入学式2
そうして連れ立ったモモカとマッコロ。
アンネリアとすれ違う瞬間、モモカはうっとりとした顔で微笑んでみせた。
それを察したクリストフとウルリヒは顔を見合わせる。
「くりすとふ、学園の女は怖いな」
うへぇ、とこぼすウルリヒはわざとらしく震えて見せる。
「お姉さまだってレディですよ。人によります」
「しゃるは学園の女じゃないだろ」
ようやっと背中から出して貰えたシャルロッテは、ウルリヒに「代表挨拶、ご立派でしたね」とにっこりと微笑んだ。一歩前に出ていつものごとく頭を撫でてやろうとすれば、ウルリヒも嬉しそうに頭を下げて寄せてくる。白金の髪をわしゃわしゃとかき混ぜて、それから整えるようにしてやれば「あー、しゃるはこわくなぃ」と甘ったれた声を出すウルリヒ。
「でも、女の子のことを『女』と言ってはいけませんよ」
「わかった~。そこ、もうちょっと右あたり、そう!そこ!」
撫でる場所を指定しだしたウルリヒの頭から、シャルロッテの手をべりっとはがすクリストフ。
「ほら、もういいでしょう」
クリストフはシャルロッテの手をパパッと払い、指に絡まっていた髪の毛を地面に落とす。「くりすとふ、お前もほめろ!」とウルリヒがいつものごとく絡めば、クリストフは「代表挨拶は僕もやりました」「入場行進、お姉さまのこと見すぎでした」「新入生にしてはふてぶてしいですね」などと、適当にあしらって褒めてはやらない。
「くりすとふ!まったくお前はもうちょっと優しくしろ!」
ウルリヒが頬をふくらませて声をちょっぴり荒げると、後ろからデルパンが『今だ!』とばかりに凄い形相で進み出て来た。そして二人の間に割って入ると、まるで抜刀しそうな勢いでクリストフを睨み付ける。
「……殿下への無礼、やめてもらおうか。家臣としての態度をわきまえろ!」
忠義の騎士のように吠えるが、シャルロッテとクリストフはきょとんとしてしまう。だって、いつも公爵邸でしていることだから。無礼と言われてもピンとこない。
ただアンネリアが多少焦った顔をしているので、なんとなく『ウルリヒは王子様だから、クリスの態度って不敬になるのか』と思い至るシャルロッテ。
(え、てことは…不敬罪?テルー様もゴリラさんも不敬とは言わなかったけど、まずかったのかしら…)
不安げにウルリヒを見つめれば、彼は安心させるようにその紫の瞳を細めた。
そしてデルパンに向かって尊大に顎を突き出し、冷え冷えとした声を出す。
「下がれデルパン。お前がわきまえろ」
「…はい」
「レンゲフェルト公爵家の二人は、兄と姉のように私が慕っているのだ。間に入ってくるな」
「…………はい」
昔懐かしい、傲慢な声だった。
シャルロッテの屋敷に来たばかりの頃、使用人に喚いていた物言いとそっくりで。それが懐かしくて少し笑みをこぼせば、シャルロッテの気配につられてクリストフも頬を緩める。
「っ……!」
それを馬鹿にされたと捉えたのだろう。デルパンは耳の先まで真っ赤にして、まるで辱めを受けた乙女のように唇を噛みながら後ろへ下がった。その瞳は、憎々し気にクリストフへと向いている。
そんな視線は意に介さず、クリストフは「ウルリヒ様、ご紹介します。アンネリア様です」とアンネリアを呼び寄せて紹介を始める。
「おお!しゃるから話は聞いてる。会いたいと思っていたんだ!」
「光栄でございますわ」
「馬に乗るのが得意なんだろう?」「遠乗りでどこまで行った?」「何をやるのが馬は一番喜ぶんだ?」「馬術部?!何をする部活なんだ?」と、矢継ぎ早に質問を繰り出すウルリヒの顔は無邪気だ。デルパンに相対していた傲慢さはまったくない、いつもの顔にレンゲフェルトの姉弟はホッとする。
「なあくりすとふ!アンネリアと皆で、遠乗りに行きたい!しゃるは馬に乗れるか?」
「多少なら…ですが、遠乗りできるほどでは…」
小さく首を振るシャルロッテの腕に、アンネリアがぎゅっと抱き着いた。
「あら!私でよければ二人乗りもできますわぁ。マルカスの馬は大きいから安心してくださいまし!」
「僕が乗せます。もしくは、お姉さまと二人で馬車でついて行きます」
ぴしゃりと断るクリストフに、「それじゃつまんないだろ~」とウルリヒが不満気に口をとがらせた。
「しゃるふだんヒマだろ!乗馬の練習しといて!」
前言撤回。未だにウルリヒは傲慢なお子ちゃまであった。
頬を引きつらせつつ「時間があれば…」と曖昧に微笑むに留める。クリストフが居るので余計なことは言えないのだ。後ろに居るデルパンにも斬られたくないし。
ただ、シャルロッテはヒマではない!
『このクソガキ…』という思いは押し込めて、今度公爵邸に来た時はお菓子をいつもと違う、ちょっとビターな感じのラインナップにしてやろうと心に決めた。お子ちゃまなウルリヒにはまだ早いかもしれないが、知ったことではないのである。
こうしてシャルロッテは原作の開始を見届け、物語はゆっくりと、確実に動き始めたのだった。
◇
ウルリヒがわめくのを見送って(流石に入寮式に新入生が居ないのはよろしくない)、シャルロッテとアンネリア、クリストフは馬小屋に来ていた。
アンネリアの可愛い愛娘を見るためである。
「ほら御覧下さいまし!うちの可愛い可愛いスノーホワイトちゃんでしてよ!!」
「か、可愛い…!」
黒目の大きな白馬のその子は、きゅるるるるんと長い睫毛をしばたかせ、アンネリアの伸ばした手に頭をこすりつけていた。白い馬は気高く童話の生物のようなのに、時折舌を出すチャーミングさも持ち合わせているスノーホワイトちゃんに、シャルロッテもすっかりメロメロになった。
たくさん撫でさせてもらえば、クリストフもちょこちょこと撫でている。
(そういえばクリスって、小さい頃は馬のブラッシングとか大好きだったわね)
懐かしいことを思い出して、胸がほっこりするシャルロッテ。
シャルロッテからすればスノーちゃんは結構大きな馬なのだが、アンネリアからするとまだまだ子供だそうで。甘い声で「スノーちゃんは素敵なレディになりますわぁ」と、うっとりしている。
シャルロッテが「アンネリア様、この子のこと大好きなのね」と笑えば、頬を紅潮させたアンネリアは堰を切るように語り出した。
「うちの子は離乳の時期も早くって、そりゃもう親も優秀なサラブレッドなのですけれども、とぉっても優れた個体ですの!!日中は学園の森のあたりにある馬のためのエリアで放牧もしておりますし、脚も早くって筋肉の付き方も素晴らしくって!!この美しい後ろ足、素晴らしいでしょう??あ、そうそう、放牧地はちょっとボコが多かったものですから、私のお小遣いで牧草地に変えましたの!それからご飯ですけれど、飼葉の種類にはこだわっておりまして…!」
まだまだ成長途中だというスノーホワイトちゃんは、語りをまるっと無視してアンネリアのスカートを咥えて遊びだした。「み、見ちゃだめ!」と、シャルロッテがクリストフの目を手で覆ってやっとそれに気が付いたアンネリアは、「あらまぁスノーちゃん、だめでちゅよー」とデレデレした声を出している。
シャルロッテに目を覆われたまま、なされるがままにそこに突っ立っているクリストフ。アンネリアの赤ちゃん言葉を聞いて、フッと鼻で嗤った。
「お姉さま。僕はコイツに何故婚約者が出来ないのか理解しました」
流石に聞き捨てならなかったのだろう。ギギギ、と顔だけクリストフに向けるアンネリア。手はスノーちゃんを撫で続けているが、目が鋭い。
「ちょっと。どういう意味かしらぁ?」
「侯爵令嬢なのになぜだろうかと思っていたのですが…不治の病だったのですね…」
「っ!人の馬への愛を病気扱いしないでくださる?!!」
「ここまでだったとは…もう馬と結婚すれば良いのでは?」
珍しく饒舌なクリストフが、口元だけで嘲笑を表現すれば「できればしてるわよ!!」と、アンネリアは小声で反論。
「私は運命と出会うのですわ!それまで、繋ぎの男は要りませんの!…あなたならお分かりでしょっ」
ふん、とアンネリアは鼻を鳴らしてから「スノーちゃんびっくりしちゃったかな~?ごめんねぇ」と甘い声で仔馬をあやして、スカートの裾を取り返していた。