金色の目と出会った2
美女は、日傘を差し出す使用人の脇をすりぬけて、ゆっくりとこちらへ向かって歩いてくる。
(どうしよう、どうしよう!)
盗み見ていた罪悪感から、思わず半歩下がるシャルロッテ。そんなことはお構いなしに、美女はどんどん近づいてくる。彼女はウェーブする黒髪を胸まで下ろしていて、猫のような黄金色の瞳が印象的だ。華奢で、触れれば折れてしまいそうなほどに腰が細い。
顔立ちが派手で美しいわけではないが、知性のにじみ出た顔と気品に溢れた華やかさが彼女にはあった。
そんな美女が、シャルロッテの目前まで迫っていた。
「ご、ごめんなさいっ」
「いいのよ、びっくりさせてごめんね」
そっとしゃがみこんで、目線を合わせてくれる。
シャルロッテは縮こまっていた体をゆるめて、美女と向き合い話を聞く姿勢をとる。しかし、日傘を持ったメイドが追いかけてきて「エマ様!」と叫ぶ声に再び肩が跳ねた。
シャルロッテを、なぜか焦ったような顔で見つめてくる。そんな彼女の名前は、エマというらしい。
「ちょっとだけ、静かにしててくれるかしら」
エマが振り向いてたしなめるも、メイドは「長い移動でお疲れなのですから、馬車にお戻りください」と言って聞かない。
「大丈夫、疲れてなんかないのよ」
「それでも、旦那様からのご連絡があるまでは馬車でお休みになってください」
「外の風に当たるほうが、すっきりしていいわ」
「ですが…」
メイドと押し問答している間にも、チラチラとシャルロッテの表情を窺うエマ。シャルロッテはなぜこんなにもエマがこちらを見てくるのかわからず、へらりと笑って濁す。どうぞゆっくりお話しになってください、といった心持ちだ。
しかし何に焦れたのか、エマはふん、と少しばかり拗ねたような表情でメイドを制した。
「もう!ちょっとこの子と話がしたいのよ…馬車でするわ。それならいいでしょう」
仕方なく、といった風にエマが言えば、ようやく声を落としたメイドが「それでしたら」と日傘を差しながらエマを馬車へと連れ戻そうとした。
「ごめんなさい、一緒に来てくれるかしら?」
「あ、はい」
反射的に頷きエマの後ろを歩き始めるも、シャルロッテの脳内ではグルグルと考えが渦巻いている。
(この人の馬車なんかに乗って大丈夫なのだろうか。危ない目にあわない?屋敷の大人に知らせなくていい?でも、お義父様のこと呼び捨てにしているし…悪い人ではなさそうかな)
それでも、やっぱり。
シャルロッテの中の危機管理能力が足を止めさせた。
「あ、あの!」
メイドと、エマが振り返る。そこにはシャルロッテの不安げな顔があった。
「その、お義父様…シラー様と、お知り合いなんでしょうか」
「なっ!失礼な!」
いきり立つメイドを、エマが細い手で制する。その声に再び肩を跳ねさせたシャルロッテは、この人苦手だなぁと軽く眉を寄せてメイドを見た。失礼と言われても、分からないから聞いているのだ。『知らない人にはついて行かない』なんて、この世界では常識ではないのだろうか。
(こっちはいたいけな幼女なのに、なんでそんなに睨むのよ。大人げないわね)
「私のメイドがごめんなさいね。私がヨチヨチ歩きの頃から、シラーとは知り合いよ。もともと縁戚なの。ホラ、髪の色が一緒でしょう」
豊かな黒髪をすくって揺らしてみせるエマに、シャルロッテは「あ」と声を漏らす。そして、目を見開いてコクコクと頷いた。前世の記憶に引っ張られて忘れがちだが、この世界で真っ黒な髪は珍しいのだった。
見るからに親戚なのに「お知り合いなんですか」と言われれば、メイドがいきり立つのも仕方あるまい。シャルロッテはメイドとエマに頭を下げた。
「シラー様もグウェインも黒髪なので、見慣れてしまっていました。ご親戚の方とは知らず失礼しました」
礼儀を尽くして頭を下げ続けるシャルロッテの視界の外で、メイドが再び眉を吊り上げていたが、エマが再び手を上げて、ほほ笑みで押しとどめていた。
「ふふふ、いいの。怪しい人じゃないって分かってもらえた?」
「はい」
「頭を上げてちょうだい。さ、こちらへ来て」
見るからに高級そうな馬車に乗り込み、ふんだんにクッション材が使用されていてふかふかの座席に対面で腰を掛けた。メイドは納得いっていなさそうだったが外で待たされているため、馬車内はエマとシャルロッテの二人きりだ。
「なんて呼んだらいいかしら」
「シャルロッテ・レンゲフェルトです。シャルロッテと呼んでください」
「シャルロッテね。私のことは、とりあえずエマって呼んでちょうだい」
「エマ様ですね」
シャルロッテがあえて家名であるレンゲフェルトを名乗っても、動揺や疑問といった表情は出ていない。シャルロッテの存在…公爵家の内部事情も、ある程度知っている立場なのだろう。
(いったいどんな用事で朝っぱらから…。よっぽど急ぎなのかしら)
「私がここで待つ間、少しだけおしゃべりに付き合ってほしいの」
「わかりました。お付き合いさせていただきます」
「ありがとう!ねえ、あなたから見て、シラーってどんな人かしら」
「お義父様ですか…」
エマから発せられるまさかの質問に、シャルロッテは言葉に詰まった。シラーの知り合いだというし、これは慎重に答えるべきだろうとつばを飲み込む。
「公爵家のご当主にふさわしい、素晴らしい方かと」
「あー、そうではなくてね。もうちょっと、内面とか…どうかしら?」
「……根はお優しい方だと思います」
考え込んだシャルロッテの絞り出した声に、エマが眉根を寄せた。シャルロッテに変な焦りが生まれる。どうしてエマがそんな顔をするのだろう。
シャルロッテは、慌てて口を開きながらエマの表情をうかがった。
「その!お願いすればお断りされることもありませんし、面会もお時間とってくださいます。えっと、まだ笑顔は拝見したことないんですけど、」
「えっ!」
「え?」
二人は顔を見合わせた。
シャルロッテが濁すかのようにへらりと笑みを浮かべれば、エマは「なんだ、冗談よね」と可愛らしい笑顔で安心したように息を吐く。少し緊張していた様子だったが、肩の力が抜けたようだ。
「ふふふ、シャルロッテは面白い子ね」
(いや、本当ですけど…)
シャルロッテは口に出さずエマを観察する。知的で儚げな美人だ。笑うと少女めいて見えるし、まだ若いだろう。シラーとは幼馴染のような関係らしい上に、話しぶりからしても悪い人ではなさそうである。
とりあえず解放されるまで話を聞くか、とシャルロッテは腰を据えた。
「じゃあ、クリストフはどう?」
「とっても優しくて、賢くて、できた義弟です。毎日授業を一緒に受けているんですが、頭が良くて先生たちを唸らせています」
「そうなの。優しくて賢いのね」
「はい。いつも助けてもらってます」
「仲良しで安心したわ」
エマは自分の両手をぎゅっと合わせて握っていたのだが、その手をほどいて、にぎって、ほどいてと繰り返し動かした。
シャルロッテの目線がそちらに向くと「ああ、いや」とごまかすように手を前に突き出して振って見せる。
「じゃあ、あとは…奥様、はどうかしら?」
「奥様?」
「いやその、クリストフのお母様…」
シャルロッテは一度「あぁ」と短い声を漏らして、その言葉を受け止めた。
そして頭をフル回転させて考える。
(え、死んでるんじゃないんですか。とは言えないし、故人のことですか?生きてるんですか?とも言えないし…)
うんうんと内心唸ってひねり出した言葉は。
「あまり存じ上げないです。誰も話をしてくれなくて」
「そうなの…」
無難な言葉を選んだつもりだったが、目に見えてエマが落ち込んだ。しゅんと肩を落として下を向き、再び手を握り合わせている。
「あ、あのっ、もしご存じだったら、教えていただけませんか」
「え?」
「奥様のこと、知りたいんです」
「そう…?」
猫のような金色の瞳が、少し嬉しそうに輝くものだから。
シャルロッテは可愛い人だなと感想を抱くも口には出さず、エマをじっと見つめた。