*女は暗い、石の上で
少し、グロテスクなものを想起させる描写があります。
苦手な方は読まないようにお願いします。
ここを読まなくても話は繋がります。
「起きろ」
暗く湿った地下牢に、似合わぬボーイソプラノが響く。少年だ。
小さな体の手にした松明の炎が岩壁に反射して、濃い影を連れて来ている。奥で手足を鎖につながれ、吊り下げられた女の瞼がピクリと痙攣した。ぐったりと垂れていた頭が、ほんの少しだけ持ち上ろうとして、力なく落ちる。
「起こせ」
影に控えていた黒装束の男が、どこからともなく現れた。床にできた水たまりのようなものから汚水をすくいあげ、女の顔に浴びせかける。うめき声のようなものをわずかに発し上げた顔には、猿ぐつわが噛まされていた。
「……ぅ……らぇ…」
女は顎を血混じりの唾液で汚しながら、かすれる声で『誰だ』と問いかけているようだ。少年は目深に被ったフードを下ろし、冷えた瞳で女を見据える。
「僕のことは気にしないで。死ぬところを見に来た、だけだから」
黒髪に、紅い瞳の、幼い子ども。
この場に少年が立つことは、周囲の誰もが反対した。
父親も子どもの見るものではないと諭したが、そんなことは少年にとって些事だった。
『―――お姉さまの報復を、僕に』
この女は…少年の聖域を踏み荒らしたのだ。自分に対する蛮行よりも余程許し難く、筆舌尽くしがたい怒りは少年の脳を焼いた。
『こちらで相応の報いを受けさせる。安心していい』
『安心?僕が殺します、絶対に。どこにいるか教えてください』
怒りに燃える紅い瞳。しばし問答の後、父親はどう言っても少年が折れる気のないことを悟った。
頑なに断る父親にしびれを切らした少年が『それならば…、あの女の血縁に責任を取ってもらいましょうか。修道院の人間にも』と、半ば脅しのように言ったからだ。
『…周囲は関係ないだろう』
『あの女に僕が手出しできないのなら、しかたないですよね。僕のこの気持ちは収まらない。家に迷惑はかけません。長期スパンでやりますから、安心してください』
修道院に入って身分を捨てているわけではない、あの女の血縁である高位貴族に手を出されるのは…父親として、少々困る話であった。表向きはとっくに処刑となっているはずのあの女は未だ、とある地下牢にて生きながらえさせている。父親が最後は処理する心づもりでいたのだが…。
『見届けるだけだぞ…』
『お母様が同じ目にあったと考えて下さい。わかりますよね?』
目的を果たすためならば手段を選ばぬ、その血筋に宿る狂気を正確に読み取った父親は『気持ちはわかるが、お前はまだ子どもだ』と渋りつつも、その後も息子の粘り強い交渉によって最終的には許可を出し、少年をこの場に送り届けた。
尋問の済んだ女は、もうすでに虫の息。
しゃべることもままならならず、放っておいても数日と持たないことは一目瞭然の有様だった。こんなの、死んでいるのと同じではないか。少年は小さく舌打ちして「ふざけるな…」と口の中で言葉を溶かす。
これでは、少年の気持ちは収まらない。イライラと舌打ちをし、命令を口にした。
「この女は、お姉さまの顔が欲しかったらしい。…望み通りに骨の形を変えてやりなよ、お姉さまの顔はもっともっと小さいだろう」
命じられた黒装束は少年の傍らに膝をつき、頭を垂れる。
「やれよ」
しかし、黒装束は動かない。
この場において、少年に何かを決める権利は無いのだ。少年の立場は観客、又は見届け人であり、父親の描いたシナリオ通りの動きのみが許されている。我が子に対する最低限の制約として、父親は決定権を渡さなかった。
黒装束は口を開くこともできずに頭を下げ続け、少年は苛立ち露わに床を蹴った。
「……僕はね!生きていくためにお姉さまが居ないとダメなんだ。だから、最低限ね、お姉さまさえ居ればいい。自分の心臓より、目より、何より大切なのがお姉さまだよ。お姉さまが居ない世界なんてものは、僕の中には無いんだ。それを、顔が欲しくて?薬を使って?この女は何をしようとした…?」
少年はギリギリと奥歯を鳴らすほどに噛みしめ「僕が…大人だったら…」と呟き、憎悪の紅い瞳で女を睨み付ける。
「……ぉボぉ…ぁん…」
女は最後の力を振り絞って『おぼっちゃん』と、僅かに口角を上げて嘲笑う。
何もできない少年を嗤う低いくぐもった唸り声が石に反響し、少年の顔から感情の色を抜き取ってしまった。怒りも、憎悪も、口惜しささえ、全ての感情を瞳から消し去った少年は、定められた観客席に腰を下ろす。
「事を起こしたのが今年でよかったね。数年後なら、お前は死ぬこともできなかったよ」
少年が片手を上げた。
黒装束が女に近づく。
「……ぅ…ぁ…ゲェッ、ォ…ッ」
たぷたぷと、黒装束が何かを女の頭からかけている。猿ぐつわから伝ったソレに女が咽込むのも無視で、まんべんなく、たっぷりと、腕、足、背中、すべての部位にかけられる。べっとりと体をつたう液体は、垂れて足元に溜まりを作った。
「修道院の人間も、お前に協力したヤツは幸運かもしれないね。神に祈るどころか、直接会いに行けるんだから。―――まあ、天国に行ければの話だけど」
そうして少年は、手にしていた松明を女に投げつけた。
いつもお読みいただきありがとうございます。
R15規定に当てはまらない範囲で書くように心がけていますが、もし「これはちょっと…」と思う方が居たらお知らせください。