クリスとメイド
シャルロッテは最近気が付いたことがある。
「意外とお義父様って優しいんじゃないかしら」
ぎょっとした顔をしたのは、シャルロッテのよく知らないメイドの子だった。すかさず横に居たローズが豊かな胸を揺らしてその子を押しのけ、シャルロッテに優しく聞いた。
「どうしてそう思われたんですか?」
「色々お願いしたけど、断られたことないなあって思ったの。ちゃんと私の話も聞いてくれるし」
たとえば先日の街の散策もそうだ。また、会いたいと言って断られたことはなく、いつもすぐ会ってくれる。苦い思い出だが、ザビーへの処遇もそうだろう。
おどけてシャルロッテは付け加えた。
「お顔はちょっぴり怖いけどね」
「うふふふー、やっぱりお嬢様はご家族ですから。大切に思ってらっしゃるんですよ」
ローズはちょっと硬い笑みをみせつつ言葉を濁し、手際よくシャルロッテの服を整えていく。
完成したところでシャルロッテは鏡の前でくるりと一回転した。
「きゃっ、お可愛らしいですわ~!」
「さすがお嬢様、なんでもお似合いになりますね!」
ローズは前からこんな反応だったが、他のメイドも最近はシャルロッテに優しい。
ありがとうと返して部屋を出れば、ローズも後を付いてきてくれる。
(今日はなんだか早く目が覚めちゃったし。先に食堂に行ってクリスを待ってあげよう)
足取り軽く廊下を進み、階段を下りる。すると上級メイドであろう女たちが、大きな花瓶に生ける花をあれやこれやと挿したりとったりしているのが見えた。興味を引かれてそちらへ足を向ける。
「お花を生けてるの?」
一斉に手を止めて礼をするメイド達に、シャルロッテは慌てて謝る。
「あ、邪魔してごめんなさい。顔を上げて」
顔を上げたメイドたちは、みな笑顔でシャルロッテに各々返事をする。
「とんでもないです!お嬢様にお声がけいただけて光栄です」
「今日も麗しいですわぁ、お嬢様」
「朝からお嬢様と会えて、今日はいいことがありそうです」
「あ、ありがとう」
勢いに気圧されながらほほ笑んで返事をすれば、顔を見合わせてきゃっきゃと喜ぶメイド達。
「今日は庭師の方から薔薇が見ごろだといわれて、玄関の装花を入れ替えているんですよ」
言われてみれば、薔薇の強い香りが漂っている。生花の匂いだからだろうか、強い香りだが不愉快ではない。胸いっぱいに空気を吸い込んで、シャルロッテはほほ笑んだ。
「いい香りだわ。お花も楽しみにしてるわね」
「お嬢様のためにとびきり美しく生けてみせますっ!」
気合の入ったメイド達に見送られつつ、シャルロッテは食堂に入った。
しばらくして同じ場所。
クリストフは食堂に向かい足を進めていた。今日はシャルロッテが先に向かったと聞いたせいか、心なしかその足運びは速い。が、階段の手前でぴたりと足を止めて小さくつぶやく。
「……うるさいな」
シャルロッテに話しかけられて嬉しかったのか、メイド達がきゃいきゃいと声を上げながら花を生けていた。階段の上のクリストフには気が付いていない様子だ。
「黙らせろ」
「かしこまりました」と、すっとクリストフの背後からメイドが進み出ると静かに腰を落とし礼をした後、音もなく階段をすべるように降りる。クリストフのメイドが彼女たちを注意をしてから少し間が空き、怯えた瞳が一斉にクリストフへ向いた。
クリストフは何を言うでもなく階段を下りて食堂へと足を向ける。
するとメイドの一人が進み出て、クリストフに頭を下げた。
「あ!あのっ、騒がしくして申し訳ございませんでしたっ!以後気を付けますっ」
その後ろで他のメイドも、追従するように頭を下げている。しかしクリストフは足を止めることも、目を向けることもなく通り過ぎた。
すっとクリストフの背後という定位置に戻ったメイドに「教育するようマリーに伝えておけ。マナーというものを知らないらしい」と皮肉をにじませて命令する。
貴族社会では、紹介もなく下位の者からの声掛けをすることはマナー違反となる。そんな常識を知らないのか、と当てこすっている言葉だった。
その言葉を聞いていたメイド達は顔を青くして身を震わせる。下げたままの頭を上げることもできず、クリストフが食堂のドアへと消えるまで顔を伏せ続けていた。
「おはようございます、お姉さま。遅くなってすみません」
「おはようクリス!私も今来たのよ。そうそう、昨日は楽しかったわね!」
ニコニコとシャルロッテが話しかければ「楽しんでもらえてよかったです」と雰囲気も柔らかにクリストフも席に着く。
「でもお姉さま。一人で動いたらダメですからね」
「うっ。ご、ごめんなさい」
「外に居るときは、僕のそばから離れないでください」
「わかったわ…」
一人で走り出したことを再度注意されて、言葉をつまらせて謝るシャルロッテ。
(年上、しかも精神年齢だともう大人なのに面目ない…。これって普通は姉が弟に言うやつだよね…)
脳内で反省をし始めたシャルロッテの口数は少なくなり、運ばれてきた朝食を静かに二人で食べる。いつもどちらかというとシャルロッテがよくしゃべるので、会話がないのだ。
しゅんとするシャルロッテを見てクリストフはしばらく考えた後「お姉さま」と呼びかけた。
「昨日話をした伝来品、見ますか?」
「あ!東の国の品…」
「今日は授業も余裕があるので、午後なら大丈夫そうですよ」
「じゃあ見たいわ」
そこでシャルロッテが「あっ」と何かを思いついたように声を小さく上げた。クリストフをうかがうようにして、おずおずと提案をする。
「もし可能なら、ハイジに解説してもらったりできないかしら」
「分かりました。調整させます」
クリストフの目くばせに、メイドが部屋から離れる。
メイドが外に出るのを視線で見送った二人は朝食を平らげ、今日の予定について話をしながら部屋を後にした。歩きつつシャルロッテが「そういえば、玄関が薔薇の良い匂いなのよ」と何の気なしにこぼす。
クリストフは「そうでしたか」とすまし顔で返したが、シャルロッテはそれを見て「(もしかして気が付かなかったのかしら!それなら嗅がせてあげよう)」と考えた。
シャルロッテはクリストフの手をとり「ほらこっち。嗅いでみましょう」と花を生けている方へと歩き出す。
すると花は生け終わった様子だが、未だに花瓶の周りに集まって片付けやらの作業をしていたメイドたちがそれに気が付いた。即座に全員が深く頭を下げる。
「あ、ごめんなさい。私たちのことは気にしないでね。薔薇の良い香りをクリスにもおすそ分けしたかったの」
笑顔でシャルロッテが顔を上げるように促すが、全員頭を上げるも視線は床に落としたまま、一言もしゃべらない。シャルロッテは疑問に思うも、くいくいと手を引かれて意識をクリストフへと持っていかれた。
「ん。クリス、いい匂いが分かるでしょう」
「ええ。お姉さまは薔薇がお好きなんですか?」
「普通かな、お花は全部好きよ」
シャルロッテは完成した花瓶を見上げて小さく拍手をし、メイドたちに「きれいに生けてくれてありがとう。玄関を通るのが楽しみになるわ」とほほ笑みかけた。
「とんでもないことでございます」「お褒めいただき、ありがとうございます」と口々にメイド達がかっちりとしたお礼を述べる。
(なんかさっきと雰囲気違う…?嫡男がいるから緊張しているのかしら)
シャルロッテはメイド達の反応に一瞬頭をひねるが、再度クリストフにくいくいと手を引かれて「ああ、授業の準備をしないとね」とその場を後にする。
最後、クリストフはメイド達に向かって振り返ってこう言った。
「お姉さまが気に入ったなら良いでしょう。これからも励むように」
シャルロッテはそれを言葉通りに受け取って「がんばってね!」と追加で応援をしていたが、言われた側のメイド達は命を救われたような気持ちでいっぱいだった。
クリストフの氷のような怒りは過ぎ去ったらしいと察したメイドたち。最悪クビにされるのではと怯えていたので、クリストフの言葉に心の中で安堵の涙を流して「「「はい!」」」と声をそろえ返事をした。
そうしてその場にいたメイド達は後に「シャルロッテ様のために尽くそう」「シャルロッテ様のおかげで首の皮一枚繋がった」「シャルロッテ様ありがとう」と、仲間内で語り合う。
「シャルロッテ様が居ればクリストフ様も怖くない」説は使用人の間ではまことしやかにささやかれ、じわりじわりと話が広がった。
(なんか最近妙に皆優しいし、尊敬の目?で見てくるのよね。なんだろう…まあいいけど、使用人問題も落ち着いたと考えて良さそうかな。クリスとも順調に仲が深まっている気がするし)
シャルロッテは授業の準備をしながら、一人部屋でつぶやく。
「次は、お義父様とクリストフの関係をなんとかしたいわね」