あいにゆく3
テルーとシャルロッテは、手紙のやり取りを重ねて、実母エリザベトの墓を参る日取りを決めていた。
『許可を頂けました。人払いも済ませておりますが、お参りは私と二人でして頂きます』
テルーの丁寧な文字から悟れたことは、王様はシャルロッテのことを殺そうとしたくせに、今更になって情けをかけているということだった。
「なんだかなぁ…」
そうして、テルー様とクリストフの鍛錬の日に合わせて組まれたその日程。
テルー様の乗った馬車に同乗して城へと入ってしまえば、城門の検査などはパスできるそうで。秘密裏に中へともぐりこんで、また隠されて外へと出る。
シャルロッテが城に行くことは、おおっぴらにはできないらしい。
(まあ、当然か。デビュタントも済ませてないのに、城にどうして招かれたのかって噂になるわよね)
そんなわけで、こっそり行って、こっそり帰るお墓参りと相成った。
ウルリヒのワガママや、道中だけでも同伴すると言って聞かないクリストフなど諸問題があったが、正直シャルロッテは上の空であまり気に留めていなかった。
◇
フード付きのローブを手渡されて、目深にそれを被っているため視界が悪い。足元だけをただ見つめて、先導するテルーについて行くためにひたすら足を動かす。
「大丈夫ですか?」
「えぇ。行きましょう」
時折立ちどまったテルーが気遣わし気に声をかけてくれるが、シャルロッテは小さく頷くと、すぐ先へと進みたがった。
城壁の中に広がる広大な林は、昼間だというのに薄暗くてひんやりとしている。
どれくらい歩いただろうか。うっすらと湿った地面をひたすらに踏んでいけば、足がだるくなる頃に視界が開けた。木々に囲まれた、なだらかな丘。小さな紫色の花が群生しており、そよそよと風に揺れている。
「ここです」
テルーの背が横に退いた。
花に埋もれるように、小さな石碑が見えた。
白地の石に、金色で天使の文様が彫ってある。
「あ…」
「こちらに、眠っておいでです」
真上の空が、昼の日差しを石に注いでいる。
キラキラと光る『エリザベトと伴侶 ここに眠る』と、小さく彫られた文字。
「これが、お墓…?」
「ヨハン様は戸籍上、死亡扱いで外へと出されました。彼の名が彫られた墓は、何も入っていませんが別にあり…こちらに名前を彫ることは叶わなかったと聞きました」
「お城に、こんな…よかったのでしょうか」
これではまるで、母のための墓だ。
一見オブジェのようでもあるが、文字を見ればすぐに墓と分かるモノ。
「ヨハン様の骨を外へと出したくなかった前王の、苦肉の策で…。秘密裏に建てられました。エリザベト嬢の骨を王家の墓に入れる訳にもいかず…あまりに仲睦まじい二人でしたから、引き離すことが忍びなかったようです」
「そう、ですか…」
あまりに理不尽な仕打ちを受けると、人はある時を境に、恨みに思う気持ちを薄めてしまう。ぼんやりと、感じる心を薄めてしまうのだ。自己防衛的な本能だろう。
シャルロッテは無意識下で、母の死については深く考えないようにしていた。考えたって、つらくなるばかりで過去は何も変わらないのだからと、そう思って。
「あぁ…」
よろよろと石碑に近づいて、膝から崩れ落ちる。
「アァ…」
シャルロッテは、彫られた文字を指で撫で、あの夜の無念を鮮烈に思い出した。
何度も声を上げて、何度も、何度も母の名前を呼んだこと。泣いたって喚いたって、何にもならなかったこと。ただ悔しく、口惜しく、全てを恨んだ気持ちを。
「あぁぁぁぁ…」
(そんなにヨハン様が大切だったのなら。それなら、お母さまのことだって、私のことだって、助けてくれたってよかったじゃない!!)
どうして助けてくれなかったの…?
どうして何もしてくれなかったの…?
どうして、どうして、どうして…!
言葉にはできない、罵詈雑言が嗚咽となった。
恨みを吐き出すように、泣くだけ泣いて涙を枯らしたシャルロッテ。
テルーは何をすることもなく、静かに背後で佇んでいた。
眼前の石碑を見れば、キラキラと輝いて。
揺れる花も、この静謐な場所も美しい。
だから、こう言うしかない。
「……良い、場所ですね」
シャルロッテの気持ちは、驚くほどに凪いでいた。
胸の前で手を組み祈る。
「お母様、お父様。どうか、安らかに」
こんなところに墓を作って貰えて、お参りもさせて貰えて、シャルロッテはそれを感謝しなければならないと、頭では分かっているから。
世界は自分中心に回っているわけじゃない。そんなのとっくに知っている。だから。
「なんだか、疲れちゃいました」
誰のことも、責めたりなんてしない。
もし神の定めた運命というものがあって、それが原作なのだとしたら。
所詮は物語の外であるシャルロッテの人生など、どうして平穏に、そっとしておいてくれなかったのだろうか。恨むとしたら、シャルロッテはきっと神を恨む。
不安な気持ちを再び押し込めて、シャルロッテは小さく笑って見せた。
「帰りましょう。クリスが待っています」
「……はい」
◇
馬車の中には、クリストフだけが残り、シャルロッテ達の帰りを待っていた。
ウルリヒはしばらく遊んだ後、クッキーも全部食べて、満足して帰って行ったらしい。
「待たせてごめんなさいね」
「クリストフ様、長らく申し訳ありませんでした」
戻って来た二人が乗り込めば、再び公爵邸へと馬車は動き出す。
ゴトゴトと揺れる箱の中で、シャルロッテはクリストフの手をそっと握った。
「お姉さま…?」
「イヤ?」
ぶんぶんと頭を振ったクリストフは、ぎゅっと握り返してくれた。
「お姉さまのこと、イヤになるとか、ないですから」
明らかに泣いたと分かる充血した目。不安げに揺れる瞳。しおれたシャルロッテの姿が、クリストフの心を締め付ける。
「はやく大人になりたいね」
「……僕は、ずっとそう思ってます」
そうすれば、もっとちゃんと、守れるのに。
そんな口には出さないクリストフの想いは、目の前のテルーには筒抜けのようだった。正面に座っているテルーの柔らかな視線に、悔しさを滲ませてガンを飛ばして見返すクリストフ。しかし、子どもの睨みなど、テルーには当然なんともない。
「お二人とも、ゆっくりと大人になってください」
「やだぁ、早くがいいわ」
少し笑ったシャルロッテの声。
クリストフは何もできないのに…テルーはこうやってシャルロッテを笑わせることだってできるし、彼女を守って二人でどこかへ行くことだって、過去に寄り添うことだってできる。そんな事実が、小さなクリストフの胸を痛める。
『はやく大人になりたいなぁ』と、クリストフは心の内で繰り返した。