仔馬ちゃん物語2
「とりあえず、皆様落ち着いてくださいませ」
「これが落ち着いていられるか!」
宥めるように声かけをするアンネリアに、案の定食って掛かるのはマッコロだ。ぐすん、と鼻をすするモモカに甘い声で「大丈夫か」「私に任せろ」などと睦言を挟みながら、アンネリアに大声で怒鳴りつけてくる。
「こんなに泣いて、可哀想だろう!!」
アンネリアはげんなりとした。
「マッコロ様、そう怒鳴られてはお話にもなりませんわ」
「お前がそうさせてるんだ!まさか…信じられないが、この私の前で身分を笠に着てどうにか収めるつもりか?」
「そのようなことはしておりません!」
話が通じな過ぎて疲れる。身分というか、親の職業を笠に着て無茶苦茶やっているのはマッコロの方だ。自覚がないらしい。アンネリアはちょっとめまいがした。
「身分などは捨て置いて、まずは状況を整理いたしましょう」
「そうやって煙に巻いて、いつもモモカは泣いて終わりにされる!可哀想だろう!」
「はぁ…」
「おい!そうやって不機嫌さで人をコントロールしようとするな!!」
特大ブーメランである。怒鳴ることで周囲を萎縮させるのはマッコロの方だ。思わず漏れたアンネリアのため息に対するマッコロの暴言に、呆れを通り越して肩がズシンと重くなった。
「そんなことしてませんわ…」
こうしてアンネリアはメンタルをゴリゴリと削られ、周囲に大して気を配れていなかった。廊下という開けっぴろげな場所でのトラブルだったので、先ほどまではガヤガヤと外野が遠巻きにこちらを見ていたのだが…ふと気がつくと周りがいやに静かになっている。
アンネリアはやっとそれに気がつき、きょろりと視線を彷徨わせた。すると、黒髪紅目と金髪紫目の男子生徒二人組がずんずんとこちらへと歩いてくる。
「…クリストフ様…」
「…王子もいらっしゃったぞ…」
小さな騒めきを耳でも拾って、アンネリアは内心でホッとした。
きっとシャルロッテに『アンネリアを庇え』とかなんとか言われているクリストフなら、この状況を何とかしてくれると思ったのだ。アンネリアのことは毛ほども気にかけていないだろうが、愛しの義姉の言うことには忠実な男である。
しかし意外なことにクリストフは、アンネリア達を遠巻きにしている生徒達の前で立ち止まった。ウルリヒだけがまっすぐにこちらにやってくると、アンネリアの右側に立つ。
「さっきから聞いてれば…全部お前のことだろう、マッコロ」
まるで庇うかのようにアンネリアの少し前に立つ彼は、マッコロに向かって厳しい口調でそう言った。キラキラとした白金の髪が廊下に差し込む光に反射して淡く輝き、横顔は不機嫌そうに歪んでいる。
「う、ウルリヒ様?!いや、そこの侯爵令嬢が権力で全てを思い通りにしようと…!」
「少し黙ってろ」
「……は、い」
学内で強制力はないとはいえ、王子の命令である。マッコロはあからさまに不満そうな顔をしながら口を閉じた。その隙にウルリヒは背後の女子生徒とモモカに「当事者である女子生徒二名、こちらへ」と呼びかける。
「二人で話し合え。周囲の人間を巻き込むな。無理なら教師を連れてくる」
至極真っ当な対応である。
モモカも女子生徒も嫌そうな顔をしたが、ウルリヒに文句を言う勇気はなさそうだった。そんな女二人を廊下の端で向かい合わせると、ウルリヒはその紫の瞳を細めてマッコロを振り返る。
「で、権力で全てを思い通りに…だっけ?」
いやに鋭いその目線は、呆れたように腕組みをするウルリヒがイラついたようにトントンと指を動かすのも相まって、かなり不機嫌そうに見えた。しかしめげないマッコロ。
「そうです!そこの侯爵令嬢が…!」
「学内では権力も立場もないんだぞ」
「それでも、周囲は気をつかうでしょう?」
「…じゃあ言わせて貰うが、お前が怒鳴ったら大抵の人間は何も言えなくなるんだぞ。自覚あるか?」
ぐっと言葉を詰まらせるマッコロに、ウルリヒは冷たく吐き捨てた。
「立場を考えてモノを言えよ」
うなだれるマッコロを見て、モモカと揉めていた女子生徒は顔を青ざめさせた。一貴族ごときが王子に目をつけられたら人生の終わりである。無駄に気が大きくなっていたことなどなかったかのように「足を踏んでごめんなさいね」と、すぐさまモモカへと謝罪をしていた。「でもあなたも足を伸ばすのはよくないわ、謝ってくださるかしら?ほら、ごめんなさいって言ってごらんなさい?」など言葉巧みに、なんとかモモカからの謝罪も引き出していた。彼女は最後「解決致しました!ありがとうございました…!」と、ウルリヒへと深々頭を下げる。するとそれを見ていたモモカは、彼女を押し退けてずいっと前に出た。
「わ、私もありがとうございます!ウルリヒ様が居なかったらどうなっていたことか…!」
胸の前で手を組みながらお礼ついでにグイグイと迫るモモカ。ウルリヒはそんな二人を見て、無表情のまま肩をすくめた。
「私は別に。…それよりアンネリアに、何か言うことないのか」
ハッとした女子生徒は、やっとアンネリアにも「ありがとうございました」と、深く頭を下げた。モモカはちいさく首を動かしてお辞儀のようなものをウルリヒにすると、すぐにマッコロのところへと逃げ帰ってしまう。マッコロとモモカはそそくさとその場を離れて行き、アンネリアは謝罪を受けながら横目で二人の様子を捉えて、どうにも弟のような色合いの強かったウルリヒを見直した。
ちなみに、その間にクリストフは何をしていたかと言うと。うざったそうに手をプラプラ振りながら「散れ」と周囲の野次馬を追っ払ってまわっていた。
最後まで残っていた女子生徒がもう一度ウルリヒとアンネリアにお礼を言ってその場から立ち去ると、クリストフまで「じゃあ先に生徒会室行ってます」と言って居なくなってしまった。なぜか廊下でウルリヒと二人きりとなり、戸惑うアンネリア。ウルリヒは眉尻をしゅんと垂らしてアンネリアを伺うように見つめてくる。
「遅くなったの、怒ってる?」
ウルリヒがごそごそとポケットを探り「ああ、あった」と、アンネリアの手に何かを押し付けてきた。カサリと音を立てる小さな包みだ。
「これやるから、機嫌なおせ」
「別に怒ってませんわよ…」
ほらほら、と食べるように催促をされて、アンネリアはきょろきょろと周囲を見回した。侯爵令嬢であるアンネリアが廊下で立ち食いなんてとんでもない…と思ったが、クリストフの人払いのおかげで人っ子一人見当たらない。まあいいかしら、なんか疲れたし。「じゃあひとつだけ…」と、アンネリアは小さな星型のソレを口に放り込んだ。どうやら小さな砂糖菓子らしいソレは、しゅわりと甘いくちどけであっという間に消えてしまう。
あまりの美味しさにパッと顔を上げてウルリヒを見れば、彼はにやりと笑った。
「好き?」
何故だろう。
すぐに言い返せばいいだけなのに。
「す、」
言葉が出なかった。
問うてくる紫色の瞳がアンネリアをじぃっと見つめてきて、その顔が妙に大人っぽいものだから…なんだか気恥ずかしくなったのだ。アンネリアは結局、コクリとひとつ頷いてみせた。
「ふふん、美味しいだろ~?」
ウルリヒはどこ吹く風で、ドヤ顔をしながらアンネリアの手に同じ包みを三つも四つも握らせて来る。
「こんなに要りませんわ」
「疲れた時には甘い物だぞ~」
なんと制服のポケットにまで包みを詰め込まれてしまった。
「私のとっておきだ。いつも頑張ってるアンネリアにだけ分けてやる」
そう言うとウルリヒはヒラヒラと手を振って、あっという間に立ち去っていった。アンネリアはその背中を見送って、なんだかフワフワする足を動かしてその場を後にする。
「ほんとに、守って下さったわ…」
歩きながら思わず言葉が口をついて出てしまう。この数日前、シャルロッテが学園にやってきてモモカと対面するという事件があった。
今までは避けていた事態だったのだが、当の本人であるシャルロッテはノリノリでモモカやマッコロに向かって「私たちは仲良しなんですもの。ね、ウルリヒ様」とか「クリスも、私の言うことには逆らえないのよ」と煽り倒し、アンネリアのことも「大切なオトモダチ」と呼んで仲間の一人として扱ってくれたのだ。これはアンネリアにとっては最高に幸せで、同時にシャルロッテを守らなくては!と思いをさらに強くする出来事であった。その時にウルリヒから紡がれた、まるで戯れのようなその言葉。
『これからは私が守ってやるからな』
シャルロッテのオトモダチとして、ウルリヒから認識されるようになって早数年。段々と仲良くなっている実感はあったのだが、まさか、こんなにも気にかけて貰えるなんて。
「お礼、したほうがいいわよね…」
アンネリアはポケットの中でカサカサ音を立てる包みを服の上からそっと押さえた。まだ、胸の内の気持ちには名前をつけないようにして。




