少コンフォーコに恩義があったとしても、それは人生をかけられる程のものでは無いはずだ。だというのに、危険を承知で厩舎を出立した覚悟とは、どれ程のものだろう。


「あんまし無茶すんじゃねェぞ」

「? はい、気を付けます」


 何も分かってなさそうに笑うシルクの尻を叩き、イブリダが帰路に着く。小さな背中が見えなくなるまで送り、シルクはふっと息を吐いた。


「キュ」

「ピュ」


 肩の上と腕の中から同時に心配そうな声が上がる。一瞬驚いて目を丸くしたシルクの表情が、ようやく可笑しそうに破顔した。


「大丈夫。腹減ったな」


 見上げた空はすっかり夜の装い。薄い雲の隙間から、瞬く星と2つの月が見える。



◆☆☆☆☆☆☆☆◇



 真っ直ぐに向かった食堂。夕食には少し遅い時間になった為、利用者は少ない。カウンターから厨房を覗き込んでみた。人前ではボールのように丸くなってしまう、小さなハリネズミの食事について、誰かに相談したかったのだ。

 城で働く人間のほとんどは、エトナとペザンテの協力もあり、シルクの現状を理解してくれている。特にペザンテは、長く領主を務めている分、城の者からの信頼が厚い。大抵の人は『ペザンテ様が仰るのなら』と、彼女の言葉を受け入れるのだ。そうして、シルクは城の中でなら“次の還月に必要な人材”という立場を手に入れた。お陰様で、初めはよそよそしかった職員たちと、程々の距離感で穏やかな関係を築けている。

 中でも、1日2回必ず訪れる食堂のスタッフは、打ち解けるのが早かった。摩擦の少ない、円滑な関係を望むシルクの人間性は、料理人たちの間でもそれなりに好評だ。好き嫌いなく『美味しかったです』と出されたものを完食し、感想が欲しいと言えば具体的な言葉にして返してくれる。本人曰く『こうしないと母親がうるさくて』ということらしいのだが、城に勤務している職員にはあまり居ないタイプなので、可愛がられていた。


「こんばんは。ナチタさん居ますか?」

「ああ、呼んでくるよ」


 カウンター越しに厨房へ声を掛ければ、明日の準備をしていた若い料理人が厨房の奥へと駆けていく。


「あら、シルクちゃん。今日は遅かったのねぇ」


 しばらくしてパントリーから聞こえてきたハスキーボイス。身長はシルクを悠に超え、赤茶色のモヒカンを丁寧に後頭部へ編み込んだ料理長のナチタが、調味料の入った麻袋を担いで現れた。初対面ではその風貌に困惑したものだが、穏やかで包容力のある内面に気付いてからは親しくしている。


「厩舎でお仕事じゃなかったの?」


 可愛らしく小首を傾げる逞しい料理長へ、魔獣討伐の事を簡単に説明。丸くなっているハリネズミを指先でくすぐれば、愛らしい顔がぴょこりと出てきた。


「あらぁ、ちいちゃいコ」

「ナチタさんなら、食材の相談ができると思って」

「頼ってくれるのは嬉しいわぁ。何を食べるのかしら?」

「高タンパク低脂肪の肉料理かなぁ……?」


 竜を食べるという情報から推測される肉食性。ナチタは麻袋を調理台の端に置き、青と藍のマーブル模様が美しい鉱石で飾られたケースから数種類の肉塊を取り出すと、カウンターに並べてみせた。


「火を通しても柔らかいのはこの辺りかしら」

「レイン、どれなら良さそう?」


 少し眠そうなトナーレインに尋ねれば、長い首をもたげて肉を見比べている。


「きゅ」


 囁くような声量。まるい手の先が右から2番目を示した。すぐに食い付こうとするハリネズミを片手で制しながら、選んだ肉でミルク煮を作ってもらうことに。

 芋と根菜も入れて出来上がった料理は、クリームシチューに似た何か。シルクは温めたパンも貰い、1人と2匹で空腹を満たしていく時間は充実していた。カウンターに肘をついたナチタが、子を見守る母親のような眼差しで微笑む。


「みんな良い食べっぷりね。おチビちゃんは、明日の朝食も同じもので良いかしら?」

「はい。厩舎で飼育できるようになるまで、お世話になるかもしれないです」

「分かった。他の人にも伝えておくわね」

「ありがとうございます」


 一番最初に食べ終わったトナーレインは、慣れた動作でシルクの肩へ飛び乗り、首元に巻き付いて寝る体制を整えた。子ハリネズミも、甘えるような仕草で膝の上をねだると、上着の中に頭を押し込んで眠り始める。


「暑い……」


 2匹の獣に擦り寄られたシルクは困った顔で、鶏肉に似た塊を口へ運んだ。『もう生き物を飼うのはやめよう』と誓った日の自分が見たら何と言うだろうか。自分自身には容赦のない性格だ。責任感がどうとか、信念がどうとか、口汚く罵って非難するに違いない。


(分かってるよ。そんなこと……)


 それでも、後悔はしていないし、今後もしないと決めている。



 膨らんだ腹をさすり、ようやく帰ってきた部屋の前。見知らぬ男女が和気藹々と話をしていて、ぎこちなく足を止める。長身の男がシルクに気付き、人当たりの良い笑みで女に示した。振り返った女の顔に、驚いたのはシルクの方。

 モデルのようにスラリと長い手足。華やかで艶のある薔薇色の髪。男女の差は多少あれど、アイドルのような整った顔立ちは、遠目に見てもわかる程に瓜二つだった。アシンメトリーな髪型も、2人並べば鏡映しのように整って見える。


「えっと、どちらさま?」


 面食らった様子のシルクに、双子は息の合った上品なお辞儀をひとつ。

 

「初めまして、シルク様」

「わたしはピウ」

「おれはメノ」

「ペザンテ様のお傍で、ネメスィ領を管理する自警団として街を護っております」


 ぐっすりと寝入るトナーレインに指先で触れた。目の前の2人から、危険な雰囲気は特にない。


「領主様は本日お仕事が忙しく、こちらにお伺いできませんので」

「わたし達が、ご挨拶を兼ねて代わりに参りました」

「ですが、何やらお疲れのご様子?」


 丁寧な物言いと穏やかな声音に、シルクは少しだけ緊張の糸を解く。


「すみません、今日はクラテーレ領に行っていました」

火鼠種(ウルコスタ)を捕獲しに?」

「いえ、この子は成り行きで」

「クラテーレ領といえば、コンフォーコが魔獣出現で慌てておりましたね」

「もしや討伐に参加されていたのですか」

「一応……」


 シルクの行動が結果の全てなどとは考えていないが、微力ながら己にできることを成し、ついに魔獣討伐は果たされた。自信の足りない曖昧な肯定に、ピウと名乗った女性は瞳を輝かせて微笑む。


「まあ。ペザンテ様にご報告したら、きっと喜ばれますね。シルク様のことを気にされていましたから」

「ありがたいですけど、自惚れてたら『調子に乗るな』って怒られそうです」

「自他共に厳しい方ですが、成果をあげれば、きちんと努力を認めてくださいますよ」


 改めて2人を見ていると、純粋に心の底からペザンテを慕っているようで、シルクは少しだけ真紅の彼女を見直した。


「では、武勇伝を土産話に、わたし達はお暇致します」

「お疲れ様でございました。ごゆっくりお休みください」


 そう言い残し、礼儀正しい双子は後腐れなく引き上げていった。抱えた2匹の獣は熟睡したまま。


(悪いひとじゃなかったな)


 少なくともシルクに敵意や嫌悪を抱いている様子は無く、何故か対抗意識の強いスクードよりも、余程付き合いやすそうな印象。とはいえ、スクードを含めた大多数の人間が感じる異物感は尤もで、初対面の彼らが異端のシルクに排他的な態度を示さないことの方が意外だ。ペザンテの影響は、想像以上に大きいのだろう。

 温かいシャワーを浴びて細かな砂を落としながら、小さな領主の大きな存在感を思い知る。次に会うときには、礼のひとつでも用意しておくべきだろうか。この不思議な世界に来てから、1週間と少し。正直に言えば、味方よりも“敵になり得るひと”の方が多い。現環境で一番恐ろしいのは、無力なままで守るべきものを守れないこと。


(優先順位を、決めないと……)


 率先して危険に身を晒したい訳ではないが、不測の事態は予期できないからこそ不測なのだ。そして、シルクには自分の身よりも優先しなければいけない相手ができてしまった。

 捨て犬を連れ帰り駄々をこねたとき、最終確認として父は言った。『命を拾ってきたのだから、お前も自分の人生を懸けて大事にするんだぞ』と。厳しくも、優しいひとだ。風邪で寝込んだとき、『お前が健康でいることも、あんぱんを守るために必要なことなんだ。早く元気になって、これからは気を付けなさい』と言って、散歩に行けず、ぐずり泣くシルクを慰めたこともある。自身も、全力で妻子を愛し、守る、尊敬すべき父親であった。

 シャワールームを出ると、タオルを肩に引っ掛けたままベッドの端でスヤスヤと眠る2匹を撫でる。


「1日中、頑張ってたもんな」


 群れから逸れてしまったハリネズミは勿論だが、トナーレインは特に。朝、トランと出会ってからずっと、気を張っている様子だった。

 困ったことがあった時、真っ先に相談してしまうのはイブリダである。頼りすぎてしまっている自覚はあるが、彼はシルクだけでなくトナーレインにも情を向けてくれるので信頼できた。だが、イブリダは魔法に詳しくない。


(……レインの魔法は、誰にも相談しづらい)


 四六時中そばに居て心を通わせる内に、絶滅したはずの紫竜が扱う魔法を、少しずつ理解してきた。この情報は、シルクを取り巻く様々な人間が欲するもので、シルクにとって一番大きな武器とも言える。それが分かっているからこそ、容易く誰かに打ち明けることはできない。

 雨上がりの薄曇りへ視線を移せば、昨日までの赤い月に代わり、橙色の月が鎮座している。トナーレインの寝起きが悪かった理由はここに在るようで、シルクが想像していたよりも月がもたらす魔力の影響は大きい。赤い月が見えている間、時折額の宝石が光るところを目撃していたのだが、今日はあれだけの騒動の中で一度も赤月の魔法を使っていない。必要が無い魔法だったのか、使える余力が無かったのか、シルクひとりではそんな判断すら下せないのだ。


(口が固くて、竜や魔法に詳しくて、レインを悪用しなさそうな……)


 ベッドの空いたスペースに寝転がり、温かい塊2つを抱き込む。都合のいいことを考えているなと、小さく苦笑した。現実が、そんなに甘い訳がない。



◆☆☆☆☆☆☆☆◇



 翌朝は晴れて、気持ちの良い日差しが窓から差し込んでいた。先に起きたのはハリネズミの方で、レースのカーテン越しに朝日を浴びている。


「そういえば、名前が必要かな」


 いつまでも種族名で呼ばれるのでは不便だろう。厩舎の竜たちは、ほとんどの場合イブリダが名付け親と聞いている。この世界の人でも親しみやすいような、耳馴染みの良い名前をつけてやりたい。

 まだ寝息を立てているトナーレインとハリネズミを一緒に抱き上げ、食堂を経由して厩舎へ向かった。


 厩舎の外に藍色の大きな翼を見付け、シルクは少しだけ歩調を速める。


「おはようございます。エトナ、帰ってーー」


 顔を出したシルクは、3()()を見て固まった。扉の前ではイブリダとエトナが談笑していたが、予期せぬ人物が傍に立っていたからだ。


「おはよう、シルク。今帰って来た所なのよ」

「あ、うん、おかえり……」


 歯切れの悪いシルクに、エトナは然もありなんといった様子で蜜柑色の男を見る。そして、堂々と言い放った。


「紹介するわね。クラテーレ自警団の副団長、スクードよ。エーラ共和国自警団に、半分だけ所属してもらうことにしたわ」



◆☆☆☆☆☆☆☆◆

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