仔馬ちゃん物語4
「そういえばだけど、しゃるたちは今度のパーティー来るのか?」
ここで言われる『今度のパーティー』は、王城で開かれる茶会である。学園祭終了後の週末、ウルリヒはいつも通りシャルロッテ達の屋敷を訪れていた。
問われたシャルロッテは顎に細い指を当てて「うーん」と鼻にかかった声を出す。
「まだ考えてなかったわ」
「今年は父上と母上が外遊で欠席だそうだ。まあ、いつも最初の挨拶くらいしか来ないんだけどな。それで参加者もそう多くないって聞いてるから、二人も来たらどうだ~?」
クリストフはウルリヒなど完全に無視をしてシャルロッテを見つめている。まあいつものことで、ウルリヒは気にしてない。もとよりクリストフはウルリヒのお願いなぞ聞いてはくれないので、アピールするならシャルロッテに限る。将を射んとする者はまず馬を射よということだ。
何やら考え込むシャルロッテに、ウルリヒは言葉を重ねて誘いをかける。
「というか私がヒマだから来てくれよぉ」
ハッとした顔をしたシャルロッテは、ちょっと困ったような顔だったが最終的にコクリと頷いた。「そうね、最後に参加してみようかしら」と彼女が言った瞬間に、今までウルリヒを見もしなかったクリストフから鋭い視線が飛んでくる。
「やったぁ!しゃるが来るなら、くりすとふも来るだろ?!」
そんなことは気にもしない。勢いのままクリストフに迫り、笑顔でグイグイと「くるだろ?な??」と言質を取りにかかる。クリストフは嫌々といった顔を隠そうともせず「……ええ、まあ。お姉さまが行くなら行きます」と、最終的に頷いてくれた。
ウルリヒは大満足で椅子に戻ると、これから始まるであろうシャルロッテとクリストフのイチャイチャとしたワチャワチャを眺めるべくメイドを呼びつけて紅茶を新しく淹れさせた。
暖かい湯気を立てる香りを吸い込む頃には、レンゲフェルト姉弟はすっかり二人の世界に入って言い合いをしている。
「どうしてお茶会なんて…!」
「いや~、ほら、王城で昼間にお庭を見られるチャンスもそうないでしょ?もう私も成人しちゃったら、行けなくなるわけだし?最後だから記念にね」
「たぶんお姉さまは今後も王城に行く機会はあると思いますけど」
「…う、ウルリヒ様もヒマだと可哀想だし!」
「ウルリヒ様は他の方とも仲良くなるいいチャンスですよ」
「そうかしら?まぁとりあえず、お義父様に相談してみましょ」
シャルロッテがちょっぴり大変そうだが、そんなことはウルリヒの知ったことではない。だって来るって言ったもん。と、ウルリヒはご機嫌にお菓子をつまむ。
言質はとったので、後はレンゲフェルト公爵の方に早々に招待状に返答するように突っついておこうとウルリヒは内心でニンマリと笑みを浮かべていた。
◇
「…と、レンゲフェルトの二人も参加する気満々だったぞ~」
「そうでしたの。でしたら私もお茶会、参加させていただきますわ」
「そうか!やった~」
昨日レンゲフェルト公爵邸を訪れたというウルリヒは、そんな土産話を持ってアンネリアの住むマルカス侯爵邸へと訪れていた。
滅多に社交をしないシャルロッテが出てくるとの話を聞いて、アンネリアも満面の笑みだ。そんな彼女を見てウルリヒは嬉しそうにクッキーを頬張って「今回は楽しくなりそうだな!」と、ふんふん鼻歌を歌う。
「あら、ちょっと失礼しますわ」
アンネリアがテーブル越しに手を伸ばす。
ウルリヒの指はクッキーの粉でまみれていたのだ。見かねた彼女は、そっと机上のペーパーナプキンで指をぬぐって綺麗にしてやった。
「ありがと~」
きらきらと光る紫色の瞳が、じっとアンネリアを見つめてニコリと細められる。
手をすかさず離しウルリヒから顔を背け、庭に咲く美しい花が揺れるのに注視して心を落ち着けた。
「こっ、こんなことは、お、弟に!しますのよ、これくらい!」
「ハハハ、弟かぁ。もうちょっと男として見てほしいんだけどな~」
口をとがらせるウルリヒに、アンネリアはここのところずっと抱えていたモヤモヤを思わずこぼした。
「婚約、私に、申し込んでたって…」
「ああ」
「ずっと知らなかったのですけれど…その、ごめんなさい」
ガシャン!とティーセットが悲鳴を上げた。立ち上がったウルリヒの体に当たりテーブルが大きく揺れたのだ。アンネリアはその勢いに座ったままたじろぐが、ずいっとせまる彼の瞳は先ほどよりも大きく、きらりきらりと光を吸い込んで輝く。
「そうなのか?!」
まさかの、満面の笑みだった。
「っしゃー!」と小さくガッツポーズを決めるウルリヒは、勢いそのままにアンネリアの真横にくると手をとって無理矢理ハイタッチをしてくる。
「え、ええ?」
「ってことは、断ったのはアンネリアじゃないってことだろ!よかった~!」
「え、ええ、まぁ…?」
これは『仲良くしていた友達と、気まずい思いをしたくない』といった気持だろうと、アンネリアはウルリヒの言葉を推し量る。
父親に調べさせたところ、ウルリヒが婚約を申し込んできたのは仲良くなりたての数年前の話であった。シャルロッテがクリストフに囲い込まれている今、ウルリヒと年齢の釣り合う高位貴族令嬢の筆頭はアンネリアで、おそらく、いや確実に政治的配慮の申し込みであろうと父親とも話し合って結論付けた。
アンネリアのこと自体は、何とも思っていないに違いない。
違いないのである。
「いや、あの。『自分で結婚相手は決めますわ』と父に宣言してましたら、勝手に片っ端から縁談は断っていたみたいで…。それでも不愉快にさせましたわよね、ごめんなさい」
「いや、全然。諦める気なかったし」
「え?」
手が、いつの間にか握られていた。
「まだまだこれから〜って思ってた!」
ぎゅっと握り込んでくる手。それが自分よりも大きくなったのはいつからだったのだろう。数年前は小さな天使のようだったのに、目の前に立つウルリヒは大きく、筋張った大きな手になっている。
「よかった」
意地の悪い笑い方をするようになったものだ。
ニッと笑うウルリヒは、引き寄せるようにアンネリアの手に唇を寄せた。ガブリと噛みつくようなジェスチャーをされて、ボボボッとアンネリアの耳が熱くなる。
「な、な、な…!」
「お、ちょっとは意識した~?」
「み、見ないでください!!」
年上の淑女を揶揄うウルリヒに、怒りやら恥ずかしさやらで思わず手を振り払って顔をそむけるアンネリア。彼女の顔をぐるりと回りこんで、無理矢理に覗き込んで嬉しそうに笑うウルリヒ。
「アンネリアは可愛いなぁ」
「ば、ばか!!…ハッ、あ、いえ、ごめんなさい」
「いいんだぞ~。アンネリアにならバカって言われても嬉しい。なぁ、今結婚申し込んだらさ、もうちょっと…前より、考えてくれる?」
なぁ、なぁ、とウルリヒは顔を近づけてくる。それをアンネリアはそっと手を彼の腕に当てて、距離をとるように体を押した。
「いやでも、私は運命の王子様を探しているので、政略結婚はちょっと…」
「この流れでそうくるか~」
ウルリヒが天を仰いで額を押さえている。
「政略じゃないって言っても、信じてくれないんだろ。私には分かるぞ〜」と、小さく呟く。そして顔を元の位置に戻した彼の口は、ちょっぴりとがって拗ねていることをアンネリアに主張していた。
「ホンモノの王子はダメ?全然ダメ?」
「ダメといいますか、こんな年にもなってロマンチストが過ぎるとは思うのですが…。運命の人と結婚したいのです」
「運命って何?」
「えっ、その…ドキドキしたり、この人しかいない!って思ったり、とかですわ」
むぅっと考え込むウルリヒは再度「この人しかいないって、どんな人になら思うのさ」と問うてくる。
アンネリアの脳裏にはシャルロッテの姿が浮かんだ。
弟が生まれたあの頃、アンネリアは自分のことが嫌いだった。弟の誕生を心の底から喜べない自分が嫌いだった。
それでも、シャルロッテが祝ってくれたのだ。
アンネリアが姉となったことを、祝ってくれた、大切な人。一生一緒にいるなら、あんな人がいい。
「私が、私を好きでいられる人、ですかね」
抽象的なその言葉は、口をついて出たものだった。
アンネリアは思わず唇を噛みしめた。あまりにも意味が分からない話だろうと思ってウルリヒを見れば意外や意外、彼は「なるほどぁ」と言って納得している。
「…笑わないのですね」
「ん?いや、分かる気がする話だからな。どうせ、しゃるの顔でも浮かんでるんだろ」
「ぐっ」
図星をつかれて唸るアンネリアに、ウルリヒは「しゃるのこと好きだよなぁ」と苦笑いだ。
それにムッとしたアンネリアは思わず反射的に、心の底で思っていたことを言い返す。
「ウルリヒ様だって、シャルロッテ様は特別じゃありませんか」
言ってからまるで嫉妬じみた物言いに、バツが悪い思いをするアンネリア。しかしウルリヒは何を気にすることもなく、まっすぐに見返して首を振る。
「くりすとふも同じくらいトクベツだし、アンネリアだって大切だぞ」
「そ、それはどうも」
「しゃるとくりすとふへの気持ちはな、アレだ、家族愛みたいな感じだ」
ウルリヒは頷く。そうしてから「今日は帰るとする。ろまんちっく、もキーワードだな」と言い残してアンネリアの傍から離れた。
「あ、見送りはいいぞ~」
アンネリアはその言葉に甘えて見送ることもせずに椅子に座り直すと、紅茶を一口飲みこんだ。呆然としながら芳醇なその香りを舌先に転がし心を落ち着ける。
「美味しい、ですわ」
ドキドキと胸を叩く心臓を押さえて、一つ一つウルリヒとの会話を思い返しては赤面したり落ち込んだり。アンネリアは背中を背もたれに預けると、深く長いため息を吐いたのだった。
「なんなんですの…」
片付けにやってきたメイドは内心で思ったという。『うちのお嬢様はちょっぴり、いやかなり、恋愛が下手なのかもしれない』と。




