社交復帰その1
「お姉さま、ん」
小さな手が伸ばされる。シャルロッテはそれを優しく握って、ぐいっと引いた。腕を組んで、踊るように前へ、前へと足を進める。
「さ、行こう!アンネリア様が待ってるわ!」
「あら、嬉しそうね」
おっとりとした声は、義母であるエマ。その腰を抱いて離さないシラーは、はしゃぐシャルロッテに呆れたように鼻を鳴らした。
話し合いの後、約二ヶ月。シャルロッテは事件前の生活を取り戻していた。
『たまには一緒に寝ること』
『外出時は常に手を繋いで、グルッと護衛に囲ませること』
『社交関連は、家族がそろった時のみ可』
そんな条件を呑んで、いつもの生活に戻ることができたシャルロッテ。今日は、やっと家族そろっての社交復帰の日だった。
「久しぶりだから、嬉しくって!」
そんな訳でご機嫌な足取りで進む。薔薇のアーチをくぐって一番眺めの良い席へと案内されると、すぐさまパーティーの主催者がやって来た。
「公爵家の皆さま、私の誕生日パーティーにようこそおいでくださいました!」
手を開くようにして、満面の笑みを浮かべているのは侯爵家のファージ・マルカス。相変わらず家族そろって金色ベースのゴテゴテした服で、歯茎を見せた良い笑顔をしている。その後ろには目をハートにしたアンネリアと、彼女の手をしっかり握るご婦人の姿。
「お招きありがとう」
「当然だとも!シラーの真似をして、うちもガーデンパーティーがしたくなってね!」
「光栄だ」
「そうだ、シャルロッテの具合が悪かったんだろう?大丈夫かい」
そういうことになっていた、らしい。
クリストフの手を離し、カーテシーを披露する私をファージは大げさに褒めた。
「上手だ!いやはや、元気そうで何より!つらくなったら、いつでも言ってくれよ!」
「お気遣い痛み入る」
「はっはっ!シラーと私の仲じゃないか!」
大人同士は穏やかそうだが、子ども同士はそうでもない。
クリストフが即座に離れた手を握り直したのが、どうやらお気に召さなかったらしい。アンネリアはシャルロッテを睨み付けている。にこっと笑いかけてみるも、眉間に皺を寄せられてしまった。代わりに繋いでいる手を持ち上げて見せれば、シャーッと歯をむき出しにして威嚇してくる。
(むしろこれは…バカわいい)
にこにこ笑うシャルロッテは『でもマナー的に良くないわね』と考え、そっと握っていた手を解いた。クリストフに目くばせすれば、渋々といった様子で頷く。
「さあ、座ってくれ!おお、クリストフもちょっと背が伸びたな。優秀だと評判だよ、将来が楽しみだな!」
「ありがとうございます」
「クリストフはいつも頑張っていますから。最近では…」
クリストフは巻き込まれた大人の話に耐えつつ、『今すぐお姉さまを連れて帰りたい、誰もこっちを見るな、話しかけるな』と内心は荒れていた。
しかしそんなことはつゆ知らず。シャルロッテはいい機会だと、嫌そうな顔をするアンネリアへとススッと寄って「アンネリア様、お久しぶりですわ」と、無視できないほどの近距離で挨拶をする。
「っ…近いのよ!しばらく具合が悪かったって聞いたけど、今日べつに来なくてもよかったのに!」
「まあ、私アンネリア様に会いたくて…このパーティーを選んで来たのですよ」
全くの嘘だ。全てはシラーの采配なのだが、物は言いようである。
アンネリアはしゅんとした様子のシャルロッテにひるんで、ちょっとバツのわるそうな顔をした。しかし、ブンブンと頭を振り「だって、だって」と、もごもごと口の中で言い訳を転がす。
「あなたが居るとクリストフ様とお話ができないの…邪魔しないで欲しいの!」
「まあ、アンネリア様は、クリスがお好きなのね」
「そうよ!」
口に手を当ててわざとらしく驚いて見せるシャルロッテは「どこがお好きなの?」と、ほんの興味本位、暇つぶしに話題を振った。
「だって、クリストフ様はかっこいいでしょ、頭もいいでしょ、お馬にも乗れるって聞いたわ。それに…公爵家を継ぐでしょ。アンネリアはクリストフ様と結婚したいの!」
「ん…?」
(…マルカス侯爵家には子どもは一人だったはず。アンネリアは後継ぎじゃないの?)
訝し気な顔で考え込んでしまっていたのだろう。アンネリアは「あのね、いいこと教えてあげるわ」と、言いたくてたまらない様子で、でも声を潜めて「ナイショの話よ」とシャルロッテの耳に口を寄せる。
「アンネリアはね、お姉さまになるの。生まれてくるのが男の子だったらね、アンネリアはお嫁さんになれるのよ!そしたらクリストフ様とも結婚できる可能性があるって、お母様が言ってたわ!」
(それ…結構重大な秘密では…)
シャルロッテは慌てて視線を大人へと向けるが、クリストフを囲んで四人とも盛り上がってしまっている。こちらを見ているのは、当のクリストフだけだった。
(アンネリアちゃん…ちょっと黙ろっか、お姉さんそんな秘密聞きたくないよ…!)
シャルロッテの内心なんて知ったことではないアンネリア。言いたくてたまらないらしく、べらべらと勝手に語りだしてしまう。
「ふふん、アンネリアはね…お父様のお役に立ちたいの。だから、より良い婚約をしたいのよ。クリストフ様なら、アンネリアも大好きだし、条件もいいし、最高なの。そうしたら、生まれてくる子も、みんなハッピーなのよ!」
「そう、ですか…。アンネリア様、それ、自分で考えたのですか?」
「そうよ!アンネリア、色々考えてるの。すごいでしょ」
ふふん、とドヤ顔のアンネリア。
もちろん周囲の教育もあるのだろうが『お役に立ちたいの』という純真なアンネリアの心に触れて、シャルロッテはグッとくるものがあった。自分よりよっぽど、この子どもの方が未来を考えているなぁ、と。
(『家の役に立つために婚約を結ぶ』って、貴族子女だと当たり前の考え方よね。私は家庭教師にでもなって働こうかと考えていたけど…それって、すごく、自分勝手なのかも)
「アンネリア様は、すごいです」
「!そ、そう?!意外とシャルロッテ様もイイわよ。な、仲良くしてあげるわ」
アンネリアが「だから、クリストフ様と話してる時は邪魔しないでよね!」と言うのを受け流しつつ「いいですけれど、クリスの気持ちも大切にしてくださいね」と、さりげなくクギも刺しておく。
(婚約…結婚かぁ…。政略結婚?いかにも、貴族っぽいわね)
今まではクリストフの黒幕化を阻止することしか考えていなかったが、最近の様子を見ていると、もう大丈夫な気がしている。
そうなれば、シャルロッテも『ゲームのエンディング後』を考えねばならないだろう。
―――自分も、結婚するのだろうか
(でも私って、たぶん子ども産まないほうがいいよね。血筋的に…)
深く考え込むシャルロッテをよそに、アンネリアはぺらぺらと『理想の結婚式のドレス』について語っていた。シャルロッテは「そうなんですね!」「まあ」「すごい!」と繰り返す機械と化していたが、まったく気が付いていない。
「アンネリア、楽しそうなところごめんなさいね。そろそろご挨拶に行きますよ」
「えっ、でもまだクリストフ様とお話ししてないっ!」
「また後で話せるわ」と、夫人が手をぐいぐい引っ張って連れて行く。アンネリアは瞬きを繰り返し、一生懸命可愛い顔を作ってクリストフに「また後で!後で絶対おしゃべりしましょうね~!」と声をかけたが、相変わらずガン無視されていた。




