専属メイドの結婚模様3
リリーが飛び出して行った方向に手を伸ばしたまま固まるローズ。
それを見て『ローズは照れ屋さんだから、いきなり彼氏を呼ぶのは可哀想だったかしら』と、シャルロッテは少しだけ反省した。
しかしアンネリアは全く気にした様子はなく、むしろ笑いながら「さぁて、こちらはこちらでやることがありましてよ!」と、ローズの手を下ろさせている。
「一覧に書き出したいわね、何か貸してくださる?」
このアンネリアの言葉にシャルロッテが立ち上がると、ローズもハッとして「私がお持ちします!」と硬直を解いて動き出した。
そうして差し出された羊用紙とペンを手に取り、アンネリアはインクを浸しながら数秒考え込んだ後、話し合われたことをサラサラと書き始める。
「挙式と披露宴会場は晴天ならお庭で、雨天時は城のチャペルと公爵邸で……料理はコレコレ、装花はアレコレで……」
怒涛の勢いで一覧を完成させると最後に“人生最高の日を!”という言葉と、やたら上手い馬の絵を書き足した。
「では、式は二か月後と想定して各自の分担を振りますわね」
そしてアンネリアはそのまま、式の総指揮をとり始める。
シャルロッテは人に指示を出すのはあまり得意ではないし、二人でいればこうした役割は自然とアンネリアが買って出てくれるのはいつものことだ。
しかし、時期が時期である。
さすがのシャルロッテも気になった。
「あの、アンネリア様……ご自分のお式もあるのに、大丈夫ですか?」
アンネリア自身、王子であるウルリヒとの結婚式を控える身。そしてそれは国の祝賀行事であり、アンネリアは今現在とても忙しい、はず。
なので「ご無理なさらないでください」と、やんわりとシャルロッテは止めに入った。
「いいのです! 自分の式はまっったく思い通りにいきませんもの。こっちで色々やらせて貰えると嬉しいですわ!」
長い髪をバサリと後ろに流してそう言い切ったアンネリアは「髪ひとつにしても、私の思い通りにいかないのですわ。式の前は少しも切れませんの、それがしきたりだからって!」とため息をつく。
それを切り替えるように頭を振って、そうだと思いついたアンネリアは「というか!」と、顔をあげた。
「シャルロッテ様だってご自分のお式はよろしいのですか?」
「あ! そうだ、これも言わなくちゃいけなかったのに……! 忘れてたわ」
シャルロッテはパチンと手を合わせた。
そして非常に言いにくそうに、ローズとアンネリアを交互に、ゆっくりと視線をすべらせる。
「……ほら、クリスって、ちょーっと独占欲が強いというか……その、ね。ちょっと暴走する時があるでしょう?」
「ありますわね」と、こくこくと頷くアンネリア。
シャルロッテは下唇をもにょもにょと噛んで下を向いた。
「その……! ローズたちがお休みの間に、本当にドレスを着ただけなんだけれど、その……二人っきりの式、みたいなの、しちゃったのよね」
ふたりっきりの、しき?
アンネリアとローズの脳内で、その言葉がリフレインし、二人同時に声が出た。
「「は⁈」」
「だからクリストフは式を急いでいないというか……」
二人の心は一致する。
『あいつ、やりやがったな』と。
「でもそれをお義母様に話したら『私もシャルのドレスが見たかった!』ってショックを受けてしまってね、そんなお義母様を見てお義父様が怒っちゃってもう大変で。私はもう一度、式でも何でもすればいいと思ってるのだけれど……まだちょっとクリスと意見がまとまっていなくて! あ、このことはあまり言わないでね……?」
シャルロッテは「ウルリヒ様には言っても大丈夫、きっと笑われちゃうわね。あとリリーには後で言うから」と、ため息混じりにローズを見た。
視線を受けてローズはおずおずと尋ねる。
「その、お嬢様はそれでよろしいのですか?」
「うーん。私自身も、結婚式のこと『やらないといけない行事』って思っちゃってて……義務感はあるんだけれど」
それも相まって『シャルも式、そんなにやりたいわけじゃないでしょう』と、クリストフは家族の提案をのらりくらりとかわしているらしい。
これまでの話を聞いて、思わずあんぐりと口を開けているアンネリアの顔を、ローズがそっと手元のハンカチで隠した。
ハッとしてそれを受け取ったアンネリアはわなわなと震え「あ、あいつ……!」と低い声を出し、ハンカチを握りしめている。
それには気づかずシャルロッテは「だからね」と明るい声を出して話をこう締め括った。
「ローズの結婚式に参加して、私が心から『私もこんな素敵な結婚式がしたいな』ってお願いすれば、たぶんクリスもやる気になるんじゃないかなって!」
二人とも、言いたいことは山ほどあった。
特にアンネリアなど、色々と言いたいことをギチギチギチと歯軋りをしてこらえたほどである。
しかしアンネリアは怒りも意見もグッと飲み込んで「素敵な式にいたしましょう。シャルロッテ様のお式にも、絶対絶対呼んでくださいませね」と、ニッコリと笑って言ってみせた。
これは最近王子妃教育として受けている感情のコントロール訓練の賜物であったとか、なかったとか。
そしてローズは相変わらずの嫉妬深すぎるクリストフに呆れる一方で、イヤな予感が脳裏をよぎり始めていた。
『こんなに騒いでたら、クリストフ様もここに来そうですわ』という、予感が。
◇
愛しい妻が突然、若い騎士を屋敷に呼びつけたらしい。
そう聞いて、クリストフは居てもたってもいられずに執務室を飛び出していた。
その騎士とは、シャルロッテの護衛であるリリーの兄であり、名はオーランドという男だ。
専属メイドのローズと恋仲になったとかで、シャルロッテが呼びつけたらしい。
メイド達の休暇中にその男がメイドに告白するやらプロポーズするやらの一件については、シャルロッテから聞いているので把握している。元々リリーの親族なので身辺調査済みの人物だ。それと専属メイドがくっつくのはこちらの管理上、むしろ都合の良い話であった。
シャルロッテの話を受けて再調査もさせたが、オーランドという男は人物的に問題はない。
ないのだが、しかし。
「気に入らない。シャルがわざわざ会わなくても……」
かねてより体を鍛えてはいるが、細身で筋肉の付きづらいクリストフ。
シャルロッテは筋骨隆々とした元騎士、テルーに見惚れていた過去があり、クリストフはそれを見知って以降は彼女の周囲からできるだけそういったタイプの男を排除していた。
近接配置をするのは己の腹心であるハイジという護衛か女性騎士のみに徹底している程。
もしもやってくるのが、若い頃のテルーのような男だったら。
シャルロッテがうっかり見惚れてしまったら。
「チッ」
想像して、クリストフは舌を鳴らした。
天使の如く美しいシャルロッテに微笑まれて舞い上がらない男など、そうそう居るものではない。それは恋人が目の前に居ようが関係がない。分不相応な憧れを抱かぬように、自分が横で睨みを利かせなければなるまい。
本当は他の男になど会ってもほしくないのだが、先ほど上がった報告によれば、シャルロッテとアンネリアが大盛り上がりでローズの結婚式について計画を立てているという。
ここで下手に駄々をこねれば、シャルロッテに狭量であると思われてしまうだろう。それで済めば良いが、シャルロッテが悲しそうな顔をして『私の気持ちはどうでもいいのね』などと言おうものならば、クリストフはしばらく立ち直れないダメージを負うことになる。
ゆえに、シャルロッテの自由を正面切って奪うことはできるだけ避けたい。過去にも色々あったのである。
「結婚式か。シャルのウエディングドレス姿は美しすぎた。できれば誰にも見せたくない」
公爵夫人がまったくお披露目をしないということは許されないと、クリストフだって分かっている。
だからこそ家人の目を欺いてまで、二人きりでシャルロッテに純白のドレスを着せて、初めのそれを自分だけのものとしたわけで。
「……式の招待客は最小限でいいな」
あとはどれだけ挙式の規模を小さく抑えられるかが勝負であり、やりたくないと駄々をこねるポーズはとっているが、一応クリストフにもやる気はあった。本当に親しい貴族のみを招待して、最小限でするならばギリギリ妥協できる。
そしてシャルロッテが社交会で軽んじられることなどあってはならないので、披露宴はある程度の規模感でやってもいいかと考えていた。
そこはウエディングドレスではないものにすれば、まあいいかという妥協点である。
クリストフはできるだけ早く足を動かし、シャルロッテの部屋の前までたどり着いた。
コンコンコンと一応ノックをすれば「どうぞー」と、柔らかいシャルロッテの声。
「失礼します」
ドアから体をすべりこませると白金の愛しい人の色彩が目に入り、そこに真っすぐ向かう。途中で「げっ、やっぱり来ましたのね」という、どこぞのアンネリアの声がしたがとりあえず無視をして、愛しい紫色の瞳だけを一心に見つめた。
「シャル、人を呼んだって聞きました」
立ったままシャルロッテの肩に手を置き、その髪に触れる。
「そうなの! あのほら、リリーのお兄様の」
「僕も同席します」
「もう、クリスったら心配性ね。ローズの恋人なのよ?」
そんなことは関係ありません、と喉まで出かかった言葉を飲み込んで。
「……僕も、シャルが考えた結婚式に興味がありますので」
これは本当。シャルロッテが考えることは、全て知っておきたい。
理想の結婚式などという題目であれば、尚の事。
「そうなの? じゃあ、オーランド様と一緒にお話しを聞いておく?」
「はい」
「でもね、じゃあお約束」
きゅ、っとクリストフの小指にシャルロッテの指が絡む。
「クリス、私が知らない人とお話しするのイヤでしょう?」
図星を刺されて、なんと返事をすればいいのか迷うクリストフ。そんな彼の眼前に、からめられた白磁のような手が持ち上げられ、ゆらりゆらりと揺らされる。
「でもね、ローズにはずっとお世話になってるから、そのお相手の方に失礼なことはしたくないの。……クリスは横にいてもいいから、喋っちゃダメよ」
「え、」
「ハイ、約束ね」
ニコ、とシャルロッテの微笑みで押し切られ、クリストフは仕方なく頷いた。
横に居ても良いとの言質はとったので、遠慮なくシャルロッテの隣に腰を下ろす。
「クリストフ様、ごきげんよう!」
逆側のシャルロッテの横に陣取るアンネリアから低い声がしたので、今度は視線を向けてやる。
アンネリアが『挨拶くらいしたらどうですの⁈』という副音声が聞こえてきそうな引きつった笑みを浮かべているのを鼻で笑いつつ、喋れないので軽く頷いてやれば「ちょっと、シャルロッテ様! クリストフ様が!」とキャンキャンと再び吠えだした。
「ちょっと貴方、今鼻で笑ったのはどういう意味ですの⁈」
「……ふっ」
「またそうやって! 私言いたいことが山ほどありましてよ⁈」
しばらくそうしてアンネリアで遊んでいると、シャルロッテに「アンネリア様が可愛いからって、やりすぎると嫌われちゃうわよ」とたしなめられてしまった。
別に可愛いとは微塵も思っていないのだが、これを続ければその不名誉な誤解を受けることになってしまいそうなので、クリストフはスンと前を向く。
シャルロッテはアンネリアに向かって軽く頭を下げて、代わりというように詫びた。
「ごめんなさいアンネリア様。ちょっと横に居させてもらうけれど、こうして邪魔はしないみたいだから」
「仕方ありませんわ」
「ローズもごめんなさいね」
そしてまさかの屋敷の主の同席に冷や汗をかくローズ。口に出してイヤと言える立場にはない。
アンネリアはローズの横に移動して「可哀想に、こんなのが居ると仕える側は苦労しますわね」と、甘いものをすすめて労いつつ「相変わらずシャルロッテ様の前でだけはおとなしいんですから……まったく」と、鼻息を荒く吐いていた。
クリストフがそんなことは知りませんとばかりに無に徹していれば、お利口さんね、とシャルロッテが声に出さずに褒めてくれたので、ひとまずそれで良しとする。クリストフはきちんとお利口さんにしておくことにした。
しばらくアンネリアとシャルロッテはあれやこれやと盛り上がり、さすがにローズは緊張した面持ちで口数少なくそれに答えていたのだが、ついに来客の知らせが届く。
「やっと来ましたのね!」
アンネリアはまるで遅いかのような口ぶりであるが、クリストフが知らせを受けてから、およそリリーの家の位置から目算していた時間としては最速である。おそらく走ったのだろうなと予想をつければその通りで、失礼にならない程度ではあるが額にうっすらと汗をかく金髪碧眼のいけ好かない男がやって来た。
「失礼します!」
大きな声で挨拶をするオーランドは、太い首から広がるたくましい肩をしており、見事な逆三角形の肉体美を誇っていた。袖口からのぞく腕だけでも筋肉が見え隠れして、それを目視したクリストフは唯一の己の欠点ともいうべき筋肉量の不足を痛感し、内心で思わず舌を打つ。
「あなたがオーランドね。突然来てもらってごめんなさい」
挨拶をするシャルロッテにできればコイツを見ないでほしいと願いながら、クリストフは眼前の男を軽く、かるーくだけ睨むのであった。