見習メイド問題5
嫌な空気を出していたメイド見習い達を、見なくなった。
シャルロッテが気が付いたのは、グウェインと話した翌日からだ。
やはり意外と人の悪意というものに敏感に反応していたようで、ストレスフリーの環境にシャルロッテはすっきりとした気持ちで過ごしていた。
(屋敷のどこにいても、嫌な気持ちになることがない。一人で歩いていて集団を見ても、変に身構えなくていい。素晴らしいわ)
付け加えておくと、シャルロッテ付きのメイドたちにも聴取があったらしい。もちろんシャルロッテに関することもだが、使用人たちの規範意識的なところも聞かれたそうだ。
簡単な聞き取りではあるが、どうやら広い範囲で調査が現在も行われている様子。
直接的に嫌がらせをしていなくても、それを周囲で見逃していた人間もいるわけである。いじめの構造と一緒だ。直接的にいじめをする人間、それに便乗して悪口を言う人間、それを見ていながら知らぬふりをする人間。
今回は標的が仕えるべき相手だったことから『見ていながら知らぬふりをした』人間たちについても指導が必要、ということらしい。
グウェインに話があって声をかけたところ、使用人側への聴取はあくまで参考で「お嬢様の証言こそが全てです。ご不快な気持ちにさせた使用人は全員いなくなりますのでご安心ください」と言われた。
(どんなことするのか怖くて聞けなかったわ。それに『ご安心』できないあたりが、まだまだ感覚として公爵家に馴染めてないってことかしらね)
「今後二度とこのようなことは起こさせませんので」とにっこり笑ってくれたが、グウェインの笑顔が怖いのはトラウマだろうか。のっぺりとした能面のような顔で笑っていたのが忘れられない。グウェインの前でお義父様の悪口を言うのは絶対に止めようと、シャルロッテは心に誓っている。
そしてこれは、屋敷の一部の使用人には衝撃的な事態だった。
かつてシャルロッテに失礼な態度をとっていた者もいたからだ。
たとえば、ザビーの態度を訴えメイド長を呼んでくれとシャルロッテが言ったにも関わらず、スルーしてくれた例の年若いメイド。彼女は早々に自主的に退職したと聞いた。そういえばそんな人もいたなと、あの日がだいぶ昔のことのようにシャルロッテは感じていた。
「万が一ですが、礼儀知らずの使用人から『罪を軽くするように言ってくれ』などのお願いがあればすぐに教えてくださいね」グウェインには言われたが、そんな人間は現れなかった。
おそらく、ずっとクリストフと過ごしているからだろう。
(最近、クリストフとべったり一緒。なんだか世話を焼かれているような気もするし)
相変わらずの無表情で、笑ってくれたりはしないのだが。
シャルロッテのすることにアドバイスをくれることが多い。主に「僕なら今のはこうすると思います」といった形で、屋敷の過ごし方や使用人への接し方、果ては先生への質問の仕方まで細かく教えてくれる。
その様子を見ていたマナーの先生は感心していた。
「クリストフ様は素晴らしい先生の素質もおありですわ。細かいニュアンスなどを学ぶには、その場その場で教えてもらうことができるのが最高の環境です。シャルロッテ様、よかったですわね!」と大絶賛。
(留学生がその土地の恋人をつくって、その国に早く馴染むとかそんな感じ?)
少々捻じ曲がった前世の知識を思い出しながら、シャルロッテも「これで貴族的な振舞いがレベルアップしそうだな」と感じているので在り難く指導を受けている。姉としての威厳は、今後取り戻していくつもりだ。
「それでお姉さまは、わざわざ鞭打ちまでご覧になるんですか?」
クリストフが続ける言葉は分かっている『やめておいたほうがいいですよ』だ。最近繰り返されるこの話題は、シャルロッテを心配してのことだろう。
グウェインに刑罰を見届けたいと申し出たことを知ったクリストフは、しきりにやめておけと言ってくる。最近少し過保護なのだ。シャルロッテは姉らしいことを、最近全くできていない。立場が逆転しているような気さえする。
「見たところで結果は変わりませんし。わざわざ不快な思いをする必要はありません」
正論をぶつけてくるクリストフ。しかし、シャルロッテは曖昧に笑ってごまかすしかない。
ザビーに甘い顔をした自分が引き起こしたことの末路をきちんと受け止めなければという思いで、シャルロッテは見届けるつもりでいた。
そこへ、影のようにクリストフに付き従うメイドの一人が「失礼ながら申し上げます」と口を開いた。
「懲罰房へのお嬢様の立ち入りは、旦那様により禁止されました」
「えっ、いつ?」
「先ほどでございます。偶然耳にしたのですが、グウェイン様がおっしゃっていましたので確実かと」
クリストフ付きのメイドが告げた事実に、シャルロッテは動きを止めた。反対に、クリストフは大きく頷いてシャルロッテの腕を軽く叩いた。
「良かった。子どもが見るものじゃないでしょう、当然です」また、どちらが年上か分からないようなことをクリストフが言う。
本当は偶然なんかではない。クリストフがグウェインに「シャルロッテに刑罰を見せるなど、精神に悪影響しかありません。また泣いたらどうするんですか。絶対に止めて下さい」とメイドを使って伝えたため、その返答であった。
グウェインから報告を受けたシラーは「見せるつもりはなかったが…」と、2人で顔を見合わせて「過保護だな」「自分のことは棚に上げてよく言いますねぇ」「私から禁止ということにしておけ」と返答をしていた。
しかし、もちろんシャルロッテはそれを知る由もない。
(たしかに子ども、しかも良家の子女に鞭打ちなんて残酷な光景見せないわよね。貴族の女の子なんてイメージ的に血とか見たら卒倒しそうな気もするし)
納得をしたシャルロッテは、それならばと考える。
刑罰が下される当日の流れは、罪状の確認から始まり、罪人の見せしめ、刑の執行の順で進む。「罪人のみせしめ」はとても伝統的なもので、貴族への不敬罪や、重い罪を犯した者に科される。罪を象徴する被り物をして、首から罪状を書いた看板をぶら下げて練り歩くらしい。
「せめて、見せしめだけでも見届けようかしら」
ちいさくシャルロッテが首を振りながら言うと「屋敷の外は、お姉さまにはまだ早いです」とクリストフが止める。
(屋敷の外まで行くの…!知らなかったわ。てっきり、屋敷の中だけかと思っていたのに)
「だいたい、普通の貴族は罪人に関わったりしないんですよ。もうお姉さまの手を離れた問題です。グウェインに任せましょう」
再び正論で諭されて、シャルロッテはむっつりと口をつぐんだ。
(もう、私にできることはないんだ。これ以上自分の感情のために、周りに迷惑をかけるのはやめよう。クリストフの言う通りだわ…情けないなあ)
「……わかった」
「よかったです」クリストフが小首をかしげる。「でしたら当日も授業を、いつもと変わらず受けましょう。グウェインには僕から伝えておきます」
それが今自分にできることだろうと、シャルロッテは頷いた。
その三日後、直接的に嫌がらせをしていたというメイド見習い達と、二名の下級メイドに罰が下された。罪状は不敬罪。
当日の夕方には、全員が屋敷から放逐されて、故郷へと帰ったそうだ。
部屋付きのメイドから報告を受けたシャルロッテは深いため息をついて、枕に顔をうずめた。
傲慢ともとれる貴族の在り方を、もう頭ごなしに否定はしない。この世界に馴染んでみせる。
(これで少しは、お義父様やクリスみたいな貴族の考え方に近づいたのかしら。現代人の思考が残っている以上、完璧にとはいかないでしょうけど…。)
そしてクリストフを理解して、優しく育てるのだ。クリストフを殺人鬼にしないことが第一目標だった。シャルロッテは、こんな手前で躓くわけにはいかないのだ。
がんばるぞ、おー。と、心の中でつぶやいた。