お鍋しませんか
「ありがとうございました」
「この代の内政で優れた点は」
「法の整備だと思います」
「法とは、具体的には何だ」
(いやもっと褒めなさいよ…!面接じゃないんだから…!)
本からこっそり顔をあげたシャルロッテは、シラーとクリストフの会話を聞きながらモヤモヤした気持ちになった。いつもこうなのだが、シラーは子どもの扱いがなってない。シャルロッテとしては、もっとクリストフに優しくしてほしい。
(目の前で会話しているだけ、マシって思った方がいいのかもしれないわね)
初めの頃は、もっと沈黙に包まれていた。部屋に響くのは本をめくる音、グウェインとシラーの時折の会話や指示、シャルロッテのもぞもぞ動く音。本当にそれだけだったのだ。
しかし日数を重ねるごとに、お互いがお互いの存在に慣れた。
シャルロッテも、もう沈黙を苦痛には感じていない。緊張はしているが。
夜になるとシラーのいる執務室で本を読むようになって、早いもので数か月経過していた。貸してもらえる本が面白いこともあり、シャルロッテはこの時間が嫌いではなかった。
夕飯後に執務室へ集合し、一刻ほど時間を過ごしている。
主には持ちだせない本を借りているのだが、たまにクリストフと二人で算術の問題を解くこともあった。こんな時はグウェインが助言をしてくれたりもする。
時折、シラーは数日間どこかに行くことがあった。
初めて不在となる時、少し奇妙なことを聞かされた。
「明日から数日、家を空ける。グウェインは居るので、夕飯後は変わらず執務室へ来るように」
「分かりました」
「え…」
すぐに了承するクリストフと違って、シャルロッテは戸惑った。主のいない執務室に居るのも居心地が悪いし、わざわざグウェインにここを開けてもらうのも申し訳ない。
読みかけの本に指を挟みながら、シャルロッテは本の表紙を親指で撫でた。ざらりとした感触を味わいながら、言葉を頭の中でまとめて口を開く。
「お義父様がいらっしゃらないのであれば、この読書会…?も、少しお休みにしてはいかがでしょうか。勝手にここを使用するのも申し訳ないですし」
「いや。いつもと変わらず過ごすように」
繰り返すシラーの顔は真剣だった。指示を含んだ強めの言葉に違和感を覚えつつ「わかりました」と絞り出すシャルロッテ。
グウェインとシラーの顔を交互に見やれば、シャルロッテの顔に浮かぶ戸惑いを悟ったグウェインはほほ笑んだ。
「旦那様の不在は、ほとんどの使用人は知りません。私もいつもと変わらず過ごしますので、お二人もそのようにお願い致します」
その言葉にぎょっとして、隣のクリストフの顔を見る。知っていたのだろうか。しかし相変わらずの無表情で、シャルロッテは何も読み取れなかった。
シャルロッテの驚く顔を見たクリストフは、ゆるく首を振った。分からない、といった所だろう。
(クリスも知らなかったみたいね。どうして秘密にしているのかしら)
再びグウェインやシラーを見るが、二人ともこちらを見るばかりで口を開こうとはしない。しかし気になったシャルロッテはもう一度クリストフを見る。こちらもシャルロッテを見ていて、口を開く気はなさそうだった。
シャルロッテは、ため息をついた。しかたない、とグウェインに問う。
「秘密にしているのですか?」
「結果的にそうですね、秘密にしているようなものですね」
自分からはしゃべらないくせに、聞かれれば答えるらしい。そんな態度にシャルロッテはイラッとして、唇を一瞬噛む。ふん、と短く息を吐いて落ち着きを取り戻す。
「なぜですか?」
「公爵家当主の不在は、あまり知られない方が良いのです」
「屋敷の中の使用人にも、その…敵がいるんですか?」
「そういったことではありません。念のためです」
「信頼はしてないってことですよね」
「いいえ、リスクを最小限にするためですよ」
馬鹿みたいに質問を繰り返すシャルロッテに、グウェインは一貫して優しく穏やかな口調で答えていく。納得がいかず「でも…」と言ったところで、シラーが立ち上がった。
「月に一度は屋敷を空ける。公爵家の当主が定期的にいなくなる、そんなことを悟られれば、様々な危機が予期できるだろう。それを防ぐためだと言っている」
ツカツカとこちらへとやってきて、ソファに並んで座るシャルロッテとクリストフの対面に腰を下ろした。
「私は毎月、数日いなくなる。二人はその間、私がいるかのように振る舞う。簡単だろう?」
「はい」
間髪を容れずに頷くクリストフの顔を見て、眉を寄せつつシャルロッテも「はい…」と答えた。
こうして、時折シラーが不在にしつつも夜の執務室で本を読む習慣は続いた。
「読み終わりました。ありがとうございました」
「次はこれだ」
読了したものを返却すれば、用意してあったのだろう次の本が渡される。シャルロッテはそれを受け取り胸に抱いて、シラーの濡羽色の黒髪を見つめたり、紫色の目を見つめたりと、視線を彷徨わせその場に立ち尽くしている。
(そろそろ言わなきゃ…!もう言わないと…!)
本を受け取ったのに動かないのを不審に思ったのか、シラーの視線がシャルロッテに向いた。
「なんだ」
「あの…お義父様、以前その、東の国の伝来品である土鍋を頂きました。お礼が遅くなって申し訳ありません。ありがとうございます」
「あぁ、かまわん」
「それでですね…あの…」
言い淀むシャルロッテに鋭い声が飛ぶ。
「はっきり言え」
「はい!あの、その土鍋で調理する会を持ちたいのですが!よろしいでしょうか!」
まるで部下のような受け答えをするシャルロッテに、シラーは「かまわん」と短く投げる。
その一見冷たく聞こえる受け答えにめげそうになりつつも、本を胸にぎゅうっと抱き込んでもう一言。シャルロッテは勇気を出した。
「よければですが!お義父様と、グウェインにも参加していただけたらなぁなんて…。あの、思いまして…」
尻すぼみに言葉を失うシャルロッテを見ながら、グウェインとシラーは顔を見合わせた。シラーの瞬きにグウェインは心得たように頷く。
「ご招待ありがとうございます」
にっこりと笑って快諾するグウェイン。
シラーもこくりと頷いた。
「参加しよう。日程はこちらに合わせてもらうが」
「日程は追ってお知らせ致しますね」
(やった!参加!言えた!!やったよクリス!)
シャルロッテは喜びに目を見開いてクリストフの方を向く。二人で目を合わせ、シャルロッテの笑顔にクリストフは柔らかな目線を向けていた。
(あとは鍋会を成功させるだけね!)
シャルロッテの脳内では計画がぐるぐると回り始めていた。




