見習メイド問題3
シラー公爵の言葉を思い出し、シャルロッテはうんうん唸りながら自分が何をすればいいのか考えた。
「お義父様は、私がどうすることを望んでいるのかしら」
そして、私はどうしたいんだろう。
どうすることが正しいんだろう。
このまま放置することはできないと覚悟を決めたシャルロッテは次の日、とある人物に会ってもらえるよう約束をとりつけた。忙しいらしく、夜ならばと、シャルロッテの夕食後あたりに時間を確保して貰えた。
シャルロッテは一人屋敷の廊下を歩く。決断する前にまずは情報収集しなくてはならない。少し早めに約束の場所に向かう。その途中で、目当ての人の姿を見つけた。
その人物は、ザビーや見習いメイドの件を、把握しているだろう立場にある。しかもシャルロッテとは関わりが薄く、客観的に全体像をとらえていそうだなと当たりをつけた。
「グウェイン様!」
黒いベストにひらりと長い裾の割れたテールコート、白いシャツは首元までぴっちりとリボンタイで閉められ、黒髪はオールバックに撫でつけられて固まっている。一分の隙も無いほどに、まさにシャルロッテの想像する“執事”そのままの格好。そんな家令のグウェインがちょうど向こう側からやってきた。
「シャルロッテ様、今お迎えに上がっているところでした。遅くなって申し訳ございません」
頭を下げるグウェインは「ご案内いたします」と白い手袋をした手で進行方向を示す。
「お忙しいのに、すぐに時間をつくってくださってありがとうございます」
連れだって歩きながらシャルロッテが言えば「いえ。お嬢様、私のことは『グウェイン』と呼び捨て、敬語もお使いになりませんようお願い致します」と淡々と返された。
(あれ、ちょっと、そっけない…?)
声のトーンの低さと、淡々とした物言いに、シャルロッテは冷たさを覚える。
グウェインに嫌われるような心当たりはないが、どうしてだろうと考える途中、背中をクイッとひっぱられた。
「なにしてるんですか。今日の授業はもう終わりましたよ」
振り返ると、先ほどまで一緒に夕飯を食べていたクリストフが立っていた。無表情なのは相変わらずだが、少し不機嫌そうに目に力が入っている。
クリストフはグウェインの顔をチラッと見て、すぐにシャルロッテに視線を戻した。
「何があったんですか?」
なんだかばつが悪くて目をそらすが、クリストフは「ねえ」と言ってそれを許さない。
「ぐ、グウェインにちょっと相談があって」
「僕にはないのに?」
「その、屋敷のことだから」
「僕も屋敷のこと分かります」
「ちょっとお願いごともあって」
しどろもどろになりつつシャルロッテが答えていると「ふぅん」と、クリストフ。
「僕も聞く」
「えっ」
「では、坊ちゃまもご一緒に参りましょう」
グウェインは「こちらです」と案内を再開して歩き出してしまった。クリストフも「お姉さま、行きましょう」とそれに続く。不機嫌オーラを放つクリストフの小さな背中を見ながら、シャルロッテはため息をついた。
「で、その赤毛のメイドはクビ。なってないメイド見習い達はまだ屋敷に居るわけ」
案内された先にはソファーにテーブルがあった。グウェインは、手ずからホットミルクを用意してくれた。クリストフはシャルロッテによる今までの事情を説明中、ずっとカップの横をトントンと苛立たしげに指で叩き、一口も飲まなかった。控えるようにテーブルの横に立つグウェインを、クリストフがじろりとにらみつける。
「うん、そう。でも大丈夫よ、なんとかするつもりだから」
「どうやって?」
「それを決めるために、グウェインに相談しようかと…」
「ああ、なるほど」クリストフは頷いた。「まず、シャルロッテお姉さまは貴族と使用人の関係が分かってない気がする」と言う。
「そう、かも。ここに来る前は修道院に居て、使用人はいなかったから」
その前は田舎の村に居て、自分の母親は元貴族とはいえ偉ぶるところは一つもなかった。シャルロッテは貴族や使用人というものに触れて来なかったのだ。
クリストフはぴくりと眉を上げて「お姉さまの昔のお話は、またゆっくりきかせてもらいます」と言った。
「まずはグウェインのことから説明します」とクリストフが横に立つ彼を示す。「家令頭は使用人の中でも一線を画して階級が高いです。屋敷の管理とお父様の秘書を務めていて、多忙。家令を務めるのは、貴族出身の者が多いです」
「グウェインは?」
「私の父は伯爵です」
グウェインも立派な貴族だった。しかも伯爵。驚き固まるシャルロッテを見て、グウェインは「しかし四男ですので」と付け加えた。
「公爵家の縁戚でもあります。ほら、お姉さま、同じ髪色でしょう」
たしかに、クリストフも公爵様もグウェインも黒髪だ。前世日本人としては落ち着く光景だが、この世界では珍しい髪の色である。
「貴族って、この屋敷に結構いるのかしら」
聞けば「シャルロッテ様の部屋付きのメイドは二人とも男爵家出身ですよ」と衝撃の事実を知らされた。
「僕の部屋付きのメイドも貴族の娘だよ」と追い打ちをかけるクリストフ。
「全然知らなかったわ」
シャルロッテは小さく頭を振った。
「メイドの中での身分の区別を簡単に言いますと、貴族・地主階級や富裕層・平民と分かれます」
グウェインが三本の指を立てる。そのうち一本を指して「貴族はお分かりかと思いますが」と言い、残りの二本を示す。「平民の中でも、地主や豪農といった豊かな者と、そうでない者には格差がございます」
「ああ、なんとなく、分かります」
シャルロッテは村の様子を思い出していた。村長の家と、その他の家は大きさや暮らしぶりが違ったように思う。
「お坊ちゃまやお嬢様の身の回りにて関わらせていただくのは、基本的には礼儀のある者…平民以外でございます。屋敷の掃除をするハウスメイドや、洗濯をするランドリーメイド、料理に関わるキッチンメイドは最下層の下級使用人で、平民がほとんどです。同じメイドですが、上級メイドと下級メイドを同じように扱ってはおりません。下級メイドは備品のように考える貴族がほとんどです。そこには、明確な身分の差があります」とグウェイン。
「シェフは身分が高いけどね」とクリストフが口を挟めば「そうですね、シェフや庭師に関しては、生まれではなく技術が重視されます」と補足説明までしてくれた。クイッと蝶ネクタイを両側に引っ張り、グウェインは続ける。
「また、下級メイドと見習いにも、同じく大きな差があります」
『下級メイドは備品のようなもの』と事も無げに言い放たれた言葉に衝撃を受け固まっているシャルロッテをよそに、グウェインはこう説明した。
見習いはより上位のメイドから人格・働きぶりなど評価をつけられており、ふるいにかけられていく。見習いはまだ、使用人ですらないただの平民のようなものである、と。
(『ただの平民』って…現代日本とこの世界は、価値観が全然違う。理解していたようで、私は全然分かっていなかったのかもしれない)
「その…正直に言ってもらっていいんだけれど、私のザビーへの対応、どう思ったかしら?」
「大変お優しいなと感じ入りました」
「お姉さま、これ嫌味だよ」
「えっ」
クリストフとグウェインの顔を、首を振るようにして交互に見るシャルロッテ。「グウェイン、正直に言っていい」とクリストフが声をかけた。
「では僭越ながら…道端で公爵家のご令嬢に、平民の少女が怒鳴りつけて石を投げたとしましょう。石が当たらなかったとしても、どうなると思いますか?」
「ひどい罰をうけると思うわ」
「死刑です」と、グウェインは再び蝶ネクタイの両側をクイクイと引いた。「お嬢様。では、ザビーは屋敷の中でお嬢様にご無礼を致しました。結果どうなりましたか?」
「…クビになったわ」
「道端ですらまかり通る決まりが、この公爵邸では通用しないようです」
目を閉じて、ぐっとこらえて「ええ、そうなってしまったわね」と答えれば、グウェインは続けた。
「修道院にいらっしゃったお嬢様は、慈悲の心が深い。神の下には皆平等ですから、致し方ありません。ですからザビーの処遇は『しかたなかった』と。お嬢様からすれば、慣例や決まりを曲げても『しかたのない』理由だったのですよね」
「神様は関係ないわ…」
自分のせいで、人が死ぬのが、嫌だっただけ。
それがしかも相手は子どもで、シャルロッテ本人は痛い思いなんてまったくしていなくて。ちょっとお腹は空いたし、嫌な思いもしたけれど、それだけだ。死刑なんて、とんでもないと思ったのだ。元をたどれば公爵様の言い方も悪かった。そう考えた瞬間。
「ああそれとも、まさかですけど…旦那様の発言に問題があるとお考えですか?」
仮面のように、のっぺりとした笑顔だった。グウェインは笑っていた。でも笑っているのに、目は笑っていなかった。