乙女ゲームの設定
そうだ、これは、前世の私。
スマートフォンを握りしめて、ゲームをしている。
小さく輝くその画面に写るのは、あか、赤、紅い色。
液晶の中には、夕暮れ時の赤く染まった教室が映し出されている。泣き崩れる女の子を、胸に抱きながら紅い瞳で嗤うクリストフ。足元には血だまりと、倒れ伏す男子生徒。
(これ、「君が欲しい」のワンシーンだ…!)
「君が欲しい」は、通称「君☆」と呼ばれるノベル型ミステリー乙女ゲーム。学園でおきる連続殺人事件を解決するために、生徒会に所属するヒロインが、謎解きをしながら恋をする物語だ。メインは謎解きだが、恋愛要素もあり、プレイヤーの選択によりエンディングが変わる。
(ヒロインの名前なんだっけ…姿は覚えてるのになあ。クリストフは超メインキャラ。生徒会の副会長で、容姿端麗頭脳明晰なインテリ系イケメン)
そう、クリストフは副会長。生徒会の仲間とともに犯人を追うフリをしながら、猟奇殺人を繰り返していく黒幕。天才的な頭脳と、欠如した人間性を併せ持つ彼は、ヒロインを手に入れるために殺人を繰り返すヤンデレサイコパス野郎なのだ。
(たしか、歪んだ愛情から、ヒロインの周囲に誰もいなくなれば自分を選ぶだろうとかトチ狂ったこと考えて生徒を次々と…猟奇的な殺し方をして回るんだよね。捜査のかく乱のために、無関係な人たちも殺されてしまうし。今はこんなに可愛いのに、どうして…)
君☆の最後にチラっと出てくる、幼少期のスチルそのまんまの肖像画。
黒髪紅目の、美しい幼児だ。表情はうっすらとほほ笑みを浮かべ、天使のようにも見える。
ゲームでは、クリストフが真犯人だとわからないとバッドエンドになってしまう。「永遠に僕のものになってよ」と言いながら彼はヒロインを殺す。トゥルーエンドだと「何がダメだったのか、よく考えてからまた来るね」と、その姿を消すストーリーだった。
とにかくあふれ出てくる記憶に、シャルロッテは目の前がクラクラした。
(横になりたい。考えを、整理しないと。なにか書くものあったかしら)
重たい脚を引きずって、シャルロッテは部屋に戻った。同じようなドアが続いていたが、靴下を巻いていたおかげで、思考停止をしていても部屋はすぐにわかり、無事に帰ることができた。
水差しを置いて、ふたたびしっかりと鍵をかける。
混乱していても、ザビーの恐怖は忘れていない。
ごろりと横になり、深く息を吐く。
(えーとつまり、私はサイコパスな義弟に贈られるってこと?なんか実験されたり、毒飲まされたりする?まさか、人間の解体の練習台にされたりとか…、いやいや、さすがに義姉のこと殺さないよね…)
そもそも、クリストフは人間性に欠如したキャラクターだった。周囲の反応を見てマネをしているだけで、共感性はゼロ。
ゲームの一幕に、ヒロインが階段から転落して骨を折るシーンがある。居合わせた彼は「骨折で死ぬことはない、よかったな。さあ、生徒会室に行こう」と笑顔で言って立たせようとしてくるので、ヒロインがクリストフに疑念を抱くのだ。こいつ、もしかしてやばいやつ?って。ヒロインちゃん、大正解だよ。
(やばいよー、ゲームのクリストフ、かなり怖かったもん…。いやいや!弱気になってどうする。まだクリストフは3歳だし。今のうちに愛情たっぷり注いで育てれば、家族を殺したりはしない、かも)
幼少期の環境は、人格形成に大きな影響があるはずだ。
それはゲームのメインキャラクターといえど、きっとそうだろう。
というか、前世で君☆プレイしてた人間が紛れ込んでいる時点で、私の知っているただの“ゲーム”ではないわけで…。うーん、難しいな。考えるとこんがらがってくる。
(とりあえず!ゲーム知識は参考程度に!生き残ることを目標に!義弟を真人間にする!)
シャルロッテは一応の結論を脳内で出して、そのまま目を閉じて眠りの世界へと身を投げた。考えることが面倒になって、思考を放棄したともいえる。
どれくらいたったのだろうか。
『ちょっと!鍵なんかしていいと思ってるの?!せっかくご飯もってきてやってんのに、ふざけんじゃないわよ!!このっ、クソがっ』
(うるさいなぁ…、まだ眠いんだけど…)
『メイドってのは、先輩の言うことに逆らったらいけないのよ!わかる?!売女のくせに生意気だっつってんの!早く開けろって!』
ガンガンとドアを蹴りつけられる音で目が覚めた。十中八九、ザビーだろう。
鍵をしていてよかったと思いながら、さすがに寝ていられるほど神経は図太くない。そろりそろりと音をたてないよう起き上がった。
『中にいるのは分かってるのよ!開けなさい!アンタ、どうなっても知らないわよ!チッ、オイッ!』
(まるで破落戸みたい…。天下の公爵家でも、質の悪い使用人がいるのね)
ベッドに腰かけて、室内履きに足を通す。柔らかい革でできた靴で、昨日公爵様に買っていただいた、非常に質の高い品だ。紐を結っている間もずっとガンガンとうるさい音が響いていたが、靴を履き終えたあたりでぴたりと止まった。
(行ったのかしら…?)
そろりそろりとドアに近づき、耳をそばだてると、ムシャムシャと咀嚼音が聞こえる。
『んっま、やっぱこいつのメシだけおかしい…ムシャムシャ…出てこない間は…私が食っといてやるから感謝しろよ…』
まさか廊下で食べるとは。
私は驚きに身を固くして、気配を殺すようにその場にしゃがみ込んだ。
『っぷはぁ、うまかった…ちょっと!あんた出てきなさいよ!仕事サボる気?!まったく、私が片付けておいてあげるわよ!感謝しなさい!』
最後にガンガン!とドアを蹴りつけて、好き勝手言いながらザビーはどこかへ行った。
私はそっと息を吐き、立ち上がる。
(あまりにガラが悪くてびっくりしていたけど、本当に信じられない使用人…。ああ、お腹空いた…。)
コップにトポトポと水を入れて、グイッと飲んで空腹を紛らわす。
じっとしていても時間は過ぎないので、頭の中を整理しようと、昨日買ってもらったペンとインクを用意。水差しを端っこへ寄せてスペースを作り、羊皮紙を広げる。
(いったんゲームの情報を整理するか。一応日本語で書こう)
日本語だが、ほかにも日本を知っている人間がいるとも限らない。直接的にクリストフのことを書くのはまずいだろうと思い、彼を『容疑者X』として、未来に起きる出来事を次々に書き出していった。
(細かいところまでは覚えてないけれど…)
学園は10歳から16歳の“魔力持ち”が通うところで、男子が8割のイケメンパラダイス。実は、この世界は女性がそもそも少ない。そのため女性は大切にされ、貴族の子女は家から出されない場合も多い。
そして、貴族は魔力の保有量が多いため、学園の生徒はほぼ貴族。でも、平民の中でも魔力が巨大な人間が生まれることがある。
(ヒロインは魔力量が多くて、平民だけど奨学生として途中で入学してくる…選択肢によってはちょいエロだったし、最後2年くらいで入ってくるのかな?)
カリカリと羊皮紙に“14歳 転入生?”と書き加える。そこから矢印をひっぱり、ヒロインが選べるルートを書き出す。
(副会長のクリストフ、会長の王子、会計、書記、あともう一人いた気がする…生徒会なんだから庶務とかかな)
“庶務?”と謎のルートも一応書いておく。
私はパッケージでデカデカ描かれていた王子とクリストフのルートしかプレイしたことがない。しかし、会計は宰相の息子で、書記は騎士団長の息子だったはず。クリストフも公爵子息だし、会長に至っては王子だ。結局、少女の夢は地位と権力とイケメンなのだと実感する。
図式的に色々と書き込みをしていくと、羊皮紙はびっしりと黒い文字で埋まった。
(このゲームってミステリ系だったから、別にヒーローたちの悲しい過去を救う!みたいなイベントは存在しない。はず。あんまりよく覚えてないなぁ…でも、私に今できることまったくないわね)
一通り書き終わったので、ペンを持って立ち上がる。
手洗い場で小瓶に水をためて、ペン先のインクを抜いてゆく。水に青黒いインクが溶けていくのを眺めて、私はこれからどうするべきかを考える。
(とりあえずは、義弟になるクリストフと“普通の家族”みたいになれるといいな)
直近の私の生死にかかわる。
正直、学園には自分が通わなければ関係ない。
もちろん義弟がシリアルキラーでしたー!なんて醜聞は大スキャンダルだろうから避けたい。だが、まずは目先の目標だ。私は死にたくない。
ゲーム内でクリストフがいかにして歪んだかは、紐解かれなかった。ただ、幼少期のスチルとともに、誰からも愛されない幼少期だった、と解説があった気がする。
(私の愛で大満足!な感じになれば、変な事件を起こして日常壊したりしない。はず。最悪、学園で連続殺人事件が起きたら、クリストフを屋敷に監禁できれば止まるわけだし)
「まずはわたくしの、こうしゃくけでの、ちいこうじょうをめざしましょう」
ペン先もキレイになったところで、結論もでた。
ご飯も食べられない立場から、地位向上を図るのだ!