学園一年生 後半
クリストフは退屈な授業を聞き流しながら、周囲の生徒からの視線を煩わしく感じていた。盗み見ているつもりであろうが、視線と言うのは存外よく分かるものである。
(こっちを見るな、意識を向けるな、うざったい…)
持っているペンにわずかに力がこもる。
前だけ見るように意識をするが、羽虫がずっと飛んでいるようなものだ。どうしたって集中が途切れてしまう。
そうして少し意識が逸れたタイミングで、教師から声がかかる。
「~では、読んでもらいましょう。…レンゲフェルト君!」
「はい」
この教室ではクリストフばかり、明らかに指名される回数が多い。
おそらく、教師が目立つ生徒しか名前を覚えていないせいだろう。座席表を見ればいいものを…と思うが、口にはしない。
(授業は簡単。公爵邸の方が、よっぽど高度な内容だったな)
スラスラと、クリストフが古語の教科書を読み上げる。教師も「完璧ですね」と賛辞してくれ、周囲の生徒から感嘆の声が上がるが、この場の誰に褒められたとて嬉しくない。
公爵邸なら、シャルが褒めてくれるのに。
そう思うたびに、クリストフは家に帰りたくなる。
でも、将来のためを思えば通わないわけにもいかない。これに関しては、父であるシラーからも『学園は卒業しろ』と言われているのだ。
学園に通う理由は、勉学・人間関係の構築・上下関係の明確化が目的。
クリストフ・レンゲフェルトという人間の立ち位置を、学園に来ている貴族全員の頭に叩き込まなければならない。
(一年生で僕に逆らうやつはいなさそうだが…問題は、上級生だな)
最初の数か月で、もう一年生は大体掌握していた。
各クラスに居るレンゲフェルトの縁者に、人間関係などを報告させているのだ。視線こそ鬱陶しいが、クリストフに直接話しかけてくる猛者は、もう居ない。
レンゲフェルトへの反抗心がある人間も居るが、今のところ問題はなさそうだった。つまり、一年生はクリアと言って良いだろう。
問題は、上級生である。
年齢などという無駄な上下関係があるのに、身分的には皆平等。やりにくい。
『クリストフ様、何でも聞いてくださいね!』
『クリストフ様のお役にたてます!』
『クリストフ様に教えてあげます!』
『クリストフ様も知っておいた方が良いのでは?』
『クリストフ様!』
群がってくるのは、年上ばかり。
誇れるものが年齢くらいしかないから、それを誇示して取り入ろうとしてくるのだ。
これは、社交界でも同じ。
中には、何かを勘違いしている人間も居る。
『まだ婚約者が居ないってことは…チャンスがあるってことよね!』
『いやでも、マルカス侯爵家の…』
『あの二人、そんな雰囲気じゃないわよ』
『ガンガン押せば年下君なんてコロッとくるでしょ!』
『学園では自由恋愛よ!公爵なら妾でもいいわ』
小うるさい、身分目当ての女。
『学園で仲良くなっとけば、将来の利になるよな!』
『今の内だぜ、顔覚えてもらわないと』
『メシくらい奢ってくれるだろ?』
『公爵家の財産って、王族より多いんだってさ』
『いらない服とかくれねーかな』
鬱陶しい、金目当ての男。
(どうやって、分からせてやろうかな)
クリストフがそんなことを考えている昼下がり、レンゲフェルト公爵邸では、クリストフの素知らぬところで事態は動き始めていた…。
◇
シャルロッテは、とある人物を公爵邸へと招いていた。
性別は、男。しかも、クリストフの知らない人。
彼に知らせれば反対される、もしくは同席を求められることが分かり切っていたので、シャルロッテは隠して隠してこの日を迎えていた。
「シャルロッテ様、お招きありがとうございます」
「お初にお目もじ致しますわ」
相手は、細く枯れ枝のような肢体の、腰の曲がった老人。
丁寧に頭を下げて挨拶をする、その顔はニコニコとした表情を浮かべているが、眼光は鋭い。瞳は、何の感情も読み取れぬ濁った色をしている。
「こんな老人にご丁寧に挨拶をして頂けるとは…、恐悦至極。私はパズー・ザブリと申します」
「そんなご謙遜を!ザブリ様は、国で一番の商売上手と伺っておりますわ」
「今は只の隠居爺でございますれば…どうぞ、『おじいちゃま』とでも『爺』とでも、気軽にお呼びください」
背も折れ曲がっている老人だというのに、どうにも隙が無い。
シャルロッテは会話の裏を読もうとするが、相手が海千山千の大御所すぎて何も分からない。この場合は本当にそう呼ぶのがいいのか、試されているのか…。少し困ったなと思いつつも、相手の示す通りに口に出してみる。
「おじいちゃま?」
いち、にい、さん。
たっぷり三秒固まって、下を向き小刻みに肩を震わせるパズー。それに『やっぱり失礼だった?!』と慌てるシャルロッテだったが、よく聞けば彼は小さく「カッカッカッ」と、笑い声を上げていた。
そうして頭をあげると、テルーに向かってにんまりと笑顔を見せる老人。
「聞いたかテルー!シャルロッテ様に『おじいちゃま』と呼ばれたぞ、良い冥土の土産ができたと思わんか!」
「やめろパズー。失礼だぞ」
「『おじいさま』とか呼ばせる方が不敬じゃろうが!」
「パズー様でいいだろう」
「ワシなんかに様付けされたら、こそばゆくって叶わんわ!」
テルーと老人の間でポンポンと交わされる会話は勢いよく、シャルロッテが口を挟む余地はない。できるだけ余裕に見えるようにほほ笑みだけキープする。
『先生、私…国一番の商人から話を聞きますね!』と、内心で家庭教師に報告しながら、二人の会話を傾聴するシャルロッテ。
「して、クマみたいなお前が、天使のような方と茶飲み友達とは…世の中不思議があるもんじゃ」
「……そうやって揶揄うだろう。だから言いたくなかったんだ」
「つれない奴じゃのぉ。わしも仲間に入れんかい」
老人の正体は、国で一番売上額の大きなザブリ商会の創設者である、パズー・ザブリ氏。なんと、テルーのお友達で、学園時代からの付き合いだそう。
第一線を退いてはいるが、その手腕は未だ伝説として語り継がれているほど。貧乏男爵の三男だったザブリ氏は、一代であっという間に財を成した、商売の神に愛されし男。
「して、シャルロッテ様。今日はどのような御用向きですかな?」
「あの!実は、私…事業に興味が…」
「ほぅ!そりゃあいい!公爵家の事業など、利確ですなぁ」
「あ、いえ。私個人で、公爵家の力は使わずにやりたいんです」
(万が一の没落後も継続できるように、家名には頼りたくない…!)
「ほぉぅ」
「それで、その。商売のお話を聞いてみたいな、と」
上目遣いに老人を見つめるシャルロッテを、テルーが「初めは私に聞かれたのだが、知っての通り戦うこと以外に脳がなくてな。ちょうどいい、お前が居るなと思って紹介した」と合いの手を入れる。
「まあ、これでもワシ、国で一番の商人だったし?武勇伝語っちゃう?」
事実なのだが、その言いぐさにイラついたのだろう。テルーは紅茶を口に運んで答えなかった。パズーは「つれないのぉ」と言いつつ、勝手に武勇伝を語り出す。これがまた、言うだけあって面白い!シャルロッテのつたない質問にもパズーは快く答え、「商売とは」という、興味深い講義が展開された。
怒涛の話の最後に、シャルロッテは思いつく。
(前世チートじゃないけど、ちょぴっとだけ知識を拝借…もしこれがこの世界に存在しないのならば、売れるんじゃないかしら)
「あ!あの…こういうオモチャとかって、知ってたりしますか…?」
「たぶん知らんが、イマイチわかりづらいのぉ」
「私も存じ上げません」
テルーは首を傾げ、パズーは細かい質問をいくつも飛ばしてくる。
それに対応しきれなくなったシャルロッテは、そう大変でもないだろうと「じゃあ、次回までにご用意しておきます!」と口走った。
「おお!またこんな可愛いお嬢さんとお茶ができるなんて…死んでおられんな!」
ほくほくとした笑顔の老人は、そのまま立ち上がってサラッと口上を述べると、風のように「ではまたのぅ!」と去って行く。あまりの早さに驚いたが、テルーからするといつものことのよう。
「パズーは悪い奴ではないのですが、自分の中で『もう何も得るものがない』と思うと、あっという間に帰ります。宴会の途中でもなんでも」
「そうなのですね…」
「一度、友人と連れ立って狩りに行った際も、あいつだけ途中で帰りました」
「えぇ…」
紹介された元商人は、どうやら超マイペースらしい。変人はよりいっそう天才っぽく見えてしまうシャルロッテは、すごい人を紹介してもらった…!と、テルーに感謝の気持ちで頭を下げる。
「ご紹介いただき、ありがとうございました」
実は後妻の可能性もちょっぴり考えていたので、もう少しだけ若い人だと嬉しかったのだが…さすがに枯れ枝のようなご老体に嫁ぐのは、シラーが許さないだろう。
「あやつは帰りましたが、私はもう少しだけお茶をさせていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです!」
テルーと二人になったのでちょっと一息。シャルロッテが緊張を解いたのを察したのか、テルーがメイドを呼んで紅茶を交換してくれた。
温かいお茶を一口含めば、じんわりとそれが沁みる。
「ほぅ…」
「手紙でも聞きましたが、いきなりどうしたんですか?」
テルーに『知り合いで事業が成功している人がいたら、体験談を聞きたい』と願った際は、『興味がある』としか書かなかった。それでも大切な友人を紹介してくれた彼には感謝しかないが、まさか事後に問いただされるとは。
「えっと…、社会勉強、ですかね。自立してみたくて」
「シャルロッテ様のやりたいことであれば、何でも応援致しますが。クリストフ様には…?」
「……えっとぉ」
泳ぐ視線、濁した言葉。シャルロッテの様子に察したテルーは、深くため息をついた。
「隠してらっしゃるのですね」
「……。とりあえずは、お義父様にもお願いして、黙っていてもらうことにしています」
顔を横にそらすシャルロッテの、言う気がないことを察したのだろう。「後から知れば、悲しみますよ」とだけテルーは言い添えた。
内心では『悲しむどころか、また閉じ込められますよ』と思いながら。




