金色の目と出会った4
二人はしばらく微笑み合い、エマがコホンとわざとらしく咳払いをして「奥様の話よね。えっと、それで」と仕切り直しをした。
「産後があまりよくなかったのよ。次の子どもは間を置くように医者に言われて…そうしたらその間に、問題が起きたわ」
「それは、どんな?」
「ラヴィッジの領地で水害が起きてしまったの」
エマの話はこうだった。巨大な竜巻が海からやってきて、津波、大雨、河川の氾濫といった水害がラヴィッジの領地を襲った。災害後というのは、感染症が発生しやすい。現地入りをして陣頭指揮をとっていた伯爵も病に倒れ、帰らぬ人となってしまった。ショックで伯爵夫人もふさぎ込み、一人娘として領地経営のために実家に戻ることに決めたという。
(それは大変だし、しかたがない、かな…)
シャルロッテはひとしきり聞いた後、感想とも、続きを促すようにも聞こえる言葉を選んでこう言った。
「それって、すごく大変なことですよね」
「ええ。跡を継ぐために教育を受けていたとはいえ、いきなりの領主代行に今もかなり苦労しているわ。しかも、幼い我が子とは離れ離れ」
シャルロッテは一瞬固まって、もう一度脳内で言葉を繰り返す。『今もかなり苦労しているわ』とエマは言った。つまり。
(奥様ってご存命ってことだよね…変なこと言わなくてよかった…!!セーフ!)
シャルロッテは内心で胸をなでおろし、余計なことを言わなかった自分を盛大に褒めていた。影を背負った表情のエマはどこか苦しそうだが、シャルロッテはそれに気が付かない。
「どんな理由があれ、幼い我が子の傍にもいてやれないなんて、母親失格だわ」
「クリスを連れて行くのはダメなんですか」
「他家の領地で、公爵家の嫡男を育てるなんて認められると思う?」
「確かに」
思わず納得したシャルロッテ。しかし必死に言葉を探す。なぜか“奥様”に否定的なエマを不思議に思いながらも、一応自分の義理の母でもあるので擁護する方向で話を進める。
「でも!大貴族の育児って、使用人に任せっきりって聞いてます」
「確かに、母親なんて居てもいなくても一緒かもしれないわね」
シャルロッテは言葉に詰まって、ことさらに明るい声を意識して擁護を強めた。
「あの!領主代行が領地を離れるのが難しいって、クリストフなら分かっていると思いますよ。本当に賢い子なので」
「シラーは毎月会ってるのに?それでも納得するかしら?」
「え…」
(お義父様は、毎月奥様に会ってる?)
初耳の情報にしばらく固まるシャルロッテだが、ピーンと何かが繋がった。
毎月不在になるシラー。必要な二人目の子ども。
(あ、なるほど…!毎月居なくなるのはそれか)
シャルロッテの脳内で、点が線となり繋がっていく。脳内の大人だった部分は、まだ知らぬはずの知識で納得をした。しかしシャルロッテ自身の感情としては『怒り』がふつふつと湧き上がってくる。
(いやいやそれでもクリスも連れて行って、日中だけでも家族で過ごすとか、できることあるでしょうよ…!この数か月、そんなそぶり全然なかったじゃない…!なによ…!!)
クリストフは連れていかれない理由は、公爵家の当主と後継ぎが同時に毎月領外へ出るのはよくないとか、不在を隠せないとか、大人の事情で一緒に過ごせる時間は短いとか、色々と思いつくことはある。本当のところは知らないが。
(もしこれで奥様と二人の時間が欲しいからって連れて行ってないなら、あの澄ました横っ面ひっぱたいてやる…)
シャルロッテの目は据わっていた。胸の奥のマグマのような感情を抑えて、エマに問いかける。
「なんで、クリスのこと連れて行かないんですかね…?」
「災害後は道路状況も悪くてね。衛生状態も治安もよくなかったの。そんなところには子どもを連れていけないわ。それに、災害処理で忙しすぎて家族団らんをする時間なんてなかった」
「…じゃあ、今は?まだそんなに落ち着いてないんですか?」
「昔にくらべれば安定したわね。ただ普通は、公爵家当主も他の領地に定期的に行くなんてことありえないのよ」
「ふぅーん…」
(この人を責めてもしかたない。関係ないんだから…)
シャルロッテは息を吸って、そして怒りを逃がすように吐いた。
一応の理由を受け止めつつも納得がいかないのだ。シラーがいいなら、クリストフだっていいだろう。グッと眉間に力を込めて堪えるも、感情が高ぶって泣きそうだった。顔を少し伏せて気取られないようにすれば、エマはしばらくの沈黙の後に再び話し始める。
「それに、ずっと会ってない母親のことなんて、もう忘れてるはずだわ」
その言葉に、落ち着けていたシャルロッテの感情にカッと火が付いた。
「だったら!今すぐにでも会えばいいでしょ!」
「今更、お母様のところへいらっしゃいとは…厚かましくて言えやしないのよ」
「言わない方がよっぽど悪いと思いますけど!」
自嘲気味なエマに対し、間髪入れずに強い口調で返していくシャルロッテ。しばらくエマを上目遣いに睨んでいたが、目をつぶって軽く首を振った。
「すみません、熱くなりすぎました」
必死に怒りの感情を沈めて、沈めて、頭を下げる。
そんなシャルロッテの頭上に、エマの抑えたような「私ね」という、ちょっと低い声が落ちた。
「申し訳なくて、合わせる顔がないの」
(ああ、この人が…)
目線とともにゆっくりと顔を上げたシャルロッテは、エマの目を見つめた。金色の瞳は涙に滲んで、今にも溢れそうに涙が眼のふちにひっかかっている。
よく見れば目の形が似ているなと、頭の冷静な部分がささやいた。
「クリスが自分のこと、いらない子だって思ったらどうするんですか」
「そう、そうよね…」
ぽろりぽろりと零れる涙を、ぬぐうこともせず膝へと落としていくエマ。
つられて湧き上がる熱は眉間で堪えて、自分は泣くまいとしながらも、シャルロッテは言葉を重ねていく。
「仕事してる時とか、クリスのこと気になるでしょう」
「ええ、ええ。ずっと気にしてるわ」
「これからは、クリスの話をちゃんと聞いてくださいよ。これからずっと」
「でも、ラヴィッジを捨てることもできないの」
「それでも!何度でも来て、一生かかっても聞いてくださいっ」
ついに涙腺が崩壊して、シャルロッテの頬をぼろりぼろりと涙が滑る。
「クリスのこと、ちゃんとわかって…」
思い出すのは、自分の母のこと。
いつも笑顔で、シャルロッテの一番の味方だったあの人のこと。
クリストフに母親の存在が必要なんてこと、どうして母親が分からないのだろう。悔しくてあふれる涙を、これ以上はこぼすまいと手の甲でぬぐってエマを見据える。
「クリストフは、聞かせてくれるかしら」
「自分で聞いてください!」
「そうよね、やってみるわ。一生かかっても。話を、しようって…」
本格的に泣き出したエマは、声を押し殺していた。顔を覆って背中を丸める姿に、シャルロッテの激情は穏やかになっていく。
エマのすすり泣く声と、シャルロッテの時折鼻をすする音だけが、馬車の中に響いていた。
いつも読んでくださってありがとうございます。
奥様の名前がエマと出たところで…
シラーとエマの恋愛譚『婚約破棄されても世界は終わらなかった』という3話程度の別物語が存在します。タイトル上部のリンクから飛べます。
(※読んでなくても話の進行に問題はありません)
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今後ともサイコな黒幕の義姉ちゃんに、お付き合いをよろしくお願いします。