専属メイドの恋愛模様3
取り急ぎ荷物をまとめたローズは、翌日の朝早い時間には実家を出発しようと玄関でブーツを履いていた。
その物音に気がついた母がやってきて「もう行くの⁈」と驚きの声を上げる。
「こんなに早く行ったらリリーちゃんにご迷惑でしょうに」
ローズはウロウロと視線を彷徨わせつつ、口先だけで「そう、ですわよね」と同意をするも、室内には戻らなかった。
母はしばらくそんなローズの顔を眺めていたが、ああ、と何かに気がついたような声をこぼす。
「ミミに会うと面倒だから、かしら。……まあそういうことなら、朝市でもぶらついて時間潰してから行きなさい」
「え、あの朝市?」
「いいから行ってごらん。さ、早く行くないとミミ起きてくるわよ」
出がけにミミに会うと『もう行っちゃうの⁈』などと騒がれて面倒くさいことになる。ローズは母の言葉に従うことにした。
「じゃあ、ちょっと覗いてきますわ」
「気をつけて。また帰ってらっしゃいね」
そして包み込まれるような母のハグを堪能してから、ローズは実家を後にしたのだった。
◇
ローズが半信半疑で訪れた地元の朝市は、中々の盛況っぷりだった。
昔は野菜や果物、肉魚といった食品が中心で“地元民の台所”だったのが、今や観光客も訪れる“お祭りのような市場”に変化し、活気が溢れている。
「あ。これ、お嬢様の髪飾りによく似てますわ」
東国をはじめとする異国ブームの波に乗った商人たちが小物やアクセサリーを広げているのを、ローズは時折立ち止まりながらひやかしていく。
最近流行の甘味の屋台、クジ屋や射的屋なんてものもあって、歩くだけでもあちこちに視線を奪われてしまうほど。
ローズはすっかり朝市を楽しんでいた。
「この匂い、リリーの好みですわね」
ハチミツをたっぷり練り込んだ焼き菓子の香りが、生暖かい空気と共に流れてくる。その甘い匂いにローズは足を止め、少し悩んでからいくつか買い込み、またぷらぷらと歩き出した。
「さて、そろそろいいかしら。休暇も中々いいものですわね」
ヘアアクセサリーを中心に何点かの小物も購入した後、ローズはのんびりとした歩調でリリーの家の方面へと歩き出す。少し遠いが、歩けないほどではない距離だ。
今日は涼しいしちょうどいいと、ひんやりとした空気を楽しみながらローズはひたすらに歩いた。
「ふぅ、ちょっぴり疲れましたわね……!」
うっすらと額に汗をかいたローズは、リリーの家が目視できる距離まで来たところでハンカチで額を拭き、汗をパタパタと冷まして身だしなみを整えた。
リリーの家は郊外にあり、騎士の家らしく、ずっしりとした石造りの塀がぐるりと敷地を囲った一軒家だ。
既に鍵の開いている門扉をくぐって、来客を知らせるベルを鳴らす。
ベルの音が響けば、スラリと背の高い女が駆けてきた。長い足をパンツにきゅっと詰め込んで、上半身はタンクトップだ。筋肉質な二の腕は滑らかに白く、ぱっつりと切られた金髪のボブカットによく映える。
ローズの相棒とも呼べるだろう、お嬢様の護衛役のリリーである。
リリーはニカッと笑って「いらっしゃい、待ってた」と歓迎してくれた。見ればうっすらではなく、びっしょりと汗をかいていて、おそらく外で鍛錬でもしながらローズを待っていてくれたのだろうと察せられた。
「外で待っててくれたんですの?」
「ついでだよ、ついで。鍛錬は午前中がいいの。……でも、もっと早く来ると思ってたけど」
「ごめんなさい、朝市を見てきましたの。これ、お土産ですわ」
リリーへお菓子の袋を差し出せば「わ、いい匂い!」と、すぐにそれを抱きしめる。リリーは大の甘党だ。
「ありがと! 朝市かぁ、いいなあ。食べ歩きしたい」
「でしたら、明日行きましょうよ」
「やった!」
ご機嫌を表すように袋を頭上に持ち上げてクルリとその場で回ってみせたリリーは、笑みを浮かべてローズにねだる。
「ねえ、ローズの美味しい紅茶が飲みたい。セット持ってくるからさ」
「しかたありませんわねぇ」
同じくメイドとして仕えていた時期もあるが、リリーは護衛に転身したという経緯がある。
紅茶を淹れたりといった細やかな作業は、もともと圧倒的にローズの方が得意分野。仕方ないと言いつつも褒められて悪い気はせず「ミルクと砂糖はたっぷり、ですわね」と、リリーの好みを口にしてみせた。
「さすがローズ! じゃ、ここで待っててね」
通された客間も無駄な装飾品の類はなく、質実剛健、正に騎士の家といった佇まいだ。初めて来たわけでもないが、歩いたほどよい疲れも相まってローズは何もない室内でぼーっとしていた。
そこに突然、バン! と音を立ててドアが開かれ、低い声が響いた。
「ローズ嬢、よく来たな!」
その礼儀知らずな入室者は満面の笑みを浮かべ、ズンズンとローズに近づいて来る。
ローズは自身の体温がぴゅっと上がるのを感じ『ひゃあっ』と内心で悲鳴を上げた。慌てて立ち上がり軽くスカートの裾をつまみ、声が震えないように一息、そっと息を吸う。
「……オーランド様、ご無沙汰しておりますわ」
「本当に久しぶりだな! 元気だったか?」
ニカッと白い歯を見せて笑うのは、サラサラの金髪に碧眼、高い身長、鍛え抜かれた肉体の男。その笑顔に頬に熱が集まるのを、ローズはサッと俯いて隠す。
彼の名はオーランド。
顔だけならまるで絵本の王子様のようなこのイケメンは、リリーの次兄である。
「え、ええ。元気ですわ」
「それは何より! 俺も元気だったぞ」
「ちょ、ちょっとっ、近いですわ。あ、汗がっ」
先程まで汗をかいていたので、どんどん近づいてくるオーランドに手のひらでストップをかけたローズ。
しかしオーランドは自分のことだと思ったようで「む、すまん。もう一度シャワーをしてこよう」と、部屋を出ようとした。慌ててその腕を掴んで止める
「まってくださいませ! オーランド様じゃなくて、わ、私がくさいんですのっ」
「なんだ。ローズ嬢はいつものいい匂いがするぞ、問題ない」
「なっ、なっ」
あまりにも直球のオーランドの言葉にワタワタとするローズは、『いつもの』などという変態くさい言葉は引っ掛からなかったらしい。
オーランドは、妹であるリリー曰く『脳筋』。
脳みそまで筋肉で出来ている、という意味である。
太い首、分厚い胸、丸太のような太もも……全身を鎧のように覆う筋肉が、白いシャツをこんもりと押し上げているのを、ローズはチラリと横目で確認した。
たしかに、王子様というには鍛えすぎかもしれない。
そのせいかは知らないが、イケメンで王城勤めの騎士という条件の良さにもかかわらず、オーランドに彼女がいたという話は聞いたことがない。
にしても太ももが太い。自分のウエストくらいはあろうかというその脚を、ローズは思わずじっと見つめた。
「ん? どうした。虫でもついてるか?」
そうやって視線に気がつかれてしまうと恥ずかしく、勢いよく視線を逸らす。
「虫なんて飛んでませんわ。ただちょっと気になることがあったものですからっ!」
「なんだなんだ」
まさか筋肉を見ていましたとは白状できないローズは、誤魔化すために咄嗟にこんなことを言ってしまった。
「ちょ、ちょっと、さっきのその……オーランド様のマナーが気になりましたのっ!」
しかしオーランドはピンとこないらしく、太い首を傾げて「うわ、俺またなんかやらかしたか?」と、ぽりぽり頬をかく。
彼は仕事はキッチリしているが、よく言えばおおらかな性質だ。別の言い方をすればガサツ。これはよく妹にも注意を受けていた。
一応、本当にローズが気になったマナー違反があった。それは先ほどの礼儀もへったくれもあったものではない入室だ。
「リリーにもよく怒られるんだ」
しょんぼりとした顔で大きな体を丸める様子に思わず笑ってしまいそうになりつつ、ローズは表情筋を引き締めてツンとした顔を意識する。
「レディのいるお部屋に入る時には、まずはノックをして入室の許可を求めてくださいませ」
「ああ、それか! ローズ嬢に早く会いたくて気が急いてな。すまんすまん」
「なっ」
彼はサラリと謝ると、ローズの対面の位置にどっかりと腰を下ろし「ローズ嬢もホラ、座ろう」と事も無げに話を終わらせてしまった。
自分だけ照れているのが恥ずかしく黙っていれば、オーランドは小首をかしげてさらに追い打ちをかけてくる。
「俺が来ると、迷惑か?」
「あっ、そ、そんなことは思ってませんけれどっ!」
「ならよかった」と、笑顔を浮かべたオーランドはその長い足に肘を乗せ、身を乗り出すようにしてこちらを見つめてくる。
「ひゃっ」
「ローズ嬢が来ると聞いて、今日は休みをとった。いつまで居る?」
わざわざ休みをとってくださったの⁈ と、一瞬でまた耳までカッと熱くなるローズ。しかしその意味を深くは考えないようにして、平常心を装い会話を続ける。
「お休みはひと月ほどありますが、飽きたら帰りますわ……そうですね、二日くらいかしら?」
ぐちゃぐちゃと思考は乱れ、感じの悪い言い方になってしまった。いつもそうなのだ。オーランドの前では、いつも可愛くない態度ばかり。
言ってからローズは『飽きたら』なんて何様かしらと、内心後悔でいっぱいだったのだが、なんてことはない。
オーランドはそんなことよりも、期間の短さに下唇をつきだして不満顔をする。
「なんだ、たった二日だけか。いっそここに住めばいいのに」
「ここに住めばいいのに⁈」
ローズは思わず目を見開いて、聞いた言葉を繰り返してしまう。
相対するオーランドは大真面目な顔でこう続けた。
「ここからでも公爵邸には通えるだろ?」
「か、通えますけれど、リリーだって住み込みですわ!」
「リリーはどうでもいい。専属の護衛はまあ、屋敷に居た方がいいんじゃないか」
「わ、私だって専属メイドですから!」
「じゃあ休暇の間はここに住めばいいさ」
「ななな、なんでですの!」
内心では大わらわ、処理の追いつかない脳内では『この人は脳筋、深い意味なんてないのよ。これはただここに住めばいいって意味で、それ以上でもそれ以下でもないの、勘違いしちゃダメダメだめ……』と、必死に自分をなだめていた。それでも、じわりじわりと上がる口角を押さえられず、思わず手を口に当ててそれを隠す。
その様子を見たオーランドは目じりを下げて「なんでって、そりゃあ……」と、照れたような笑顔ではにかんだ。
そのくしゃりと目尻に寄ったシワに、ローズの胸はきゅぅんと締め付けられる。
実はローズ、初恋の人はこのオーランド。
なにせ外見がドストライク。
そしてちょっぴりおバカなところも胸キュンポイント。
思わず高鳴る胸も仕方ないというものであろう。
ドクドクとうるさい鼓動が胸で暴れるのを手でおさえたところで、耳元にフッと息がかかる。
「……私、邪魔?」
「ひっ、ひゃぁっ!」
いつの間にか紅茶セットを揃えてきたリリーが至近距離でローズを見つめていた。横に座られたというのに気が付かないほどに動揺していたらしい。
「じゃ、じゃ邪魔なんて! こっ、紅茶! そう、私は紅茶を淹れますわ‼︎」
「ふぅん」
サッと立ち上がったローズは、無心で手を動かして紅茶を淹れた。
◇
その背後ではリリーとオーランドが何やら目くばせをし合っていて、しばらくして、オーランドがやれやれと首を横に振った。リリーが顎をクイクイと動かして『出ていけ』とばかりにドアを示す。
「では、俺は鍛錬をしてくるとしようか」
「オーランド兄様の分はカップもないからね、ざんねーん。ばいばーい」
リリーが追い出すように手を振って、オーランドはローズに「ではまた」と言い残し颯爽と去って行った。やっと緊張の糸が切れたローズがゆっくりと顔を上げると、じっと見つめていたらしいリリーと視線が絡む。
「ナニナニ。そーゆーことぉ?」
「なっ、ばっ……ば、馬鹿なことを言わないでくださいまし!」
リリーは思った。
じれったいなぁ、と。
ローズはいつもツンと澄まし顔をして、男にアプローチをかけられても、鈍くて気づきもしない。
童顔巨乳で男慣れしてそうな外見なのだが、恋愛の経験値はほぼゼロで。次兄への初恋から既に十年近くが過ぎているが『あれは憧れだったのですわ。ほら、友達のお兄さんに憧れるなんてよくあることでしょう⁈』などと言って、現在も憎からず思っていそうなのに、それは頑なに認めない。
「ローズとオーランド兄様がくっついたら、私も嬉しいんだけどなぁ」
「なっ、ばっ、そっ……!」
意図的にリリーが心の声を漏らしてみせれば、耳の先まで真っ赤に染めたローズに「もう、リリー‼︎ あり得ませんわ!」とポカポカ叩かれてしまった。
「どうしてあり得ないのさ」
「どうしてってそれは……私は住み込みで働き続けますし、オーランド様はお城にお勤めでしょう。物理的に無理があります」
「ふぅん」
ずいぶん具体的に考えてるのね、とは口にせず。
リリーは内心でニヤニヤするにとどめて、美味しい紅茶で喉を潤して、野暮な言葉を飲んだのだった。
遅くなりました…!そして長くなりました…!
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