仔馬ちゃん物語3
ガヤガヤと活気づく学内を乗馬服で闊歩するアンネリアに、黄色い歓声が上がる。
「キャーッ!!アンネリア様ぁ!」
「うっ、麗しいです!こっち向いてー!」
男子生徒に対するよりも、声をかけるのが気楽なのだろう。女子生徒達がキャアキャアとはしゃいではアンネリアを呼び止める。多くの女子生徒は寮生で顔見知りであるので、邪険にするわけにもいかぬ。 行く先々でアンネリアは微笑みを浮かべて手を振ってやった。
ふぁさっと茶色いポニーテールを後ろに払って、ついでに大仰に紳士っぽいお辞儀も披露する。
「馬術部の乗馬体験、ぜひ来てくださいませ」
乗馬服なんて珍しくもないだろうに、と思いながらもウインクして馬術部の宣伝もついでにしておくと、予想以上にギャーッと悲鳴が上がった。
「いっ!行きます!!」
「でもアンネリア様が馬に乗ってらっしゃるお姿を見たいですッ!」
「その恰好、とってもお似合いです!!アンネリア様が一番推しです!!」
多くの令嬢はドレスで馬に横乗りして、馬を馬丁に引かせて“乗馬”を楽しむものだ。アンネリアのように自分で手綱を握って馬を乗りまわす令嬢は稀有であり、ズボンの乗馬服は周囲の目に新鮮に映っていた。白い布地がぴっちりと張り付いて、アンネリアの太もものラインを見せつけてくるのだが、そのスタイルの良さに令嬢達はうっとりと頬を染めていた。
アンネリアはそんなことには気が付かず、キョロキョロと周囲を見回して、小さくつぶやいた。
「まったくもう…!お父様はどこにいらっしゃるのかしら…」
ふぅ、と小さくため息をつきながら背の高い父親の姿を探し回るも、行く先々ですれ違っているらしく中々出会えない。先ほどアンネリアのクラスに来ていたらしいのだが、行った時にはもう影も形もなかった。
「しかもお父様ったら、うちのクラスで泣いたらしいじゃない」
アンネリアの父であるファージ・マルカス侯爵はちょっぴり脳筋気味なので、感動するとすぐに泣く。最近家ではアンネリアの弟が母親の背丈を越したのを見ておいおい号泣していた。感受性豊かなのは結構なのだが、それを学友に知られるのは恥ずかしい。
「馬術部で待っていればその内来るでしょうけれど、これ以上変なことされたら恥ずかしくって学園を歩けなくなるわ。早急に回収しなくては」
お年頃のアンネリアはそういった事情から、必死に彼を探していた。一人でぶつぶつと呟きながら早足で校舎を移動する。
「…あと行きそうなところ…クリストフ様のクラスかしら…」
「おっ、いたいた~!アンネリア~!」
そこの背中に、のんびりとした声がかかる。
少し高いボーイソプラノで顔を見ずともアンネリアには誰だか分かった。
「うる、りひ様」
「探したぞ~、何してるんだ?」
パッと顔を上げれば、ウルリヒがすぐそばに立っていた。その後ろにはクリストフが居るのだが「すぐ戻って来てくださいね」と言うと、少し離れた生徒会展示室へと消えてしまう。
「えっ、あ…お、お父様を探してますの!」
「そうだったのか!私はアンネリアを探してた!会えてよかった~」
何を言われるのだろうかと身構えていると、ウルリヒは朗らかな笑顔でこんなおねだりをしてくる。
「アンネリアのクラスのクッキー食べたいから、一つ取っといてくれ。馬のカタチなんだろ?」
「あ、はい。残っていれば。でも、もう売り切れていたらごめんなさい」
「アンネリアが焼いたやつがいい~」
「それは…どれがどれだか分かりませんわ」
「えぇ〜!」
昨日の放課後にクラスみんなで焼いたクッキーは、アンネリアが総指揮をとって美味しく仕上げることができた。お菓子好きのウルリヒのお眼鏡に叶うかはドキドキするが、食べて「美味しい」とでも言ってくれれば自信がつきそうである。
「ちぇっ。じゃあ、また今度焼いてくれ」
「ふふ、いいですわよ」
「ホント?!ぜったいだぞ!」
拗ねて口の先をとがらせるウルリヒの可愛らしい様子に、アンネリアは思わず笑みをこぼして軽く請け負った。そして、きっと待っているであろうクリストフの元へとウルリヒを戻さねばと考え声をかける。
「ええ。あの、そろそろ生徒会のお仕事に戻られては…?」
しかしウルリヒはそんなアンネリアの声を無視して、のんびりと語り掛けてくる。
「アンネリアってお菓子作れたんだなー」
「まあ、多少。あの、お時間…」
「焼きたての方がクッキーってやっぱ美味しい?」
「ああ、はい。あの、そろそろ」
「じゃあ今週末、食べに行こうかな~」
「ええ…じゃあ、お戻りに…って、ん?え?」
「やった!!ファージに手紙を出しておくから、じゃあまた週末にな〜!」
くるりと踵を返して、あっという間に生徒会展示室へと消えてしまったウルリヒの背中を呆然と見送ったアンネリア。脳内で言葉を反芻する。
『じゃあ今週末、食べに行くから!』
食べに行くって、ドコニ?
ウチ?
ファージに手紙?ってナニ?
ポンッ!と、アンネリアの頬か赤く染まった。
「えっ、えええええ、えっ、えっ」
壊れたように「え」を繰り返すアンネリアは、混乱する頭でもう一度クラスに戻るとクッキーが売り切れという事態に直面した。
「どうしましょう…」
二重の意味でどうしましょう、だった。ウルリヒが来るのなら最高級の茶と菓子を用意する必要があるし、アンネリアもクッキーを焼かねばならないし…そもそもお忍びでウルリヒがやってくるなんて家族にどう説明したものだろうか。そうして悩みを脳内でぐるぐるとさせながらも、アンネリアは馬術部に戻り父親と再会を果たす。
「お!アーンーネーリーアー!!」
ブンブンと手を振る父親のちょっと気の抜けた顔を見て、アンネリアはやっとわずかに落ち着きを取り戻した。女としてよりも、娘としての意識が勝った瞬間である。
「おっ、お父様!私のクラスで泣いたそうですわね?!」
「おお!アンネリアのクラスはいい子達ばっかりだなぁ!お父様感心しちゃったぞ!!」
「それはそうですけれど!恥ずかしいからやめてくださいませ!!」
「ん?なんか怒ってるのか?悪かったな!!」
ガハハ、と大口開けて笑うその顔は何の悩みもなさそうで、アンネリアは心底羨ましくなった。
「お父様っていっっっつもそう!!!」
「よし、じゃあアンネリアの愛しい天使ちゃんたちを紹介してもらおうかな~」
「!」
その瞬間、アンネリアの脳内からは全ての事象が吹っ飛んだ。愛しい愛しい愛馬を紹介できるとなれば、他の事は些事である。
即座に華麗なターンを決めて、ビシリと厩舎を手で指し示す。
「お父様!こちらですわぁ!!」
「おお〜!いい草の匂いがするじゃないか!!ハッハッ!」
こうして、アンネリアの学園祭は表面上平和に終了した。
◇
学園祭が終わった翌日、片付けもそこそこにアンネリアは一時帰宅をした。帰り着いた時刻は夜半であったが、週末に王子が来るならば早急に家人と話をつける必要があったためだ。
家のドアをくぐれたのは夕飯も終わったような時間帯で、アンネリアは見慣れたメイドに軽食を用意させて父親の部屋へと突撃した。
「お父様!アンネリアですわ!」
「おお~!愛しの我が娘よ、よく帰った!」
「ちょっとここで軽食を食べます。よろしくって?」
どっかりと部屋のソファに腰を下ろす娘にニカッと笑顔を浮かべると、ファージは控えていたメイドを呼びつけて「ステーキ、三人前」とアホみたいな指示をした。アンネリアがすかさず止めるが、ファージの「いいから、アンネリアが食べなかったら俺が食べる!」という笑顔に押し切られてメイドは出て行ってしまった。
アンネリアとて花の乙女、こんな夜半にステーキなんて罪深いモノは流石に控えたい。
「ちょっとお父様…人の話を聞いてくださいませ…」
「ん~?いいだろ、無理なら俺が食べるって」
「お父様はいっつもそうですわ!だいたい、学園祭の時も…!」
くどくどとアンネリアの口からこぼれ出る小言をニコニコしながら聞いていたファージは、軽食とステーキ、そして家人が気を利かせて添えたパンとスープがカートに載って登場するや否や「よし!!食べながら話そうな!」と目を輝かせて自ら配膳をした。アンネリアの前に一枚、自分の前に二枚の肉を置く。
「やっぱステーキが一番だぞ!!」
ガブリ、かぶりついたファージの口に肉汁がじわぁっと広がった。「うまい!!」大きく切り分けてバクバクと食べるので、あっという間に一枚目がなくなった。パンも勢いよく口にいれるので、あっという間に二個三個とファージの胃袋へと消えていく。
「……っ!」
アンネリアはごくり、とつばを飲んだ。
その間にもファージは勢いよく食べ進め、二枚目の途中で小首をかしげてアンネリアを見る。
「なんだ、食べないのか?じゃあ…」
「たっ!食べますわ!!」
アンネリアはバッと皿を父親から遠ざけて、自分の分を守った。ファージはアンネリアの様子に少し口角を上げると「冷める前に食べろよ」とだけ言って自分の食事に戻る。アンネリアは禁断の夜半のお肉を楽しむことに決めて、カトラリーを手に取ってからチラッと父親を見た。
「あの…今週末、お客様がいらっしゃいますわ。お父様にも、お伺いのお手紙を出すっておっしゃってましたの」
「ん?誰かオトモダチか」
「ええ。あの、えっと…ウルリヒ様、なのですけれど…」
ファージが肉をがぶりと口に含んでから、アンネリアの知らない衝撃の事実をこぼした。
「あああ?あー、婚約の打診も来てたしなぁ。まだ諦めてなかったのか〜。まあうちのアンネリアは可愛い上に賢いからなぁ!!気持ちはわかるがな!よしよし、ちゃんと私の方で断っとくぞ!」
カシャンと、アンネリアの手からカトラリーが落ちる。
「え?お父様…?」
「どうした?あ、王族だからか?いいんだ、気にしなくていいんだぞ!!お父様、そんなことで干されるような領地経営してないからな!!」
鼻の下をコスコスしながらドヤァと片目を開けてアンネリアを見つめるファージは、娘がフルフルと小刻みに震えていることに気がつかない。
「聞いてませんけれど…?」
「だってアンネリアは自力で運命の相手を探すから、政略結婚はしないんだろ?安心しろ、縁談は全部ちゃーんと、お父様が断ってるぞ!たとえ王族でもな!!アンネリアは好きにしていいんだ!」
ニカッと歯を見せるファージは、これならどうだ!とばかりに親指を立ててバチッとウインクをキメる。それが大いなる勘違いとは気が付かずに…。
「それ、いつ頃のお話ですの…?!」
下を向いていたアンネリアは、半眼で父親を睨め付けた。
「?!い、いつだったかな〜、さて、うーん…」
「確認して下さいまし…今、今すぐに!!」
立ち上がって叫ぶアンネリアに目を白黒とさせるファージは「え、でもパパいまご飯…」と言った瞬間に娘にドスの利いた、聞いたこともない低い声を出された。
「うるさい…」
「え?」
「早く!!!」
まるで鞭を振るうかの如く、アンネリアはテーブルにナイフを叩きつけて高い音を響かせた。
「今すぐにッ!お立ちなさいッ!!」
「お、おうっ」
こうしてファージ・マルカス侯爵は夜半にステーキを食べた後に全力で屋敷を走らされ、後に「人生で初めて、胃もたれ?ってやつを知ったぞ!まさか肉食って吐き気がする事があるなんてな!アハハ!私も歳だな〜!」と語ったという。




