ヒロインに出会った
「あのっ、すみません!」
背後から声がかかった。女の子の声だ。
高く鼻にかかった、甘い声。
ドキドキする胸を息を深く吐いて静めながら振り返れば、困り切った顔の少女が立っている。胸には新入生を示すリボン。
「私、途中入学なんですけどっ!どこに行けばいいのか分からなくて…!」
途方に暮れたような表情をしている。淡いピンク色の髪が風にはためいて、ゲームのオープニングが聞こえてきそうだ。
目は大きいのに鼻も口もちょこんとして愛らしい彼女は、決して派手な美しさではない。しかし野に咲く花のような、目を引く愛らしさがある。
彼女が一心に見つめる先に立つのはクリストフ。
二人の視線が、絡んだ。
シャルロッテにはそれが分かった。
(ああ、出会ってしまった…)
ひゅっと、シャルロッテは喉を鳴らして息を呑む。この子が、そうだ。
「綺麗な紅い瞳…」
「それはどうも」
「あの、あなたは…?」
うっとりと呟くような声が、妙に耳にこびりつく。
ムカムカとした胸をぎゅっと握って、シャルロッテはこみ上げる涙をのみ込んだ。
今は淡々としたクリストフの声だが、いつかきっと甘やかに、彼女の愛を求めるようになるのだろう。
だってこの子はヒロイン。
この世界の正義。
クリストフのすきになる、ひと。
シャルロッテをまるで隠すようにクリストフは一歩前に出て、ヒロインの姿は見えなくなってしまった。その広くなった背中はアンネリアの方をわずかに向いて、行けとでも言うように顎を小さく動かす。
「はぁー……。仕方ありませんわね!」
「いいから早く。あなたも戻ってこなくて良いです」
「私はすぐに戻ってまいりますわ!!お帰りになったら嫌よ。馬術部で育てている可愛い娘を紹介したいの!!」
「ウルリヒ様に会ったらすぐ帰りますので」
「ちっ」
アンネリアの淑女らしからぬ舌打ちが聞こえた気がしたが、顔は満面の笑みである。気のせいだろう。シャルロッテが背中に隠れつつ「いってらっしゃい」と口パクしながら手を振れば、アンネリアはたまらない!といったように小さく叫ぶ。
「もう!!すぐ!すぐ戻りますわぁー!!」
アンネリアは歩き出し、迷子だという少女に「ついていらっしゃい」と声をかけた。バサリとポニーテールが翻る。
しかしヒロインはアンネリアの背を追うことなく、クリストフを見つめ続けたままだ。
「?彼女が案内してくれますので、ついて行ってください」
「あ、ええ、えっと、その!私、モモカって言います!」
「はぁ」
唐突な自己紹介に面食らう一同。
振り返ったアンネリアの口は半開きで、まるでゲテモノを見るような顔をしている。
どう見ても返事待ちの姿勢の彼女だが、クリストフは名乗る気がなさそうだった。後ろ手にぎゅっとシャルロッテの細い手を掴み、親指でゆっくりと撫で始めてしまう。
(私の手で暇つぶししてないで、ヒロインちゃんと会話しないと…)
そう思ってつんつんと背中をつつくが、クリストフは何も言わない。
奇妙な沈黙が場を満たしていた。
「あー!くりすとふ!!しゃ…」
するとこれまた全然違う方向から、ウルリヒの底抜けに明るい声が響く。
しかし途中でその声は止まった。鬼のような形相をしたクリストフの顔に言葉を途切れさせたのだ。焦ったような「え?どうしたんだよ」というウルリヒの声に、クリストフは返事をしない。せっかく名前を言わなかったのに、陽気な王子のせいで台無しである。
「はぁ……」
見下すような絶対零度の視線と、深いため息で返事をするクリストフ。ウルリヒは「なんだその顔は?!」と焦った声を上げた。
背中に庇われているシャルロッテと…ウルリヒを目をキラキラさせて「わぁ…!」と言いつつ見つめるモモカは、クリストフの顔は見えていないようだ。
ウルリヒの背後に控えている護衛役であるヴァン・デルパンと、なぜかついて来ているゼパイル・マッコロはウルリヒの前に進み出て、クリストフにびしっと指をさすとキャンキャンと吠えだした。
「貴様っ、ウルリヒ様に向かってなんだその顔は!」
「……無礼だぞ」
実はウルリヒは「ついてくるなよ」とマッコロに対して言ったのだが、クリストフの姿が見えなかったので『きっと生徒会室で秘密の打ち合わせをするに違いない』『ウルリヒ様に自分を売り込む卑怯な黒髪め!お前の好きにはさせないぞ!』と、こっそり後を付けて来たらしい。
「別に、何も言ってないでしょう」
「そーゆー態度が不敬だと言っているんだ!!!」
マッコロの大声に、シャルロッテの体がびくりと跳ねる。
クリストフの手がシャルロッテをぎゅっと握り込んだ。そして、彼の体に近づくように少し引き寄せる。額が付いてしまいそうな距離。目の前にはクリストフの背中しか見えなくなり、いつものクリストフの香りに包まれた。
(こんな状況なのに、落ち着いてしまうわ)
シャルロッテがすんすん、と匂いを嗅いでいると、モモカの高い声が会話に割って入ってくる。
「あ、あのっ!すみません、私が迷子になってしまって!クリストフ君は案内しようとしてくれてたんですっ!」
頭髪赤青コンビはそこでやっと、クリストフの近くにいるモモカに気が付いたらしい。きゅるるん、と音が付きそうな上目遣いで見つめるモモカ。頼りなさげに両手が胸の前で組まれ、おどおどと視線を彷徨わせている。
勝手に名前を呼ばれたクリストフは一瞬、不快を表して鼻に皺を寄せた。
「ご、ごめんなさい…。途中入学で、わけが分からなくなってて…」
「なんだ編入生か。仕方あるまい、俺が案内してやろうか」
マッコロが眼鏡をクイッと上げながら前に進み出た。「レディ、お手を」なんてキザったらしく腰を落として手を差し出せば、ポッとモモカの頬が紅く染まる。
「わ、私、平民で…こんな…優しい貴族の方もいるんですね!夢みたいですっ!」
「ハハハ。お前、面白いヤツだな!」
「……名前、何?」
マッコロが笑えば、背後からむっつり黙っていたデルパンがモモカへと名を問う。
ウルリヒが冷たい目でそれを見ているのに気づきもせず、三人は楽し気だ。
これがヒロインの力なのだろうか。キラキラとした彼女の視線は、あっという間に男二人の心を掴んだらしい。
デレデレと鼻の下を伸ばすマッコロとヴァンを、アンネリアがゴミを見つめるような目で見ている。先ほどの案内を無視された辺りで『この女、無礼ですわね』と下された評価は、『この女、ヤバい奴だわ』にまで進化していた。アンネリアは扇で口元を隠しながらドン引き。
きゃいきゃいと楽し気な三人は気づく由もないが、ウルリヒとクリストフも引いていた。突然目の前で三人の世界を作られたら、誰でもそうなる。
しかも男子二人はウルリヒについて来たはずなのに、放り出してのこのザマだ。
「私、モモカって言います!今日から学園に編入しました。分からないことだらけなので、色々と教えていただけると助かります!」
「俺はゼパイル」
「……自分はヴァンだ」
「ゼパイル君と、ヴァン君!お友達ができて嬉しいです!!これからよろしくお願いします!」
大げさなくらい深々と頭を下げて、それでもマッコロの手は離さない。そうして顔を上げると、まさかのウルリヒにも声をかけるモモカ。
「あの!そちらの方もお名前を…!」
「ん?あぁ」
「すごく綺麗な髪ですね…!まるで天使様みたいです!」
「そうか」
ウルリヒは無表情でそれを受け流す。「マッコロ、送ってやれ」と声をかけ、シッシッと追い払うように手を振った。「早く行け」とまで言われてしまえば、流石のモモカも大人しくなった。マッコロに手を引かれて、女子寮の方向へと歩き出す。
マッコロはなぜかドヤ顔でクリストフに「優しい貴族の俺が!学園の案内にはふさわしいよな!」と、謎のマウントをとってから去って行った。