*義姉のいない世界の話3
クリストフは、シラー・レンゲフェルトに命令された。
「生徒会に入り、ウルリヒ様を支えるように」
副会長になることを拒否し続けていた結果だ。
当主に言われては、養われる身であるクリストフに否やはない。
「わかりました」
「よし。行っていい」
たったそれだけの会話。
今年はまだ、父親と食事もしていない。
そんなことを思っているのも、こちら側だけなのだろう。
母親には月に一回は会いに行っているというのに、毎週帰ってくる息子とは食事もしないクソ親父。帰ってくればクリストフを待っているのは後継としてのカリキュラムだけだ。しかし、そんな父親の態度にはもう慣れた。
ドアを出たところで振り返れば、執事のグウェインが心配そうに付いて来ている。
「坊ちゃま、シラー様はいつも貴方のご心配をされております。学園で何か不自由がありましたら、このグウェインにでも、シラー様にでも、何なりとご相談ください」
クリストフの感情は何も訴えはしない。
そう、何も。
「ありがとうグウェイン。大丈夫ですよ、何も問題ありませんから」
きちんと笑顔を貼り付けているのに、悲しそうにするのは何故だろうか。この執事はいつもクリストフのことを案じてくれるが、彼の一番はシラーである。それが分かっているからこそ、クリストフは彼の優しさを素直に受け取ることができないのだ。
学園に居ても、クリストフの気が休まることはない。
意味の分からない考え方をする“子ども”という生き物に囲まれて、いつもうんざりしている。
周囲を真似してみてはいるものの、外見が優れているせいか、能力値が優れているせいか、家柄が優れているせいか…それとも、何らか擬態に問題があるせいか。
クリストフは学園で常に浮いていた。
「きゃぁ、クリストフ様よ!」
「生徒会に行くのかしら?」
「お仕事頑張ってくださいー!」
鳥よりうるさく甲高い声を上げるサルの群れに、適当に手を振ればギャーッと奇声を上げられる。あの声は何のために出すのだろうか。注目して欲しいからだとすれば、淑女としての気位をドブに捨てる随分な戦法だなと、クリストフは冷めた目で女子の集団を見ながら通り過ぎた。
放課後は生徒会室で仕事だ。
いつもクリストフが一番乗りで、ぽつりぽつりとメンバーがやってくる。
会長の俺様気質のウルリヒ王子。
何かとキャンキャンうるさい会計マッコロ。
無口なくせにプライドだけは山より高い書記のデルパン。
男を侍らす魔性の平民、庶務モモカ。
それから副会長クリストフ、この五人が生徒会のメンバーだ。
「週末はみんな自宅でゆっくりできたか」
「はいっ!お母さんと、クッキー焼いてきました!」
問いかけるウルリヒに、ごそごそと鞄から紙袋を「じゃじゃーん」という頭の悪そうな効果音を付けながら取り出すモモカ。『一応王子に、平民が作った得体の知れない食べ物などは渡してはいけませんよ。しかも昨日作ったものなんて、菌がどれだけ繁殖しているか分からないでしょう』―――そう言おうとしたクリストフより先に、マッコロとデルパンが「すごいなモモカ!」「た、たべたい!」と上ずらせて声を発した。
クリストフはこいつら正気か?と思うが、その場の流れを観察することにした。ウルリヒもニヤニヤして三人を見ていたからだ。
王子の娯楽を邪魔してはいけないだろう。
ガサガサと安っぽい音を立てる紙袋―――これは新品なのだろうか。まさか使い古しでは?ーーーそんなクリストフの疑問は誰に投げかけられることもない。
マッコロとデルパンの手はクシャクシャの紙袋からクッキーをつまみ出してかじりついた。
「う、うまい!」
「モモカは天才的だな」
「えへへ、二人に褒められると照れちゃいます」
恥ずかし気に笑う少女に、ぼぼっと頬を染める男二人。
モモカの顔の美醜はよく分からない。しかしこの二人はきっと『この程度の外見にアホみたいに発情しているワケではないだろう』と、クリストフは仮定を立てていた。
だって顔に発情するならば、ウルリヒにしているはずだ。クリストフの知る人間の中で群を抜いて美しい顔だ。
外見の美醜ではないとすれば、所作言動?知能?もしくはフェロモン??
クリストフは首をひねる。
どれも、モモカがとびぬけて素晴らしいとは思えないからだ。
「ウルリヒ様もぜひ召し上がってください!」
にっこりと差し出される紙袋から、ウルリヒがクッキーを一枚つまみあげてポイと口へ放り込んだ。「あ」とクリストフの口から間抜けな音が漏れたが、その時にはボリボリごくん!と、ウルリヒは既にクッキーを飲み込んでいた。
口の横についた粉を、モモカの細い指がそっと払う。
「もう、ウルリヒ様ったら。綺麗に食べなきゃダメですよ〜」
いくら学園内とはいえ、不敬だろう。
ウルリヒはニヤニヤして「おぉ、悪いな」などと、まんざらでもない顔をしているが。
「?クリストフ君もどうぞ!うふふ、結構うまく焼けたんだよ!」
正直、素人の作った物など口にしたくない。
だけれどもみんな食べているから、クリストフも笑顔で一枚のクッキーを口に入れて「おいしいよ」と感想を述べた。飲み込みたくないから、喉になんだか長時間クッキーが滞在していて、クリストフはちょっと気持ち悪くなった。
「よかったぁ!みんなは貴族だから、こんな庶民の素朴なクッキーじゃ物足りないかと思ったんだけど…。作って来てほんとよかった!みんなありがとう!」
「モモカは可愛いな」「美味しかったぞ」「モモカ、すごい」などと、口々にほめそやす輪の中に自分も居るので「シェフになれますよ」と、思ってもいない上に絶対にお世辞だと分かる褒め言葉を混ぜておく。
「ほんとっ?うれしいな、ありがとう!クリストフ君にそう言ってもらえると自信がつくよ〜!」
はにかんで礼を述べるモモカの反応に、マッコロとデルパンが憎々し気にこちらを睨んでくる。ウルリヒ様はそれを面白がっているような顔。当のモモカはニコニコとしているだけで、何も分かっていない様子か…あえて気付かないフリをしているか、だ。
様子からサルでも察せるレベルの話であるが、マッコロとデルパンはモモカが好きらしい。
二人の優先順位一位はモモカである(デルパンはウルリヒを最優先にするべきだといつも思う。こいつは学園を出たら二度と城には呼ばれないのではとクリストフは予想しているが)、恋愛とは末恐ろしい感情だ。
理性を溶かして、ドロドロのぐちゃぐちゃになる、その強烈な感情。
クリストフは未だ知らぬ、未知の感情。
父親の一番は、いつだって母親だった。
母親の一番も、いつだって父親だった。
グウェインはクリストフを心配してくれるけど、彼の一番は父親だ。
ハイジはクリストフと話してくれるけど、彼の雇い主は父親だ。
後を継いだら、ハイジは繰り上げでクリストフを一番にしてくれるだろう。だって雇用主だから。
でも、最近は『カノジョができたんすよ~!クリス様も、いい娘できたら教えてくださいね!誰にも言いませんから!』とか言いながら、糸みたいな細目をさらに細めて喜んでいた。
デルパンたちの盲目的な愛を見ていれば、心の中の順位は、もしかしたら彼女が一番なのかもしれない。
誰かの一番になるのは、すごく難しいこと。
父親のようにデルパンとマッコロは、人を愛している。この二人の尊敬すべき点はそこだけ。
二人の生産性は低下して、理性も失って周囲からは冷めた目で見られている。しかしそれすら「モモカの可愛さに嫉妬している」「地位の高い男に媚びをうる女共め」などと言って、恋愛を盛り上げるスパイスとして活用して楽しんでいる様子。まったく、カラカラの頭は逆に尊敬に値する。
(僕にもその感情が分かるだろうか)
父親の、母親の、お互いを想い合う気持ちが分かるだろうか。それなら、みんな好きなら…真似してみようかなと、クリストフは思いついた。
ちょうどそこに居るモモカを、好きになってみようと。
マッコロの顔を真似して、目じりを下げて口を薄く開き、頬を紅潮させて「モモカは可愛いな」と呟いてみる。
ウルリヒはそれを聞いてニヤァっと口角を吊り上げて「お前も参加するのか」と呟く。
ウルリヒもそこからは明らかにモモカをちやほやしだした。
モモカは困った顔をしつつも、明確な拒否はしなかった。
逆ハーレムはこうして生まれた。
生まれてしまった。