あつあつお鍋1
エマは朝食後、せわしなく公爵領を出発した。
まるで捨てられた子猫のような瞳で何度も何度もクリストフを振り返っては馬車へ乗る様子は、シラーの胸を突き刺したらしい。いつもの鉄仮面はどこへやら、苦い顔をして馬車を見送り、肩を落としていた。
(情けない背中ね)
ふふん、と内心であざ笑うシャルロッテの横で、クリストフは純粋な瞳で父親を見上げ「お父様は、お母様が好きなんですね」と言葉をかけていた。しょんぼりとしたシラーは切なげな声を出す。
「ああ。愛しているんだ」
息子に臆面もなく言い切る男。
シャルロッテの方が恥ずかしくなって、フーッと息を吐きながら肩をすくめて横を向き「お熱いですねー」と、茶化すような独り言をこぼした。
「恋愛結婚だからな」
「あ、はい、聞きました~」
まさかの真正面から回答してくるシラーに、シャルロッテの頬がひくり、とひきつった。エマのことに関しては、この男には羞恥心と言うものはないらしい。苦笑いを浮かべていれば、クリストフがシャルロッテの方へとやってきて袖を引く。
「何のお話を聞いたんですか」
「お二人の昔の話を、お義母様に聞いたのよ。クリスも気になるなら、お義父様かお義母様に直接聞くといいわ」
(あの過去の恋愛話、私の口からは言えないわ。パスパス。どこまで話していいか分からないし)
シャルロッテが話題を投げてシラーを見れば、「もう少し大きくなったら教えよう」と、卑怯な大人の常套句で逃げていた。それを聞いたクリストフは首をふるふると振って「じゃあいいです」とシラーを切り捨てると、シャルロッテを見上げる。
「お母様を、お鍋にお呼びしたいです」
「いい考えだわ!お手紙を出してみましょうね」
回答から逃げた父親のことは置いておこう、とシャルロッテはクリストフの手を引いて「さっそくお手紙を書きましょう~」と屋敷へと戻った。
◇
それからしばらく経ち、鍋をする予定の日。
忙しいから無理かと思いきや、エマはずいぶんと仕事を頑張って調整したらしい。
うっすらとクマの残る顔ではあるが、輝く笑顔を引っ提げて「会いたかったわ」とやって来た。
クリストフは差し出される母の手にキスをして、挨拶をする。
「お母様、来てくれてありがとうございます」
「こちらこそお招きありがとう。お手紙貰った時は、嬉しくて飛びはねちゃったわ」
エマは明るい口調でクリストフに軽い抱擁をして、それからシャルロッテのことも抱きしめてくれた。その後ろには守護神のように佇むシラーが居るが、表情はどこか穏やかに見える。
「シャルもありがとう、実は私、お鍋大好きなの」
「お義母様は鍋を食べたことがあるんですか!」
驚きに目を見開くシャルロッテ。エマは優しく視線をクリストフに向けながら「あら、言わなかったの」とほほ笑んで「貿易をする関係で、向こうの国の人たちに御馳走になったことがあるのよ」と教えてくれた。
エマはその流れで「ハイジも準備ありがとう」と、シャルロッテ達の後ろに立っていたハイジにも声をかける。ハイジは頷いて「奥様お久しぶりです~」とゆるい挨拶をした。
「今日のメインは〜、これです〜」
ドンと食堂の長机の端あたりに置かれた土鍋の下には、なんとガスコンロのような箱が設置されている。“魔石”といわれる、魔力のこもった石が動力源となり火が付く仕様らしい。
ハイジが何やらいじくりまわしてスイッチを押すとボウッと大きな火が灯る。
「わ!すごいわ!」
「これは騎士ならみんな野営で使うんで~」
歓声を上げるシャルロッテに照れたように頭をかき、火を調節するハイジ。
「これで準備完了です~、あとは具材を入れて煮込むだけっすよぉ」
ハイジが示す先には並べられた食材がある。すでに一口大にカッティングされ、いくつものトングが添えられている。エマが金色の瞳を輝かせて皿へと近づけば、ぞろぞろとシラーとグウェインも付いてきた。
「何を入れるか迷ってしまうわね」
「どれを入れても美味しそうだ。異文化圏の食事だから少し警戒していたのだが、野菜が多くて健康的なんだな」
頬を押さえて悩むエマの腰を抱きながら、シラーがほほ笑んでいる。
(そら、食べやすそうなもの揃えましたからね…!醤油鍋でスープも透き通ってキレイですよぉ)
実は朝の段階で、具材のチェックをしていたシャルロッテとハイジ。
それにくっついてきたクリストフが「泥みたいですね…」やら「この白い紐を食べるんですか?」やら、見た目でNGを出したため、該当する食材は外しておいた。
ここにあるのは、この国の人間でも抵抗感のない食材のみである。
(本当は味噌鍋で、〆をうどんにしたかった。ハイジと二人で第二弾やっちゃおうかしら。残った具材は貰っても構わないわよね、買ってるんだもの。お味噌汁が飲みたいわぁ)
脳内で美味しい妄想をしていたシャルロッテは、ハイジにつんつんとつつかれて意識を取り戻す。気づけばシラーもエマも、グウェインもクリストフもこちらを見つめていた。
コホン、と形ばかりの咳払いをして右手をピッと上に伸ばす。
そうしてシャルロッテは宣言をした。
「ではこれから!第一回レンゲフェルト公爵家、おうちごはん会を始めます!今日はお鍋です。みなさん、無理なく、たくさん食べてくださいね!」
「お~」
ゆるいハイジだけが、ぱちぱちと拍手をしてくれた。