シロクマとチーズケーキ1
あっという間に時は経ち、テルー来訪の日がやって来た。
朝からそわそわと、クリストフが居ないタイミングで貰っていた手紙を見返してみたり、何を話そうと考えては、浮足立つシャルロッテ。
「お姉さま、今日…なんか変じゃないですか…?」
「えっ、そ、そうかな?!」
純粋に不思議そうなクリストフの疑問に、ビクリと肩を震わせる。
なんとなくテルーが来ることを秘密にしている手前、色々とは言えないシャルロッテは「今日のおやつが楽しみだからかしら~」と誤魔化した。
「調子が悪かったりしませんか?」
(うっ…!純粋に心配されると…胸が痛い…!)
シャルロッテはクリストフの頭に顔を寄せて「元気よ~、いつも気にしてくれてありがとう。なんて良い義弟なんでしょう…!」と、猫が甘えるように頬ずりをした。
「っ…!元気なら、いいんです」
今度はクリストフが猫のようにぷいと、そっぽを向く。誤魔化されてくれたようだと、シャルロッテは胸をなでおろした。そんな顔の義姉をばっちり見てはいたのだが、クリストフは『大人の余裕…』と胸中で呟き、それ以上追及することはやめておいた。
◇
柔らかな陽の注ぐ、午後の晩餐室。
整えられたテーブルの横で、シャルロッテはシロクマのような男を迎え、喜びにはしゃいでいた。
「ようこそ!今日はお越しいただきありがとうございます!」
「お招きありがとうございます。突然で、お邪魔ではありませんでしたか?」
「とんでもないです!」
相も変わらずガタイのいい御仁は、ロマンスグレーを撫でつけながら身を縮めるように腰を折り、そっと大きな手を差し出してきた。ちょこんとシャルロッテの小さな手を乗せれば、風のように軽いキス。
「こんな美しいレディとお茶ができるとは…長生きした甲斐があります」
(ああ…なんて紳士なの…。老いて尚、それが味として良さになっていらっしゃるわ…)
「そ、そんな…もう、からかわないでくださいませ」
「本心ですよ。シャルロッテ様のお美しさで、寿命が延びます」
「もう!まだお若いでしょう…さあ、おかけになって」
こうして、和やかな雰囲気で午後のティータイムが始まった。
しばらく雑談をしていたが、今日の会はクリストフの授業終了までというタイムリミットが存在する。気の急いだシャルロッテは『早く本題に入らないと』と、目くばせをしてリリーとローズに少し離れた位置へと移動してもらった。
(いくらあの二人でも、私の血に関する話は聞かせられないものね)
「あの…テルー様…」
しかしどう切り出そうかと、淡く色づく薄い唇をほんの少し開いたり閉じたり、息を吸うだけで言葉の出ないシャルロッテ。しゃらしゃらと揺れる白金の髪を、紫の瞳を、懐かし気にテルーは見つめた。
「本当に…、よく似ていらっしゃる」
慈しむその瞳に、本来口にしてはいけないと分かっていて遠回しに聞こうと思っていた本題が、シャルロッテの口からポロリと滑り出た。
「そんなに…父に似ていますか」
「ええ。お父上…ヨハン様に」
ストレートに本当の父親の名前を出され、ドクリと心臓が跳ねる。そんなにも軽々しく口にして良いものなのだろうか。ある種の戸惑いを覚えるシャルロッテが頷けば、そんな様子を機敏に察したテルー。
「私たち、二人だけの秘密ですね?」
おどけたように言葉を足した。
シャルロッテが再度頷けば、テルーは身を乗り出すようにテーブルの上に肘をつく。
「私に会って聞きたかったのは、お父上のことですか?」
「ええ。その…ごめんなさい。私、つい最近まで血縁上の父親のこと…まったく知らなかったのです」
「ほう。しかし、何かの拍子に聞いたと。…さて。貴方がお気になさるということは…何を、聞かされたのですか」
彫りの深いテルーの顔、目に影が落ちた。顎を引いただけなのに、テルーの眼光が鋭くて…『いくら今が紳士的でも、やっぱりこの人は戦士なのね』と、シャルロッテは口には出さず驚く。
少し動揺もあったのかもしれない。シャルロッテの口は、意図せずにするりと質問に答えてしまった。
「『血で壁に絵を描き続けるほどに、どうしようもなく絵描きだったの。愛と芸術に憑りつかれた、王家の秘宝』と」
マリアの言葉だ。
シャルロッテ自身、彼女の言葉がスラスラと出たことに驚いた。脳が覚えていたのだろうか。
グッと、テルーの眉間にさらに深い深いシワが寄る。何かを堪えるようにグゥと喉を鳴らし、「なんと…そのような…」と、押し殺した声。
「娘であるあなたにだけは、誤解をしないで頂きたい。レディ、あなたの父上は…本当に優しい、素晴らしい御仁です。そのような、一部分だけを切り取って…許しがたい」
組まれた大きな手が、気持ちを押し込めるように、シワの寄った眉間にグッと当てられる。
うつむくようにしながら「少しだけ、昔話をしてもよろしいかな」と、テルーは語りだした。
「私はその昔、外国との外交で…脅しをかける役割なんかをさせられることが多かったのです。それなりに名が通っていたものですから」
(ああ、狂戦士って…)
シャルロッテはハイジの言葉を思い出しつつ、その怒りに震える組まれた手から『父親は、この人から好かれていたのだな』と、ぼんやりと事実を認識する。
「ある日、東の国に行かされることになりました。あの国は長らく鎖国をしてましてね…蛮族の国だから、無理やりにでも国を開いてこいと。抵抗するなら容赦するなと、そう命令されました」
「!」
(それって武力で威圧しろってことよね…でも、ハイジのお母様も嫁いで来ているし、今は摩擦なく、対等に貿易をしているように思えるけれど…?)
視界を覆っていた手から、テルーの鋭い目線が現れる。戸惑うシャルロッテを見て「そう、そんな時に、あなたの父上が私のところへやって来たのですよ」と、微笑みを取り戻した。
「頭を地面にこすりつけてね。王族ともあろうお方が…私なんかに懇願して『自分が全ての罰を受けるから、どうか穏便に開国を』と願われました。ヨハン様は東の国の文化が、芸術がお好きだったのです…結果、東の国とは良好な形で関わることができている。シャルロッテ様、あなたの愛したものは、あなたの父上が守ったものですよ」
(そんな、私は違う、芸術を愛してとかそんなんじゃない…前世の記憶のせいだから…)
キラキラとしたテルーの眼差しに、シャルロッテは視線を逸らした。
そんな様子をどう思ったのか、テルーは言葉を重ね、熱く語り続ける。
「それだけでなく、彼のおかげで幾人もの命が救われているのです。ヨハン様は優しい人です。彼は分け隔てなく芸術を愛し、芸術に愛されていた…決して、血なまぐさい、気狂いのような人ではありません。あなたのお父上としてふさわしい、美しい方で…どんな奴ですかな、シャルロッテ様のお耳を汚したのは…!」
シャルロッテには、ぶわりとその巨体が怒りに膨れたように感じた。
「テルー様…、あの、大丈夫です」
失礼を承知で、会話を断ち切るような物言いをしたシャルロッテは「その…言っていた人は、ちょっと…正気ではありませんでしたの。もう会うこともないのです」と、言葉を濁しつつフォローをした。
「…本当ですかな?」
「ええ。父のことをきちんと知れて…もう安心しました。優しい人だったのですね…ありがとうございます」
まだ何かを言いたそうなテルーであったが、シャルロッテはほほ笑んでローズに合図を出した。心得たとばかりに、ローズはすぐにどこかへ消えて、そうしてカラカラと台座を押して戻ってくる。
「おや、これは…」
「はい。お手紙を交わす中で、お好みかと思いまして…チーズケーキをご用意しました」
テルーは見かけによらず、甘いものが大好きであった。そして乳製品も好んで食べると聞いたため、用意してみたのだ。
(少し気分を変えた方がいいわ。暗い気持で聞きたい話でもないし!)
「お口に合うと良いのですが」
さあどうぞ、と勧めるシャルロッテに、テルーはすぐさまフォークを手にした。
「シャルロッテ様は素晴らしい慧眼をお持ちだ。…私はこれに目がなくてね」
レンゲフェルト公爵家のシェフが腕に寄りをかけて作った、上質な材料のみを使用したチーズケーキ。テルーは勧められるがまま、ぱくりと食いつく。
そして小さなフォークを握ったまま、固まった。
「これは…美味しいですな」
焦げる手前まで焼いて砕かれたクッキー生地が、苦みと香ばしさでチーズの甘味を調和している。口に残った僅かな渇きを紅茶で流せば、爽やかなチーズの後味だけが残り…美味しい。
ほぅ、と落ち着いた息をつくテルー。
「テルー様に、貴重なお話を伺うお礼になるといいのですが」
「シャルロッテ様とお話しできることが、この老体には一番のご褒美ですよ。…ですが、このチーズケーキはもっと頂きたい」
『子どもの身では対価として何も渡すことができない』と考えたシャルロッテ。せめてこの時間をテルーにとって居心地の良いものにしようと、心を砕いていた。
テルーも甘いものに気が削がれたのか、先ほどまでの威圧感はもうどこにもない。すぐさま食べきってしまった皿に、ローズが次の一切れを給仕してくれる。
そんな様子にシャルロッテは安堵からホッ、と息をついた。