不遇からの解放
すっきりした気持ちで、ペン先の水気をちゃっちゃと切っていると、再び入口のドアからガンガンと音がした。うわ、来たと思いながら、そーっと顔をのぞかせてドアを見る。
ガンガンと断続的に音が響いていたが、しばらくしてあきらめたのか、音は止んだ。
(お、もう行ったのか)
私は浴室にいたので今回は声も聞こえず、ストレスフリーだった。今度からザビーが来たら浴室へ逃げようと思う。
一生懸命頭を使って思い出したりなんなりして疲れたので、私はベッドにごろりと横になって、少しだけ、と思いながら目を閉じた。
『開けなさい!夕食持ってきてあげたのよ!ちょっと!!いるんでしょう!』
ガンガンと響く音に、再び目を覚ます。相変わらずの勢いだ。
もぞりと態勢を変えて、目をつぶる。
『ちょっと、お願い開けてちょうだい』
『どうしたの?』
『夕飯よ、お腹空いているでしょう』
『今日もおいしいパンよ、食べたいでしょう』
『部屋に入れてちょうだい』
『ねえったら!』
しばらくすれば、またドアの前で食べてどこかへ行くだろうと思って息をひそめていたが、今回はどうにも長い。おかしいなと思って身を起こす。
(なんで諦めないんだ…?)
『あなたが心配なの!どうして開けてくれないの、なにかあった?ほら、ご飯ここに置いたらみんなの邪魔になっちゃうから、受け取って!お願い、ドアを開けてくれるだけでいいのよ』
私はピンときた。
これは、周りに誰かいるのかもしれない。
言葉遣いが今までに比べて、丁寧すぎる。
(声かけるなら今かもなあ。ザビーに言っても、メイド長に伝わる気がしないから。そばにだれかいるなら、伝えてほしい)
ベッドから起き上がって、素足のままドアの前までそーっと移動した。ドキドキする胸に手を当てながら、できるだけ大きな声を出そうと息を吸い込む。
「メイドちょうか、かれいとしか、はなしません!きていただけるまで、しょくじもけっこうです!へやからもでません!」
私の声は思ったより大きく、よく響いた。
『ハァ?!何言ってんのよ、バカじゃ……。どうしてそんなこと言うの?私になんでも話して!先輩として心配なの!お願い、ドアをあけて!』
「メイドちょうか!かれいとしか!はなしませんので!!それまで、ぜっったいそとにでません!」
『チッ!っふざけやがって…、話し合いましょう!いきなり連れて来られて、つらかったのね。まだ小さいのに、性奴隷として売られるなんて可哀想に…、ぐすん、私はアナタの味方よ!』
クサい芝居をするザビーにムムム、と眉根が寄る。
「わたしはここにきてから、なにもたべていません!ずっと!なにも!たべさせてもらえていません!!」
『っちょ!ま、また来るわ!また来るからね!』
聞かれたらまずいことを私が言うと、ザビーは慌ててどこかへ行った。
どのみち、明日はクリストフに渡される日だ。明日中には誰か来るだろう。
(それより早く来てくれれば、ご飯を食べさせてほしいな)
お腹が空きすぎてピークを過ぎているためか、不思議と空腹はない。そのため、最悪明日の夜でもまあいいか、といった心もち。
コップに水を注ぎ、飲み干した。水差しの水も少なくなってきたので、夜中にまた行こうと思いながら、羊皮紙を手に取る。
(さて設定は、これ以上思い出せることないかな)
ベッドに腰かけて紙を見直しながら、書き足すべきところがないかを考える。じっくりと読み込んだが、このままで大丈夫そうだ。
「ふぅ…」
結構時間が経っているのかもしれない。肩がこわばっている。全身の力を意図的にぬいて、だらりと脱力した。ぼすん、と仰向けになって天井を眺める。
目を開けたままボーっとしていると、コンコンコンという控えめなノックの音で意識を引き戻された。
(絶対ザビーじゃない…誰だろう)
『失礼いたします。シャルロッテ様、メイド長のマリーでございます』
「!しょうしょう、おまちください」
私は慌てて体を起こし、室内履きを履いた。髪の毛を手ぐしで整えて、服の裾を簡単に整える。ドアの前まで移動して、鍵を開けようとしたが…。万が一、ザビーがいて殴り掛かられても困る。
「まりーさん、いま、おひとりでいらっしゃいますか?」
『いいえ、わたくしの他にメイドが2名おります』
「ほかのかたは、わたくしのへやにきたことがありますか?」
『ございません。上級メイドでございます』
「わかりました、かぎ、あけます」
ザビーや、以前来たメイドは上級メイドではないだろう。あの2人が居ないことに安心してドアの鍵を開けた。少し間を置いてからそっとドアを開けると、メイド長と、連れられた2人のメイドが深々とお辞儀をしていた。
「かお、あげてください。なかへどうぞ」
「失礼いたします」
足音もなく3人は室内へと入り、メイド長が私のことを誘導して椅子へと腰かけさせてくれた。私を座らせ、目の前に膝をついたメイド長の後ろで、2人のメイドも膝をつく。
「えっ、あの、たってください」
「この二日、こちらの不手際でご不便おかけしましたこと、深くお詫びします」
深々と頭を下げるメイド長に合わせ、後ろの二人も頭を下げる。
(あー、ザビーのこと伝わったのかな)
「かおをあげてください。まだプレゼントされていませんので、ただの“イソーロー”みたいなものですし。こんごザビーとはかかわりあいになりたくないですけど」
「シャルロッテ様は旦那様の養女となっておりますので、この家のお嬢様でございます。ザビーの処遇についてですが、事態を把握するため、お嬢様からもお話をお聞かせ願えますでしょうか」
「わかりました」
私はざっと、この二日の話をした。メイド長の眉毛がピクピクと痙攣するのを見ながら、最後にこう締めくくる。
「ザビーをはじめ、ほかのメイドたちが、わたくしのことを“ぼっちゃまのオモチャ”“せいどれい”といった、あやまったにんしきをしているようです。こんごのせいかつに、ししょうがでることが、しんぱいです」
「大変申し訳ございませんでした、全てこちらの責任でございます。誕生日パーティー以降は、使用人一同に指導を行い、当然、そのような考えを持つ者が無きようにいたします」
「おねがいします」
ザビーの処遇は公爵様への報告の後に決まるそうで、一時保留。
伝えることをきちんと伝えたら、ドッと力が抜けてしまった。
ホッとすると“空腹”という感覚がもどってくる。
「わたくし、あの、しょくじをとっていなくて…」
「すぐにお持ちいたします」
右後ろのメイドが立ち上がり部屋を出ていく。
「おみずも、もうなくて…」
「汲んでまいります」
左後ろのメイドが水差しを抱えて出て行った。
「もうしわけないです…」
「ご不便をかけ、こちらが申し訳のしようもございません。他の使用人にも、きちんと指導させていただきますので、ご容赦いただければと思います」
「ありがとうございます、おねがいします…、あの、めいどちょう。たってください」
「はい」
(せっかく二人きりだし、情報収集しておこう)
「クリストフさまと、こうしゃくさまのかんけいって、どうなのかしら。まいにち、あっているのかしら」
立ち上がったメイド長は、少しだけ、眉間に力が入ったようだった。
「旦那様とクリストフ様は、行事などの際にお顔を合わせていらっしゃいます。また、クリストフ様の教育の進度や日常生活は、日々旦那様へと報告されています」
(つまり、全然会ってないと。使用人から報告聞いてるからオッケー、じゃないでしょ!育児って、違うんじゃないの)
私も眉間に力が入ってしまう。
「あしたは、こうしゃくさまも、いらっしゃいますよね」
「もちろんでございます。明日はクリストフ様の誕生日を祝う晩餐会を予定しております。お嬢様にもご参加いただきます」
「そこで、ぷれぜんとされるのね」
「はい。今晩から、お手入れをさせていただきたく存じます」
「わかりました」
(ちょっと踏み込んだことも、今なら聞けるかも…!)
「めいどちょうからみて、クリストフさまは、どんなこかしら」
「大変、ご聡明でいらっしゃいます」
「こまったことは、ないのね。メイドにわがままをいったりとか」
「公爵家の使用人として、主に困るということはございません。それは使用人の力量不足でございます」
「わかったわ、ありがとう」
(さすが公爵家。わがままは、応えられない使用人が悪いってことになるのか)
それだけ高いレベルの使用人がそろっているのだろうけれど、ザビーみたいなのが紛れていたのはどうしてなのだろうか。
「ザビーって、なんのおしごとをするメイドだったのかしら」
「ザビーはハウスメイド見習いでした」
「みならい」
「大家族の長女ということで、領地の村長から紹介状があったようです。素行の悪い者を紹介することは、公爵家への侮辱です。村長含め、厳正な処罰が下されます」
(えっ、ザビーだけじゃなくて、出身地の村長も罰を受けるの?!)
「しょばつとは、どのようなものになるのでしょうか」
「決めるのは旦那様ですが、紹介状を出した村長は罷免…村長ではいられなくなります。また、横領や窃盗をした使用人の場合は一族郎党が縛り首にございます。お嬢様の食事を“盗った”とも考えられますので、こちらの慣例が適用されるかと。ご安心ください、きっちりと処分が下ることでしょう」
(いやいやいや、ご安心できないよ!関係ない人たちに死んでほしいとか思わないし…!)
思った以上に重すぎる処罰に、引いてしまう。今後ザビーと関わりたくないが、そこまで望んでいない。
「しょばつが、おもくはありませんか」
「それは公爵様のお決めになることです」
ごもっともだ。
(会ったら減刑を願ってみよう…さすがに寝覚めが悪い。クビだけでいい)