君の居ない家で
「くりすとふ、次はいつ帰ってくるんだー?」
「次のお休みには帰って来てますよ」
クリストフが学校に行き出して、初めての週末。
上級生からの歓迎会やら、寮の懇親会やらで忙しいらしく、クリストフは帰ってこなかった。
几帳面な筆跡で『どうしても帰れません。来週は必ず帰ります』と、シャルロッテ宛に手紙が届いていた。
手紙曰く、寮は狭くて汚くて暮らしにくいところ、らしい。
本人は学園に入学するべきか少し迷っていた様子だったけれど、何度かシラーと話し合いを重ねて、最終的には自分で「行きます」と決断をした。なので手紙には『自分で行くと決めたので我慢しますが、お姉さまに会いたいです』と、すこし泣き言のような一文もあった。
(こんな素敵な公爵邸と比べたら、学園の寮なんて汚く感じるかもしれないわね…)
今現在お茶をしているガーデンテーブルから、背後にそびえたつ巨大な公爵邸を見上げる。
「次の休みにあそびにきたら、くりすとふおこるかなー」
「ふふふ、きっと喜びますよ。…でも、テルー様のご予定が、どうかしら」
「てるーはだいじょうぶ」
クリストフが居なくなった今、テルーは来訪時に公爵家の騎士達へと鍛錬を付けてくれるようになった。今現在しごき倒されているハイジ曰く、シラーが『テルー様が来るのには、ちゃんと理由があるほうがいいな』と、正式に依頼をしてくれたらしい。
テーブルに頬をべったりとつけたまま、お行儀悪くボリボリとクッキーを咀嚼するウルリヒ。ここしばらくクリストフに会えておらず、寂しいらしい。
きゅるんと、彼の紫色の瞳が上目遣いにシャルロッテを見た。
「しゃるろっては、がくえんに行かないのか」
「えぇ。私は家庭教師の先生と勉強することにしました」
シャルロッテは結局、学園へは入学しなかった。
色々と理由はあるが、決め手は「シャルが行くべき場所じゃない」と、クリストフに反対されたことだろう。
◇
クリストフが九歳になってしばらくして『来年学園へどうぞ~』という、入学許可証が届いた。シラーはそれをクリストフに渡し、シャルロッテもその場に居た。
そうして入学期限が迫る頃、シャルロッテは朝食の席でぽろりと溢した。
「クリスが入学するのならば、私も行こうかしら」
「は?じゃあ、僕も行きません」
「クリスは嫡男だし、そういうわけにもいかないでしょ」
「公爵邸の教育でも十分かと思います」
「なにを意地になってるのよ。二人で行けばいいじゃない!色んな人に関わって、人間として成長できる貴重なチャンスよ?」
それに言い返してこないクリストフの顔は、表情が無かった。
シャルロッテは悟った。これはもしや、ちょっと怒ってる?と。
それから丸一日、ブリザードでも吹き荒れているのかというほどクリストフは威圧感を出し続けた。シャルロッテもなんとなく気まずくて話しかけず、負のループ。
その日が終わる頃には、クリストフの機嫌は底辺を這うようなものになっていた。
「それでは、また明日」
クリストフは未だかつて聞いたことのないほど不機嫌な声で、扉の前までシャルロッテを送るとそう言った。しかし顔は無表情のまま。丸一日黙りこくった挙句、何も対話しないままその日を終えようとした彼に、さすがに焦りを見せるシャルロッテ。
「ちょっと待ってよ、話をしましょう」
きゅっとその手を握れば、彼も小さく頷いた。
そのままシャルロッテの部屋へとひっぱりこみ、いつものソファへと誘導する。大人しく着いてきたクリストフだが、シャルロッテが離れて座ろうとすると、その手を強く握りしめて離さない。
「ちょっと、クリス、いたい」
思わず近い位置にボスンと腰を下ろせば、手の力は弱まった。離してはくれないので、そのままそこに腰を落ち着けたシャルロッテ。
クリストフを見ても、表情がまったく動かないままである。なのに、そのオーラは全力で威圧感を醸し出して『不機嫌です!』と主張をしてくる。
シャルロッテは一日それに振り回されて気疲れしていた。
(私がこれって、謝ったほうがいいのかしら。でも私、何も悪いことは言っていないと思うのだけれど…)
おそらく朝の会話が原因だろうとはわかってはいるが、クリストフが何に怒ったのかがさっぱりのシャルロッテは困り果てていた。
しばらく沈黙が支配して、ついにシャルロッテが耐えきれずメイドにお茶でも淹れさせようかと手を上げかけると、やっとクリストフがその重い口を開く。
「……なんで、シャルは大人しくしててくれないんですか」
先ほどよりは幾分か落ち着いた声。
「……どうして、自ら危険に突っ込んでいくんですか」
紅い瞳が真っすぐに見つめてくるのを、むっとしたシャルロッテが見つめ返す。
「なに言ってるのよ。学園なんて、皆行く所でしょう」
「修道院だって皆行きますよ。でも、ああやって危ない目に遭ったでしょう」
「あれは…たまたまよ」
そう言ったシャルロッテに対して、ため息を吐いて、呆れたように頭を振って、クリストフは彼女を睨みつけた。
「シャルが行くべき場所じゃない」
睨まれたこと、言われた言葉がショックで、シャルロッテは固まった。ただ、その視線が嫌で顔をちょっとだけ下に向けて呆然としていれば、クリストフはつらつらと理由を述べ出す。
「学園に女性はそもそも少ない上、高貴な女性はもっと少ないです。でも、男はたくさんいます。有象無象の中に入ってまで、シャルが学ぶべきことが学園にありますか?集団生活なんて、この先もすることがないのに…わざわざ経験する必要があるとは思えません」
淡々としたトーンの言葉が、冷たく部屋に響く。
「社交界では、最高位である公爵家が弾かれることはありません。学習も事足りてますし…シャルにとって、学園に行ってプラスがありますか?」
「…で、でも。領地経営をすることになったら、人脈とか、必要でしょ?」
「領主になりたいんですか?」
小さく否定を示せば「じゃあ、必要ありませんね」と言われてしまう。
いつもはぶっきらぼうでも優しいクリストフなのに、何故こんなにも辛い口調で詰めてくるのかが分からず、シャルロッテは悲しくなった。
もう早くこの会話を終わらせたくて、とりあえずクリストフが望んでいるであろう答えを口走る。
「そうよね。やめておくわ。クリスから話を聞いて、行きたくなったら考えることにする」
「……僕が行くのは決定事項なんですか」
「うーん、それはお義父様と相談したら?」
それでも行き渋る様子のクリストフを見て、シャルロッテはシラーに任せることに決めた。
そうして、クリストフは入学、シャルロッテは自宅学習、という形に収まったのだった。
◇
(まあ普通に考えて、出自不明の姉がいたら恥ずかしいよね…。行かないのは正解だったはず。原作でも、義姉とか居なかったし)
実は反抗期を迎えたクリストフに、これ以上嫌われたくなかったのが一番大きな要因ではあるのだが。
そもそも、貴族の子女の多くは学園へは入学しないので、シャルロッテの選択は別段特別なものでもない。まあいっか、と本人はあまり気にしないように努めていた。
「くりすとふも、そうすればよかったのにィ~」
ふんす、と鼻から息を吐くウルリヒは頬をむくれさせている。
「クリスは嫡男ですから、ご容赦くださいませ」
「あ、またカタイ話し方してる。やだぁ…」
ウルリヒの正体に気が付いてから、以前のように悪ガキ扱いが出来なくなったシャルロッテ。しかし、その変化に目ざとく気が付いたウルリヒは目をウルウルさせて「やだぁ…」と、前と変わらぬ態度を要求して来るのだ。
イヤイヤと頭を振るウルリヒをなだめるように撫でて、シャルロッテはご機嫌取りに「ごめんなさいね、ほら、テルー様たちのところに見学に行きましょう」と、その小さな耳にささやく。すると途端に元気よく「いくっ!」と、ぴょんと立ち上がったウルリヒに手を引かれ、筋肉が躍動し怒号の飛び交う鍛錬を見学するために歩き出した。




