初めてのお散歩
公爵邸からそんなにかからず、今日散策する予定の市街地に到着した。
馬車がゆっくりと丁寧に止まり、周囲に護衛が配置される。
「案外近いのね」
「もともと、公爵邸の周りに街ができた感じですからね」
レンゲフェルト公爵家の城館は丘の上にあり、そこを中心として街が形成されている。シャルロッテ達は馬車で一番栄えた大通りまでやってきた。
最初に馬車を下りたのは護衛のハイジ。ドアの隣でそっと手を差し出す。
「レディファーストです。お嬢様どうぞ」
そっとエスコートされて外に出れば、淡い色合いの建物が並び、道には石畳がぴっちりと敷き詰められている。お店であろうガラスのショーウインドウの奥には、さまざまな商品が透けて見える。あちらこちらに目移りをしてシャルロッテはふらふらとその場で足踏みをした。
(あれはパン屋さん、こっちは雑貨?あれはきっとガラス細工のお店ね!すごい、街が可愛いわ!)
「わあ!」
ぐるりと回って感嘆の声を漏らすシャルロッテのスカートがふわりと広がって、白くなめらかな膝が顔を出す。降りてきたクリストフはカッと目を見開くと、即座にシャルロッテの手をとり回転を止めた。そのまま手を引き歩き出す。
「お姉さま!こっちが広場です」
「わわわ、ちょっとまって」
そのすぐ後ろを笑いを堪えるハイジが歩いて、まるで半円のように周囲を護衛が取り囲む。
しばらくは周りに目を奪われていたシャルロッテだが、護衛が視界をちらつくために段々と冷静になってきた。
街並みは美しいが、厳つい男たちが常に視界に入るので鑑賞に浸れないのだ。
「物々しいわね…」
「今回は急だったので、これで我慢してくださいねぇ。次回はもう少しなんとかなるので~」
振り返れば困ったように笑うハイジが居る。
困らせたいわけではないシャルロッテは気持ちを切り替えて「次回も楽しみだけれど、今回だってとっても楽しいわよ!見てあれ!」と言いながらクリストフの手をぱっと放して駆け出した。
その時のシャルロッテには、野菜を売る屋台しか見えていなかった。こんもりと盛られた緑の塊に駆け寄ろうとして、護衛がザッと前に広がり進路をふさいだ。シャルロッテの動きは止められてしまう。
「お姉さま!!僕より前に行かないでください!」
慌てて追いかけてきたクリストフに、ぎゅっと腰あたりの服を掴まれた。動きが止まったシャルロッテの手を、再度ぎゅうぎゅうと繋ぎ直すクリストフ。
「ごめんなさい、つい…」
シャルロッテが謝るも、むっとして黙り込むクリストフ。
いつもの無表情ではなく眉根を寄せて口を引き結んでいる。
その不機嫌を察知したのか、ハイジが代わりに口を開いてシャルロッテを注意した。
「お嬢様、次にクリス様の手離したら即帰宅しますよぉ」
のんびりとしたハイジの声に「わかったわ。ごめんね、クリス」とシャルロッテが答えながら重ねて謝れば、無言で頷くクリストフ。
ハイジが目くばせをして、護衛の一人が屋台から野菜を一つ買ってくる。
「お嬢様が見たいもの、欲しいもの、気になるものは、全て周りの人間に言ってくださいね~」
はい、とハイジがしゃがんで見せてくれたのは、シャルロッテの頭ほどもある大きな野菜。緑色の葉が重なり、ボールのように丸くまとまっている。
(まるでキャベツと白菜の中間のような見た目!これは食べられる、のよね?)
「これはなあに?」
「コールといいます。ここら辺の人たちは煮込んで食べるんですよ~」
「お姉さまも食べてますよ。スープとかで出てきてます」
ブスっとしながらも教えてくれるクリストフにホッとして「そうなの!」と大げさに驚いてみせる。すると、私を微笑ましそうに見るハイジが気になることを言った。
「これ、うちの実家だと“鍋”にして食べるんですよ~」
「鍋は調理器具の名前だろう」
「東の国の料理もそう呼ぶものがあるんですよぉ。まあ、ただの煮込みなんですけど~」
「わ、私!食べてみたい!いっぱい買って帰ろうよ!コール!」
クリストフとハイジは顔を見合わせてアイコンタクトで何かを通じ合わせた様子だった。
「とりあえず、これは持って帰って料理長になんか作ってもらいましょーねー」
ハイジが野菜を他の人にほいっと渡してしまう。
いちいちシャルロッテがあれ欲しいこれ欲しいと寄り道しだすと、今日は見るだけの予定なので困る。そう思った男二人は結託してシャルロッテをその場から引き離した。
「さ、お姉さま。広場に向かいましょう」
「ちょっと!え、あ、もう!」
クリストフに手を引かれて進む。話をごまかされたシャルロッテはちょっとむくれたが、周囲の景色に目を奪われてすぐに目をキラキラとさせる。
高く積まれたレンガは、赤だったり灰色だったりの色を活かして文様を作り、大きな建物となっている。木の家は淡い色でペインティングされていて、街並みが可愛らしい。
きょろきょろと周囲を見回しながら、クリストフに手を引かれるシャルロッテ。
「やっぱりお嬢様は素直で可愛いですねぇ~」
後ろからハイジの声が聞こえて、シャルロッテは脳内で反論をする。
(違うのよ!今だだをこねたって駄目かなって思って!鍋は絶対食べさせてもらうんだから…!)
緑の木々に囲まれた小道をクリストフと手を繋いで歩く。
不思議なほど人がいないのは、どうやら護衛が先行して人払いをしているらしい。
人もいないし、道はきれいに整備されているし、日差しは柔らかくて風が気持ち良い。
「すてきなところだわ」
ぽろりとシャルロッテが零した言葉をハイジが拾った。
「ここは領民の憩いの場なんですよ~」
広場の奥に進むと、湖があった。
「わあ!」
先ほどのこともあるので、クリストフの手をぎゅっと握って手すりまで駆け寄ったシャルロッテ。その奥を見れば、高く尖がった建物と、大きな鐘が見える。
「ねえ!あれって」
「教会です。懐かしいですか?」
クリストフが問うた瞬間、声をかき消すようにゴーン、ゴーンと音が響く。
湖の青と空の青が溶けるように美しく、響き渡る鐘の音で心洗われるような光景だった。
ほぅっと呆けたように立つシャルロッテの横顔を、クリストフはじっと見つめている。
「教会って大きいのね、すごいわ」
シャルロッテの言葉に、ハイジは首をかしげた。
「お嬢様が住んでる家の方が何倍も大きいですよ~?」
「たしかに」
目をぱちくりとさせて納得するシャルロッテは、風になびく白金の髪の毛を手で押さえながらクリストフに言う。
「クリスは神様に祈りに教会へ行ったりしないの?」
「必要ないでしょう」
「?」
「何か願いがあるなら教会で祈るより、お父様に言う方が早いです」
後ろではハイジが吹き出して笑っていた。
「たしかに」
シャルロッテは本日二度目の言葉を言いながら、自分も公爵邸に来てから一度も祈っていないなあと気が付いた。
(養女になったり、記憶がよみがえったり、クリストフと仲良くなるために必死だったり、忙しかったもんね。でも神様にも、クリストフがちゃんとまっとうに育ちますようにってお祈りしとかなきゃ)
そうだわ、とひらめいてシャルロッテはクリストフの紅い瞳を覗き込む。
「お義父様には言えない願いはないの?」
「そうですね」
少し悩んだ風に間を置いてから、クリストフはひとつ頷いた。
「それが自分でどうしようもなかった場合に、神様に祈ってみることにします。ええ」
「クリス様なら大抵のことはなんとかなりますよねぇ。それは祈らないってことですよね〜」
笑ながら言うハイジが「さあ帰りましょーかー」と来た道を戻るように促す。
シャルロッテは最大限に散歩を楽しみながら馬車へと戻り、大満足で視察を終えた。
最後、馬車を下りた時。
エスコートをしてくれたハイジの耳に顔を寄せ、シャルロッテはささやいた。
「クリストフがこんな…人に雑な扱いをするの、初めて見たの。あ、良い意味でよ!ありがとう、ハイジ。これからも仲良くしてあげてね」
ハイジは「はい〜」と言いながら、目を糸のように細めて笑っていた。