シロクマとチーズケーキ2
もっきゅもっきゅと、ケーキの一切れを二口で食べきってしまうテルー。もうすでにハーフホール分ほど食べているが、未だにその手は止まらない。
(よくお食べになる男性って…素敵ね…)
老いてなお筋骨隆々としたテルーが、ちまっとした皿とフォークを持ってケーキをおかわりする姿が可愛らしく、胸がきゅんとするシャルロッテ。
「その…もしよろしければ、お土産でお包みしますわ」
「それはありがたい!この後、昔の弟子に会うのですが…彼も甘いものに目がなくて。きっと喜ぶでしょう。頂いたものを分けて申し訳ないですが」
ニカッと歯を見せて無邪気に笑うテルーに、詳しくは聞かず「どうぞどうぞ」と勧めるに留めた。一通りの給仕を終えたローズが、お土産を用意するためにだろう、部屋から出て行く。
(自分で独り占めせずにシェアする…テルー様って、きっと根っから良い人なのよね)
「テルー様の奥様は、幸せでしょうね」
シャルロッテの口からぽろりとこぼれた言葉に、テルーは「色々とありましたがね。最後は穏やかな顔で天国へと行きました」と、にっこりと笑って見せる。
「ごめんなさい、私…」
「今更気になど致しません。人は死ぬものですから。…シャルロッテ様にそう言って頂けたと聞いたら、きっと私を叩いて『ずるいわ!私もお会いしたい!』と叫んだことでしょう。明るく、元気な人でしたから」
「奥様も…父のことをご存じだったのですね」
テルーは内緒話をするように「城勤めの者は皆、ヨハン様の虜でしたよ…うちの妻も含めてね」と、おどけてみせた。
(きっと、良いご夫婦だったのね。温かい、素敵な家庭が想像つくわ)
そして思い出すのは、母のこと。
温かい、あの日の家族。もちろん今の家族も大好きだけれど、シャルロッテの心の奥底にはずっと、あの小さな木の家の風景が残っている。
「あの、もしかしてなんですけど…母のことも、ご存じだったりしますか?」
「ああ、あぁ…もちろん」
シャルロッテの言葉にくしゃりと顔を泣きそうにゆがめたテルーは、ガタリと椅子を少し引いた。そして、深く、深く、膝よりも下がるほどに頭を下げる。
「え、ちょっ、頭を上げて下さい!」
いきなり体を縮めたテルーに、慌てるシャルロッテ。しかし、いくら「やめてください」「顔を上げて」と言われようとも、微動だにしないテルー。
シャルロッテすらその異様さに沈黙した頃、その灰色の頭を下げたままで、押し殺したような声を絞り出す。
「お母上のこと、申し訳なかった…葬儀も、出られなかったのだろう」
ぶわりと、シャルロッテの目に、涙が滲んだ。
初めてだった。このことを気にかけてくれた人は。
その無念を知っている人は。
初めて誰かに謝られて…あの日の無念がすくいあげられたようで。シャルロッテの目に盛り上がった涙がこぼれそうになった。
「……っ、いえ、そんなっ…テルー様に謝ってもらうことじゃ、ないですから…」
シャルロッテの異変に気付いて駆け寄ってくるリリーの足音に、手で一度だけ、おざなりに『来るな』と示す。小刻みに首を振って『近寄ってくれるな』とも。
目を見開いて、できるだけ涙をこぼさないよう、少し上を向いた。
「エリザベト様は、ヨハン様と共に眠っておられる。墓を暴くような者の手には届かない、隠された場所で穏やかに。きちんと祈りを捧げ、密やかに弔われたそうです」
「っ…そう、そう、でしたか…っ!」
そんなことを聞いたら。
もう、ダメだった。
次々にあふれる涙は、瞬きで零れ、呼吸で零れ、シャルロッテの頬を、スカートを、顎を濡らしていく。ぎゅっと目をつぶり、ふーっ、ふーっ、と荒い息を吐く。
心の底から、声が出る。
「…よかったァ…、よか、よかったぁ…!」
―――祈って、もらえていた
―――弔って、もらえていた
その事実だけで、もうよかった。
わんわんと泣き出したシャルロッテは「ありがとうございます」とうわごとのように繰り返す。頭を上げたテルーは痛まし気な目でそれを見て、口を引き結び涙をこらえた。
幼子が泣くのが『母を弔ってもらえたこと』だという事実に、テルーの大きく鍛えられた胸は刺されたように痛む。
「辛かっただろう」
ぎゅうと、シャルロッテの華奢な体は巨体に包まれる。叫ぶような泣き声は分厚い胸板に吸い込まれ、縋りついては泣き続けた。
ひとしきり泣いて、シャルロッテは恥ずかしそうにテルーから体を離す。
膝をつくようにしていたテルーは紳士的に後ろを向いてくれたので、遠慮なく盛大に鼻をかみ、涙を拭いてから「もう大丈夫です」と声をかけた。
「みっともないところをお見せしました。ありがとうございます、スッキリしました」
「…感謝されることなど、何も…」
苦し気なテルーの顔を、シャルロッテの両手がぺちりと挟む。
「テルー様は優しい人です」
「…苦しい生き方を強いる、大人の一人です。私を恨んでください。あなたにはその権利がある」
「私、楽しく生きてますから」
シャルロッテは「そーゆーのはいいんです」と苦笑した。
中々に波乱がありすぎて、誰かを恨みだしたらキリなんてない人生だ。しかし、何かを思いついた様子のシャルロッテは「もし、申し訳なく思ってくださるなら」と、そっとテルーの耳元に口を寄せた。
「いつか、お墓参りがしたいです」
「必ずや!お連れ致します!!」
ぐっと泣くのを堪えるのは、テルーの番だった。咆哮のような声にシャルロッテは声を上げて笑い、その頭にぎゅっと抱き着いた。テルーの顔を小さな肩口に押し付けて、その顔を隠してやる。
「楽しみにしてます。いつでもいいんです。ずっと先でも…だから、長生きしてくださいね」
シャルロッテは服に滲むシミには気づかないフリをして、色々と聞きたいことは呑み込んだ。きっと聞いても、この優しく大きな人を苦しめるだろうと、そう思ったから。
「そういえば、クリスが最近テルー様に憧れてるみたいです」「クリスは覚えていますか、私の可愛い義弟なのですが」「今も授業中で、体を鍛えているんですよ」ぽつりぽつりと一方的に、誤魔化すように関係のないことを話しかけ続けるシャルロッテ。
「それは…、今度一緒に稽古でも致しましょう」
顔を上げたテルーはもう、いつも通りで。
シャルロッテも何事もなかったように返事をする。
「ええ。ぜひ…クリスはとっても良い子なのですが、ちょっぴり心配な所もあって」
「ほう、それはどんな」
「えっ、そ、それは…」
(私の知っている原作だと、猟奇殺人的な事件を起こしますとは…言えない…)
「人の気持ちを…、こう…、考えられる人になって欲しいんですよね…?」
濁しすぎて疑問形になったシャルロッテの言葉だったが、テルーは「なるほど。それは、それは」と何かを納得していた。




