えいっ
固まるシラーとグウェインに、ほんの少しだけ溜飲を下げるシャルロッテ。
(いつだって冷静で、無表情で、淡々としてたって、クリストフはまだ子どもだわ。どうして母親が必要ないって、周りが勝手に決めちゃうのよ)
エマの膝の上に乗ったクリストフの頬はふくふくと白くやわらかな曲線を描いている。いつもの姿からは想像がつかないほどに、シャルロッテの目からも幼児めいて見えた。
母子の姿とは、こういうものだろう。
二人の反応にはおおむね満足だが、しかし。
(で、なんだっけ?『君には関係ない』ですって?)
怒りの収まらないシャルロッテは、まったく冷静ではなかった。これで済ませてやるものかと、真正面に呆然と立ち尽くすシラーを上目遣いで睨め付けた。
(奥様ばぁっかり見てるから、クリスの気持ちをないがしろにするのよ。私の気持ちもね!思い知れ!)
シラーの後ろで同じく魂の抜けたグウェインが気付くよりも素早く、シャルロッテはその小さな足を振り上げる。
そしてシラーのスネを、ポカっと蹴った!
「っ!」
「旦那様っ」
不意を打たれてしゃがみ込むシラー。血相を変えるグウェインをその場に残し、べぇっと舌を出してシャルロッテはドアの内側へと体を滑り込ませる。バタン、とドアが閉じる音で、室内の二人の視線がシャルロッテに集まった。
「シャル!どこへ行っていたの!」
「お姉さま!」
バクバクと高鳴る胸のままに二人に駆け寄れば、クリスに手を伸ばされて、ぎゅっと抱き込まれる。その上から、ほっそりとしたエマの腕が重なって、二人に抱きしめられた。
その温かさに目を閉じてじっと心臓を落ち着ければ、後ろでドアが開く音。
「シラー!」
愛し気なエマの声が頭上で響いた。
「エマ、よく来たね。知らせを聞いて驚いたよ。ああ、そのままでいい」
「お久しぶりでございます、奥様」
シラーとグウェインの声が近づいてくるが、顔を上げようともしないシャルロッテ。クリストフの髪に顔をうずめて、エマの腕に隠れるようにして動かない。
「お姉さま?」
異変に気が付いたのはクリストフだった。ずりずりと頭を動かす。
貝のように口をひきむすび、動かないシャルロッテの耳に口を寄せた。
「大丈夫ですよ?」
恐る恐る顔を上れば、いつもの紅い瞳。視線を少し動かせば、エマの金色の瞳が穏やかに、シャルロッテを通り越した先の男を見ている。
視線を辿りそろりそろりと振り返れば、見たことのない愛し気な笑みを浮かべるシラーの顔。
(は?何その顔?)
その後ろには、満足気な顔のグウェインまでいる。二人とも、まったく怒っている様子はない。シャルロッテはぎゅうっと、エマとクリストフに甘えたように抱き着いた。
(はぁぁぁぁ…。セーフ、かな)
内心で盛大なため息を吐きながら、複雑な思いが交差する。焦りは消え、怒りも消え、ついでにちょっぴりあった後悔の気持ちも消えた。シラーが悪い、という根底の気持ちは変わらないのである。
「お義母様、今度からは、私たちも会いに行ってもいいですか…?」
ちらっと顔を上げて上目遣いにエマへとおねだりをする。潤んだ紫の瞳に、エマはまなじりを下げて「来てくれたら嬉しいわ」と返す。
「もちろん、クリスもよ」
「はい」
クリストフにも言葉をかけるエマに、シャルロッテは本当の意味で安堵を覚えた。
(ああ、この人はクリストフをきちんと気にかけてくれる)
にっこりとエマを見上げて「ありがとうございます」と、再び抱き着く。
「すっかり親しくなったんだな」
背中に投げかけられるシラーの言葉は、抱き合う三人全員に対しての言葉だった。
ほほ笑むばかりのエマと、沈黙するクリストフ。
シャルロッテはシラーの言葉が地面に落ちてしまわないよう、しかたなく顔を向けて、口を開いた。
「家族団らんって、いいものですよ」
「そう思う。私も…混ぜてもらっていいかな」
シャルロッテの紫色の瞳が真っすぐにシラーへと飛んできた。
「今度から、私たちも混ぜてくれますか?」
クリストフの紅い瞳もシラーを評するかのように見据えている。二人の子どもの視線に苦笑いをしながら、シラーはエマと頷き合う。
「できる限り、家族で過ごせるようにしよう」
(最初からそうしろバーーーーーカ)
シャルロッテは内心で盛大にあっかんべをしながら、表情には可愛らしい微笑みをのせて「わあ!お義父様ありがとう!」と喜んで見せた。
そうしてから、クリストフと視線を絡める。
「楽しみね、クリス」
心の底からの言葉だった。
クリストフも、こくりと頷く。
シャルロッテは満面の笑みを浮かべた。
「クリスと二人も大好きよ。だけど『家族団らん』も、たまにはいいでしょ」
シャルロッテの言葉に、クリストフが刹那、微笑みを浮かべた。
瞬く間に消えてしまったけれど。ほんのその一瞬で、シャルロッテはぽかんと口を開けたまま動けなくなってしまった。
(……え?いま、わらった?)
まばたきしたら、いつもの無表情に戻っていたけれど。
シャルロッテの心にはクリストフの微笑みが突き刺さり、しばらく夢まぼろしかと悩むことになるのだった。