私のおうち2
「タイミングだな」
言い切ったシラーは少しだけ考えて「あー…今更だが、全ての話は極秘事項だ」と、付け足してから話し出した。
「シャルロッテを引き取った前日に、現王に子どもが生まれた」
飲みこもうとしていた水が、口の中で止まった。つまり、それは―――?
「シャルロッテがエリザベト嬢の死後も神殿で管理されていたのは、現王に子どもがいなかったことが大きな理由の一つだった。要は、年齢的なバランスを見ての血のストックだな。それが、必要なくなったわけだ」
「あの時お義父様が、私も処分されるかもとかって言ってたの、本当だったってことですか?」
「そう主張した人間も実際に居た。『いつか要らぬ争いの種となるのでは』と。…そんな話を聞いたら、さすがにヨハンの子を見殺しにするのは寝覚めが悪くてな。手をまわしてどうにかしようと考えていた」
いつかの血の気が引く感覚が蘇り、シャルロッテはひゅっと息を呑む。飲もうとしていた水が変なところに入って、ゲホゲホとむせるハメになった。
背中をさすりながら、シラーが「そこで、丁度良くクリストフが姉を欲しがっていると聞いたわけだ」と言ったことで、不思議と心が少し凪ぐ。そうか、クリストフが。何度かせき込みながらも、シラーに続きを目で促した。
「エマと相談して、うちなら爵位も余っているから将来困ることもないだろうと、引き取ることにした。反発もあったからな…公爵レベルでないとおそらく引き取れなかったと思う」
「ああ、そうですよね。厄介者…すみません…」
「全ては無かったこと。私はたまたま、息子の願いで修道院から子どもを引き取ったに過ぎない。そして、引き取って正解だった。今はもうシャルロッテの居ない家族には、戻りたくないと思っている」
いつになく優しいシラーの言葉に、思わずにまっと笑顔がこぼれるシャルロッテ。
「そ、そうですか?」
「流石の私でも、シャルロッテが来てから家族仲が良好になったと理解している。これでも、感謝もしているんだ」
「じゃあ、返品したり、しませんか」
軽口のように織り交ぜて、ジャブを打つように伺ったつもりだったのに。シラーが黙り込んだせいで言葉が浮き上がって、ひどく目立つセリフになってしまった。落ち着きなく口を開いたり閉じたりと、あわあわするシャルロッテの額をシラーが一本指で小突く。
「あうっ」
「もう、レンゲフェルト公爵家の一員だと言っただろう。何を心配しているんだ」
もう一度水を注いで押し付けてくるシラーの不器用な優しさに、くぐもった笑い声を上げて「ありがとうございます」と渡されたグラスを一気に煽った。
「クリスには『顔目当ての誘拐だ』と言っている。やたらめったら綺麗な顔だ、違和感もないだろう。それで押し通せ」
「わかりました。…きちんと、理解していますから。今後も知らなかったことにして生きていこうと思います」
「賢明だ。今日はここまでにしておこう」
椅子から立ち上がったシラーは、思い出したように言った。
「あの女のことだが」
「マリア様ですか…?あの、昔は、普通にいい人だったんです…私の先生みたいな感じで。お世話になって、それで、会いたかったんですけど…まさかこんな…」
その時からすでに、歪んだ執着心からシャルロッテと関わっていたのだろう。顔を眺めるためか、自分の物にするためか。今回も、実のところ寄付金の手紙を出すように院長に指示をしたのは、マリアであったという。そんな事実を調査班から聞いていたシラーは眉根を寄せて顔をしかめた。
「少々時間がかかるが…あの女が、二度と顔を見せることはないと誓う。もう安心していい。…どうなるかを聞いた方が、安心できるか?」
「…いえ。聞きたくないです」
逡巡した後、シャルロッテは首を横に振る。
もう、関わり合いになりたくなかった。それが情報という形であれ、どうであれ。
シラーは一つ頷くと、ドアに手をかけた。
「しばらくは安静だ。その間はうざったいくらいにクリストフが纏わりつくと思うが、その相手でもしていれば気がまぎれるだろう。アレをなんとかしてくれ」
開かれたドアから、転がるようにクリストフが入ってくる。ほらな、と言わんばかりの流し目をして、シラーは去って行った。
「お姉さま!」
駆け寄ってきて抱き着くその小さな背中は、頭をぐりぐりと胸にすりつけてくる。しかたないなあと、コップを置いてポンポンと背を叩いてやった。さりげなく匂いを吸い込めば、シャルロッテもなんだかホッとして。
「クリス、ちゃんと連れて帰ってきてくれてありがとう」
頭を撫でながら言えば、クリストフはイヤイヤとするように頭を再び擦り付けてくる。今度は力がこもったグリグリで、少々痛い。苦笑しながら頭を止めるように強めに撫でれば、段々と勢いが弱まって、情けない声と共に動きが止まった。
「僕、僕、あの時離れなければって…ずっと…」
「私が行ってって言ったんだもん。私が悪いの」
「心配したんですよ…!僕が、どれだけ…そうだ、お体は?大丈夫ですか?」
「なんともないってお医者様も言ってたし、全然平気!」
ガバリと顔を上げたクリストフを安心させようとへらりと笑って見せれば、どうしてか紅い瞳が剣呑な色をまとってこちらを見ている。口もとがへの字を描くように引き結ばれて「どうして…」と低い声が響く。
「どうして嘘をつくんですか?しばらく安静ですよね、嗅がされた薬物の後遺症も出るかもしれないって聞いてます。二日はベッドから起き上がらないでください」
「嫌だわ!今すぐお風呂に入りたいのに!」
叫んで抵抗を示すも、絡んだ視線の先で、紅い瞳がみるみるうちに涙を盛り上げて…ぽろり、ぽろりと滴をこぼす。ぐしゃぐしゃに顔を歪めて、クリストフが本格的に泣き始めた。
「え、ちょっと。やだ、…ごめん、ごめんってば…」
「だって、お姉さま、死んじゃうかと思って…ッ、ぼく、ううっ」
「元気なのよ、お医者様が大げさなだけで」
「嘘だッ、お姉さまは、すぐそうやって…!うっ、もう、離れたくありません…!」
ふわふわの柔らかい黒髪を、ただただ優しく撫でる。結局は、シャルロッテの自業自得の行動が今回の原因である。それでこうもクリストフを泣かせてしまうことに、罪悪感が刺激される。
「ごめんね、分かったわ、クリスの言う通りにするから…ね、泣き止んでよ」
あまりにクリストフが泣くものだから、シャルロッテがそう言った、瞬間。
「本当ですか?」
ぴたり、と音がしそうなほど一瞬でクリストフは泣き止んだ。
しゃくりあげていた声もいつも通りの平坦なものに戻っている。
「は…?」
「よかったです。今後はもう離れません。部屋も一緒にしてくださいね」
「え?い、いや、それはちょっと…」
「お姉さまを一人にするほど、危ないことはないとよく分かりましたので。あと、いくら平気と言っても信じませんよ。しばらくはベッドに縛り付けてでも安静にしてもらいます。僕、ずっとそばで見てますからね」
涙の残る紅い瞳が細められ、けぶるような睫毛に囲まれてキラキラと輝いている。さくらんぼ色の唇がきゅるんと上がり、白い頬が淡く染まった。
「お姉さま、いいですか…?」
こてん、と小首をかしげるクリストフの浮かべた微笑みに、シャルロッテは魅入られたように呆けてしまう。
「うん…」
そして、何を言われているか分からないまま、クリストフが言うことならまあいいかと頷いてしまった。
「寝るのも一緒でいいですか?」
「うん…」
「……!もう取り消しできませんからね!」
「えっ」
正気を取り戻した時にはすでに時遅し。言質をとったクリストフには、もう何を言ってもダメだった。
「もう!心配しすぎよ!お風呂に入りたいのに!」
とりあえず直近の問題として風呂に入りたい!と、シャルロッテは歯がみしたが、破壊力のありすぎる笑顔に心臓はバクバクしたままで。
(なにあの顔、可愛すぎるわ…!)
身もだえしてベッドに沈めば、クリストフは満足気に上かけの毛布を引き上げてくれる。そうして医師のいた椅子に陣取った後は、細々と世話を焼き、濡れタオルでメイドに体を拭かせる時だけは外へ出て行ったりと、最低限の引き際を見極めつつも…べったりと張り付いていた。
「さ、スッキリしましたね。あとは大人しく寝ててください。つまらなければ、僕が本を読んであげます」
「なにそのサービス…嬉しい…」
(こんなに人を思い遣れる、優しい子他にいる…?すごすぎるわ…。もう、クリスが殺人鬼になるとは思えない。お義母様との関係もたぶん原作とは違うわ。お義父様も、きっと違うし)
先ほどのシラーの様子からも『家族』を大切にしようとする心は感じた。エマは言わずもがな、クリストフのことを大切にして、母親として頑張ろうとしている。
(クリストフ、もう大丈夫なんじゃないかしら…?)