見習メイド問題4
「グウェイン、そこまでだ」
クリストフの声に「はい、お坊ちゃま」とグウェインは恭しくお辞儀をした。
「失礼な発言を許したのは僕です…あのままでは、グウェインはのらりくらりと、何の益にもならないことしか言わないと思ったので。ですが…」
クリストフはシャルロッテの顔を見て「お姉さま、」と何か言いかけて下を向いた。
「いいえ、ありがとう。聞けてよかったわ」
「グウェインは、お父様に心酔しているのです。あまり気にしないでください。この男は僕にも気を遣ったりしませんので」
シャルロッテがシラー公爵にザビーの処遇を軽くするよう求めた際、グウェインはその場に居た。全てを聞いていたのだ。シャルロッテが、ザビーの愚行を『シラー公爵の発言が発端である』と言ったことを。ああそうかとシャルロッテは納得した。グウェインはあの時からずっと、シャルロッテに良い感情は抱いていなかったのかもしれない。
シャルロッテがグウェインに視線を向ければ、彼は「失礼を申し上げました」と、シャルロッテにも頭を下げた。
「私は、公爵家の嫡男であるクリストフ様はもちろん、公爵家の一員となったお嬢様にも誠意をもってお仕えしております。今回は坊ちゃまのお許しを頂いて、少しばかりお耳に痛いことを申し上げましたが、これも全てお嬢様のためになると思ってのことです」
ザビーの時は『一族郎党処刑にするか?』と、あれだけ貴族然とした対応を提示していたのにも関わらず、今回は静観しているだけのシラー。慇懃無礼なグウェイン。私のため。義理の娘となった子どもの、生ぬるい思考回路。貴族の決まり、慣例、前例。平民とは。ぐるぐるとシャルロッテの頭の中を巡る。
(公爵家の一員として、貴族として、私がとるべき態度は)
前回はシャルロッテが当事者として罪を問わないと主張をしたので、処刑などの厳しい罰にならなかった。今回は、シャルロッテは何も言っていない。まだ、何も。
(公爵様は、今回も私が生ぬるいことを言ったら、どうなさるおつもりなんだろう)
思考がまとまらない。
私はそしたらどうなるのだろう。捨てられるのだろうか。
あの村の家のように、ヴァーサという名前のように、なかったことになるのだろうか。
下級メイドからの嫌がらせに関わることを、おそらくだが、公爵様はシャルロッテよりも詳しく知っているのではないだろうか。この、グウェインも。
「グウェイン、お父様は今回のことをどうお考えだ」
「私のような者にはとても、旦那様のお考えを勝手に代理で口にするなど…」演技がかった仕草で頭を振るグウェインに、クリストフが小さく舌打ちをした。
「じゃあ、グウェインはどう考える」
「お嬢様に関することですから、お嬢様のお心が大切かと」
シャルロッテには、やっと、すべてが繋がって見えてきた。
あのザビーの処遇を願い出た日にシラー公爵から指摘された、シャルロッテの『生ぬるい思考回路』を叩きなおすために、今回のことは放置されているのではないか。シャルロッテが貴族的な対応ができるまで、公爵様としては何もするつもりがないのではないだろうか。
(ザビーの処罰を望まなかったのは私だ。異例の対応をお義父様に求めた)
シャルロッテにはいくら嫌がらせをしたところで、クビで済むという前例を作ってしまったわけである。それを覆すにはどうするか。簡単だ。
シャルロッテに失礼な態度をとった使用人を厳罰に処せばいい。
でもそれはシャルロッテが決めなければ意味がない。毅然とした態度で、下に強く示すことが必要だ。
またシャルロッテが納得していなければ、結局いつかどこかでザビーにしたのと同じことを繰り返す。シラー公爵は、シャルロッテの根本的な考えを変えなければ意味がないと考えている。彼はシャルロッテの思考を修道院のせいだと思っているが、違う。現代人として生きた、転生者の思考のせいだ。
(私が今生きているのは、ここなんだ。自分のできる範囲で人に優しくするのは、悪いことじゃない。でも、決まりや慣例を、曲げてはいけなかった)
でないと、混乱を生む。それは自分のためにも、周囲の人のためにもならない。
決まりは秩序のためにある。自分たちの生活や、権利を守るためにある。貴族である以上、それらを無視してはいけなかったのだ。
ザビーへの処罰で歪めてしまった分は『養子としての周知前だったから』という理由で無理矢理押し通すしかない。
(今後、私は貴族として、ここで正しく生きていかねばならない。その覚悟を決めないと)
息を吸って、そして吐いて。
お腹に力をいれて、背筋を伸ばす。
「グウェイン、私に失礼なことをするメイド見習いがいるの」
グウェインの目が、私を捉える。演技がかった態度で彼は問う。
「わたくしどもの方で、対処してもよろしいですか?」
「ええ、お願いするわ。厳しくしてちょうだい」
シャルロッテは毅然とした態度で答えるが、やはり気になって付け足してしまった。「そうすると…どのようになるのかしら」
「お任せいただけるのであれば、慣例通りに処罰をさせていただきます」
慣例通りと言われるのであれば、内容はそのままにしておくべきだ。シャルロッテも分かっている。止めはしない。ただ、自分が背負うべきことだと思って、再度尋ねた。
「慣例でいくと、どうするの」
「今回のような悪質なケースですと、不敬罪ですね。慣例でいけば、最低でも鞭打ちなどの罰を与え、クビにして故郷へ戻します」
「分かったわ」
思ったよりも軽い。内心でホッと息をつく。
「ちなみに使用人として本採用になれば、出身の地域は減税されるはずでした」
「え…」
「故郷に戻ったら、針の筵かもしれませんね」
にこりと笑顔が添えられるが、シャルロッテの腹の底は冷たく重い石を抱えたようだった。
「グウェイン」クリストフの制止が小さく落ちた。
「減税は通達してないはずだ」静かにいさめるが、グウェインは「慣例でいくとそうですから、知っている者は多いでしょう」と答えた。
クリストフは私の顔を見て、グウェインをあしらうようにひらひらと手を振った。
「カップを片付けてきてくれ」
二人とも、一口も飲んでいないミルクの入ったカップは回収された。音もなく出ていくグウェインの気配が遠ざかるのを感じてから、シャルロッテは深いため息をついて下を向く。
その様子を見ていたクリストフは「僕はあまり若いメイドと関わりがありません」と言った。
そういえばクリストフは、どうやらメイドたちに恐れられているらしかった。年若いメイドはクリストフの周囲にはおらず、いつもベテラン勢が全てを完璧に整えている。部屋付きの年嵩のメイドでさえ、己の失態を悟る時には顔色を悪くして震えていたほどだ。
(根は優しい子なのに、どうしてかしら)
シャルロッテがぼぅっと考えていると「いいですか」とクリストフの声が思考を引き戻す。
「長く公爵家に勤める使用人や、貴族の出であれば、多少は気を配ってやる必要があります」
「ええ」
「ですが、若いメイド、ましてや見習いなどに…お姉さまが心を配る必要はありません。前回も、今回も、もともと相手が悪いことです」
「ええ」
「お姉さまは悪くないと思います」
「…ええ」
「あと、お姉さまの出自のことは、他の使用人の前で言わないほうがいいです。念のため、ですけど」そう言いながらクリストフはそっぽを向いた。
「ありがとう」
言いながら、情けない気持ちが胸につまってシャルロッテは涙をこぼした。
(私が悪くないなんて嘘だ)
そう思うと、余計に泣けてきて。ぐすっと鼻をすするシャルロッテの目のあたりを、ふっくらとしたクリストフの手がつかんだ。
「な、なぜ泣くのですか」
涙を止めるかのようにクリストフの手で目を抑えられてしまって、シャルロッテの視界は真っ暗になる。ぎゅうっとスカートの裾を握りこんで、言葉を続けた。
「私、せっかく家族にしてもらったのに…なのに、うまく、できなっ…かっ…」
「まだひと月ですよ」抑えているのにじわじわと熱い涙が滲んでくることに、クリストフはやたらと色々な角度でシャルロッテを見るが、どうしていいかわからない様子だった。
「クリスにも、お、お姉ちゃんらしいこと、できなくてっ」
「僕はお姉さまがいて、授業が良い変化をしたと思っています」
ボロボロとこぼれる涙を、クリストフの手がぬぐう。
「まちがえ、ちゃったし」
今までのことを思うと、情けないやら、恥ずかしいやら、後悔やら、しかたがないと人のせいにしていたり、自分の甘さに自己嫌悪を覚える。シャルロッテは目を開けた。
クリストフの紅い目が、こちらを見ていた。
「僕がもらったんです」
優しく涙をぬぐうその手が、シャルロッテの頬をつつんだ。
「僕に頼ってください」
言葉をかけるクリストフの必死さが伝わって、シャルロッテは少し笑った。小さな体で一生懸命言ってくれることが嬉しくて、可愛らしくて。泣き笑いするシャルロッテに安心したのか、クリストフはもう一度涙をぐいぐいとぬぐって「もう大丈夫です」と言った。
「私が泣いてるのに!」勝手に大丈夫と判断されて、思わずシャルロッテが声を上げる。
「もう止まりましたもん」と飄々とソファに座るクリストフ。
「ほんとだ」
シャルロッテの目は、もう涙をこぼさなかった。
戻ってきてシャルロッテの充血した目を見たグウェインは、こう言った。
「ご安心ください、旦那様は『今年は選別が早まって良い』とのことでした。何も怒ってらっしゃいませんよ」
おそらく、慰めてくれたのだろう。
(私が、公爵様を怒らせて、怖くて泣いてると思ったのかしら?)
もしかして、自分が旦那様に怒られるのが怖いから?なんだかグウェインも子どもみたいだと、先ほどとは違ってシャルロッテは落ち着いた気持ちで考えることができた。
おもむろにクリストフは立ちあがり、シャルロッテを誘導し部屋から出て行こうとする。
慌てて後を追って「ありがとう」とグウェインへ一応お礼を述べ、最後に「じゃあ、後はよろしくね」と付け足した。
シャルロッテの見えないところで、クリストフは素早くグウェインをにらみつける。
「かしこまりました」
深々と頭を下げるグウェインは、薄く笑っていた。