ポニーのティータイム 後編
クリストフは、メイドに冷やす物とアイスドリンクを持ってくるように指示をしていた。
受け取るその横顔を眺めていたアンネリアは、クリストフの氷嚢をあてがう細く長い指でさえ美しいことに感心する。『神様というやつはこの男を、とってもとっても気合を入れて作ったに違いない』と、アンネリアは美術品を眺めるような気持ちで観察をした。
「自分でできるわよ」
「いいから。お姉さまはおしゃべりしててください」
手を伸ばすシャルロッテをひょいひょいとかわして、わざわざ手ずからクリストフがシャルロッテの手を冷やす。
二人の会話が途切れたタイミング。
「大丈夫ですか?」
アンネリアも声をかける。
「全然平気ですわ!もう、クリスが大げさにするから…」
ちょっぴり恥ずかしそうな顔をされてしまった。
陶磁器のような頬がうっすらと紅く染まる。照れてそらされる紫の瞳に、アンネリアは顔を傾けてもぐりこむ。
「クリストフ様はお優しくって、羨ましいですわ!シャルロッテ様はお幸せですことよ!」
「え、えぇ、そうね」
無表情ながらまんざらでもなさそうな顔をするクリストフに、アンネリアも満足気に口角を吊り上げる。
―――ずぅっと見てきましたわ。クリストフ様のお顔、表情くらいこの天才的な頭脳の私にはカンタンに読み取れましてよ…!シャルロッテ様に褒められると、嬉しそうな顔をしますのよね!!
シャルロッテが所在なさげに、届けられていた氷たっぷりのアイスドリンクに手を伸ばす。冷たすぎたのかきゅっと目を閉じれば、瞬間的にクリストフがメイドを睨み付けた。
「……つめたいっ、けど美味しいわ~!アンネリア様もいかがですか?うちの庭でとれたハーブのアイスティーです」
「いただこうかしら」
少し顔を青くしたメイドは頭を下げて、すぐに同じ物を用意してくれた。
飲めばひんやりとして、のど越しが良く、味も良い。
「んー、美味しいですわぁ。よその貴族に、レンゲフェルト公爵家の特製のアイスハーブティーが美味しいなんて自慢したら、死ぬほど羨ましがられますことよ。オホホホホ」
その様を想像して、にまぁっとアンネリアの頬が上がった。
アンネリア自身も侯爵家であるし、美しくて賢くて運動もできるので、周囲の子女からは憧れの的である自負はある。
しかし、やはり滅多に社交界に顔も出さぬ、麗しい公爵家の姉弟は別格。
「そんなことはないと思いますが…お気に召したなら、お包みしましょうか」
「ぜひ!!お願いしますわ!!」
シャルロッテが柔らかくメイドに微笑めば、救われたような顔をして彼女は下がって行った。アンネリアにお土産として包んでくれるのだろう。
ちゅーちゅーとそのアイスティーを飲みながら、アンネリアは脳内で妄想をしていた。
―――このお茶を飲ませてやるのは、どこの貴族がいいかしら。我が家でアフタヌーンティーをして、派閥の重要人物にだけ振舞ってあげましょう!フフフ、それはもう喜ぶこと間違いナシよ!
アンネリアは、己の世代では確実に一番大きな派閥を築きつつあった。
「ねえアンネリア様、学園はどうなさいますの?」
「私は来年から行きますわ。婚約者もまだ決まっておりませんし」
くるくると氷を混ぜて、ちゅーちゅーと吸う。グラスに意識を引かれていたアンネリアは「シャルロッテ様もご一緒します?きっと楽しいですわぁ」と、ついぽろっとこぼしてしまった。
瞬間的に、背筋が凍るほどの威圧感。
ギギギとそちらを向けば、紅い瞳が刺すようにアンネリアを見ている。
アイスドリンクではない、冷えた何かを飲み込んで、アンネリアは息を詰まらせた。苦しい胸を押さえながら声を絞り出す。
「な、なんて、うっそー、ですわぁ…」
アンネリアはここ数年で学んだことがある。
クリストフが怒っていそうな時は、どうにかした方がいい、と。
「私、派閥を作るのに忙しくって、シャルロッテ様がいらっしゃってもご一緒できないかもしれませんわぁ…。そりゃもう、貴族の権力争いって大変なのです。お優しいシャルロッテ様には向かない世界ですわ、ええハイ」
冷や汗をダラダラと流しながら、アンネリアはしどろもどろに付け足しをする。するとシャルロッテは気にした様子もなく、全然トンチンカンな方向に食いついてくれた。
「派閥?そんなの作るの?」
「高貴な私には、多くの子女が憧れて集まってくるのですわ。その子達を守ったり、反発してくる阿呆共に我がマルカス侯爵家の権威を示したりと、結構やること多いんですのよ」
「すごい!さすがアンネリア様ね!」
ホッと、息をつく。
よほど自分の方が爵位は高いくせに、そんなことは忘れたかのようにアンネリアを褒めてくれるシャルロッテ。クリストフの鋭い視線は甘やかに彼女に注がれ、もうこちらを見てはいない。
冷や汗の引いた己の顔を撫でて、アンネリアはふと疑問を持つ。
―――これほんとに、ただの姉への憧憬なのかしら?
過保護なくらい過保護に彼女を守るのは、美しく優しすぎるシャルロッテだから、義理の姉だから、ただそれだけだと思っていたけれど。
「クリスも学校に行ったら、派閥とか作るの?」
「やりませんよ面倒くさい」
「でもきっと、たくさんお友達ができるわよ」
「いりません。僕はお姉さまがいればいいです」
かつて本気でクリストフと結婚したいと思っていた自分は、シャルロッテと過ごす内に綺麗さっぱり消えてしまったのだった。
だってあんまりにも、彼は彼女しか見ていないから。
「そんなこと言って、最近反抗期じゃない」
「そんなことありませんよ」
母親には未だにクリストフを狙えと言われるが、もうアンネリアにその気はない。
シャルロッテへの嫉妬心も、かつてはどうだったか忘れたが、今はもうない。一途にシャルロッテだけを見ているクリストフの顔が、あんまりにも穏やかで。どこかへ消えてしまったのだった。
しかし、クリストフの想いなんてつゆ知らず。シャルロッテはマイペースに「世界は広くて楽しいのよ〜。色んな人と関わって成長したら、いつかクリスにも運命的な出会いがあるかもしれないわね!」などと言う。当然、彼は眉根を寄せているのだが…。
―――こんなに素敵な男性が横に居て、大事に大事にしてくれているのですから。…シャルロッテ様は学園に行ったって、他の男性のことはサルくらいにしか見えなさそうですわね。
「ありえません」
「意外と盲目に恋とかするかも…ふふふ」
「ないです」
しかしそれは、クリストフ側にも言えること。
美しく優しいシャルロッテが横にいて、彼が学園で運命の出会いを果たして盲目に恋をするなどとは…アンネリアには到底思えなかった。
「アンネリア様も、学園で良き出会いがあると良いですね!」
「私は、己が運命を自分で迎えに行きますわ。きっと素敵な方と出会えると確信していましてよ」
「まあ!さすがアンネリア様です。学園に行っても、ずっと仲良くしてくださいね。こうしてお茶をして、お話聞かせてください」
「ええ、よろしくってよ」
口では余裕なそぶりをみせているが、アンネリアは内心で狂喜乱舞していた。
ーーーその為なら、学園なんていつでも休みます!!この時間の方がよっぽど大切ですもの!学園に行ったってこのポジションはクソ雑魚共には譲りませんわ〜!!
でれでれっと鼻の下を伸ばす、アンネリアの顔を見てしまったクリストフ。思わず出そうになった『馬…』と言う言葉は、笑顔のシャルロッテに小突かれ止められた。
素直で可愛いなぁと、シャルロッテはニコニコとアンネリアを眺める。
こうして各々の思いが交差したり、どっかに飛んでいったりしながらも、平和なティータイムは過ぎていった。