お気遣いどうも
「最近クリストフ、剣術の時間増やした?」
「……ちょっとだけ増やしました」
あらぬ方向を向いて言うクリストフの頬を「こっち向いて」と、つんつんとシャルロッテの指が刺激する。ゆっくりとこっちを向いたが、『これ以上聞かないで』と顔に書いてあった。
「ぷっ…、なにその顔」
「……別に」
シャルロッテは姉としての余裕を見せて、踏み込まないことにした。なのに。
「あはは、言わないんですかぁ?前騎士団長目指して、ゴリゴリに体鍛えるらしいですよぉ」
更にあひゃひゃと笑って「クリス様がゴリゴリってぇ、想像つかないですよね~」と空気を読めないハイジ。クリストフが額に手を当てて息をつく。
今日はあいにくとリリーがお休みで、ハイジがシャルロッテの護衛の日。後ろに控えているハイジは、気配を消すリリーと違って、ぐいぐい会話に入ってくるタイプの仕事をする。
「なんかぁ、この間会ったんですよね~?前騎士団長って武勇伝いっぱいあってスゴイ人なんすよぉ。俺も会いたい~!」
「っ……!ハイジ!!」
「いいじゃないですか~、騎士団長とか、全男児の憧れっすよぉ」
「いや~、自分も昔は憧れてましたぁ」と語るハイジは、前騎士団長であるテルーの武勇伝を語りだした。それはもう、敵をちぎっては投げちぎっては投げ、戦場で大活躍のスーパーゴリゴリパワー型の戦士だったらしい。
(え…?ギャップがすごい…丸太で城門を破壊…?!うそでしょ…)
「あんな紳士的でダンディな方が、ゴリラみたいな…そんなことある?」
呆然、といった顔のシャルロッテを見て、ハイジはいきなり腹を抱えて笑い出した。
「ん~?あぁ、あはははは!!やっぱお嬢様が理由かぁ~!」
ハイジは、ひとしきり笑って、一人で何かに納得をした後で「あの方、狂戦士とか言われてたんですよぉ。クリス様もまあ似たところありますよね~」と、謎の情報を吐いてやっと口を閉じてくれた。
沈黙の室内で、黙ったハイジとクリストフを交互に見て、シャルロッテはため息をつく。
「まあ、男の子だものね。ケガにだけ気を付けて、頑張って」
「……ありがとうございます」
テルーを目指してクリストフが頑張る間、シャルロッテはその当の本人に手紙を書くことに決めた。何かとクリストフが部屋に来るので、手紙を書く時間の確保をどうしようかと思っていたのだが…渡りに船である。
(テルー様って、意外と筆まめなのよね)
テルーは、三日にあげずに返事をくれる。あの巨体を丸めてちまちま手紙を書いているところを想像すると…シャルロッテは微笑ましくてたまらない気持ちになった。
シャルロッテは日常のこと、文学作品の感想など、当たり障りのないことばかりをしたためた。テルーも同じで、手紙は誰かが読むことを想定したような内容で、踏み込んだことは一切書いてこなかった。それはそれで楽しいのだが。
(私宛の手紙はおそらく…グウェインあたりがチェックしてるはずだしね)
そして、きっとシラーにも内容の報告が上がっているのだろう。別に見られて困ることもないが…なんとなく、本当の両親についての話題は出せずにいた。
(義理の父親が見るの分かってるのに…なんか気まずいじゃない?別に、今の家に不満があるとかじゃなくて。ただの好奇心で聞きたいだけなんだけど…)
はあ、とため息を吐く。そろそろクリストフの授業も終わる頃であろう。シャルロッテは便箋を鍵付きの引き出しに仕舞った。
これも、なんとなくクリストフに気まずくて、文通していることも隠しているためだ。
「直接、会えたらなぁ…」
シャルロッテの意識せず滑り出た呟きは、室内で控えているリリーの鼓膜を震わせた。
◇
「テルー様に会いたいか?」
クリストフ不在の時間帯に、わざわざグウェインが部屋へと呼びに来て、何かと思えば。
シラーなりに気を遣ってくれているのだろうか。シャルロッテは首をかしげつつ、素直に答えた。
「あ、はい。会いたいです」
「よし。来週、テルー様が城から帰るついでに公爵邸に寄って下さるそうだ」
「え!ほ、本当ですか!」
実は、リリーから『お嬢様は、文通相手に直接お会いしたいそうです』と報告を受けたシラーがテルーへと打診したのだが…そんなことはおくびにも出さない。
都合よく、城で剣術指南のあったテルーが帰りに寄ってくれるとのことで、とんとん拍子に話は進んだ。
「クリストフはその時間帯に、ハイジから稽古をつけさせておく。ゆっくり話しなさい」
「何から何まで…ありがとうございます」
「いい。それとだな」
シラーがグウェインに目くばせをすると、カラカラとティーセットが運ばれてくる。目の前にサーブされれば、ふわりと香ばしい香りの林檎パイ。重なる断面からじゅわりとにじむ林檎の糖蜜煮は湯気を立て、生地を一刻一刻と湿らせている。
「あの…、これ…!」
「散策に出ても、あの護衛の数ではカフェに行けないだろうと…エマが気にしていてな」
コホン、とシラーは誤魔化すように咳をした。
実はこれも『市街地の散策中、カフェに行きたそうだが付き添いが多くてシャルロッテが諦めた』という報告を受けたシラーがメイドに買いに行かせていた。エマの案ではない。
もちろん、情報を共有しているエマも不憫には思っていたが「今度、私が連れて行ってあげてもいいかしら?」「それなら店を貸し切っておこう」と、こちらもシラーが予定を調整しているところである。
「嬉しいです!食べていいですか!」
「ああ」
冷めないうちに、と早々フォークを刺して、パクリ。
舌の上で解けるパイ生地を味わって、リンゴの糖蜜煮の甘さを紅茶で流す。
「んんんー…!」
幸せそうなシャルロッテの顔を見て、シラーとグウェインは僅かに視線を交わす。これはシャルロッテに伝えることはないが『罪滅ぼし』であった。クリストフとシャルロッテの軽い喧嘩については、シラーも報告を受けていた。息子が暴走していたとはいえ、本人の気持ちを蔑ろにしていたのは…シラーも同じ。
「不便をかける」
(お義父様が…もしやこれは…謝っている…?私に?)
思わず手に持ったフォークを取り落としそうになりつつ、シャルロッテはグウェインをちらと見れば、何やらドヤ顔で『はやくお返事なさい』とばかりにコクリと頷かれた。
「と、とんでもないです…?」
「……何か困ることがあったら、すぐに言いなさい。私でも、エマでもいい」
「えぇ、でも、特にないですよ」
「今後の話だ。特にクリストフに関することで何か悩んだら…悪いようにはしないから、相談をしなさい」
「はあ、分かりました」
状況は呑み込めないが、美味しい紅茶と林檎パイは飲み込める。シャルロッテがフォークを進めつつシラーの様子を伺い見れば、黒髪をぐしゃりとかき上げて息をついていた。
「エマに『早熟な子どもだからこそ、大人と同じように対話が必要なのよ』と、叱られてな。個別に話す機会を設けたかったんだ」
「ああ、なるほど!…今までも、お義父様が気を遣ってくださっているの、ちゃんと分かってましたよ」
「そうか」
「ああでも…クリスとはゆっくり話して欲しいと、私からもお願いします」
そんな雑談をしつつ、ちまちまと出された分全てを平らげた頃にはクリストフがやって来て「僕もお茶したかった…」と拗ねてしまった。シャルロッテはしまった、という顔をして、慌てて立ち上がる。
「ごめんなさい!クリスもお義父様とお茶したいわよね。お義父様も、クリスと二人で話がしたいって言ってたのよ!ね、お義父様?!」
「え、いや。僕はお姉さまと…」
「あ、あぁ、そんな、今じゃなくてもいいんだが…」
シラーの言葉をブチ切るように、シャルロッテはクリストフの手を握って、自分が座っていたソファへとクリストフを無理矢理座らせてニッコリと宣言した。
「順番こ!次はクリスの番!」
残念なものを見るような目つきでシラーとクリストフが見てきたのが解せなかったが「私は、図書室で読みたい本がありますので~」と、シャルロッテは執務室から撤退した。