努力するのは好きではない
[努力するのは好きではない]
僕は『×××』になるのを諦めた。
僕は努力はしたくないし、才能で生きていきたい。だからこの職業は向かないや。
昔の事だ。僕はフィギュアスケートをやっていた。と言っても少しかじった程度だ。
だが元々器用なんだと思う。コツをつかれば大体の事はできた。フィギュアスケートも例に漏れずどんどん成長し、実力を伸ばして行った。そして、『氷の上の支配者』と呼ばれるまでになった。
「一位は巻さんです」と会場に声が響く。褒め称える声がそこら中から聞こえた。だが僕は恐ろしいほど他人事だった。自分はそこに立っている。だけど、自分と会場の間に見えない空間があるかのような感覚だ。
褒めらめているのは自分ではなく自分の才能で、皆が見ているのは僕の才能だ。
「つまらんなぁ」そんな僕の冷たい声は、会場の熱い声にかき消された。少なくとも最初は笑えていたのに。
首にかけられたメダルは多くの光を反射し、僕とは対照的に輝いていた。
何が足りなんだろう?
まるで、水がカラカラの砂漠を歩いているように孤独だった。乾いた土が宙に舞う。
こんな場所では花は育たないな。
ライトに照らされ、一等ものの宝石のように光る氷に傷をつけながら滑る。
冷たい氷は僕の心に炎を灯す事なく遠慮なく体温を奪っていった。
きっと僕はフィギュアスケートじゃなくてもよかった。心に炎を灯してくれるなら、僕だけの特別が欲しかっただけなんだと思う。
やらなければ始まらないなんて言葉があるけど、やっても始まらないこともある。
そう何も、始まらなかったのだ。
僕が求める炎はどこにもなかった。
そんな彼の視線は鋭く黒い瞳は何があっても色を変えずに、人間ましては子供だとは思えないほど冷静であった。
彼を見た人は口々にこう言った。
「彼は人間の皮を被ったバケモノだ」と
だがある日突然僕はフィギュアスケートを辞めた。先生になんで辞めるのかをしつこく聞かれた。だが僕の中に明確な理由がある訳ででもなかった。いやあった。でもそれは先生には関係なくて、自分一人で決断した事だ。
習い事先に僕の好きな子がいた。
初恋だっただろう。そんなに親しいわけでもなく、たまに話す程度だ。相手は僕のことなんか頭の中に残っていないだろう。だが僕は心を撃たれた。彼女の鈴が鳴るような笑顔に。彼女はよく僕のスケートを褒めてくれた。だから僕は彼女がどんな滑りをするのか気になったんだ。だから見せてもらうことにしたのだ。
これが間違いだった。
彼女の滑りは美しく、儚かった。そしてなりより、これが人間のあるべき姿だと思った。人間味溢れるその演技に目を奪われる。
それは彼女の中に氷を溶かせるほどの熱い炎が宿っていたからだろう。彼女の情熱が人々を惹きつける。
彼女のその滑りは、まだついてすらいない心の炎を消すのは容易な事っだった。
「綺麗だ」と言った僕の声は誰にも届かずに消えて行った。
そうか、僕のスケートは空っぽなんだ。
僕はその時初めて、才能は努力に負けると知った。
あれは技術だけの問題ではないのだろう。正直言って技術だけなら勝っていた。だがその人の人間性、そして経験などが混じり合い見ている人に感動を与える。
だが僕にはこそまでの情熱がなかった。
その日僕は、部屋に増えたメダルを眺めていた。彼の部屋にはオレンジの花と、メダル。そして、ベットと机があるだけの部屋だ。
そんな部屋にはオレンジの色だけが鮮やかに鮮明に色付いていた。
そして、僕は決断した。辞めるという決断を。
それから僕はたくさんの習い事をした。だが楽器もスポーツも芸術も全て途中で辞めてしまう。つまらなくなってしまうのだ。その職業に就きたいわけではなく、それ関係の仕事に就きたいわけでもない。何でやっているのか分からなくなってしまうのだ。
そしていつからか自分の中に咲いた花を自分で枯らすのが楽しみになってしまった。人の期待を裏切るのが楽しくなってしまった。
だが、ボロボロの花束だは誰にも買ってもらえず誰にも届かずそこに沈んで行った。
そして、誰かはこう言った。
「宝の持ち腐れだな」と
数年後
燃えるかのような空。悲しく鳴くカラスの鳴き声をよそに二人の影が歩いていた。
「なぁ、巻」と幼馴染の金城が話しかけてきた。
「どうしたの?」
「お前って心から笑えるのか?」
「はぁ?」僕はそんな質問が飛んでくるとは思わなかった。僕の頬に汗がつたる。いや笑えてるじゃん。今だって笑えているだろう?
「笑えるよ」
「笑ってみろよ」と言われ僕は笑おうとする。いつもみたいに作り笑いで誤魔化そうと。だが僕の頬は動かなかった。プラスチックになったようにピクリとも。
そんな様子を見て金城は少し呆れ、
「ほら」とハンカチを差し出してきた。
オレンジの花が小さく刺繍されている可愛らしいハンカチだ。
「なんで?」
「お前、泣きそうな顔してるぞ」と言われ視界がぼやけている事を自覚する。瞳には水の膜が張られている。
「泣いてないって」といった僕の声はもう既に少し震えていたと思う。そんな時、僕の目から涙が流れた。そんな僕に何も言わずに金城は隣にいてくれた。だが、一言だけ言った言葉があった。
「お前はスケートに未練があると思うぞ」とこの言葉がきっかけで僕の歯車を大きくまわり始めた。
僕は泣きながら昔の事を思い出した。
僕がフィギュアスケートの大会で負けた時の事だ。僕は元来負けず嫌いで本当に悔しくて、大泣きしてしまった。そんな時、金城はなんと言ったと思う?それは、
「男なら泣くな!って言葉あるだろう?あれは嘘だ。泣きたい時には泣け!そしてスッキリした状態でつぎの目標に向かえ。俺はお前のスケート好きだぞ?もう一回がんばれ!」といった。それを聞いた僕は笑っただろう。
泣き止み気づいたら僕の家の前にいた。
「ハンカチありがと。洗って返すよ」
「いや、いいよ。お前の夢が叶った時、その証として持ってこい!」と言い走って帰ってしまった。その時のかれの顔は逆光で見えなかったが、きっと笑っていただろう。彼はそう言う奴だ。
残された僕なハンカチを握りしめ、彼の姿が見えなくなるまで見守っていた。夕陽に消えていく彼を只々見ていた。
その日は夢を見た。
夢なんて見たのはいつぶりだろうか。
暖色のライトがステージに当たっている。
ステージの上にはフルートが一つ。銀色に光るフルートは古臭い丸椅子に置いてある。前には、なんの変哲もない譜面台。
そして、大勢の観客がこちらを見て微笑んでいる。ぼくはあの目が嫌いだった。勝手に期待されているようなあの目が。
僕の足は動かなかった。演奏する必要性を感じない。いや、怖いんだ。また失望されるのが。溜息をつかれるのが。
そんな時僕を呼ぶ声がした。
「俺はピアノ弾くからお前はフルートとな」と言うのは金城だ。ピシッとスーツを見に纏い、笑っている。僕の足は自然に動き出した。そして、譜面を目を見開いた。完成していない譜面。題名すら空白だ。
スーツを着た二人は並びそれぞれの楽器の元へ行く。そして、金城が悪戯そうに笑う。
「しっかりやれよ」
「誰に言ってんの?
アンコール無しの一発勝負やってやんよ」と言い僕がフルートに口をつけた瞬間。音が出る間も無く僕の視界は暗転した。
「巻!アンコールや!」と金城の声がした。僕が驚き振り向くと、手を伸ばしている金城が瞳に映った。その時ステージはハンマーでガラスを叩いたかのような衝撃に襲われた。
閉じた目を擦り目をゆっくり開く。先程とは真略の白いライトに照らされた氷が目に飛び込んでくる。そうスケートリングだ。こめかみが痛くなるほどの強いライトから目を逸らす。すると目の前にはスーツを着た金城が頬杖をついていた。そして、口パクで
『がんばれ』とやっているのが見えた。僕は反射的に喉から、
「でも花はもう散った」と声が出た。
すると金城は、
「じゃあ、俺のやるよ」と言いオレンジの花を差し出してきた。見てことのある花だ。昔からよく、くれた花。……、凌霄花だ。嫌という程鮮やかなオレンジが目に入る。彼が、
「君に夢ある人生を」と言いながら僕の手にその花を置くと雪のように溶けてしまった。
そして天高く登り、棒状になり僕の胸に刺さるように入っていった。言葉では表現しきれない程美しいその光景を忘れる事は生涯無いだろう。その様子を見て金城は、笑い
「いってこい!」と背中を大きく叩いた。その手は大きくて、温かい手だった。ジンジンと痛むその痛みは優しさの痛みだった。
「もぉアンコールは無しって言ったじゃん」と言い氷の上に立つ。暫しの沈黙。そして、金城が弾き始めたピアノの音と共に滑り出した巻の顔は笑っていた。それはきっと心に炎が宿り、花が咲いたからだろう。美しく回るその姿は人間らしく氷の上を駆け貪欲に踊っていた。
会場の隅の席、
「きっと君なら立ち上がると思ってたよ。」と言い笑った人物がいたとか。その人物が居たところには赤い薔薇が一輪だけ置かれていた。会場を去る際、指にハマった指輪が美しく輝いていた。銀色のシンプルな指輪だ。
数年後
別の意味で人を裏切ろうと決めた彼は、あの頃よりも多くたくましくなった背中で、
「俺を目に焼き付けろよ。世界」と言いながらリングの上に立った。そして、氷の上で踊り狂う彼の目には炎が宿っていた。燃え盛りなによりも輝く、一等星のようなオレンジの炎が。
彼の心の中には凌霄花と今までの花をつぎはぎしてできた大きなカラフルな花弁を持つ花があった。今までの経験を何一つと無駄にせず使いきる彼の滑りには、無駄など一つもなく、とても美しかった。やっていて無駄なことなど何一つとして無いと思い知った。
その大きく成長し続ける花の終焉の引き金を引く時は確実に来ないだろう。彼が夢を持っている限りは。
ここなら花も育つな。
そして、彼はインタビューで、
「この後、は僕がもう一度この夢を目指したきっかけになった日に預かったものを返しに行きます」と言った。手を振った彼の左手の指には銀色の指輪がついていた。
才能とは努力で身につくものではない。だが、才能を使いこなすには多大なる努力を要する。その才能を使いこなせた時、人間は本物の天才に化けることができる。
と後に金城は語った。