金色の目と出会った
「ちょっとハイジのところに行ってくるわね」
シャルロッテの声かけに、身支度の片付けをしていたメイドのローズが手を止めて「お気をつけて」とドアを開けてくれる。
「訓練場まで、おひとりで大丈夫ですか?私も…」
「ついてこなくていいから!おうちの中だし!」
「でも…」
「いいから、片付けお願いね。すぐに戻るわ!」
心配そうに胸の前で手を組むローズを振り切って、シャルロッテはパタパタと手を振った。目指すはハイジのいる訓練場。同じ敷地内とはいえ、少々距離がある。
早朝から訓練をしている護衛のハイジを捕まえるために、シャルロッテはわざわざ早起きをしていた。
(お鍋の具材に、キノコを入れたいわ!すっかり忘れてたっ)
シャルロッテは“鍋会”のために、これまでにも東の国にパイプを持つハイジと細かく打ち合わせをしてきた。土鍋を使用してお鍋をするために『材料揃えてお届けしますね~』と請け負ってくれたハイジに、色々と聞きながら注文をつけていたのだ。
「頼めるものは頼んでおこう!当日、みんなに好き嫌いを確認しながら具材入れていけばいいよね!」の精神で、思いつくままにハイジの下を訪れては、あれやこれやと注文の品数を増やしていた。
(お義父様達がゆっくりと時間がとれるのは二週間後、意外とすぐだったわ)
朝の爽やかな空気はひんやりとシャルロッテの頬や首を撫で、シャンと背筋が伸びて気持ちがいい。頭もクリアになっていくようだった。
「あっ、もう着いた」
考え事をしながらだったので速足になっていたシャルロッテ。
公爵家の護衛達が各々訓練をしている中にハイジの姿を探すが、見当たらない。そこに居るのは太い腕に焼けた肌だったり、刈り込まれた頭に太い首だったり、パンパンの太ももだったりする、ムキムキの男ばかり。いくら見渡そうとも、ひょろりとした細身の男など一人もいない。
とりあえず呼んでみるかと、シャルロッテは手を口の両側に添えた。
「ハイジー!ちょっといいかしらー!」
お嬢様の大声に、バッと視線が集まる。筋肉の勇ましい男たちの目、目、目。
シャルロッテは薄く笑みを浮かべて「ハイジー!」と名前を繰り返した。
すると、何人かの視線が違う方向へそらされる。そちらを目で追えば、ひょろりと背の高い糸目の男が走ってシャルロッテのところへやってくる姿が見えた。
「ハイジ!」
「おはようございます~、早起きですねぇ」
「ハイジにお願いがあってね」
「はいはい~」
いつものゆるいハイジの声に、シャルロッテはほっと息をついた。筋肉ダルマ達の視線は結構痛かったのだ。
ハイジに「具材追加で、キノコも」とお願いをすれば、にっこりと笑って快諾してくれる。
「間に合ってよかったですねぇ。もしまたなんか思いついたら、今日の夕方までに教えてください~」
「もう大丈夫!多分!」
実は、食材の最終的な発注は今日までと言われていた。
昨夜シャルロッテは鍋の具材の最終確認をして、そしてキノコを頼み忘れたことに気が付いて大慌てしたのだ。夜だったのでハイジにその場でお願いすることはせず、早起きをしてハイジのところへとやってきた。
「キノコはこっちで選んでおきますんで~」
「お願いね!訓練の邪魔してごめんなさい、また!」
訓練場には段々と人が集まり始め、筋トレやストレッチなどを開始し賑やかになっていた。端っこの方で話をしていたが、シャルロッテに気を遣ってか周囲には人が近寄ってこない。訓練場の奥の方にぎゅうぎゅうと筋肉が集まっているのを見たシャルロッテは、さすがに申し訳ないと思って早々に退散することにした。
「おひとりで大丈夫ですかぁ?お送りしますよ~」
「ひとりで来たのよ。戻るのも全然平気!訓練してきてちょうだいっ」
ハイジに手を振って別れを告げたシャルロッテ。
来たときよりも幾分かゆっくりとした足取りで邸宅への帰り道を歩く。行きに急ぎ足だったこともあり体が温まっていた。陽も先ほどより明るさを増しており、シャルロッテは楽しい気分だった。ちょっと歩いては花を愛で、鼻歌でも歌い出しそうな様子。
「ん?」
その時。シャルロッテの耳が、遠くで人の声がざわつくのを捉える。
足音、馬の声、人のざわめき。方向としては城門だろうか。
段々と大きくなって…。
(近づいて来ている?)
そう思った時には、すでにざわめきが“声”として認識できるほど近づいていた。
馬の足音が止まって、ガチャガチャとした金属の音が響く。おそらく馬車が止まったのであろう。
シャルロッテがそちらの方へと足を向ければ、ドアの空く音、貴婦人の履くヒールが石畳をカツンと叩く音が続く。
誰かが馬車を降りたようだ。
「…く様、まだ…です…!」
「いいの…い…歩かせて…」
シャルロッテは好奇心に突き動かされて、足音を殺すようにして花壇の間を縫って歩く。小さい背丈をさらに屈めて、花に隠れるようにしてそっと近づいていった。息を殺して、頭だけをのぞかせて様子を伺う。
「しかし、旦那様にもご連絡されていないのですから!」
「シラーはびっくりするかしら」
「それはもう喜ばれるかと思いますが、先触れが参りますので馬車でお待ちくださいませ!」
「すぐにシラーに会えなくてもいいのよ、ちゃんと待てるわ。でも、家の中で待ってもいいでしょう」
そこには、黒髪の豊かな美女が居た。
メイドの格好をした付き人があわあわと両手を出してとどめようとするのを、困ったように頬に手を当てて眺めている。
(え、いま、え?お義父様のこと、シラーって呼び捨てにして…?)
シャルロッテは耳の奥が塞がったような気がした。その若い女の姿に見覚えはなく、自分が取るべき行動が分からなかった。望まれざる客人だろうか。それとも、お義父様とかなり親しい間柄の客人なのだろうか。
混乱したシャルロッテは、もう少しだけ、と首を伸ばして様子を見ようとする。白金の髪が光を反射して輝きながらサラリと揺れた。
その時。
美女の顔が、こちらを向いた。
金色の猫のような瞳がくるりと動いて、シャルロッテの視線と絡まる。
「あ」
美女の声は、大きくはないのに不思議とよく響いた。
絡まる視線、響く声。慌てるシャルロッテに、たおやかな微笑みを浮かべる美女。
(み、見つかっちゃった!どうしよう!)