あいにゆく1
ウルリヒが子ども用の木剣を、引きずりながらブン、ブン、と重そうに振り回す。それを下がったり飛んだりと避けているのはクリストフ。遠くから「えいっ」「ちょっと、やめてください!」という二人の声が響いている。
「ウルリヒ様って、クリスのこと好きですよね」
「いつも『つぎあそびにいくのはいつだ!』『つれてけ!』とせがまれますねぇ」
テルーとシャルロッテは、少し離れたところでガーデンテーブルに支度されたお茶を楽しんでいる。というか、先ほどまではクリストフもウルリヒもここにいたのだが、小さな暴君の「わたしも、くんれんする!」という言葉によってクリストフは連れて行かれてしまった。
「くりすとふ、けんをもて!」
「嫌ですよ。さっき訓練終わったばっかりなのに」
「わたしはやってない!」
「疲れているから嫌です」
「けち!」
よく言い争っている二人だが、シャルロッテの目にはそれも微笑ましく映っていた。クリストフが誰かと言い合うのを見ると、年相応といった感じがして可愛く見えるのだ。
「来てくださると、我が家が賑やかになりますわ」
「ウルリヒ様はその…のびのび育てられておりまして…、騒がしくして申し訳ないです」
「まあ!もっと来て頂いても良いくらいですわ」
ふふふ、と笑うシャルロッテはハーブティーを口に含んで、男児二人のじゃれ合う光景を目に焼き付けていた。その横顔に、テルーは申し訳なさそうに口を開く。
「ところで本日は、このまま馬車に乗って城へと向かいますが…同伴は認められておりません。よろしいですかな」
「ええ。お義父様にも許可をとってあります」
「私が決してお傍を離れませんので、ご安心ください」
ガサガサとした大きな手が伸びた。テルーは巨体を丸めるように、恭しくシャルロッテの小さな手を取ると、己の額へと押し当てる。「お守りします」と囁く低い声に、シャルロッテの頬はじわじわと紅く染まった。
「まぁ、そんな。お城に危険などありませんわ」
「いえ。このくらいの気持ちで貴方を守らねば、クリストフ様にもご納得いただけないでしょう」
「あー…、その、ご迷惑をかけて…申し訳ありませんわぁ」
テルーは険しい表情の顔を上げ「一番の難関かもしれませんな」と、言った。
「ええ。あの子が本当に大人しく馬車で待っていてくれるか…」
しゅん、と下を向くシャルロッテ。テルーの手を握ったまま「昔心配をかけてしまった私が悪いんですけど…絶対に一人では屋敷の外には出してもらえなくて。ちょっと過保護なのですわ」と、半分愚痴のようにこぼす。
美しい少女が、老人の手を握って悲しそうな顔をすれば、大抵は慰められることだろう。
しかしテルーは喉の奥で唸るのみ…クリストフの考えに、思わず共感してしまったためだ。一呼吸置いて、彼は無難な返事を選んだ。
「クリストフ様は、貴方が心配なのです」
テルーとて、シャルロッテの気持ちも分かる。自由を欲するのは人間の心理だろう。
しかし。護衛対象を守るのに一番確実なのは、どこか守りの固い場所に閉じ込めてしまうことだ。この美しく柔らかい少女を守るために、囲っておきたくなる気持ちも大いに分かる。
「分かっておりますわ。だからこそ、強く言えなくって…」
「今日ばかりは、私からも言わせていただきますので。ご安心ください」
危惧するシャルロッテであるが、テルーとしては言うほど心配はしていなかった。おそらくクリストフは、いつぞやのウルリヒとの会話でおおよそのことを知っているだろう。そうであれば、あの賢い子のことだ…無理は言うまい。そう踏んでいた。
「それなら心強いですわ…!」
噂をすれば影、とはよく言ったもので。
「お姉さま、何を話しているんですか」
駆けてきたクリストフは、シャルロッテとテル―の手をべりっと引きはがした。そうして今度は自分がその手を握りこみながら、覗き込むように見てくる。
「くりすとふー、まだあそぶぞー」
「もう終わりです」
「じゃあ、しゃるろってとあそぶ」
後ろから剣を捨てて追いかけてきたウルリヒは、むっとした顔でシャルロッテの反対の手を掴んだ。ぐいぐいと引かれて立ち上がれば、それにクリストフもむっとした顔をする。
「離してください。お姉さまはお茶をしているんですよ」
「いやだ。くりすとふがはなせ」
「僕のお姉さまです」
「わたしだって、しゃるろってがおねえさまがよかった!」
キャンキャンと吠えるウルリヒに、クリストフは『義理の僕と違ってそっちは、たぶん血が繋がってるんですけどね』と、自嘲気味な笑みを浮かべた。しかしそれでウルリヒにシャルロッテを譲ってやる義理はない。大人げなくクリストフは切り捨てた。
「残念。もう僕のお姉さまになってしまいました」
「じゃあくりすとふをおにいさまにしてやる!」
「ご遠慮申し上げます」
ウルリヒなりの好意で言っているのに、つれない反応のクリストフ。ついにその目にじわっと涙がたまる。泣き出す寸前の顔で「ひっ」と、ウルリヒが大きく息を吸った、その瞬間。
ふわりとシャルロッテが浮かび上がる。
「喧嘩をなさるのでしたら、私が貰ってしまいますよ」
テルーだった。
太い腕は難なく彼女の華奢な体を持ち上げて、二人の間から助け出してしまう。そうしてから、まるで崩れやすい割れ物であるかのように、そっとそっと、地面へと彼女を下ろした。
「大丈夫ですか」
「は、はい…」
シャルロッテにはにっこりと微笑みかけてから、くるり。彼女を大きな背に庇うようにして、男子二人へと振り返る。
「二人とも、レディを困らせてはなりません」
ゴゴゴ、と音がしそうなテルーの形相は、まさに般若。
ウルリヒの涙は止まり、クリストフも素直に頷いた。傍に居たゴリラは冷や汗をかいて、なぜか悪くもないのに頭を下げていた。唯一背に庇われているシャルロッテだけがその顔を見れず「どうしたの?」「なあに?」という声を上げていた。
「いいですね?」
テルーの念押しの言葉に、今度はウルリヒとクリストフ、二人ともが動きを合わせたように頷く。そうしてようやく場の空気が緩んだ。ひょこっとその巨体から顔をだしたシャルロッテは「よかった、仲良くしようね~」と、一人のんきな声を出していた。
穏やかな顔に戻ったテルーが、遠くで合図を出している御者に気が付く。
「そろそろ出る時間ですね、よろしいですかな」
「なにっ!くっきーたべてないっ」
慌てたウルリヒが立ったままクッキーへ手を伸ばし、ぱくりと口に放り込んだ。一生懸命に口を動かしながら、両手にも一枚ずつクッキーを握っている。しかしテルーが背後で「行きますよ」と再度声をかけたので、名残惜しそうな顔でクッキーを皿に戻して、テーブルから離れていった。クリストフは無言でメイドに合図、菓子類を薄布に包ませウルリヒに渡してやる。
「えっ、いいのか!」
「はい。ウルリヒ様、触ってましたし」
「くりすとふ、ありがと~」
ぎゅっと、包みを両手で持つウルリヒの満面の笑みの眩しさに『おまえの触ったクッキーなど誰も食べられないだろう』と、嫌味を含んだ言葉を吐いていたクリストフは視線を逸らす。
「別に。…行きましょうか」
顔を見ないようにしながら小さな背中をそっと押して、一緒にテルーの背中を追いかけた。
どうにもやりにくい、と思いながら。




