調べものは本で
翌日の夕方。クリスが剣術の授業を頑張っている間、シャルロッテは再び図書室へと来ている。というのも、部屋付きのメイドのリリーとローズに貴族の育児について聞いたが、二人ともに首を振られてしまったのだ。
「公爵家は貴族の中でも別格ですし、男爵家の育児と比較はできませんわ」
そう言うのは、バッテンにした手で豊かな胸がぎゅっと寄って迫力満点なローズ。
「我が家も騎士の家なので参考にならないかと…」
そう言ってサラサラの金髪ボブを手でくしゃりと寄せるのはリリー。
「リリーの家なんかは、幼少期はご当主が自ら剣技を仕込むそうですわよ」
「ローズの家だって、小さなころから店によく連れていかれたって言ってたじゃない」
「うちは洋裁店だからですわ。センスを磨けと言われて、買い付けなんかにも同行させられていましたの」
肩をすくめるローズに、リリーが補足をしてくれる。
「家業がある家は子どもに技を仕込むので、割と親子関係が密な場合が多い印象があります」
「家族みんなで頑張る!といった意識がありますのよね。家業ですから」
しかし二人がそろって「自分の家の育児では、お嬢様の参考にならない」と繰り返すので、シャルロッテは肩を落とした。
「家族みんなで頑張るかぁ、そんなこと公爵家ではないものね…」
繰り返すシャルロッテに、二人は頷いた。落ち込んだ様子のシャルロッテに慌てて、励ますように言葉を二人が繋いでくれる。
「でも、夜会などの社交が始まれば、ご家族での団結も必要となりますわ!」
「そうですよ!一緒に出掛ける機会もグッと増えるはずです!」
「でもそれって、かなり先だよね…」
しょんぼりとしたシャルロッテは「ちょっと図書室に行ってくるわね、付いてこなくていいから」と、一人でドアの外へと出て行った。
そうして、図書室で調べてみようかと本を見ているわけである。
「うーん、なさそうね」
ざっと見たが、高位貴族の育児に関する本なんてものはない。高位貴族についての本はあったが、名鑑や歴史についてといったところのみだ。夫人の手記などがあれば…と思ったが、そういったものは置いていないらしい。
うろうろとさまよいながら、シャルロッテは耳を澄ませていた。隣の執務室のドアが開いたら偶然を装って廊下へと出る、といった奇行を繰り返しているからだ。
(昨日の今日で面会申し込んで鍋誘うとかできないし、グウェイン出てこないかなー。偶然な感じでサラっと声かけちゃいたいわ)
ガチャン、と音がした瞬間。テテテとシャルロッテはドアに駆け寄る。ドアの近くまで寄ってから、勢いを弱めて歩く。
開こうと手を伸ばした次の瞬間、勝手にドアが開いた。
シラーが、現れた。
「さっきからちょこまかと、何をしている」
鋭い眼光に捉えられ、シャルロッテの手が止まった。
(ドアの音がうるさかったのかしら、どうしよう、どうしよう)
悟った時にはもう遅い。低い声に怖い顔、威圧感。冷や汗がじわりと毛穴から噴き出した。この公爵家当主という存在の一言の圧。自分はどうとでもなるという事実を思い出させた。
「う、う、うるさくしてすみません」
シャルロッテは身を縮めるが、待てど暮らせど言葉の追撃は来ない。しばらくするとバタンとドアを閉め、シラーが図書室へと入る。
シャルロッテを通り越し、備え付けのソファに腰を下ろし短く一言「来い」と言った。
「し、失礼します…」
おずおずと対面に腰を下ろせば、長い足と腕を組みじろりとこちらを見下ろすシラー。
「クリストフは剣術か」
「そうです、それで、図書室に」
「頻繁に出入りをしていたのはなぜだ」
「ちょっと、その、落ち着かなくて…」
言いながら内心では言わなくちゃ、言わなくちゃ、と焦っているが、どうも言葉が出てこない。
(ここで、お鍋しませんかって言えないよー!威圧感!怖すぎ!)
ぎゅっと目をつぶって再度「うるさくして、すみません」と言うシャルロッテ。
「この間も来ていたな。本は読むのか」
「あ、はい。ちょっと探し物をしていたんですけど、見つからなくて…」
「何をだ」
「高位貴族の夫人の手記などです」
「ここにはない。取り寄せさせろ」
シャルロッテは自分の足をぎゅっと寄せて、手で膝頭を掴んだ。「ありがとうございます」そう言いながら首が下がり、視線が床に落ちた。
シラーの立ち上がる気配がした。
「来い」
「え?あ、はい」
立ち上がりシラーについて行くと、廊下から執務室へと戻っていく。ドアを開けたまま「こちらだ」と言われて、慌てて室内へと滑り込んだ。
グウェインは何やら書類をまとめており、こちらをちらりと見やるが何も言わない。
「座っていろ」
指で示された先に腰を下ろしてきょろきょろと周囲を見回すも、グウェインとシラーしか居ない。グウェインは動かないし、シラーは何やら書架を見ている。
(私、どうしたら…)
身の置き所がなくて、膝の上に揃えた両手で足を落ち着きなくこする。
「これが近い内容だ」
気づけば、シラーが何やら一冊の本を差し出している。おずおずと両手で受け取ると「持ち出しは禁止だ。ここで読むように」と言って仕事に戻ってしまった。
言われた通りに、ぱらりと本を開く。
(あ、これ、公爵夫人の日記だ)
年代を推察させるものは見当たらないが、当主の妻として生きていた人の日記だった。ぱらりと捲れば、仕事の記録のような、メモのような内容が目についた。外部に向けたものではなく、日誌に近いのかもしれない。
シャルロッテはとりあえず、と始めから読み進めていく。
しかし、これがまあ面白かった。
___聖女の森で密猟者の報告有。報告は五件だが、推測される件数は十倍。刑罰を死刑とし、城下のみならず全ての領民へと知らせるために組合へと依頼。(依頼書の控え有)密猟者は見せしめに利用。
(聖女の森って何かしら…!組合って、すごい、ファンタジーみたい!今でもまだあるのかしら)
このように記録的なところもあれば、時間がある日だろうか、全く違った文体の日もある。綴られていたのは家政のことだけではなく、宮廷のドロリとした部分や高位貴族としてのプライドが見える箇所もあり、シャルロッテは引き込まれるように読み進めた。
___学園の頃から羽音のうるさい虫が、麗しい菫を萎れさせてしまった。王城の庭に蒲公英が紛れ込み、黄薔薇だと騙る様は滑稽。庭師は何をしているのかしら。
まるで小説のように表現は湾曲的で分かりづらい部分もあるが、この公爵家の夫人というのは中々に気の強い人物だったようだ。また、王城に誰か崇拝する人物である“菫の君”が居たらしい。
___私の可愛い菫を煩わせる虫は、公爵家が一切の取引をやめてしまえば勝手に息絶えた。空気を読むことのできない羽虫が飛べると思う人間など、いないのだから当然であろう。早急に雑草も摘み取らねば。
気に食わないものを排除していくパワープレーっぷりは日記の中でも圧巻だった。夫人は冷酷な高位貴族としての在り方を見せつけてくる。しかし“菫の君”の周囲を穏やかに保つことには心を砕き、優しい人であったようにも感じる。
(もしかして“菫の君”は、公爵夫人の妹さんか何かだったのかしら?まるで恋人のように大切にしていたのね)
シャルロッテは時間を忘れて読みふけり、ノックと合わせた「失礼します」というクリスの声で我に返った。