東の国の伝来品3
部屋でくるくるとグラスを回す。
光が反射して、きらりきらりと机に紅い影を落とす。透き通った影はキラキラと光り、シャルロッテの目を楽しませた。
「ほんとうにきれいだわ」
そしてその紅は、シャルロッテに義弟の顔を思い出させる。
「ハイジもクリスも遅いわね」とシャルロッテがぽろりとこぼした瞬間、部屋のドアがコンコンとノックされた。
「ひぁっ」
シャルロッテの肩はビクリと跳ね、危うく手の中のガラスを取り落とすところだった。
『お姉さま?今何か声が…、大丈夫ですか?』
「だ、だいじょうぶよ!どうぞ入ってちょうだい!」
ドキドキする心臓をなだめて、すまし顔をつくる。
「失礼します。お姉さま」
「失礼しまーす。お嬢様ってば、グラス落としたりしてません?」
まるで見ていたかのようにニヤニヤ笑うハイジをにらみつけた。
「しておりません」と言ってそっぽをむくシャルロッテ。
「それにしても、遅かったじゃありませんか」
「片付けにちょっと手間取りましてぇ。あ、鍋どこに置きます~?」
「ここよ!ここ!」
「え、お姉さま、そこは…」
シャルロッテが置くように示したのは、なんとドレッサーの横だった。本来であれば花や宝石箱など、美しいものを飾る用のスペースだ。実は二人が来室する前までは花が飾られていたのだが、シャルロッテがどかした。
言われるがままにハイジがそこに土鍋を設置すれば、満足げに色々な方向からそれを眺める。
「いいわね!」
白と金、木を基調に整えられた美しい部屋。そこに浮かぶ一匹のたぬきのような土鍋。
明らかに浮いていたが、ハイジは笑いを堪えるばかりで何も言わず、クリストフもお姉さまが良いならいいかと放置することにした。
そのため、この後部屋に戻ってきたローズが悲鳴を上げることになるのだが、シャルロッテはそんなことはまだ知らない。
「さ、二人とも座ってちょうだい。早速だけれどもハイジに質問よ。“鍋”を食べるためには、何が必要なのか教えてちょうだい」
ハイジとクリストフは、シャルロッテとテーブルを挟んで向かい側のソファに座る。
「肉と野菜と水があればできるんですけど、そうですねぇ。さらに調味料の“味噌”か“醤油”というものがあると、もっと東の国風の料理になりますね~」
「それ!それは、どこで買えるのかしら…?!」
「うちの実家でも扱ってますよ~」
「それ!それ!欲しいわ!」
語彙力が低下するほど興奮したシャルロッテの要求に、ハイジは吹き出した。
「わっ、わっかりました。実家に連絡しておきます。どうせなんで、材料揃えてお届けしますね~」
「僕の私費から出しておいてくれ」と、クリストフが言う。
「クリス様の方に請求回しますねぇ。けど、お嬢様ってお金持ってないんですか~?」
ハイジのど直球な物言いに、シャルロッテはちょっと固まってから首をかしげる。
自分自身も知らなかったからだ。クリストフに尋ねる。
「私、お金あるのかしら…?」
「ありますよ。年間予算の割り当てがあるはずです」
安心してください、と頷くクリストフにシャルロッテはホッとして胸を押さえた。
「必要になったことがなかったから、知らなかったわ」
クリストフが「このくらいだと思います」と言って告げた金額に、シャルロッテは息をのんだ。絶対に使いきれない額だ。何を買うためにそんなにお金が必要なの…?と遠い目をするシャルロッテ。
「さっすが公爵家。そんなにお小遣い貰うんですね~」
細い目を開いて驚きを表現するハイジに、クリストフは説明をした。
「服を整えたりするのにも使用するから、それなりの額が必要だろう」
「えっ、じゃあこの間のドレス、クリスの分のお金使っちゃったりしてない?私の予算からちゃんと出してくれた?」
シャルロッテは先日のオーダードレスのことを即座に思い出していた。あれはクリストフが計画してくれたものだが、予算があるならシャルロッテのところから出すべきだろう。
「ああいえ、あれは僕からです。去年の予算も余っているので、気にしないでください」
「でも私にも予算があるなら、そこから出すわ」
「いいんです。もう支払いも終わっていますし」
実はこれは嘘だった。ドレスなどは前金も払うが、全額は完成品が収められてからの支払いだ。クリストフは涼しい顔でシャルロッテに「それで、あの伝来品ですけど」と話題をそらす。
「その“鍋”という伝来品は、お姉さまのものにして大丈夫だそうです」
「えっ!いいの?!」
「はい。グウェインを通してお父様に確認してます。それもあって遅くなってしまいました」
「全然いいのよ!ありがとうクリス」
(私の物になったのなら、遠慮なくお鍋させてもらうわ!)
「みんなで一緒に“お鍋”しましょうね!」
にっこり笑って喜ぶシャルロッテを、どことなく満足げに眺めるクリストフ。そしてそんなクリストフをみてニヤニヤするハイジ。
「みんなで、できたらお義父様もご一緒して欲しいわ」
「お父様ですか…」
「あー、シラー様はお忙しいですからねぇ」
ハイジも困ったように眉を下げた。シャルロッテはクリストフを見て聞いてみる。
「あんまり一緒に食事とか、しないのかしら?」
「行事ごとでは一緒に食べますが、日常的にはあまり。お父様はいつも忙しくて。食堂で見かけることもないです」
(鍋と言ったら家族で囲むもの!ってイメージだったんだけど、ちょっと厳しいかもしれないわね。クリスってずっとご飯一人で食べていたのかしら…。昔から?昔って、いつから?)
そこでシャルロッテはハタと気が付いた。
家族といえば、クリストフの母親の話を聞いたことがない。シャルロッテが公爵邸に来た当初からいなかったので、亡き人であると思っているのだが。
メイドに以前屋敷を案内してもらった際に、公爵夫人の部屋は存在しなかった。そこでシャルロッテは、クリストフの母親は亡くなっているんだと勝手に解釈をした。しかし、この間見た衣裳部屋には、大人の女性用のドレスが未だにずらりと並んでいる。思い出深く、処分もできないのだろうと納得していたのだが…。
(公爵邸に来てから、公爵夫人の話って一回も聞いたことがない。なんかそれも妙な話ね)
しかし、おそらく亡くなっているであろう母親のことをクリストフに聞くわけにもいかない。まだ幼いこの子が傷つくようなことは言いたくなかった。
(クリスからも、お母様の話って聞いたことがないわ)
シャルロッテは少し悩んだが、今はこの話題には触れないことに決めた。
とりあえず鍋をする時にはお義父様を引っ張れないかしらと考える。
「じゃあできればでいいから来てくださいって、お義父様にもお声がけしてみるわ。ダメ元よ。もし来てくれたら嬉しいわね」
「無理なら無理と言うでしょうし、声をかけてみるのはいいと思います」
「ふふふ、今から楽しみだわ」
シャルロッテは楽しくなって、ハイジとクリストフと三人であれやこれやと鍋の計画を進めていった。