専属メイドの結婚模様1
「それで、休暇は楽しめた?」
ローズは、敬愛する主人である『お嬢様』ことシャルロッテ・レンゲフェルトの白金の髪を梳っている途中、つまりは仕事中であるにも関わらずピシリと固まってしまった。
「えっと、ですね。お嬢様、その」
シャルロッテは現在公爵夫人となっているのだが、小さな頃からお仕えするローズにとってはいくつになっても、どんな立場となっても『お嬢様』のままだ。シャルロッテ本人も『リリーとローズは、今まで通り接してほしいわ』と言ってくれたので、お言葉に甘えて特別な呼び方をお許しいただいていた。
シャルロッテと自分たちは普通の主従の枠を超えた深い絆で結ばれている、とローズは思っている。
だからシャルロッテに知られて困ることなど何もないつもりだった。
しかし、口を開こうとすればアラ不思議。
顔が熱くてたまらない上に、口がカラカラに乾いてしまって上手く言葉が出せない。
ローズは戸惑った。
リリーの次兄であるオーランドと恋仲になったことを、報告したい気持ちはあるのに。
(きっとあれですわね、今じゃないということですわ……!)
本日はこの一刻の後、シャルロッテには予定が入っている。
次期王子妃として多忙を極めるアンネリアがやっと取れた自由時間で遊びに来る、という大切な予定が。
それまでにヘアセットとメイクを済ませなければならず、専属メイドとしてローズが仕事を遂行するためには、今その話をするのは得策ではないのは確かだった。
(しかたありませんわ! だって絶対長くなりますもの、そうそう、だから後でに致しましょう……!)
脳内で言い訳をしたローズは『実家に帰りました』という無難な答えだけを言ってまた後で話そうと口を開きかけたのだが。
「あら? ローズ、うふふ、なあに、その顔!」
シャルロッテはその変化に目ざとく気が付くと、瞳にパッと好奇心の花を咲かせてしまった。平静を装って髪結いを開始しようとしたのだが、鏡越しに見つめてくるシャルロッテはそれを許さない。
「何かあったのね! 髪の毛は後でいいわ、ね、何があったの?」
本人は気が付いていないのだが、ローズの顔には動揺が如実に現れていた。
普段であれば熱心にシャルロッテを見つめ返すはずのその視線は泳ぎまくり、頬は紅潮しっぱなし。無論、長い付き合いのシャルロッテがそれを見逃すはずもない。
「きゃー、ちょっと! ローズが可愛い顔をしているわ!」
「お、お嬢様、アンネリア様がいらっしゃるので、お支度をですねっ」
「うんうん、後でね! ……ちょっとリリー、こっちへ来てちょうだい‼︎」
シャルロッテがリリーを呼びつけながらいきなり振り返るので、ローズは慌てて手を離し、そして、その両手でゆっくりと顔を覆った。
(ど、どうしてバレてしまうんですの……⁈)
リリーはステップを踏むように軽い足取りでやってくると、大きな動きで手を叩いてシャルロッテを称えた。
「さすがお嬢様! ローズの変化を見逃しませんねぇ」
「リリーはもう知っているのね⁈」
「そりゃあ、もう。ね!」
リリーはニマニマと口の端を上げ『面白くてたまらない』という表情を隠しもせずに「お嬢様に隠し事はできない。素直になるんだ」と、ローズの肩を叩いた。
シャルロッテは鏡台の前からぴょんと立ち上がり、ローズとリリーの腕を取ると二人並べてソファーへと押し込めた。そして自分は斜め前に陣取り「さあて!」と目を輝かせる。
「その感じだと、リリーのお兄様が告白したのかしら⁈」
「は、え?」
シャルロッテの口から確信に近い響きを持って発された言葉に、ローズは目を白黒とさせた。しかしリリーが斜め上を向いて口をとがらせ「ぴ、ぴゅー」とへたくそな口笛を吹く真似をしたので『犯人発見』と、すかさず肘で攻撃を加えて睨みつける。
そんな二人の様子を見てシャルロッテは「やっぱりね!」と、嬉しそうに手を叩いた。
「お休みに入る前にね、リリーがこっそり『うちの次兄がローズにホの字なんで、休みの間にたぶん告白しますよ』って教えてくれたのよ。ねっ、リリー」
再度ローズがリリーの方を見れば、サッとリリーは顔を背けて「ハイお嬢様!」と元気の良いお返事をした。
シャルロッテは無邪気にはしゃいで「二人の恋のお話しなんて、初めてじゃない⁈」と、笑顔を弾けさせる。
「だから私、ローズがお休みの間どうなってるのかしら〜って気になっちゃってもう! あ……、そうだわ、二人に謝らなくちゃいけないことがあるんだった」
表情を曇らせたシャルロッテに、ローズもリリーもなんとなく言葉の先を察した。
『お嬢様がご興味を持たれることに、あの男が気が付かないハズがない』と。
「そわそわしてたらクリスに問い詰められて話しちゃったの……。人の恋路を、勝手にごめんなさいね」
案の定である。
しゅんとした顔をするシャルロッテに、ローズとリリーは首を横に振った。
このお嬢様に関わることは全て知りたがる男、それが現公爵家当主であるクリストフ・レンゲフェルトだ。下手に隠し事をすると疑心暗鬼からシャルロッテにべったり(今でさえ鬱陶しいほどにくっついているのだが)するようになる上、結局ローズやリリーを呼び出して問い詰めてくるので、そこに情報が伝わるのは遅いか早いかの違いというものであった。
「お嬢様、そんなことは気にしないでくださいませ。あの方はもう……その、仕方ありませんもの」
「クリストフ様はその……色々と怖いですからねぇ」
フォローになっているんだかなっていないんだか、という言葉をかける二人。
「昔からクリスに隠し事をするのは大変なのよね」
頬に手をあててため息を吐くシャルロッテだが、あれだけ執着されていればそうでしょう……と、リリーもローズも苦笑いをするしかない。
「……ところでローズ」
「はいお嬢様」
「それでどうなの? 告白されて、ローズも悪い返事はしなかったんでしょう?」
「はい、あの、一応……お付き合いをさせていただいております」
シャルロッテが「おめでとう!」と喜びの悲鳴を上げて手を叩いた正面で、リリーがニヤニヤとしながら首をかしげてみせた。
「一応? オーランド兄様はもうすぐ結婚するって言ってたけどぉ?」
「なっ、そ、それは、まだ先の話でっ」
「ローズと一緒にいたいからぁ、城勤めも辞めて、公爵邸への転職活動するって言ってたのにぃ?」
「ま、『まだ待って』って言ってありますわ!」
必死に否定するローズだが、リリーのニヤニヤは止まらない。
それにシャルロッテのテンションはぐんぐん上がって「それでそれで⁈」と、リリーに『もっと言え』と促してくる。
リリーは深く頷くと、ローズに向かってトドメの一言を投げかけた。
「今だってうちに二人で住んでるんだから、事実婚みたいなものかと思われます!」
「きゃー‼︎ え、え、そうなの⁈ いつ、いつ入籍するの⁈ 結婚式には呼んでちょうだいね⁈」
喜びに叫ぶシャルロッテに、顔を真っ赤にしたローズが「まだまだまだまだ先ですわっ!」と叫び返す。
それにスッと真顔になったリリーが、心底不思議そうに首を傾げた。
「結婚、オーランド兄様に対して不満があるわけじゃないんでしょ?」
続けて「あ、私に遠慮なんてしなくていいからね。私ならあんな筋肉馬鹿は願い下げだし」とリリーが肩をすくめる。ローズはこくんと頷いて不満がないと示すが、そこにシャルロッテが「じゃあどうして?」とすかさず突っ込んだ。
「だ、だってまだお付き合いしたばかりですし、そういった話は早いかと……!」
「あら、時間なんて関係ないわ」
シャルロッテが「私なんて気持ちを確かめ合ったら即入籍だったでしょう」と笑うが、シャルロッテとクリストフの結婚に至る物語は、どこを切り取っても参考にならない特殊すぎる例である。
ローズはひたすらにブンブンと首を横に振った。
「もうっ、頑なねぇ」
「知り合って長いですし、オーランド兄様は今すぐにでも結婚したがってるんですけどねぇ」
リリーとシャルロッテが顔を見合わせ口をとがらせ、ちょっぴり不満気な声色で「ローズは照れ屋さんなんだから」「いけずぅ」などと言い合っている。
「でもローズはそこがいいのよね」
「そうなんですよ。素直じゃないところもまた可愛いんです」
そして「いつもは色っぽくて可愛いわよね」「あと服のセンスがいいです」など、よくわからない方向に話がとっ散らかっていくのをシャルロッテが「まあでも」と軌道修正をかける。
「リリーのお兄様がノリノリなら、本当にそう遠くない話になりそう?」
「両家とも親はノリノリです」
「あら~、じゃあ本当にローズの気持ち次第ね」
「はい。ちなみに私は勝手にローズに似合いそうなウエディングドレスを探してます。素敵なドレスを見たらローズも結婚式やりたくなるかなって思いまして」
そこまで大人しく話を聞いていたローズが「なにしてるんですの⁈」と叫んだと同時に、シャルロッテが「まあ!」と声を上げた。
「それ、とっっっても良いアイデアね!」
「ローズは女性らしい体形なので、胸元がハートカットタイプで、ウエストの締まったプリンセスラインのドレスなんか似合うと思うんですよね」
「絶対に合うわ~! あ! 式の後はお庭でパーティーなんてしたら、ローズの赤い髪が引き立って美しいと思わない?」
「いいですねぇ、お花が咲いてるとなおよしですね」
「うちの庭、再来月あたりがちょうど見頃よ! ……ねえ、二ヶ月あれば、色々と準備できないかしら?」
わくわく! と瞳を輝かせるシャルロッテに、ローズは頬をヒクリと引きつらせた。
「あ、後でに致しましょう! 今は、ヘアセットとメイクを致しませんと!」
「もう顔も洗って着替えているし、大丈夫よ~」
「お化粧前の保湿もまだですわ! お嬢様の珠のような肌を守る使命が私にはあるのですっ!」
起き抜けの洗顔後はもちろんのこと、化粧をする前、それを落とした後、入浴後と、日に何度も保湿されるシャルロッテは「保湿ってべたべたするから苦手だわ」といった感想しか抱いておらず、もっぱらその白磁のような肌を守ることに心血を注いでいるのはローズのみ。
そんなことより、とシャルロッテは前のめりになって「ローズは式に何か憧れとか、希望とかはあるの?」と、まったくもって支度をする気がない。
再びブンブンと首を振りながら、慌てて早口になるローズが「お嬢様ぁ」と情けない声を出した。
「ちょっとしたら支度するわ! ね、教えてちょうだい?」
「ううぅ、特になにもありません。強いて言えばドレスと髪型は自分で決めたいですわ。アンティークやヴィンテージのドレスも興味があります……えっと、あとは……何でもいいですぅ! あの、本当にアンネリア様が来てしまいますからっ!」
必死に訴えるローズの唇に、シャルロッテがそっと人差し指で触れた。
「アンネリア様は私がどんな格好でも『かわいいですわ』って言ってくれるから! 大丈夫!」
ピン、と指を立てて笑うシャルロッテ。
むしろヘアセットをされていない姿を見たアンネリアは『そのままの御髪も素敵ですわぁ!』と、大喜びしそうである。
ローズはめげずに 「でも、次期王子妃様ですから、ね……!」と主張を続けた。しかしそれにシャルロッテも負けない。
「いやほらアンネリア様は、私の家族だから」
「いやいや、侯爵令嬢でもいらっしゃいますし」
「いやいやいや私もマルカス家の子になったのよ! 一瞬だけど!」
「いやいやいやいや……」
そうして二人がわちゃわちゃしていると、コンコン! と部屋にノックの音が響いた。
本日小説が発売されました。
今まで読んでくださった皆様のおかげです、ありがとうございます。
詳しくは活動報告を見ていただけると嬉しいです。
昨日発売したコミカライズもちらっと読めますので、漫画の中で動くシャルロッテとクリストフにご興味ある方はぜひご覧ください。