社交復帰その2
シャルロッテは一人、庭を眺めながら薄ぼんやりと想像する。
自分のこの先の未来。将来。大人になったら。…結婚?
(嫁ぐとなると、既に後継ぎが居る家かしら?配偶者と離婚、死別をしている方の後添えとして嫁いで、のんびりスローライフさせてもらうとか)
職業婦人として身を立てたいところではあるが、選択肢の一つとして『結婚』も考えておくべきだろう。色々な思いに蓋をして『案外良いかも』とシャルロッテは思い込もうとした。
(家にずっと居させてもらえればいいけど、クリスだっていつか、自分の家庭を持つのよね。そうなれば私は邪魔者だわ。血も繋がってないし)
なんか、寂しいな。
「…さま、お姉さま!」
気づけば、眼前に迫る紅い瞳。額がくっつきそうなほどの距離にいるのに、気が付かなかったとは。考え込みすぎていたとハッと目を見開いて言い訳をする。
「あ、ごめんなさいっ!ちょっと考え事をしててっ」
慌てたところでもう遅かった。思考の海に潜っていたシャルロッテを、エマも、シラーも、クリストフも、全員が覗き込んでいる。
「お父様、今日はもう帰りましょう」
「そうだな。礼儀も果たしたし、良いだろう」
「シャルは私と手を繋ぎましょうね」
エマに優しく手をとられ、反対の手はクリストフに掴まれる。
クリストフが筆頭ではあるが、事件後からはエマも中々に過保護になっていた。シラーもシャルロッテの囲い込みに反対しなかったように、今だって立ち上がって帰り支度を始めようとしている。
「ちょ、ごめんなさい!大丈夫なの!考え事してただけ!」
ちょうど主催者挨拶のようなものが始まるところで、ファージやアンネリアの姿に注目が集まっていた。ここで抜けるのはありえないだろうと、シャルロッテは「わ、ファージ様よ!今日のパーティーは何が食べられるかしら!」と無邪気に喜んで見せた。
「うーん、じゃあ…少しだけ食べて、早めに帰りましょ。ね、シラー」
「そうだな。あとでファージには抜けると言っておく」
クリストフは不満げに眉間に皺を寄せて「本当に大丈夫ですか…?」と疑りを捨てない様子だったが、シャルロッテがニコニコとしていればそのうちに無表情に戻る。
主催者挨拶の後すぐ、シラーの前には引きも切らぬ挨拶の列が出来てしまい、抜けるどころではなくなった。
(主催者に挨拶して、流れでみんなこっちに来るのやめてちょうだい…)
しかも今回は子連れが少ないため、大人ばっかり話をしていて、シャルロッテは正直居てもいなくても変わらないポジションだった。たまに嫡男のクリストフは「素晴らしい息子さんだ」「レンゲフェルトも安泰ですな」とヨイショヨイショされて巻き込まれているが…シャルロッテは初めの挨拶と「お体大丈夫ですか」といった問いかけのみ。
(ちょっと暇すぎるわ…。気を張ってるのも疲れてきちゃった…)
何組目だったろうか。息子に付き添って来たという壮年の男性が、挨拶後もこちらを見ていた。
美しいグレイスヘアーで、服の上からでも分かるほどに盛り上がる筋肉をしている、背の高い白クマのような人。
シラーと、クリストフを巻き込んで盛り上がる息子を横目に、シャルロッテに話しかけてくれたのは…おそらく、自分が暇そうだったからだろう。
「こんな老体で申し訳ないが…少し、話し相手になってくれませんか?」
聞けば、ファージの叔父上だそうで。以前は城勤めで、騎士団長をしていたと自己紹介をしてくれた。引退して尚、胸筋や腕はパンパンで…シャルロッテはチラ見えする筋肉に、思わず「まあ、すごい!ムキムキ…」と口走ってしまったほどだった。
「こんな素敵なレディに褒めていただけるなら、鍛えた甲斐があります」
照れて笑うと、目じりに深いシワがくしゃりと現れて、人懐っこい印象を受ける。シャルロッテのともすれば非礼にもなる発言にすら寛大な、大人の余裕もあって素敵だ。
(いい人だわ…、そしてちょっと、かっこいいかも…)
「もう私は社交をする気はなくてね…シャルロッテ様にかまってもらえると、助かります」
「私も!お話し、したいです。あの…お名前をお伺いしても?」
「これは失礼しました、私はテルー」
手ずから紅茶を淹れて、シャルロッテに温かいカップを差し出し、語り掛けてくれる。ゆらりと上がる湯気のように、シャルロッテの心もふわふわと浮上した。
「シャルロッテ様のお話が聞きたいです。何がお好きですか?」
ゆったりとした、余裕のある笑み。彼からすれば小さな椅子に体を押し込めて座る様は愛らしく、シャルロッテはすっかり警戒心を解いてしまった。
淹れてもらった紅茶を一口飲めば、緊張に張っていた肩から力が抜ける。
「……私は最近、東の国の文化に興味があります」
「おや。それは…私も昔、かの国に興味がありましてね。しばらく行っていたこともあるのですよ」
「まあ!そうなんですの。実は最近、家で“鍋”をするのが好きでして…!」
少しかすれた、低い声。ひたすらにシャルロッテの話を聞いてくれるその、優しい瞳。軽食をサーブしてくれたりと、細やかにされる気遣い。…しかし、時折切なげに目を細められることがある。
そうして、シャルロッテは話の途中で気が付いた。
(ああ、そうか。この方、騎士団長だったわね。そしたらお父様のこと…よく知ってらっしゃるのかも)
別に今まで、特に気にしたことなんてなかった。血縁上の父親。
でも、もしかしたら。ここから辿れば、お母様の昔話が聞けるかもしれない。あと、良く知らない父親のことも。そんな好奇心で、シャルロッテは思いつきを口にした。
「あの…、テルー様。よければ…お手紙を、書いてもよろしいでしょうか」
「もちろんですとも。引退した身で、暇でしょうがないのですよ。シャルロッテ様にお手紙を頂けたら、どんなに嬉しいことでしょう」
見つめながら乞えば、柔らかく許される。
「しかし。始めの一通は、私から送らせていただきたい。レディへの礼儀として、シラー殿にもきちんと許可をとっておきたいからね…任せてくれるかな?」
最後の崩れた口調に、シャルロッテはポッと頬を染めた。
どこまでも紳士な振舞いなのに、ちょっとしたギャップである。
「あ、ありがとうございます。私からもお義父様にお話をしておきますわ」
「嬉しいよ、ありがとう」
ちょうどその時、会話の輪から抜けてきたであろうクリストフがやってきて、シャルロッテの腕にひしとしがみついた。テルーの方は見向きもせず、シャルロッテだけを見つめている。
「お姉さま、ご気分はどうですか。そろそろ帰ろうかって、お父様が」
「まあ…。大丈夫なのに」
しかし、決定事項なのだろう。話し終えたであろうシラーがこちらを見ている。
テルーは立ち上がり、クリストフにも、シャルロッテにも、礼儀正しく微笑みを投げかけた。
「では、私もそろそろ失礼するよ。楽しい時間をありがとう」
「あ!ありがとうございました!」
「……ありがとうございました」
筋肉の盛り上がる背中をじっと見つめるクリストフ。シャルロッテも椅子から立ち上がり「クリス、お迎えありがとう」と微笑んだ。手を繋いでエスコートをしながら、クリストフはむくれていた。
「……僕、はやく大人になりたい」
「いきなりどうしたの」
「……別に」
この日の帰りの馬車は、シャルロッテは疲れて眠ってしまった。そのため、後にシラーの執務室へと出向いて、テルーとの文通の許可を取ることになる。
それは、シャルロッテにとっては初めて生まれた『クリストフの関わらない人間関係』であった。