エピローグ
「夢じゃない…!」
喜びに叫んだクリストフはシャルロッテの身体をさらって抱き上げ、くるりくるりとその場で回った。シャルロッテの白金の髪がサラサラと広がって光に透けて輝き、クリストフはその光の中で泣き笑いする。やっぱりどこか信じられなくて、美しすぎる自分の女神に念押しをした。
「やっぱナシ、とかダメですから」
持ち上げられて不安定な中「うん」と、ちゃんともう一度頷いたというのに、クリストフは「絶対ですよ」としつこく言い募る。回る視界でリリーとローズがそんなクリストフを笑うのが見えて、ちょっぴり冷静になったシャルロッテは恥ずかしさが込み上げた。
「ちょっとクリス、もっ、もう下ろしてっ」
クリストフはシャルロッテの声を聞いて、そっと彼女を下ろしてやったが、たった一瞬しか我慢は保たずにぎゅうぎゅうと強く抱きしめた。僕のもの!といいたげに、シャルロッテを一欠片もこぼさないよう腕の中、奥に奥にと強く閉じ込める。
「苦しいっ」と、ぺしぺしと腕をたたいて促せば、意外と素直に開放された。やりすぎたと思ったのか、しょげた犬のように潤んだ瞳で一歩下がり、シャルロッテを窺うクリストフが「ごめん」の先手を打って来る。
「怒ってないわ。でもねクリス、ちょっと心配っていうか…私たち義理とはいえ姉弟、でしょう…?」
「ああ、問題ありません」
なんだそんなことか、と安堵の息を吐いたクリストフはそっとシャルロッテを腕の中に取り戻す。
「アンネリア様のところに話をつけてあるので、帰ったら養子縁組できます。それですぐに僕と籍を入れましょうね」
「アンネリア様と姉妹になるってこと?」
「書類上だけです。義理です義理」
「それはウチも一緒じゃない!」
「全っ然違います」
不満げにム、と口を引き結ぶクリストフの脳裏には、それをお願いした時のマルカス家の様子が思い出された。
話は当主のファージにしたのだが、それを応接室の外で聞いていたアンネリアは喜びの雄叫びを上げながら『シャルロッテ様が!!私のお姉さまに?!』と、なんとドアを蹴破り突入してきたのだ。淑女としてどうかと思うが、ファージは大笑いしていた。そしてマルカスの屋敷に住むことなどないというのに『お姉さまのお部屋を用意しなくっちゃ!』などと言い出して暴走し…。クリストフが次に訪ねた時にはアンネリアの部屋の隣に、シャルロッテの部屋がちゃっかり出来上がっていた。とんだスピード感である。
『お姉さまの里帰りは、最低でも年二回ですからね!』
クリストフは色々と不満だったが、受け入れてもらう手前文句は控えた。どうせシャルロッテもアンネリアに会いにマルカスへと行くだろうし、そこらへんは彼女に任せる。しかし…呼び方は、それだけは許容できない。
『お姉さま呼びはやめてください』
『どうしてですの!せっかくお姉さまになるのに〜!』
『シャルをお姉さまと呼んでいいのは僕だけです』
『もう呼ばないでしょ?!』
『それでもダメです』
いくらゴネられても、ダメなものはダメなのである。
彼女を『お姉さま』と呼ぶのは、幼かった自分に与えられた唯一の特権、特別の証だったのだから。
ハッキリとローズから『婚前交渉は禁止ですからね!』と注意を受けたが、それでもいいとゴネまくったクリストフの努力が実り、何もしないという約束で船の初日は同室になった。夕飯まではみんなで食べて、夜寝る時は2人きり、というわけだ。
待ちきれないとばかりに、リリーとローズがドアから出ていった瞬間にクリストフはいそいそと近づいてくる。
そっと抱きしめられれば、久々のクリストフの匂いにほぅっと、シャルロッテから安堵の息が漏れた。今日は色々あって疲れていたこともあり、思わずうとうとして目を閉じた。
それを見たクリストフは、心配そうに問いかける。
「……不安?」
言っているクリストフの方が、よっぽど不安顔である。シャルロッテは思わず笑ってしまった。
「ちょっぴりね。幸せ八割、不安二割って感じ」
「僕は幸せ十割なので、シャルの不安を貰います」
優しく腕をほどきシャルロッテの頬を包むクリストフ。その手の大きさに、あらためて『大きくなったなあ』と、しみじみと二年という月日の長さを感じた。
ぽつり、シャルロッテは謝った。
「遠くに行っちゃって、ごめんね」
ふるふると、クリストフは首を横に動かす。「僕が、悪かったんです」と、眉尻を下げて切ない顔。
「違うよ。…二人とも、子どもだったの。信じて欲しいんだけど、私、ずっとクリスに会いたかったよ」
「信じます」
クリストフは食い気味に即答した。
シャルロッテはそのあまりの早さに、少し疑わしげな視線を投げる。
「ほんと?」
「僕も、ですから。手紙を書くのも、会いに行くのも…迎えに行けるようになるまでは我慢しようって決めて。きっと、シャルは僕から離れて考える時間が必要だって思って。シャルのためにコレくらい我慢できなきゃダメだって…本当に死ぬ気で我慢してました。シャルも会いたいと思ってくれてたら、この二年の僕も報われます」
「そう、だったんだ」
ありがとうの気持ちを込め、クリストフの手にそっと自分の手を添えた。上から優しく握れば自然と二人で微笑み合って、そんな幸せを噛み締める。
「私にとって大切なことは、ずっと変わらないんだ。私はずっと…私と、クリスと。二人で幸せになりたかった」
最初は『クリストフをちゃんと育てる』それだけのつもりで。でもクリストフの優しさに触れて、幸せになってほしいと願うようになるまで、そう時間はかからなかった。
シャルロッテは言葉を切ると、そろそろとクリストフの頬へと手を伸ばす。
「これからも二人、ちょっとずつ変わっていくと思うの。でも、それを怖がらないで欲しい。本当に大切なことは、ずっと変わらないから」
「ちょっとずつなら、変わってもいいです…もう黙って居なくならないでくれれば。それだけで、もう」
クリストフの顎に、頬に。シャルロッテは指を添えて、ゆっくりと輪郭を確かめるようになぞる。
「私が留学してる間、怖かった?」
ぎゅうっと眉根を寄せたクリストフは、泣きそうな手前まで顔を歪めた。これを言えば嫌われてしまうかもしれないとか、情けないところは見せたくないとか、そんな考えが彼の頭の中でぐるりぐるりと回っていた。
しかし、クリストフはシラーに教わったのだ。愛を乞う側には、最後は縋り付くしか道はないと。
「正直、今も怖いです。僕の知らないシャルロッテが居るのが、たまらなく怖い」
勇気を出して心を開けば、そっとシャルロッテの唇が近づいてクリストフの頬に触れた。ふわりと香る甘やかな匂い。ぽろり、クリストフの堪えていた涙が落ちる。
「クリスが聞きたいなら、全部話すわ。私たちは違う人間なんだもの。そうやって話し合って、寄り添って…これから一緒に、居てくれますか」
クリストフは頷いて、二人はそっと唇を重ねた。
船に乗って数日。ちなみに、初日以降はデロデロに溶けた様子のクリストフにローズが夜間出入り禁止をくらわせて別室で寝た。それでも毎日『好きです』『愛してます』『可愛い』『大好き』と、クリストフの甘い言葉は止まらない。食傷気味になりながらやっとラヴィッジに着くと、そこにはシラーが直々に迎えに来てくれていた。
その姿を見るなり、緊張も忘れて食ってかかるシャルロッテ。
「お義父様!色々と聞いてませんっ!」
何がだ?と、無表情で小首をかしげるシラーは「お迎えクリスでびっくりしたんですからね!」と、毛を逆立てる子猫のような不満顔をするシャルロッテに「当主が迎えに行っただろう」と悪びれなく返した。
「リタイアには早すぎませんか?!」
「ずっと領地経営を見ていたお前達だ。私が居なくてもなんとかなると判断した」
「『お前達』…?それって私も込みの計算、てことですか…?」
「そうだぞ。エマが『シャルもクリスが好きみたい!』と去年あたりからはしゃいでいたからな」
二人の結婚を当然のように組み込んだ早期リタイアであったことが明るみに出た。そして同時に、当の本人ですら気付かない内から恋心が周囲に知られていた恥ずかしさで、シャルロッテは耳までカッと熱くなる。
「そ、それってクリスには…?」
「言ってないが。…あぁ、今バレたな」
おそるおそる後ろを向けば顔を真っ赤にしたクリストフが目を潤ませて両手を広げている。少し後ずさって逃げようとするも、一足飛びにガバリ!と抱き込まれ、父親の前だというのにちゅっちゅっと頭に口付けてくるので肘打ちをして脱出した。もう前までのシャルロッテではないのだ。嫌なことからは逃げることだってできると、行動で証明してやった。
「いてて。シャル、ちょっと気が強くなった?でもそんなところも可愛いです」
目尻をとろんと下げたクリストフは、何をされても嬉しくてたまらないといった様子で微笑んでいた。
クリストフの成人式までは怒涛の日常が待っており、西の国を懐かしく思う間もないまま、本当にすぐさまシャルロッテは“シャルロッテ・マルカス”になった。ぽんっと養女にやられたのである。
その際にアンネリアに会えば、なんと彼女も婚約している事実が判明した。時折手紙のやり取りはしていたが、そんな話は聞いていない。
そしてシャルロッテは相手の名を聞いて、さらに飛び上がるほど驚いた。まさかの、相手はウルリヒだったのだ。
「なにそれ!!聞いてないわ!」
「国外への手紙にはァ、書けませんでしたのよォ…」
じろり、アンネリアに半眼で睨まれてしまう。目が大きくて馬っぽい彼女のその表情は、妙に小馬鹿にされた感じが出る。「そ、れ、に!」と、アンネリアのターンとばかりに、突然いなくなったことをシャルロッテは散々に責められることになった。
「シャルだって私に黙って留学しましたわ!私だってご一緒したかったのに!!」
「それはごめんなさい…」
「第一、私に頼ってって言ったのに!」
「それもごめんなさい…」
「次からは私も誘ってくださらないとイヤよ!」
「アンネリア様を国外に連れ出したら反逆罪にならないかしら…?」
「それでも連れてってくださいまし!!」
ぷんぷん、と音のつきそうな可愛らしい怒り方をするアンネリアをなだめて聞けば、なんとも素敵なプロポーズ話が聞けた。ウルリヒも中々漢である。
つまりは政略ではなく恋愛結婚で、アンネリアは目標通り王子様を捕まえた、というわけであった。
後にウルリヒとアンネリア、シャルロッテとクリストフで会った際のこと。ニヤニヤとした紫色の瞳に「お、国外逃亡犯じゃないか。無期懲役になったらしいな」と言われて、シャルロッテは思わず頬をつねってしまった。相変わらず可愛い顔をしているくせに、言うことはまるでオヤジである。二年という月日を一瞬で飛び越えてくるウルリヒには、有難いやら腹が立つやら。
そうして『シャルロッテが他の男に触った』と、ムッとするクリストフがウルリヒの頬をランチョンマットで拭いていた。
「シャルロッテ様、あれでいいの?」
「アンネリア様だって、あれでいいの?」
女二人、顔を見合わせ吹き出して笑う。
額を寄せるほどに近づいて、密やかに二人は囁き合った。
「なんだかんだで幸せね」
「幸せですわ」
「大人になっても…おばあちゃんになっても。私たち、ずっと一緒にいましょうね」
「ええ。色々と変わってしまいましたけれど…シャルロッテ様とお友達になってから、私、ずっと幸せですのよ」
アンネリアの言葉で大変幸せそうなシャルロッテを見て、クリストフは甘く溶けそうな笑みを浮かべる。それをゲェッとした顔でウルリヒは眺めていたが、そのうちに自身もアンネリアの笑顔に目元を緩めた。なんだかんだ、四人の付き合いは末長く続きそうである。
◇
そうしてクリストフの成人した、その日。
公爵家の邸宅、食堂では今まさに、祝いの夕餉が始まろうとしていた。このタイミングで、父親から息子へとプレゼントが渡されるようだ。あの日と違って、今日は満面の笑みのエマと、開始前から泣き続けるグウェイン、恐縮しながら同席しているマリーとローズとリリー、細い目でニヤニヤしているハイジも参加だ。
シラーの背後に控えているシャルロッテは、あの日と違って随分と気楽なものである。コホン、とわざとらしく咳き込んでみせる義父の背中越しに、いつまでも変わらぬ赤い瞳と見つめ合う。
「クリス、誕生日プレゼントの嫁だ。大切にするんだぞ」
つい先日再び“義理の父”となったシラー・レンゲフェルト元公爵様に背を押され、シャルロッテは一歩前に出た。
「シャルロッテと申します。これからよろしくお願いします」
あの日をなぞるように、シャルロッテは丁寧にクリストフへとカーテシーをした。それに気がついたのだろう、クリストフは少し笑った。
「クリストフ・レンゲフェルトです。僕のお嫁さん、大切にします」
そっとシャルロッテの手を引いて、クリストフは触れるだけの優しいキスをした。
あの日感じた恐怖はもうなくて、シャルロッテはひたすらに幸せを感じるのみ。のんびりとしたスローライフは送れないかもしれない。それでもいい。
あの頃とは違うけれど、大切なことは変わらない。
シャルロッテは決意したのだ。
(クリストフと二人で、一生幸せに過ごせたら私の勝ち!)
シャルロッテの新たな人生ゲームは、まだ始まったばかりだ。
本編はこちらで完結となります。
これからはのんびりと、描きたかった場面やその後の話を不定期に追加していきたいと思っています。今後ともお付き合い頂ける方は、どうぞ引き続きよろしくお願いします。
これまで多くの感想、いいねやお気に入り登録、評価など、本当に本当にありがとうございました!
最後の方は感想をお返しできなくなっていたのですが、皆様が読んでくださることが本当に嬉しく、書き上げるパワーを何度も頂きました。
重ねてお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました。
では、2022年は大変お世話になりました。
皆様にとって、2023年がより良い1年になりますよう。




